ハロウィン小話



「なまえさん、Trick or Treat!」
「じゃあトリックで」
「えっ」
「え?」


可愛らしいカボチャのランタン片手に、本来の彼である工藤新一の父親が書いた小説『闇の男爵(ナイトバロン)』の格好をしたコナン君が私を見上げてそんな言葉を口にした。
見れば隣にはいつぞや会った哀ちゃんも一緒でこちらも可愛らしい魔女の格好だ。
片手には小さな箒が握られていて中々に芸が細かい。
のんびりとした日々を過ごしているせいか日付の感覚が曖昧だった私は、声をかけられてから今日が何の日か思い出した次第である。
元々ブラックな会社にいたから具体的に言えば大学を卒業した辺りからすでに日付や時間の感覚は曖昧だったので仕方がない。
時間の感覚が多少戻ってきているだけ進歩と思おう。
コナン君の言葉に微笑ましい気持ちになりながらも、残念ながら私に食べ物を持ち歩くという習慣はない。
彼らがどんな悪戯をするのか気になったという理由も手伝ってあっさりとそう告げればなぜか驚いたような反応が返ってきた。


「……本当にTrickでいいの?」


相変わらずのクールさで私に問いかける哀ちゃんに、私はへらりと笑って肩を竦める。


「うん、残念ながら君たちにあげられそうなお菓子の類を持ち合わせていなくて」
「ああ……声をかける相手を間違えたな」


おそらく遠目から私の姿が見えたから声をかけてくれたのだろう。
コナン君が普段の私の様子を思い出してか遠い目になりながらぼそりと呟いている。
これからどこかに行ってお菓子を買ってこいだとか、どこかで何かを奢れと言われれば喜んでそうするけれど別に彼らはそれを望んで声をかけたわけではないとみた。
そもそも彼らの中身は高校生くらいの年頃で、こういったイベントにはしゃぐタイプでもない。
米花町の地域行事か少年探偵団の子たちに引きずられた感じだろうか、と推測する。


「どうしとく?顔に落書きでもしちゃう?」


全体的にフリーな状態である今、そうされたとしても特に問題はない。
消えるまで家に引きこもっていればいいだけだ。
『さあ来い』とばかりに目線を合わせるようにしてしゃがんでみれば、目だけで相談していたらしい二人が同時に頷いた。


「なまえさん、それなら今からうちに来て」
「ん?」


そう言いながら私の服の袖を引っ張ったのは哀ちゃんだ。
うち、ということは博士のところだろうか。
とりあえず了解だとばかりに引っ張る方向についていったのだが、


「……いつも思うけどその警戒心のなさは気を付けた方がいいと思うよ」
「君たち相手に警戒も何もないでしょう」


理由も聞かずに歩を進める私を見て何を思ったのかコナン君がそこそこ真面目な顔で私にそんなことを言ってくる。
子供相手だから警戒しない、というよりは私だけが知り得るこの世界の絶対的正義である存在にそうされて悪いようになるわけがない。
なんて思いがあるからだが、二人は知る由もなかった。
そして言われた二人が同時に『自分たちがしっかりしなくては』と私を見て決意していたということを、私も知る由がないのである。

ちなみに博士のところに連れていかれた私は哀ちゃんによる『悪戯』によってかぼちゃ料理の試作品の数々を試食することになった。
悪戯とは何だったのか、と首を傾げながらも美味しい料理達に舌鼓をうつ。
食べても食べても次々に出される種類の料理は、その量から考えてある意味悪戯といってもいいかもしれない。
私なりに頑張って食べた結果残してしまうことになったのはとても心苦しかったけれど、哀ちゃんからは『頑張ったわね』と小さい子供を見るような目で優しい言葉をかけられた。
二人からの慈愛の籠った眼差しの意味がわからないし、きっとシュールな光景になっていただろうがそれを突っ込む人間はこの場にはいなかった。






「しまった、つい癖で」


博士の家から出たのがそれなりに日が暮れた時間で、元々その日はいつものように喫茶店ポアロにでも行こうかと思っていた。
コナン君たちの悪戯によりお腹がいっぱいになってしまった私は、腹ごなしも兼ねて遠回りしながら歩いていた。
そしてその結果ポアロに着いた時間は閉店時間近く。
そもそも来たとしても今のお腹の状態から考えると飲み物くらいしか入らないだろうに。
つい吸い寄せられるようにふらりと来てしまったが今日はこのまま帰ろうか。
そう判断して踵を返そうとしたその時、ふと後ろからドアの開く音が聞こえた。
その音に振り返れば。


「……わぁ、来て良かった」
「なんで出合い頭に拝んでるんですか」
「レアな格好をした安室さんを見ることが出来たことに対する感謝の気持ちとかですかねぇ」
「……ハロウィンだから今日一日はこの格好で、と」


『安室透』であればノリノリで着るであろう吸血鬼の仮装をした安室さんが、やや苦い顔をしてそう返してくる。
私相手に取り繕っても害はないと思っているのか、万が一ばれてもどうとでも出来る相手だと思われているのかはわからないがこの人は私と二人でいる時にちょいちょい降谷零の顔を覗かせる。
日頃事件や仕事で突然シフトに穴をあけてしまうことを申し訳なく思っている安室透としては、こういったイベントごとでの頼みを断れなかったのだろう。
表向きは快諾したであろう安室さんは、その内心ではこう思っていそうだ。

二十九歳にもなって俺は何をやっているのだろうかと。

漫画やアニメで垣間見ただけなので私の勝手な想像での降谷零でしかないのだが、当たらずとも遠からずといったところなのではないか。
私が一人であれこれ考えていると、気を取りなおしたように安室さんが私に微笑みかけた。


「それにしても珍しい時間に来ましたね」
「ああ、つい癖で来ちゃったんです。
今日はお腹いっぱいなので来ても飲み物くらいしか注文できないんですが」
「へえ?珍しいですね貴方がきちんと食事をとっているのは」
「日頃からちゃんと食べてますって」
「そういうことは常人程度に食べられるようになってから言って下さいね」


中へどうぞ、と結局店内へと促された私は素直にポアロへと足を踏み入れる。
店内は閉店間際ということもあってかがらんとしており、客は私一人。
梓さんやマスターも先に帰ってしまっているのか店内には私たちだけしかいないようだ。


「もしかして閉店作業中でした?
それならまた明日出直しますけど」
「いえいえ、まだ営業時間内ですから。
折角来たんですし温かいものでも飲んでいって下さい」


そう言いながら注文する前にてきぱきと作業をはじめてしまった安室さんに、私はいつも座っている席に腰を下ろした。
大体毎回同じものを注文しているせいかすっかり私の味の好みを知っている安室さん。
今日は普段よりも寒いからか珍しくココアを作っているような匂いが漂ってくる。


「そういえばココアはお好きでしたっけ?」
「好きですけど作ってから聞かれても」
「まあ、そうですよね。でも何となく好きだろうなと思って」
「苦手でも安室さんの手ずから淹れてくれたものですし喜んで飲みますが」
「……そんなことを言って僕が貴方に毒でも盛ったらどうする気です?」
「最期に目にうつるのが安室さんの顔だというなら、悪くない終わり方なんじゃないですかね」


目を細めて、咎めるようにして言われた言葉に本心からの言葉を返せば奇妙なものを見る目を向けられた。
今のは我ながらちょっと気持ち悪かったかもしれない。
でも安室さんの綺麗な顔を見ながら彼に看取られるというのなら悪くない、と思う気持ちに嘘はないのだ。
誤魔化すように笑えば深々としたため息をつかれる。
どういった心境からきたものなのかはあえて考えない。


「熱いので気を付けて飲んでくださいね」
「ありがとうございます……あれ?マシュマロだ」


私は注文したことがなかったけれど、他のお客さんが頼んでいるのを見たことがある。
けれどポアロのココアにマシュマロなんて入っていただろうか。
ココアの熱で溶けるだろうに、わざわざマシュマロを一度焼くというひと手間をかけた形跡がみられる。


「おまけです、内緒ですよ?」


そう言いながら人差し指を自分の口元にあててみせる姿がとても様になっていて、私はもう一度ありがとうございますと口にした。
さっきも聞きましたよ、と安室さんは笑っているがそのあざとすぎる仕草に対するお礼の気持ちだ。
彼の名誉のためにも敢えて言うまい。
火傷しないように慎重に息を吹きかけて冷ましながら口にしたココアは、溶けたマシュマロのせいもあり少し甘めでほっとする味だった。
普段は紅茶を頼むことが多いけれどココアもいいな。
まあ、安室さんが淹れるものは大抵美味しいんだろうけど。
吸血鬼の仮装をして普段よりも動きづらいだろうにまるで普段との差を感じさせない動きで後片付けをはじめている姿を眺める。
殆ど閉店作業は終わっていたようで、私が飲んでいるココアを準備するために出した道具を洗う程度ですぐにやることはなくなってしまったらしい。
店内では一応BGMも流れてはいるものの、誰かの話し声がないというだけでこんなにもしんとするものだったのか。
疲れているであろう安室さんを早く解放してあげるためにもさっさと飲んでしまいたいのだが、そうすると先ほど安室さんが言った『熱いので気を付けて』という言葉がフラグになってしまう可能性がある。
真剣に飲み物に向き合っている私を、なんだか面白そうに安室さんが見守っている。
小さい子供を見るような微笑ましい視線を私に向けてくるのは止めて頂きたい。
というかあの二人と同じような目をしないでほしい。


「ああ、そういえばなまえさん」
「はい?」


ふと思い出したかのように口を開いた安室さんに顔を上げれば、どこか悪戯っぽい表情を浮かべながらにっこり笑って言葉が続く。


「Trick or Treat」
「お菓子持ってないのでトリックで」


コナン君に告げた言葉を同じ内容のものを口にすると、安室さんは目を丸くさせる。
そういう顔を見ると二十九歳だとは思えないな……なんてしみじみ思いながら鑑賞していると、安室さんが頭が痛そうにこめかみを抑えた。


「……なまえさん、貴方もう少し警戒心を持った方がいいのでは?」
「安室さんが私に怪我させたり嫌な思いさせたりはないかな、と思いまして」


私立探偵兼喫茶店のアルバイトという肩書は仮の姿。
実際は公安警察であり人一倍正義感の強そうな安室さんだ。
彼の考える『悪戯』が法に触れることはまずないだろう。
原作知識というものは便利なものだとのんびり考えながら安室さんをじっと見上げれば、何かを思案しているような顔をした後におもむろに私の背後へと近づいてきた。
首を傾げながらもまだ半分ほど残っているココアを机の上に置けば、不意に近づいてきた大きな影に私は目を見開く。
私を囲うようにして伸ばされた両手はカウンターへ。
彼がつけているマントがまわりの視界を塞ぎ、私が見えているものは安室さんだけという状況に思わず動きが止まる。
じっと見下ろしてくる青灰色の目は獲物を見つけたかのように、ゆるりと弧を描く。


「それでは悪戯として貴方の血を頂きましょうか」


そう言いながらするりと首筋を撫でられ、ゆっくりと安室さんの顔が私の首元へと降りてきた。
色素の薄い髪がさらさらと頬を撫でていき少しくすぐったい。
なるほど、吸血鬼の仮装だもんなぁ。
がぶっと噛まれたりするのだろうかと思いながらも特にどうする気もない。
特に抵抗もせず身を任せていた私だが、彼の吐息が首筋をくすぐるほどの位置まできてぴたりと動きが止まった。


「……あの、せめて焦るとか抵抗するとかしてくれませんか」
「あれ?血はいらないんです?」
「……本気で言ってます?」
「まさか。でも悪戯と言うからには首でも噛まれるのかと思ってました」


私の言葉になんとも言えない雰囲気になってしまったことを見るに、今の行動自体が悪戯であったらしい。
自分の行動に驚かせて動揺させることが目的だったということなのだろう。
ああ、なんだそういうことか。
と今更ながらに納得する私の姿を見て安室さんは更に微妙な顔をする。
ゆっくりと私を腕の中から解放した安室さんは、頭を抱えながら低く唸るような声色で言い含めるように言葉を続けた。


「無防備すぎて心配になってきました」
「ちゃんと相手をみてやっているので心配ないですよ」
「それは……喜んでいいの、か?」


私の言葉に真剣に悩みだしてしまった安室さんに、私は適度に冷めて飲みやすくなったココアを飲みながら我に返るのを待つことにした。
ちなみに数分後『どちらにしても貴方の血を貰ったら貧血で倒れそうですね』との言葉の元、晩御飯を振る舞われることになる。
すでにお腹いっぱいだと主張すれば食材を買い込んだ安室さんの手によって数日分の料理をタッパーに入れて私の冷蔵庫に保存する、といったマメさを披露されるのであった。