物語は始まりを迎えました

少しずつ、本当に少しずつ、俺たちの時間は動き出した。名前がいいって言うまでキスもお預けで、出来てもハグくらい。

佐久間「よくそんな我慢出来んね。俺なら無理かも」

んはは、と佐久間はいつも通り笑った。
名前の嫌がること、したくないからって言葉を盾にして、俺自身が、その先へ進むことを怖がってるのかもしれない。

佐久間「んでもさぁ、彼女が何か言ってくるまで手出さないっての、結構きつくない? この先一生言わないかもしんないじゃん」
阿部「え……」
佐久間「どのくらいまでならOKなのか、確認してみてもいいんじゃない?」

なるほど……。そこのラインが分かれば、今我慢してることも少しは緩和されるかもしれない。

阿部「確かに……。ありがと、佐久間」
佐久間「にゃはは、いいのいいの! 俺はいつでも阿部ちゃんの味方だから」

満開の笑顔とピースに勇気づけられた。ちょうど今日、名前が家に来るし、聞いてみよう。


「お邪魔します……!」
阿部「いらっしゃい。ふふ、なんか新鮮だね」
「いつも私の家だもんね。私も落ち着かない」

きょろきょろと辺りを見渡しながらふにゃりと笑う名前。「男の子の部屋だ」ってちょっと楽しそうで、俺も思わず笑ってしまう。
今日は俺がご飯を作った。軽く炒めただけの簡単料理。でも名前は「美味しい」って言いながら食べてくれた。

阿部「あのさ、今日泊まってく……?」

躊躇いがちに聞くと、名前は少し遅れて「えっ?」と首を傾げた。頬がみるみるうちに赤くなって、視線が逸れる。

「阿部ちゃんが……いいんだったら……」

きゅっと一文字に結ばれた唇。ちら、と上目遣いで見つめられれば、俺の理性もちょっと揺らぐ。

阿部「うん、泊まってって。それと、名前に聞きたいことあるんだ」
「何……?」
阿部「……名前は、どのくらいまでだったら、俺に触られても大丈夫?」
「え?」
阿部「例えば、こういうの」

緊張しながら彼女の手を握る。驚きつつも、名前はぎゅっと俺の手を握り返してくれた。

「大丈夫、だけど……?」
阿部「じゃあ、こういうのは?」

今度はハグ。壊さないように彼女を抱きしめたら、俺の心臓の音が聞こえるんじゃないかって恥ずかしくなった。

「……ちょっと、緊張する」
阿部「それは、俺も」

顔を見合わせて笑う。お互いドキドキしてるらしい。もっとくっついたら、名前の心臓の音も聞こえてきたりするのかな。

阿部「これ以上のことも、試してみてもいい……? 嫌だったら、嫌って言ってくれていいから」
「……ん」

こくりと頷く彼女。「キス、したい」って自分の欲求を口にすれば、彼女は静かに目を瞑った。

阿部「名前、止めるなら今のうちだよ」

目と鼻の先、あと一歩で唇が重なってしまう。相手の吐息を感じる位置でそう呟くと「……大丈夫」と静かに返ってきた。

阿部「じゃあ、その、するね」

これが人生で初めてのキスってわけでもないのに、凄く緊張して、唇が微かに触れただけですぐ離してしまう。なんかかっこつかないなぁ。名前はぱちっと目を開けて「阿部ちゃん、顔真っ赤」と笑った。
何か言おうとして口を開いたけど、すぐに彼女の唇で蓋をされた。

「……照れくさいね」

唇を離す動きがスローモーションに見えて、顔に全身の熱が集まって熱い。ふにゃりと笑う彼女は平気そうにしてて、ちょっと悔しい。

阿部「試すようなことして、ごめん」
「ううん。……阿部ちゃんが、言ってくれなかったら、いつまでもその、出来なかった気がするし」

彼女は俺が待ってるのをずっと知ってたらしい。自分から切り出すタイミングを失ってたって。さっきも凄く緊張して震えてたっていうから笑ってしまう。

阿部「名前」
「ん?」
阿部「もう一回、改めて言わせてほしい」

正座し直して、彼女と向き合う。背筋がぴんと伸びると、彼女も俺の真似をして正座した。

阿部「名前のことが、好きです。俺と、付き合ってください……!」

少しの沈黙。頭は下げてしまったから、彼女の顔を見ることも出来ない。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

顔を上げれば、真っ赤になって笑ってる名前の姿が見えて、思わず顔が綻ぶ。

「幸せにするね」
阿部「それ、俺のセリフ」
「じゃあ、二人で幸せになろう」
阿部「うん。……てか、名前ってそういうとこ男前なんだね」
「初めて知った?」
阿部「うん。俺にもまだまだ知らないことだらけみたい」

これから少しずつ知っていけばいいことなんだけどね。俺らには俺らのペースがあるから。これまでもわりと長く傍にいたけど、これから先も、きっともっと長い時間を共にするから。

阿部「今度、ふっかに挨拶しないと」
「え、お兄ちゃんに?」
阿部「うん。大切な妹を預かるんだからね」
「うるさそう」
阿部「辛辣。でも想像つくわ。あ、それと」
「ん?」
阿部「俺のこと、阿部ちゃんじゃなくて、亮平って呼んでよ」
「えっ」
阿部「ほら、早く」
「……亮平、くん」

まあ、及第点かな? 照れくさそうに俺の名前を呼ぶ名前が可愛くて、その唇にキスを落とす。俺の長い片想いに終止符を打つように。新しい恋の始まりを祝福するように。何度も、好きの気持ちを唇に乗せて彼女へと伝えた。