七夕



いつも通り喫茶店ポアロに入ったなまえは、昨日まではなかったはずのものに一瞬目を丸くさせたがおもむろにカレンダーを眺めて『なるほど』と一人呟いた。


「そういえば今日は七夕でしたね……って何やってるんです?」


入ってすぐのところに設置されたのは笹だった。
小ぶりのそれは、すぐ近くに色とりどりの短冊が設置してありその側には手書きで『短冊に色々書いてみよう!』という文字が見える。
子供らしい可愛らしい字や、懐かしさに思わず書いたのか親子連れで子供と一緒に書いたのか大人の字も混ざっていた。
達筆な文字で『今年も健康でいられますように』というものもあれば、子供らしい字で『仮面ヤイバーのおもちゃがほしいです』といったクリスマスと半ば混同してあるものまである。
その微笑ましさに少し笑いながら、席に案内されないことを少し不思議に思いながらも比較的空いている店内を勝手知ったるといった様子でいつも案内されるカウンター席の一番端へと向かえばここ最近同じく指定席となりつつある端から二番目の席でコナン君が頭を抱えていた。
はて、と首を傾げながら視線をあげれば笑顔のまま固まっている安室さんの姿もある。
そうして二人の様子を眺めても何の反応もなく、私の口から飛び出したのがさっきの言葉だ。
空いているし何も言われないから大丈夫だろう、と私がいつも通りの場所に座れば安室さんは私にお冷を差し出して『今日はどうします?』と何事もなかったかのように笑いかけてくる。
その言葉にここ最近暑くなってきたこともあり、アイスティーを頼めば心得た様子で頷かれた。


「畏まりました。
……いつも通り茶葉はダージリンで良いですか?」


アイスティーといえば香りの強いアールグレイが定番だ。
けれど私はあまりアールグレイは得意じゃない。
嫌いというわけではないし良い香りだと思うけれど、あの香りが飲み物であるといまいち認識できない私はつい敬遠してしまうのだ。
何も言わずともそれを察した安室さんが、二度目にアイスティーを注文した際に『茶葉はどうしますか?』と一言付け加えてくれたのでありがたくお願いして今に至る。
本当によく人を見ているし察しが良い。
なんてありがたい、尊い。
そう言いながら両手を合わせる私に真顔で『やめてください』と返す彼は随分とこのやり取りにも慣れている。


「それでお願いします」
「今日は何も食べないんですか?」
「…………」
「無言で笑っても誤魔化されませんよ」
「いやその、最近ちょっと夏バテ気味で」
「なるほど。それでは後程なまえさんの家に伺いますね」
「えっ」
「夏バテに良い料理を作りましょう。
ああ、材料はちゃんと買ってから行きますからご心配なく」
「そこまでしてもらう理由は、」
「いやですね、僕たち『友達』でしょう?」


干渉する大義名分が出来た、とばかりににこやかに笑いながら最近追加された私たちの関係を口にする安室さんに私は力なく笑って返す。
嬉しいけれど、忙しいこの人にそこまでさせるのは気が引ける。
こういう展開は今日が初めてではなく、それこそ初めのうちはもっと丁寧に断っていたのだが『僕がやりたくてやっているのでその言葉は聞き入れません』ときっぱりと言われて以来受け入れることにしていた。
今でも申し訳なさはあるけれど。
ぐう、と口を閉ざす私の目の前で安室さんは『冷たいものばかり食べていそうですから、別のものも考えておかないと』なんて考え込み始める。
万が一私と彼が幼馴染であったなら、朝起こしに来てご飯とお弁当を作っていてくれそうなタイプに思える。
安室透ってこんなキャラだっけ?
とは、もうすでに考えないことにしている。

話を変えるべく、私は先ほどから宿題に悩む小学生のような感じで頭を抱えているコナン君に声をかけることにした。


「コナン君、なにしてるの?」
「あっなまえさん!こんにちは!」
「はいこんにちは」


私を見上げた瞬間、一瞬にしてその表情が可愛い子供の笑顔になるのを私は目撃する。
この名探偵、演技派である。
コナン君の手元を何気なく見ればそこには先ほど入り口付近にもあった色とりどりの短冊が一枚、何も書かれていない状態であった。


「これ七夕の短冊?」
「うん、蘭ねーちゃんが書いてみたら?って言って渡してくれたんだけど……」


思いつかなくて。
やや間があり、そう答えたコナン君の心の声が聞こえた気がした。
本当に書きたい内容は今の子供の姿で書くとまずいものばかりだ。
かといって本当に子供らしいことを書くのも抵抗がある。
そんなところだろうか。
そういえば安室さんも笑顔で固まっていたような、と思い出しコナン君の様子から連想するに同じ状況なのではないだろうかとちらりとカウンター越しに覗き込めばやはり同様に何も書かれていない短冊があった。
きっと同じ理由で何も書いていないんだろうなぁ、と表向きは不思議そうにしながらもこっそりと納得した。
安室さんはマスターか誰かに勧められたのだろう。
さっきの短冊の中にマスターが書いたであろう『ポアロでお客様が心地よい時間を過ごせますように』というものや、梓さんが書いたらしい『女性向けメニューを充実させたい!』というものを見かけた気がする。
その流れで安室さんも……と言われたはいいものの、店員が書くような無難なものはすでに二人が書いてしまっている。
だから困っている、と。

なるほどなぁ、と私はおもむろに立ち上がり短冊を手にって戻ってきた。


「なまえさん?」
「コナン君見てたら私も書きたくなってきちゃって」


そう言って笑いながら鞄の中からペンを取り出す。
さて何を書こうか、とペンを握る手を大きな手が遮った。
驚いてペンをとり落とす私の耳に安室さんのそれはもうおどろおどろしい声が響いてくる。


「赤は駄目です」
「え」
「赤は、縁起が悪いので駄目です」
「安室さ」
「駄目です」


言われて視線を落とせば、私が一番上にあったからと気軽に持ってきた短冊は赤い色をしていた。
そういえば安室さんは赤井さんとただならぬ因縁があったような。
隣でコナン君が呆れたように笑っているところを見るに、この反応はそういうことで合っているのだろう。
困惑しながら見上げれば、安室さんはどこから取り出したのかそれとも予備の短冊が予めカウンターの向こう側に用意してあったのか。
薄い青色の短冊を手渡してきたので、どうも、とはじめて見た安室さんの形相にやや怯えながら受け取った。
しかし、この色。


「この色ってちょっと安室さんの目の色に似てますよね」


もう少し濃かったらコナン君の目の色だし良い色だ。
そう言って頬を緩ませれば、突然の私の言葉にコナン君は少し照れてみせた。
見た目と中身の年齢が違ってもまだ高校生。
可愛い照れ方をするなぁと微笑ましく見守る。
安室さんはわざとその色を選んだのか、にっこりと微笑んで見せたきり何も言わないでいる。
否定も肯定もしない姿に突っ込んで何かを聞くことはせず私は改めてペンを握る。
さらさらと思いついたことを適当に書く私が、出来た、と顔を上げれば二人がじっと短冊を覗き込んでいて少し驚いた。


「『私と私のまわりの人達に何かいいことがありますように』……?」
「うん、これくらいざっくりしてたほうが叶う気がしない?」


難しく考えないで、ざっくり書けばいいと思うんだよ。

そう付け加えながら、だから気軽に書いちゃえばいいのだと言外に含ませた私は差し出されたアイスティーを飲む。
相変わらず私の好みを把握しているらしい安室さんの手によってガムシロップが投入されているそれはほんのりと甘く、暑い外を歩いてきた私はほっと息をついた。


「まわりの人達も?」


何かおかしなことを書いただろうか。
突っ込まれるとしたら『私と』の部分だろうと思っていたのに予想外のところを指摘された。
殺人現場とかであればこういう疑問に答えた時の言葉で犯人であることがばれたりするんだよなぁ、なんて考えながらコナン君の言葉に答える。


「私一人良いことがあっても、コナン君や安室さん達に悪いことがあったりしたらさ。
それは私にとっても悪いことだと思うんだよねえ」


二人にも良いことがあって、それで喜んでたら私にとってもそれは良いことだ。
だから別になにもおかしいことは書いてないぞ、とやや身構える私だったが二人から返ってきたのはぽかんとした表情だけだった。
どういう反応なのそれ。
二人の表情の意味が理解できずにおろおろする私に、コナン君が数秒固まっていたがやがて呆れたように


「……なまえさんってさぁ、時々人たらしだよね」


と言うので今度は私が固まる羽目になった。
意味がわからない。
ちなみに夜にうちに訪れた安室さんが
「別にあれくらいの願いなら僕に言ってくれれば叶えますよ」
とぶつぶつ言いながらデザートにアイスクリームを出してくれて大層喜んだ。

本当は『この時間が出来るだけ長く続きますように』なんて願いが頭を過っていたけれど、元の姿に戻りたいコナン君にとっても組織を壊滅させたい安室さんにとっても良いことではなく。
心の底に仕舞いこんだことはきっとこの先も言うことはないだろう。