11



「まあ、なまえは昔から非力だったもんねぇ」


前の職場のあれこれでお世話になった友人にお礼と称して食事に行き、その帰り道コンビニで酒類を買い込んで宅飲みだと友人宅へで言われたその一言に私は首を傾げた。
そう言われるに至った発端は何のことはない、つまみになりそうなものを適当に冷蔵庫からも持ってきたとテーブルに置かれた友人作であろうピクルスの瓶を開けようとした私だったが思いの外固くて開けられなかった。
どんだけ固く閉めたんだ、と笑いながら友人に言えば昔から外見には殊更気を使い今でもすらりとした華奢な体型であるその友人が私の手の中にあったその瓶をするりと抜き取ると目の前ですんなりと開けてみせたのだ。

何でもないかのように『はい』と私に開いたその瓶を手渡してくる友人と、必死に頑張った証拠だと物語っている真っ赤になった自分の手の平とを交互に見れば私が考えていることを察したのか呆れたように友人が放ったのが先ほどの一言である。
この友人とは中学時代からの付き合いだ。
勿論私の当時の体力測定の結果は知っているはずだろう。
友人がその時のことを覚えていれば、という前置きがつくけれど記憶力の良いこの友人に限って覚えていないということはありえないだろう。

私が体力や握力なんかの諸々が低下したのは以前勤めていたブラック企業で無茶を強いられていたからであって、それ以前の私は一般的な体力を持ち合わせていた。
目の前の友人はそんな私よりもやや力が劣っていたし、それは今でも変わらないはずなのに。
考え込み始めた私だったが、目の前に突き付けられたグラスに注がれたチューハイを思わず受け取り友人の乾杯という声と共につられるように口をつけその時浮かんだ疑問はそこで霧散してしまった。

さて、次の日になって日課の如く喫茶店ポアロに訪れた私はその時のことについて考える。
久しぶりにアルコールを摂取したせいか今日は目が覚めるのが遅く、昼過ぎという時間になってしまった。
今日も安室さんは不在らしく、ポアロにいつもいるような印象があるもののこの前の映画版と思わしきあれこれの事後処理なんかに追われているのだろうと見当をつける。
いつも以上にのんびりとした店内の空気は、考え事をするのに持ってこいの環境だった。


少し前から気になってはいたのだ。
確かに今現在の私の体力その他諸々は低下しているし、免疫力なんかも低下しているらしくちょっとしたことで微熱が出たりするけれどそれでも最近は以前に比べれば体調は回復している。
しかしまわりを見てみれば、以前私よりも非力だった友人からは私が昔から力がなかったと言われ時折街中を駆け抜けていく子供たちはやけに足が速く感じる。
ずっと前から私が気にしていなかっただけでそうだったのかと聞かれれば、きっとそうではない。
確かなことは言えないし、答え合わせをしようにも正しいことを提示してくれる相手なんていない。
これはあくまでも仮定の話だ。


「あれ?今日は珍しい時間に来てるんだねなまえさん。
姿が見えたからつい来ちゃったよ」


だからそんな可愛らしい言葉と共に、学校から帰ってきたらしいコナン君についこんな話を持ち掛けてしまったのは仕方のないことだった。
大抵午前中にポアロを訪れることが多い私が今の時間にいることが珍しいらしいコナン君がほんの少しだけ首を傾げながらも、当たり前のようにカウンターの隣の席に座るのを見届ける。
どうでもいいけれど一応見た目は小学生である彼がこうも頻繁に喫茶店に通っているというのはどうなのだろうか。
いや、中の人のことを考えれば別にそう珍しい話ではないのだけど。


「コナン君ちょっとお願いがあるんだけど」
「え?どうしたの?」


私の珍しい言葉に目を瞬かせながらも、一瞬だけ鋭い雰囲気になったのは何か厄介ごとにでも巻き込まれたのだろうかとでも思ったんだろう。
大したことじゃないんだけど、と前置きをしたけれど『それは僕が判断するから遠慮なく言ってなまえさん!』なんて言葉が帰ってきたのできっと彼の中で私は色々と信用できない存在なんだろうなぁなんて少しだけ笑う。
まあ実際は私の言葉通り全然何でもない話なわけなんだけど。


「ちょっとお姉さんと腕相撲しない?」
「……は?」
「あ、コナン君が勝ったら何か奢るからさ」


ただの好奇心というか、先ほどまで考えていたことに対する小さな確認だ。
他に確認する術がないのかと聞かれればそれはきっと『ある』だろう。
けれど先ほども考えた通り、あったとしてもそれが正解であるかどうか答え合わせをしてくれる人は誰もいないのだ。
そう、例えば神様がいたとして何かの小説のように私の世界と名探偵コナンの世界が融合したということを事細かに説明してくれない限りは。
まあ友人達にもさりげなく聞いてみた結果、名探偵コナンの世界と私の世界が融合しているのだと気づいたのは私だけのようだったのでそのせいだろうという推測はしているのだが。
彼らの世界と私が過ごしてきた世界では色々なものの基準が違うのではないか。
色々と難し気なことを考えてはみたものの、単純な現実があるだけだという話だろうけれど。
にこにこと笑いかけながら右手を構えてみせる私に、コナン君はわけがわからないという表情を浮かべてはいるもののその小さい手がそっと私の手を握りしめるのを見てこの子もわりと人が良いなぁなんて別の種類の笑顔を浮かべた。






「……ええと、これはどういう状況なんですか?」


両手で顔を覆いながらカウンターに突っ伏している私を必死に慰めているコナン君。
その近くでは何とも言えない表情で笑う梓さん、というわけのわからない状況でタイミング悪く来店してしまったらしいすっかり耳に馴染んだ安室さんの声に私はゆっくりと顔を上げた。
コナン君が私を宥めるように背中を撫でながら安室さんに『どうしたの安室さん、今日はシフト入ってないんじゃなかった?』なんていつの間に把握していたのだろうという言葉を投げかけそれに対して『少し忘れ物をしたから取に来たんだよ』なんて軽く返事を返している。


「ううう……安室さん……」
「え、本当にどうしたんですかなまえさん。涙目になってますが」


頭のどこかではわかっていた結果だったけれど、実際にそれを突き付けられるとじわじわショックだ。
情けない表情をしているだろう自覚はあったが目を塞いでいたら安室さんの姿を見ることが出来ないし拝むことも出来ないじゃないか!
そんなことを考えてしまった私は反射的に顔を上げて、思いのほか近い位置で安室さんが私を覗き込んでいることに気づいてちょっと後悔した。
私の表情と縋るような声に、驚きからかわずかに目を見開く安室さんのその顔はやはり29歳みは到底見えない。
実は同級生なんですー、とか知らない第三者に言ってみたら信じてしまうのではないだろうか。
現実逃避をするかのようにそんな明後日な事を考えているとはつゆ知らず、安室さんは私の肩に手を置いて隣に座るコナン君に何があったのかと目で訊ねていた。


「あははは……たいしたことじゃないんだけど」
「私にとっては十分『たいしたこと』だったんだよ……本当にショックだったんだよー」
「でも私なまえさんがコナン君に話を持ち掛けた時点でこうなりそうだなって思ってましたよ?」
「梓さんが笑顔で追い打ちをかけてくるから私はもう駄目だよコナン君」
「……ええと、どういうことなんですか?」


再びカウンターに突っ伏しそうになった私だったが、肩に添えられた安室さんの手がそれを許さなかった。
片手を肩に置いているだけなのにいとも容易く私の動きを止めてしまう安室さんに、今更ながら大きい手だなぁなんて実感する。
コナン君が言う通りたいしたことではないのだが、今更何でもないですなんて答えでは納得しないだろうことは慰めるように肩に置かれている手が言うまで離さないというようにがっちり掴んでいる時点で理解していた。


「いやその、最近ちょっと体力とか腕力とかが低下してきてるなーって思って。
何となくコナン君に腕相撲を持ち掛けて」
「はあ」
「そうしたら数秒で負けちゃいまして」
「……え」
「男の子とはいえ小学校低学年であるコナン君に、本気で挑んで、数秒で負けました」
「…………」
「安室さんその目やめて下さい心が抉られる……!!」


聞かれたから答えたのにこの仕打ち!
何も言葉は返ってこなかったが、安室さんの目はそれはもう可哀想なものを見る目で私は打ちひしがれたようにコナン君に泣きついてみせる。
中身は高校生男子であり、アニメなんかを見ていてもこういった状況ではある程度動揺してみせるコナン君だが私相手だとそういったことはないらしく『はいはい』と適当な返事をしながら私の頭を撫でてくるので彼とは一度私の立ち位置についてじっくりと話をしたい気持ちだ。
今のこの立ち位置も嫌ではないので口に出して実際にどうこう言うつもりはないが。

ふと考えたのだ。
私の世界と名探偵コナンの世界が融合したとして、私が知る限り名探偵コナンの世界は身体能力に優れていたり体が頑丈であったりする人が多いのにその辺はどう処理されるのだろうかと。
私の世界の基準から考えれば彼らはビックリ人間として話題になったりその筋の選手としてスカウトされたりするレベルだろう。
工藤新一の幼馴染である蘭ちゃんに至っては、空手をやっているからといっても普通蹴りでコンクリートを粉砕したりというレベルにまで達しないというのが私から見た基準だ。
昨日見た友人の姿を交えて考えると、もしかしたら世界が融合してしまった際に私たちの世界の人間がみんな体力であったり頑丈さであったり腕力であったりが向上しているのではないかと思ったのだ。
けれどそう考えると、かなり回復してきたと思っている私がどうして未だにまわりから非力扱いされるのかという疑問が残る。
確実なことはわからないが、もしかしたら『二つの世界が融合した』という自覚があるが故に本来であれば知らぬ間に能力が底上げされる筈が私に至ってはそれがされなかったのかもしれない。
そうして小学生低学年であるコナン君にさえいとも容易く腕相撲で負ける成人女性が出来上がったというわけである。

何故突然世界が融合したのか、どこまでが融合したのかはわからない。
頭のどこかで『そりゃああれだけ事件が起きてあれだけの人が死ぬ米花町だし住む人がいなくなるのは困るから人員補充はいるでしょうよ』なんて考えが過ったが深く考えるのはやめよう。
ホラー展開はご遠慮願いたい。


「……私も体とか鍛えようかなぁ……」
「なまえさんが怪我する未来しかみえないよ」
「人には向き不向きというものがあると思います!」
「何かあった時まわりを頼るのも大事なことですよ」
「全員から否定されるとは思わなかった」


落ち込み続ける私を見てどう思ったのか、安室さんが
「とりあえずなまえさんはもう少し体力をつけるところからはじめましょうね」
との言葉と共に最寄りのスーパーへと連行されそのまま私の部屋でご飯を作ってくれるというゲームか何かであればご褒美イベントともいえる展開に喜びつつ、この状況に慣れつつある自分にこれはどうなのかと考えたがもう一つ考えていたことを思い出す。

あれだけ頻繁に事件が起こる米花町で、コナン君や安室さんとこれだけ一緒にいたり接したりしているにも関わらず私自身は何の事件に巻き込まれることもなければ黒の組織から目をつけられることもないのも私が未だ名探偵コナンの世界に染まり切っていないということなのではないか?
というただの仮定ではあるものの、体力その他諸々の底上げと引き換えに平穏が得られるというのならば悪いことばかりではないなと料理をする安室さんの後ろ姿を眺めながら小さく笑った。