頼りになる会社の先輩

「苗字、挨拶回り行くぞ」
「はい!」

今日も渡辺先輩の後をついて回る。ひっつき虫だと揶揄されることもあるが、教育係の渡辺先輩が私を離してやらないからだと言われることもある。

「今日、昼、空いてる?」

運転中、不意に彼がこぼした言葉にドキリとした。「空いてます」と小さく頷けば「じゃあ、食いたいもん考えといて」と返された。
渡辺先輩とお昼ご飯を食べることは今までにもあったけど、いつも仕事が一段落した後に切り出されるから……。いつもと違う、ただの気まぐれかもしれないのにそれだけがひどく不安に思えた。


***


「飯、どこで食うか決めた?」
「……何処でも、大丈夫です」

仕事中は頭の中切り替えて集中しようとしたんだけど、でもそれでもいつもよりは少し鈍さを感じた。もちろん、ご飯のことなんて考える余裕もなかった。

「お前、なんか今日変だぞ」

少し走った先のコンビニで車が止まる。「熱でもあんの? このまま早退するか?」なんて珍しく優しい言葉をかける渡辺先輩に胸が苦しくなった。

「変なのは……、渡辺先輩じゃないですか……」
「え、俺?」
「……渡辺先輩、話したいこと、あったんじゃないですか?」
「あー……」

気まずいのか先輩は自身の髪をぐしゃぐしゃと描き撫でた。そしてひと息ついて「タバコ、吸っていい?」と切り出した。

「……お前もうすぐ3年目になんじゃん?」
「そう、ですね」
「……前々からお前を独り立ちさせて別の営業につかせるって上から言われてんだよね」
「えっ」

ふう、と吹き出された煙が外へと流れていく。携帯灰皿に灰を落として、また渡辺先輩が口を開いた。

「でも、俺が止めてた。お前、仕事熱心だけど人見知りだしすぐ緊張するし。俺がいないとダメだなーって勝手に思ってたんだよね」

言葉が途切れる。でも言わんとしてることは何となく分かってしまう。

「……そんな顔すんなって。すげーぶさいくになってっから。ちょっとずつ、俺離れしないとじゃん。俺も、いつかは苗字離れしないとって思ってたから。まあ、なかなか言い出せなかったのは悪かったけど……」
「……分かりました」

そう返すしか出来なかった。先輩だって、私のことを思ってそう言ってるのだから。

「……お前、ほんと物分りいいよな。俺がずっとごねてたのなんかダセーな」
「先輩はダサくなんかないです」
「そう? じゃあもう一個言いたいことあんだけど」
「……何でしょうか」

息を飲む。渡辺先輩が何を言うのか分からなくて、言葉を待つしか出来ない。心臓がうるさいくらいに高鳴って鳴り止まない。

「……苗字、お前、俺の彼女にならない?」
「……はい、えっ、はい!?」
「うはは! お前驚きすぎ」

けたけたと笑う渡辺先輩と目が点になっている私。言葉の意味が上手く飲み込めないままに先輩は車を降りてコンビニへと向かった。一人きりになって落ち着く時間を貰えたと捉えることにして仕事の時以上に頭をフル回転させる。やばい、顔、あっつい。

「落ち着いた?」
「……はい、ごめんなさい」
「謝んなら俺の方だろ。んで、返事、聞いていい?」
「……あの、なんで、私なんですか」

声が震えた。渡辺先輩はじっと私を見つめて「好きになった」と呟いた。

「最初はなんで俺が教育係なんかって思ったけど。お前、真っ直ぐで一生懸命で……、なんか目離せねえなってなって。気付いたら手放したくなくなった」

真っ直ぐなのはどっちか。ぽぽぽ、と頬が赤く染まり、顔中に熱が集まった。

「……私も、好きです。先輩が、好き、です」

泣きそうになった。想いが溢れて、堪らなくなって、でもその瞬間に彼の腕の中に収められた。心臓の音が聞こえるんじゃないかってくらい近くて、気恥しさと嬉しさで胸がいっぱいになる。

「お前ほんと可愛い」
「先輩はすっごくかっこいいです……っ」

どちらともなく唇が触れる。照れくささが勝ってしまう甘酸っぱいキスを交えてから会社へと戻った。