赤井さんが兄対応してくる話



妹がいる、ということを知った私がノリで彼の事を『お兄ちゃん』と呼び始めたのが一年前。
はじめは呆れた様な顔をしていたにも関わらず、気がつけば当たり前のように返事をしだしたのが半年前。
そして初めて会う彼の知り合いの人間に当たり前の様な顔で『俺の妹だ』と紹介するようになったのがちょうど二か月くらい前の話である。
ちなみに彼には血の繋がりを感じさせる、きちんとした妹がいるわけですが。

彼を慕っているらしいその妹さんに嫌がられやしないか、と心配していた私だったが初めてその妹さんに会った時に例の如く妹だと紹介された私がぎょっとしながら彼を見上げたのと同時に「それじゃあボクのお姉ちゃんじゃないか!」と嬉しそうな声で言われた今日この頃皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

ほんの軽いノリからの言葉だったはずが、なんだか大事になっている気がしてならない。
改めて言うが私は彼とは何の血の繋がりもない、ただの知り合いである。
友達と言っても良いのかもしれない、と思ってこの前彼に私たちって友達だよね?と聞いてみたら不思議そうな顔で『妹だろう』と言い放たれたので結局よくわからないが。

彼の名前は赤井秀一と言い、今は死んだことになっているので沖矢昴として過ごしている。

複雑な事情があるらしいが私にはよくわからない。
ただ、自分は死んだことになっているということと普段は沖矢昴として生活しているということ。
それから今は工藤邸で暮らしているから暇な時には遊びに来ると良い、ということのみ告げられた。
私はよくわからないながらに、そんな軽いノリで良いのだろうかと首を傾げたが本人が思いのほかけろりとしているのでそれで良いのだろう。多分。

およそ三日に一度くらいのペースで彼の元に遊びに行っている私だが、突然彼の元に訪れるということはしない。
沖矢昴として作られた連絡先へ
『今日遊びに行きます』
といった内容のメールを送り暇かどうかを確認している。
当たり前のことではあるが、私たちにとっては普通のやり取りとはほんの少しだけ違った意味合いを持ったメールだ。
今日遊びに行きます、というメールであれば沖矢昴としての彼に会いに行くということ。
『お兄ちゃんのところに遊びに行くよ』
というメールを送った場合は赤井秀一としての彼に会いに行くという意味を含めている。
赤井さんは私との関係を聞かれた時に『妹だ』と答えているけれど、赤井秀一と沖矢昴は別の存在としているらしい。
沖矢昴と私の関係は、少し年の離れた友人である。
ここでようやく私と彼の関係が友人であると証明されて少し嬉しかった私だが、沖矢昴の顔でいる時の彼との交流は赤井さんと接しているという感覚がまるでなく、いまいち赤井さんの友達であるという実感はなかったが。
一勝一敗、といった印象である。

普通に遊びに行けば沖矢昴として出迎え、一緒に本を読んだりのんびり会話したり、時々家の持ち主である工藤新一君の親戚であるらしい少年を交えてお茶をしたりするのだが。
お兄ちゃんのところに遊びに行くよ、とメールを送り了承の返事を見た後工藤邸に行き勝手知ったるなんとやらといった風に家の中に入ればそこでは赤井さんが待っている。
大抵のんびりとソファに寝そべりながらリラックスした様子の彼に出迎えられるのだが、私を視界に入れると赤井さんは薄く笑いながら私を手招く。
素直にそちらに足を進めれば、ここに座れと言わんばかりにソファの空いた部分をぽんぽんと叩かれるのである。
そっと座っても良いし、勢いよく彼に飛びついても良し。
どちらにしても難なく受け止めて職業柄筋肉のついた腕で私が落ちないようにとウエスト辺りに手をまわされ自分の方へと引き寄せられる。
丁度良い位置を探しながら少し動き、ようやくおさまりのいい場所を見つけて力を抜けば当たり前のように頭を撫でてくれるのだ。

そう。
神対応ならぬ、兄対応だ。

一度私と彼のやり取りを目撃した彼の弟曰く自分達に対してもそこまで兄らしい振る舞いはしてこなかったと聞いた。
じとっとした目で赤井さんを見ながら言われた言葉に、私は一人なるほどと頷いた。
つまり思春期で兄として弟妹に構ってあげられなかった鬱憤を私で晴らしているということなのだろう。
それなりの年齢になり落ち着いてきたものの、今更弟妹達にお兄ちゃん然とした顔で接するのも何となく微妙な感じだ。
そこに丁度私がお兄ちゃんだなんて呼び始めたものだからあれこれ甘やかすことにしたというわけだ。
自分から呼び始めたはいいものの、そのうち当たり前のように優しく接してくる赤井さんに困惑していた当時の私はそれ以来本能の赴くままに甘えることにしている。
私で存分に練習を積んで、いずれ本物の弟妹達に兄として接することが出来たらいいね。
そう思いながら赤井さんを見上げた私は随分と生暖かい目をしていたのか、顔を顰めた赤井さんの手によってアイアンクローをくらわされたが。

まあ、そんなわけで私は甘やかしてほしい時にこうして彼に会いに来ている。

赤井さんは中々の甘やかし上手だ。
あまり干渉はしてこないくせに、私が強請れば口に出す前に察してくれる。
工藤邸の普通よりは広いソファでもさすがに二人で寝そべろうとするとぎゅうぎゅうだ。
必然的に私は半分赤井さんに乗り上げてしまうような形になってしまうのだが、それでも嫌な顔

一つせず私の髪を梳くようにそっと撫でてくれる。
大きくて骨ばった手は、初めて撫でてくれた時とは違ってごく自然な動作になった。
慣れるまでの不器用そうに手を往復させるだけの撫で方を思えば凄い進歩だなぁ。
そう思いながら密やかに笑えば、


「……何か余計なことを考えているな?」


と確信を持った口調で咎められる。
見上げれば、やや目を細めながらこちらを見下ろす赤井さんがいて私は誤魔化すように笑いかけた。
いつもは私の下手くそな笑顔に誤魔化されてくれるのだが、今日は珍しく何を考えていたか言えとばかりに私から視線を逸らさない。
相変わらず鋭い視線だが、別に怒っているわけでもなくただ少し圧をかけられているだけだと理解している私はやや迷ってから結局口を開いた。


「昔と比べたら随分撫でるのが上手くなったな、って」
「どこかの誰かが会う度に『撫でろ』と言わんばかりに纏わりついてきたからな」
「それでもとりあえず撫でてくれるところが赤井さんの優しいとこだよね」
「その優しい俺に対して『撫で方がぎこちない』と文句をつけるやつがいたんだが」
「それとこれとは別だったよね!」


あまりのぎこちなさについ。
子供相手だったら大泣きしてそうだよね、と言った私の言葉に赤井さんはため息をついた。
そうして私の頭を撫でる手を止め、そのまま滑らせるように降ろされた手がふと私の耳元を掠めてくすぐったさで少し身を震わせる。
その様子を見ておかしそうに笑う赤井さんの反応を見る限りわざとであることがわかる。
反撃にしては可愛らしいものだ。
文句の一つも言おうかと思ってけれど、優しい兄のすることだ。
許しましょう、と口を尖らせる。


「昔に比べれば随分慣れた」
「そうですね、これなら小さな子供でも喜ぶんじゃないでしょうか」
「そうか。それは良かった。
……ところでお前は初対面の時でも俺に対して怖がらず懐いてきたが随分と肝が据わっているんだな?」
「別に私赤井さんと初めて会った時子供じゃなかったですし!
そこは、その。私の中に眠る第六感みたいなので、赤井さんがお兄ちゃんみ溢れる人間だって察してたんじゃないですかね」
「ホォー?」


実はほんの少し怖かった思い出をなかったことにしながら、胸を張ってそう主張する。
まあ見栄を張ったところで彼には筒抜けなのだろう。
その証拠に面白そうな表情でじっと私を見つめている赤井さんに、これ以上の追及はしないようにと笑顔を返した。


「まあ、別に俺は小さな子供が泣こうが気にはしないが」
「ええ……?沖矢さんの時にあれだけ子供たちと戯れておいてよく言いますよね」
「お前への対応が役に立たなかったと言えば嘘になるが。
どちらにしても、こうしていてお前が泣かず嫌がりもしないなら構わん」
「え」


さらりと言われた言葉に驚いて目を丸くする私の唇に何かが押し付けられた。
黒い一口大の塊が視界の端に見えて、反射的に口を開ければ指先で押し込まれる。
疑いもせず咀嚼すれば口の中に広がった甘さに頬を緩め、小さく礼を述べた。


「美味いか」
「チョコレートなんてどこに隠し持ってたんですか」
「ボウヤから貰ったんだが、自分ではあまり食べないからな」
「なるほどー」


飲み込んで口を開ければ心得たと言わんばかりに再びチョコレートを放り込まれる。
なんだこれ、至れり尽くせりかな?
飲み込んで、口を開けて。
ということを数回繰り返した後、赤井さんの長い指が私の口の端を拭い取った。
何気なく眺めていればその指がやけにゆっくりとした様子で、私の口元についていたらしいチョコレートを舐めとっているところを目撃してしまい何となく目を逸らす。
見てはいけないものを見てしまった気分だ。
あらぬところに視線を向けて固まる私の様子に気づいたらしい赤井さんが、喉の奥で笑いながら『そうそう』とまるで今思い出したかのように続ける。


「子供が俺を見たら泣くんじゃないか、とさっき言っていたが……」
「え?もしかして根に持ってます……?」


意外と根に持つと長いということを知っている私は、そうであるならこれ以上長引かないようにと謝る体勢を作ろうとしたがそっと手で制されてしまった。
なんでだ、ジャパニーズ土下座を披露しようとしたのに。
文化の違いか怒れる赤井さんに初めてこれを披露した時には驚きのあまり『止めろ』と慌てて抱き上げられてしまった覚えがある。
本人は嫌がるけれど効果が絶大だ。
最終手段である私が持てるカードを切ろうとしたのに、それより早く私の行動を察したらしい赤井さんに再度視線を戻せば嫌そうな顔をしているだろうという私の予想を裏切って何故だかとても楽しげだ。
なんだろう、何故だか嫌な予感がする。

思わず引き攣る私を見て、赤井さんはまるで檻を作るかのように両腕で私を囲い込んだ。
今まででも至近距離でくっつくことはあったけれど。
いつもはまるで兄のように穏やかな目で私を見下ろしていた赤井さんは、獰猛な肉食獣のような雰囲気を漂わせている。
――食われる。
それがどういった意味合いでの言葉だったのかはわからない。
ただ本能的に、私はそう思った。


「お前の子供であればそんな心配はないんじゃないか、と思うんだが」
「わ、私の子供だったら赤井さんからしたら姪っ子みたいなものですからねえ」


きっとそういう意味ではない、ということはわかっていたけれど少しでも逃げ道があるのならと口にせずにはいられなかった。
無駄な足掻きだろうという自覚はある。
そして、それを知りながら逃がしてくれるような男ではないということも理解していた。


「いいや?
……なあなまえ。そういう意味で言っているわけじゃないのは、お前が一番よく知ってるだろう?」


なに、心配しなくてもいい。
お前が欲しがるだけの優しさは与える。
ただ少しお互いの呼び方が変わるだけの話だ。

いつから計画していたのだろう。
少なくともはじめのうちは私のことを妹の様な存在だと、本当に思ってくれていたはずなのだが。
どこでどう間違えたのかと悩みながらも、ゆっくりと降りてくる影に抵抗する気は毛頭ない。
優しく触れた唇が、回数を増すごとに呼吸ごと貪られるようなものに変わり。
数分後ぐったりとしながらソファに顔を埋める私は先ほど感じた食われる、という言葉は間違っていなかったのだと悟った。


後日、付き合うことになったという報告を彼の弟妹にした私が輝かんばかりの笑顔で
『ほら!やっぱりボクのお姉ちゃんになったでしょ?』
と言われた言葉に頭を抱える羽目になるのであった。