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私はただちょっと嬉しくてポアロにイケメンを拝みに来ただけなのに。
うわぁ本当にいるー!しかも見たことないレベルのイケメンさんだー!
そんなノリで訪れ、軽い調子で声をかけてしまったのが悪かったのか。
いやでも客足あしらいも人あしらいも得意そうな安室さんのことだし、私のことはただのお客さんの一人として認識しているだろうなって思っていたんだよ。
そうしたら思いの外安室さんが私のことをあれこれ観察してたし、トリプルフェイスなんて死ぬほど忙しいだろうから適度な関わりしか求めず適度な距離を保ったまま踏み込んだりはしないだろう。
そう思っていたんだけど、私がアニメを見て感じた彼の性格はハズレだったのだろうか。


「着きましたよ」
「ありがとうございます……、あの別にもう歩けるので」
「車から降りた瞬間ふらついている人間の言う言葉じゃありませんよ」
「それにしてもお姫様抱っこ再びはどうかと」
「嫌ですか?」
「いえ、間近で安室さんの綺麗な顔が見られて凄く嬉しいですが」
「ならこのまま部屋まで運びますね」
「しまった、つい本音が」


車の中でついうっかり『これ見たことあるやつ!!一回廃車になったやつ!!』とか内心で興奮していたせいか、意外とあっさりと私の自宅に到着した。

ブラック企業で働いていて、少し頭がまわっていなかった私は帰りもしないのにアパート代を払うなんて勿体ないと思わないか?という上司の言葉に『それもそうだな』と納得して以前住んでいたアパートを引き払ってしまっている。
今は有給消化中だとはいえ、会社で寝袋片手に泊まり込んでいた私は病院を退院してすぐに米花町にほど近い町でアパートを借りた。
することもなく、病院でぼんやりとテレビを眺めていた時どうせだから噂の米花町の近くに住もうと決めていたのだがさすがに日本のヨハネスブルクと元々の世界で揶揄されていた場所に住む勇気はない。
結局、米花町の隣にあった町に引っ越してきたのである。
私一人寝起きするのにそこまで大きな部屋じゃなくても良いと判断したので、そう広くもないワンルームに少ない荷物で最近やってきた。
以前の部屋を引き払った時に、元々の荷物の殆どは処分して必要最低限のもののみ会社に持ち込んでいた私の引っ越しは大き目の鞄一つで終わり引っ越し業者に二度見されたことを未だに覚えている。

車から降りてすぐ、ややバランスを崩してふらついた私に目敏く気付いた安室さんが早足で近づいてきて無駄のない動作で私を抱き上げた。
一応苦言を呈しておいたものの、聞く気がないらしい安室さんからの『部屋はどこです?』という言葉に素直に答えておいた。
諦めて完全に体の力を抜き、未だ痛む背中を庇いながら身を任せきればどうしてだか呆れたような表情を頂いた。
なんですかその顔は。


「……自分でやっておきながらなんですが、貴方もう少し危機感とかないんですか」
「はあ、危機感」
「それなりの年齢の男にほいほいついて行ったり安易に部屋の場所を教えたりしては駄目ですよ」
「突然抱き上げて車に乗せた安室さんに言われるとは」
「僕は別です」
「じゃあいいじゃないですか」
「他の人にしてはいけませんよ、という意味です」
「………んん?」


聞きようによっては意味深にも思える言葉に疑問を持ったけれど、本人が私の反応を見て『何か文句でもあるんですか』とわずかに眉間に皺を寄せながら言うので深い意味はないのだろう。
多分自分が本来警察官であるからこそ他の人には、と主張している。
しかしながら私はその事実を知らずにいると本人は思っているに違いないので、この人こそ安易にあれこれ女性に意味深な言葉を言うのは気をつけた方がいいのではと心配になった。

部屋の前まで運んでくれた安室さんは、そこで下してくれるかと思いきや私に短く


「鍵は?」


とだけ問いかけてきたので思わず反射的にポケットに突っ込んでいた部屋の鍵を手渡せば器用に私を抱き上げたまま鍵を開けそのまま部屋に運ばれる。
いったいどの段階で解放されるのだろう。
段々気になってきた私は『いつおろしてくれますか?』という言葉を封印しようと思う。
部屋の扉を開けてようやく下してもらえた私は、意外と早かったな、なんて感想を抱きながらお礼を言って別れようとした。
けれどそれよりも早く安室さんは私の部屋を少しだけ眺めてから眉を顰める。


「少し出てきますので、貴方は楽な格好に着替えておいてください」
「えっ」


そう言い残して安室さんは部屋から出ていった。
私の部屋の鍵を持ったまま。

……どういうことなの。
本日何回目かの言葉が口から飛び出したが、それに答えてくれるものはいなかった。
数分程ぼんやりとしていたけれど、とりあえず適当な部屋着に着替えようか。
可愛くて女の子らしい部屋着など一切持っていなかったけれど、せめてジャージは避けよう。
暫くしてまた部屋に来そうな感じだったので、まあ私がどんな格好をしたとしても気にするほど興味があるとも思えないけれど一応私の中に残されたなけなしの羞恥心がそう叫んでいる。
多少マシな部屋着を着たところで私の手元にあるのはスウェットの上下くらいなのだが。

のろのろとした動作で着替え、さっきまで着ていた服を洗濯機に突っ込んだ私は倒れ込むようにソファに座り込んだ。
背もたれにもたれ掛かって鈍い痛みを感じて小さく声をあげる。
そういえば背中を打ち付けていたんだった。
安室さんが上手い具合に打ち付けた背中を避けるようにして持ち上げてくれていたので、すっかりその事実を忘れかけていた。
それにしても安室さん、いつ戻ってくるんだろう。
部屋から出ていってかれこれ三十分近く経過している。
着替えて暫くはいつでも出迎えられるように待っていたけれど、さすがに少し気が緩んできた。
少しだけ、と自分に言い訳をしながらソファにうつ伏せに寝転がる。
戻ってきたら起きて出迎えたら大丈夫。
そんな事を考えていた時点で私の瞼は半分くらい落ちていたということを私は理解すべきだった。
心臓に悪い目覚めを果たしてから私はその時の判断を悔いることとなる。



――良い匂いがする。

ふと意識が浮上した私がまず初めに思ったのはそれだった。
知らないうちに寝ていたのかと、ソファで寝ていたせいでぎしぎしと痛む体を無理やり起こそうと呻き声にも似た声をあげる。


「ああ、起きましたか?」
「……ん?」


パタパタとスリッパの音が聞こえてきて、おかしいな、と首を傾げる私の耳に追い打ちをかけるかのように届いたのは先ほどまで聞いていた彼の声だ。
寝起きのぼんやりとした頭で状況を理解しようとする私の目に飛び込んできたのは、エプロン姿でお玉を片手に持った安室さんの姿だった。
ポアロでアルバイトをしている時身に着けているエプロンとはまた別のもので、シンプルなデザインのそれを難なく着こなしている安室さんの姿に寝起きながら私は両手を合わせた。


「エプロン姿の安室さん……良いですね、格好いいです。尊い」
「起きて早々何を言うかと思えばそれですか」


逆に起きて早々これ以外何を言えというのか。
『まあ、これがなまえさんですしね』
なんてすぐに納得している様子の安室さんに、そうだろうと一つ頷いてみせる。
起きられますか?
ご飯出来てますよ、なんて良妻のような言葉を私に投げかけてくる安室さんの言葉に従ってのろのろとした動作で折り畳み式の小さなテーブルの前に座る私はそこでようやく完全に目が覚めた。


「……あの、安室さん?」
「はい?なんですか?」


私の言葉に不思議そうにしながらも、土鍋で作ったらしいお粥をテーブルの上に置く。
小さめのお椀と探しても見当たらなかったのだろう、散蓮華の代わりにスプーンが添えられている。
好みで入れろということなのか、刻んだネギや昆布の佃煮なんかも小皿で一緒に運ばれてくる。
目の前で安室さんが土鍋をあけて見せ、中身は私の予想通りお粥だった。
ふんわりと漂う出汁の香りと柔らかい色合いの卵の存在に思わず気を取られそうになったものの、私は聞きたかったこと全てを代用してくれそうな言葉を口にする。


「何をしているんですか」


色々全部ひっくるめて出てきた私の問いに対して、安室さんは甲斐甲斐しくお椀にお粥を盛り私の目の前に差し出してから口を開いた。


「貴方の部屋を見た瞬間、あまりにも何もなかったものですから。
これは確実に冷蔵庫の中も何もないでしょうし、救急箱の中身も空っぽだろうなと」
「はぁ……」
「胃を悪くしたのであれば、少量でも胃に優しいものを一日三度きちんと食べた方が良いと思いますよ。
一日に一度ポアロに来て時間をかけながらハムサンドを食べるくらいならね」


言いながら、どうぞ、と手ですすめてくる安室さん。
手を合わせて小さくいただきますと呟けば律儀にも召し上がれ、との言葉が返ってきてそれがなんだかほんの少しだけくすぐったく感じる。
息を吹きかけて冷ましながらゆっくりと口に運んだお粥は出汁の味とお米のほんのりとした甘さがとても美味しい。
味わいながらゆっくりと手をすすめる私を確認してから、安室さんは更に続ける。


「自分で気づいてますか?
貴方、今日ずっと顔色が悪かったんですよ」
「そうですか?」
「そうなんです。
だからいつも以上に体が動かなくて椅子から転げ落ちたりするんですよ」


ぴしゃり、とそう言われてしまえばぐうの音も出ない。
私は聞こえないフリをしながらスプーンを口に運び続ける。
私の様子を気にした風でもなく、安室さんは正面に座りながら私が食べるところを頬杖をつき見守っている。
見られていると食べづらいんだけどなぁ。
そう思いちらりと見上げれば、目が合った。


「美味しいですか?」
「今まで食べたお粥の中では断トツ美味しいです」
「それは良かった」
「安室さんは将来いいお嫁さんになれそうですねえ」
「無茶言わないでください」


心の底からの本心だったのに。

目が覚めた瞬間に飛び込んできた、エプロン姿の安室さんを思い出してそう思う。
食べ進める私の目の前で『どうせ打ち付けた背中に貼るものもないでしょうから』と言いながら湿布薬を取り出している安室さんに今更ながら思い出す。


「あ、すみません。
あとでお金払いますので」
「いえ、別にこれくらい構いませんよ」
「私が構いますって。
良いから払わせて下さい。
お粥まで作ってもらってるのに何もしないとか罰が当たりますよ」


それともとりあえず一万円札でも握らせておくべきか。
美青年にそっと一万円札を握らせる自分の姿を想像して、何かの犯罪現場のようだなと思った。
財布から一万円札を取り出そうとする私を見て安室さんは仕方なく大体の金額を口にしたので、それよりも少し多めに押し付けることにする。
あまりにもキリの良い金額だったので、ある程度安い金額を口に出したのだろうという確信があったのだ。
安室さんは私の行動に何か言いたげな様子だったものの、譲る気がない私を見て仕方なく受け取ってくれた。