降谷さん×薬で縮んだ恋人





思い返せばその日は朝からついてなかった。

朝起きてのろのろとした足取りで、惰性でつけたテレビから流れてきた今日の占いからは私の星座の場面で
『今日の貴方は大ピンチ!頑張って生きて!!』
というふんわりしていてそれでいて漠然とした不安感に襲われることを言われ。
どういうことなの……と、やや呆然としながらも仕事に向かえば職場がなかった。
自分のデスクの上に乱雑にまとめられた段ボールの中の私物を覗き込む私に、三か月前に辞めて言った先輩が残した
『給料の支払いが遅れたり分割払いになったりしたら倒産の前触れ』
という言葉を今更ながらに思い出す。
すでに貯金でどうにかやりくりしていた私は、明日からどうしようと途方にくれながらこんな重い荷物手で持って帰れるか!!とばかりに怒りに任せて宅配便で私物を家に送った。

そして極め付けがこれだ。

打ちひしがれながらよろよろと家路を目指す私の前を横切った一匹の野良猫。
あら可愛い、とばかりに路地裏へと足を進めるその猫を追いかけて誘われるように踏み入った路地裏から漂う濃い血の香りに思わず『ひええ』という声をあげてしまった。
今さっき撃たれましたよ、と言わんばかりの出来立てほやほやな被害者さんの姿とその近くで私がやりましたと言わんばかりに銃を構えた体勢のまま声に反応してこちらを見た長い銀色の髪の黒づくめのイケメン外国人。
全身から堅気じゃありません、といわんばかりのオーラを放つその男性は私の姿をちらりと見た後ゆっくりとその銃をこちらに向けて引き金を引いた。
あまりの自然な動作に思わず見守ってしまったが、かちん、という音にふと我に返った。


「チッ弾切れか……」


二度、三度ほどかちかちと引き金を引いてみせた男性は短気なのか何なのか。
イライラとした様子で銃を仕舞うと、未だ呆然として動けずにいる私に大股で近寄ってくる。
おもむろに伸ばされた手が強引に私の口を割り開き、その指で何かを私の喉奥へと突っ込んだ。
いつの間にか後ずさっていたらしい私は背中が路地裏の壁にぶつかった硬さを感じながら、飲み込まなければもっと痛い方法で私も殺されるに違いないと咄嗟に判断して素直にそれを飲み込んだ。
すんなり従うとは思っていなかったのか、男性は私の様子に少しだけ目を見開いたもののすぐにうっすらとした笑みを浮かべながら


「良い子だ」


なんてお褒めの言葉を頂いたけれどびっくりするほど凶悪な笑顔だったのでさっぱり嬉しくない。
思わず言われるがままに飲み込んだけどなんだこれ。
状況がさっぱりだけど、とりあえずやばい場面に出くわしたのだけはわかる。
というか男性はよく見知らぬ女の口の中に手を突っ込もうと思ったな。ハンカチいる?
現実逃避しながらそう言いかけたところで、私の身に起こる変化は早かった。
はじまりは、心臓が一つ大きく音を立てたところからはじまる。
ばくばくと鼓動を速めていく心臓に息が出来ない。
立っていることもできずに、ずるずると壁を背に座り込み、とうとう地面へと倒れ込んだ。
体中が熱い。
そりゃそうか、よく見たら湯気の様なものすら見える。
ぶれる視界と遠のく意識の中で、私は聞き覚えのある声に閉じかけていた目をわずかにこじ開ける。


「……おや、一般人に見られたんですか?」


貴方ともあろう人が、と続けられたその声はよく知っているものだ。
突然だが私には恋人がいる。
数年前に付き合いはじめたはいいものの、仕事が忙しいという理由で年に一度ほどしか会っていないというどこの現代版織姫と彦星だという恋人がいる。
友人に洩らせば『それは恋人って言うの……?』と必ず返されるが、年に一度くらいのペースで会える時は必ずあちらから連絡が来るので多分まだ恋人なのだろう。
珍しく会えた日は、あれこれ豪華な食事を奢ってくれたりホテルのスイートが予約されていたりするので稼いでいるんだろうなーとは思っていたのだが。

まさか悪事に手を染めていたとは。

顔色一つ変えず人を撃ち抜き、そしてついでに私に毒薬のようなものを飲ませた男性と知り合いであるかのような会話を続ける自分の恋人の姿が私の目にうつった最後の景色だった。
ああ、これは確かに占いは当たっている。
私と同じ星座の人はぜひとも頑張って私の分も今日と言う日を生き延びてほしいなあ、と骨が溶けていくような痛みと苦しみに耐えながらぼんやりと願う。
やがて、この場所から遠のいていくような足音が聞こえる。
次の日くらいにニュースにでもなっていたりするんだろうか。
とある女の不幸の連鎖とその末路、だなんて面白おかしい話題だ。
友人達はせめて私のことを『とてもいい子でした』とか話してほしい。
どうでもいいことを考えて痛みから逃れるべく気を紛らわせようと試みる私の耳に届いた
「頼む、俺を置いて逝かないでくれ……!」
という縋るような悲痛な声にいつの間にか握りしめられた手を握り返したかったけれど残念ながらそんな力は残っておらず。


「ふ、る……ごめ……」


降谷さんごめん、折角来週誘ってもらってたのに行けなくなっちゃった。

そう伝えようとしたけれどそこまでが私の限界だった。
そうして訪れた暗闇に、私の意識は抗うことなく吸い込まれていく。
せめて来世では幸福な人生を歩みたいものだ、なんて願いながら。






「生きてる」


そんな馬鹿な。

死ぬと思って遺言めいた事を言ったり、考えたりしていた私は羞恥に身悶える。
やめて恥ずかしい、出来れば忘れてほしい。
特にその場にいた降谷さんはその優秀な頭脳から記憶力も良いだろうけど、頭を打つなどして忘れてほしい。
目が覚めた私がいたのは真っ白な一室のベッドの上で、消毒薬の匂いが染みついていることから病院だろうとなんとなく察した。
一通り悶え終えた私は未だ誰も来ないことになんとなく寂しくなり、習慣のようにテレビをつけた。
何故かすでにテレビカードが用意されていたようで、すんなりとついたテレビからはあの日私に死亡宣告をしてのけた例の占い番組が。
丁度私の星座のところで、
『頑張って生き延びたね!!今日の貴方はとってもハッピー!!』
とか言っていたけれどなんなのこの占い番組。
時々不意を突いてこういうわけのわからない番組ってあるよねえ、なんて思いながら適当に操作をしてあれこれチャンネルを変える私はふとバタバタとした足音に扉の方へと視線を向けた。
なんだなんだ、と声に出すよりも早く勢いよく開かれた扉の先には私の恋人である降谷零が息を切らせながら幽霊でもみたかのような顔で私を凝視している。


「ええ……?
病院では走らなーい、とか看護師さんに怒られない?それ」


思わず思ったままを口にした私に、降谷さんは一度びくりとその体を震わせたかと思えばつかつかと私のいるベッドへと近寄ってきた。
その顔はやややつれており、目の下の隈も目立つ。
そういえば見たことがあるのは私服姿ばかりだったので、スーツを着ている姿は初めてだ。
あの時の男性のように黒づくめとかじゃなくていいのだろうか。
いやもしかしてあの男性の全身黒は趣味である可能性が無きにしも非ず……?


「なまえ」
「あ、はい」


そういえば私の声、いつもよりも高くないか?
暫く意識がなかったみたいだからそのせいだろうか。
いや、意識がなくて声が掠れてるとかそういうのはあっても声が高くなるってなんだそれ。
違和感に一人首を傾げている私を見下ろしていた降谷さんは、くしゃりと顔を歪ませてから私を思い切り抱きしめた。
恋人同士の甘い抱擁というよりかは、怖いものを見た子供が全力で母親に縋りつくかのような一切の手加減を知らない抱擁に私の骨がみしみしと音をたてる。
降谷さんはそろそろ自分の力の威力を理解すべき、と内臓が口から飛び出しそうになりながらも私にすり寄る降谷さんの背中を宥めるようにそっと撫でた。
その時の私の手も記憶のものより小さくて、すべすべしていることには目を背けながら。







「小さい」
「ああ」
「これ多分小学生か中学生のはじめごろくらいの年だわ」
「そうか」


暫く降谷さんからの締め付け攻撃を耐えていたけれど、本格的に骨がピンチだったのでいい加減解放しろとばかりにその背中を手加減なしに叩かせてもらった。
結構な力を込めたつもりだったのに、効果音で例えるならばぺちぺちとした威力しか出ずに少しだけ落ち込む。
中々離してくれない降谷さんに、それでも根気よくぺちぺちぺちぺちしていたら不満げな表情を浮かべながらもようやく解放される。
ああ苦しかった、と肩で息をする私を見て解放した代わりだとでも言いたげに今度は手をぎゅうっと握りしめられたけれど好きにさせておくことにした。

なんか小さい気がするんだけど。

そんな私の言葉は想定済みであったのか、降谷さんはさっと手鏡を私に差し出してくる。
空いている方の手でそれを受け取り手鏡を覗き込んだ私の第一声があちらです。
およそ十歳ちょっと若返っている己の姿に、あの黒づくめの男性は私を殺そうとしていたのではなくて実はロリコン趣味で私を若返らせようとしていた……?というわけのわからない考察がどこからともなく飛び出してきて混乱しそうになったが、私の考えをよんだように降谷さんが首を左右に振ったのでそれは違うらしい。良かった。

暫くしげしげと若かりし頃の自分を眺めた後、降谷さんに手鏡を返す。
とりあえずとんでもないアンチエイジングに成功したらしいということは理解した。

そして私たちの間に落ちる沈黙。
難しい顔で何事かを考えている降谷さんに、これは少しの間そっとしておいた方がいいのだろうかと手をテレビの方へと伸ばそうとしてふと効き手を降谷さんに封印されていることを思い出す。
おっといけない、そう思って逆の手をテレビに伸ばそうとしたけれど私が降谷さんの手を払いのけようとしたとでも思ったのか先ほどよりも強い力で握りしめられる。


「痛い痛い、痣になるって降谷さん」


思わず口から飛び出したその声に、はっとした様子で謝りながら力を弱めてはくれたものの依然として手を離すつもりはないらしく指と指を絡ませることで落ち着いた。
すでに赤くなりつつある私の小さな手が降谷さんの骨ばった大きな手と絡み合っているのを見るとなんとなくいけないものを見てしまった気がしてくるから不思議だ。
そうして更に数分、沈黙が続いたけれどようやく意を決したかのように降谷さんが口を開いた。
真剣な顔で私の身に起きたことを話してくれる降谷さんの姿に、これは余計な口をはさんではいけない場面だと私は大人しく口を噤む。

曰く、
自分は仕事で悪い組織に潜入しているところである。
あの時の男はその組織の中でも上の方にいる幹部である。
運悪く裏切り者を始末している現場に出くわしてしまった私をその幹部である男は殺そうとしたけれど、弾切れで撃ち殺すことが出来なかったので代わりに薬を使ったとのこと。
その薬というのが人間を跡形もなく消すといった類の毒薬であったが、男の手持ちが試作品だったせいかこうして私が生き延びているということ。
私には申し訳ないがこれ以後私として生きることは出来ないかもしれないので、こちらで戸籍を用意して別の人間として生きなおしてもらうことになる可能性について。

なるほどなぁ、と難し気な言葉で説明されたことを簡単に頭の中で変換させた私は感心したように間抜けな声を出した。
本当に理解しているのかという視線を頂いたがそこはスルーだ。


「だから、すまないがお前は暫くの間行方不明ということになるし場合によっては死んだという扱いになる」
「あー……まあそうだね、仕方がないね」


血を吐くように頭を下げながらそう言った降谷さんの言葉に、実に軽く返した。
うちは元々家族間での情が薄く生まれながらにして放任主義だったし今更私が行方不明になろうがその末に死のうが、多少は悲しんでくれるだろうけど三日もすれば立ち直るだろう。
友人達もまあ同様だ。
職場はついこの前潰れたところだし、正直私が失踪したところでそう問題はない。
だからそんなに死にそうな顔をしないでほしい、と俯き加減の降谷さんの頭を空いている方の

手で撫でればなぜか追加で『すまない』と謝られた。なんでだ。