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「なまえさん!大丈夫だった!?」


昨日あれこれ私の世話をやいて作り置きのおかずまで用意して去っていくという面倒見の良さを発揮させた安室さんに『この人こういうキャラだっけ?』と首を傾げながらも、完全なあの世界というわけでもないのかもしれないバタフライ効果とかあるしな!と自分で自分を納得させた私は今日も今日とて喫茶店ポアロに足を運んでいた。
そして午前中であるはずなのになぜか待ち構えていたかのように私がいつも座るカウンター席の隣に座っていたコナン君が、私を見るなり慌てた様子で駆け寄ってくる。
目を丸くさせながらもその勢いの驚きつつ、そのまま黙っていると罪悪感を感じてしまうのではと思い至った私は躊躇いながらも頷いた。


「コナン君?なんで今の時間帯にここにいるの?」
「今日土曜日だからお休みだよ」
「ああ、なるほど。
日付の感覚がよくわからなくなってたわ」


言われて、喫茶店内に設置されてある小さな卓上カレンダーに目を滑らせてみるもののここ最近では今日が何日で何曜日であるか曖昧になっているのでよくわからなかった。
やはり働いていないとそういうものなのだろうか。
と思ったけどあの会社で働いていた時も日付の感覚も曜日の感覚もなかった。
時間の感覚が残っているだけ今の方が上出来なのかもしれない。
しかし休憩も休日もまともな食事もほぼなかったあの時に比べると、今の状況のなんたる極端なことか。
思わず遠い目になりそうだった私の手をぐいぐいと引っ張り、いつもの席へと案内してくれる。
椅子に座ろうとした私を心配そうにじっと見上げてくるコナン君に『さすがに二度目はないよ』と苦笑しながらも、それだけ気にしてくれていたんだろうという事実が少しだけ嬉しい。


「怪我は?痛む?」
「大丈夫だよー、ちゃんと手当てもしたし」
「本当に?なまえさん背中ぶつけてたよね?
自分でそんなとこ届いたの?嘘ついてない?」
「私の信用度の低さが垣間見える反応だなぁ……」


名探偵は鋭いな。
嘘をつくことは許さない、といった様子で鋭い視線を私に向けてくるコナン君。
この子中身が高校生だとはいえそれよりも年上である私のこと実は年下であるとでも思っていやしないだろうか。
年齢なんてただの飾りだった……?
哲学か何かかな?
困惑気味にどうでもいいことを考え始める私に、誤魔化すなとばかりに再び名前を呼ばれる。
大丈夫、と再度繰り返したところで信じてもらえるだろうか。
ううん、と少し悩む私の耳に昨日聞いたばかりの声が聞こえてきた。


「大丈夫だよ、コナン君。
多少痣にはなっていたもののそこまで大きな怪我じゃなかったよ。
ちゃんと湿布も貼ってあるし、少しでも痛むなら今日はここには来ちゃ駄目だって言い含めてあるから」
「安室さん!」
「ああー……こんにちは、昨日はどうもありがとうございました」
「いえいえ、お気になさらず。
僕が好きでしたことです」


手が離せなかったのか、私たちの会話がキリの良いところで入っていこうと思ったのか。
お店に入ってからやや間をあけてからいつも通りのエプロン姿である安室さんが出てきた。
私が行くときはそれなりの確率でポアロにいるけれど、組織の方の仕事と公安の仕事は大丈夫なんだろうか。
今は丁度暇な時期だとかそういうことなのか……?
内心で首を傾げながらも昨日の礼を言えばさらりと受け取ってくれる。
昨日よりも幾分か気安げな会話から何かを感じ取った様子のコナン君が、一瞬だけ訝し気な顔をしてからすぐに子供らしい笑顔を浮かべた。
可愛い、そしてあざとい。


「ねえねえ!
安室さんは昨日なまえさんを送っていってあげたんだよね?」
「うん、そうだよ」
「じゃあなんでなまえさんの怪我の具合まで細かく知ってるの?
もしかして安室さんが手当てしてあげたの?」


なんでなんで、とこの年頃の子供にはありがちの好奇心であるという雰囲気を前面に押し出しながら首を傾げてみせるその様子にぐいぐいくるなぁ……と思わず眺めてしまう。
やましいことがある犯人であれば、コナン君のこういう態度に表情を変え焦ってみせるのがいつもの流れなんだよな、と実際に目にした私は感慨深く思った。
まあ、しかしながら相手は安室さんだ。
コナン君のそんな攻めの姿勢にも動じることもなく、至極あっさりと口を開く。


「ああ、そうだよ。
なまえさんのことだから面倒くさがってそのまま放置しそうだったからね」
「死ぬこと以外はかすり傷だって偉い人が言ってた」
「ほら」
「僕なまえさんのそういうとこどうかと思うよ」


何となくテレビで聞いた言葉を口にしただけなのに、真面目な顔で小学生に諭される成人済み女性の図が出来上がった。
冗談半分で口にした言葉をまさかこんなにも真面目に返されるとは。
やはり私は信用度が低い、と今にもお説教をはじめそうなコナン君に椅子の上だけど正座でもするべきだろうかと少し身じろぎしただけで行動を先読みしたのか『危ないからやめてね』と釘を刺されてしまった。つらい。
私は肩を落としながら安室さんに注文を告げる。
飲み物はいつも通り紅茶を選び、同じくサンドイッチを頼もうとした私の言葉が遮られる。


「そういえば新しいメニューの開発をしているんですが、食べてもらえませんか?」


嫌だとは言わせないぞ。
とそんな圧力を感じさせる笑顔だったが、昨日のことで多少耐性が出来た私は『腹黒そうな感じの笑顔を浮かべる安室さんもまた良いものだなぁ』とのんびり呟けば隣に座るコナン君に残念なものを見る目で見られた。
年齢は飾り、ただのフレーバー。いいね?

私の了承の言葉を聞くまでもなく、予めある程度は用意してあったのか手早く調理をすすめる安室さんをカウンター越しに見つめる。
てきぱきと無駄なく効率的に動く姿にこういうところで性格が出るなぁ、としみじみ思う。
ふと何気なく隣を見ればコナン君の飲み物が空になっていたので私は安室さんから視線を外しコナン君へと声をかけた。


「ねえ、コナン君も何か飲む?」
「え?」
「心配してくれたお礼に何か奢るよ。
何がいい?コーヒーでも飲む?」


大した意図もなくそう口にした私だったが、隣に座るコナン君の表情が一瞬強張ったのに気づいて目を瞬かせた。
ほんのりと警戒したような雰囲気でコナン君が言葉を返す。


「なんで僕がコーヒーを飲むって思ったの?
僕まだ子供だから苦いの飲めないとか思わないの?」


ああ、なるほど。
その言葉に何を警戒させてしまったのか納得した。
私は元々彼らのことを知っている。
知っているからといって何をどうする気もないのだが、それでも時折こうしてその片鱗を気づかずに見せてしまうことがある。
コナン君はそもそも高校生だ。
飲み物はコーヒーを好むことを知っていて、見た目が子供になってからも事情を知る人たちの前では気にせず飲んでいることもわかっている。
今回はうっかりとその知識が口から飛び出してしまったからなのだろう。
コナン君の警戒もわかるけど、安室さんが淹れたコーヒーは美味しい。
どうせなら一度飲んでみてほしい気持ちもある。
私はどちらかといえば紅茶の方が好きなのでそっちを頼みがちだが、時々コーヒーを注文することもありその味もよく知っているのだ。
とりあえずは目の前の少年の警戒を解くべく私は普段通りの顔でしれっと答える。


「そうかな?
私の友達の子供がね、コナン君くらいの年頃なんだけど。
大人の真似をしてコーヒーを飲みたがったり、辛いカレーを食べたがったりするから」


コナン君大人っぽいしてっきり同じなのかなって。

そう続ければコナン君は予想外のことを言われた、とばかりにきょとんとしたがやがて警戒して損したとばかりに引き攣った笑顔を浮かべている。
追い打ちをかけるように、どうしたの?と不思議そうにのぞき込めば単なる自分の深読みだったのだと一人納得したらしいコナン君が『ううん!何でもないよ!』と首を振る。


「安室さんが淹れるコーヒーはね、美味しいよ」
「普段紅茶ばかり注文している人が言う言葉とは思えませんね」
「えー?じゃあコーヒーも注文……」
「胃に負担がかかりそうだから大人しく紅茶を飲んでください」
「……どう思う?コナン君」


自分で話をふっておきながらこの対応。
声を潜めるようにして言えば、乾いた笑いで返される。
どういう反応なのかなそれは。

そうこうしている間に出来上がったのか、私の目の前に料理が運ばれてくる。
カウンター越しからだというのに皿の音一つたてずに料理を置くその動作になんとなく『おお……』なんて思いつつふわりと湯気と共に良い匂いがする皿へと目を向ければ。


「これは……リゾット?」
「ええ、期間限定で出してみたらどうかと思って」


トマトをベースとしたらしいそのリゾットは、パプリカやキノコ、玉ねぎや他数種類の野菜を細かく刻んで混ぜ込んであり仕上げに上から粉チーズが軽く振られている。
試作品だからなのか、あまり量も多くなくこれなら食べ切ることができるだろう。
まじまじと眺める私に安室さんが冷めないうちに食べて下さい、と声をかけてくるので素直に従って手を合わせた。
スプーンで少量を掬い、味を確かめるようにそっと口に運べば見た目の印象とは裏腹に優しい味がして思わず安室さんを見上げる。


「しっかりと味がついてると思ったら、意外と優しい味付けなんですね」
「ええ、まあ」


私の言葉に対してやや曖昧な返事をする安室さん。
不思議に思いながらも食べ進める私の横で、何かに気づいたらしいコナン君が『あ』と小さく声を漏らした。
横目でちらりと見ればなんでもない、という風に首を振るその姿にとりあえず納得してみせる私は隣で安室さんと小声で会話しはじめるコナン君たちの会話を聞かなかったことにする。
本当はがっつり耳に入っているんだけど、内緒話のようにしてこそこそと話しているところを見ると一応私には聞かせる気がないものなのだろう。


「ねえ、安室さん。
もしかしてあのリゾット……なまえさん向けに作ったんじゃ……?」
「さあ、どうだろうね」
「というか試作品とか僕聞いたことないなー?
それも口実でサンドイッチよりも胃に優しいものを食べさせる為に、」
「コナン君?彼女が言っていた通りお代わりはコーヒーをご所望かな?」
「あ……あはははは、僕にはやっぱりコーヒーは早いからオレンジジュースが良いなぁ」


……わざわざ内緒話にしてまでする会話かな?
とりあえずわざわざ作ってくれたらしい安室さんには後でお礼を言うとして、まずは目の前にあるリゾットを完食させることに全力を尽くそうと思う。




「ところで、二人とも前より仲良くなったの?」
「まあ友達だからね」
「えっ!?」
「友達歴一日でこの態度って凄くない?」
「昨日からの話なの!?」


その後話の流れでどういうわけかコナン君と連絡先を交換する事態になった。
意味がわからなかったけど『何か困ったらいつでも言ってね!』と私に笑いかけるその目は、こいつ放っておいたら何かやらかすんじゃないだろうな、と物語っていたことを付け加えておく。