彼女はどう足掻いても猫だった

 旅籠吉野屋にて、過激派攘夷浪士集団が籠城している――
 その一報が武装警察真選組に齎されると、屯所内は緊張に包まれた。先まで談笑していた隊士達は皆、強張った面持ちで副長の指示を仰ぐ。
「籠城している攘夷浪士は十余名。旅籠の従業員を人質に立て篭っている」
 仕事のスイッチが入った土方は鋭く細めた瞳に冷酷な光を込め、作戦資料を淡々と読み上げる。続いて、近藤が各部隊の配置場所を指示する。
「二番隊は正面で犯人グループを説得。なるべく相手の気を立たせず交渉を長引かせろ。十番隊は野次馬を遠ざけろ。蟻一匹も現場に近付けるな。三番隊は攘夷浪士が万一外に漏れた場合、それを始末。そして一番隊は裏から建物に侵入、攘夷浪士を殲滅」
 永倉は思わず息を呑んで隣に腰を下ろす沖田を横目で見た。彼女はただじっと前を見つめている。
「難しい案件だが、人質の命が最優先だ。人質には掠り傷一つ負わせず、救出を成功させろ」
「りょーかい」
 行儀悪く胡座を掻いた彼女は、恐れるものなど何もないといった声音で頷いた。しかし淡白な言動とは裏腹に、口元は薄らと笑みの形に歪んでおり、瞳の奥には底知れぬ情念が潜んでいた。
 永倉の背筋を言い知れぬ恐怖が這い登り、冷汗が伝う。それをおくびにも出さぬよう、必死に誤魔化した。
「近藤さんは二番隊、俺は三番隊に同行する。異論はないな」
 土方の確認に、隊士達は重々しく首肯。会議はお開きとなり、各々出陣準備に移る。
「ぱっつぁん」
 刀を念入りに手入れしていると、飄々とした声が永倉を呼んだ。面を上げれば、そこにはへらりと笑う土方がいた。
「何ですか」
「やー、一番隊の配置に不満がありそうだと思ってな」
 意地悪く笑う彼の目からは、いつもの気怠さは鳴りを潜め、鋭い刃物の瞳は石の怪物メデューサを思わせる。視線を合わせた瞬間、永倉は恐怖で凍りついてしまうだろう。
 彼を前にしては、嘘も言い訳も通じない。そう悟った永倉は正直に白状した。
「確かに、思いましたよ。あの現場で、いくら沖田さんとはいえ人質を傷つけずに任務を遂行するのは難しいんじゃないかって。それに……」
「それに?」
 永倉は逡巡、言い淀む。しかし土方の視線が曖昧を許さない。永倉は観念して、悪寒の正体を告白した。
「沖田さん、死ぬつもりなんじゃないかって……。あの人がそんな簡単にくたばるタマじゃないのは百も承知です。けど、あの人はいつも戦場に臨む時、何かを覚悟した顔つきで、なおかつ寂しげで……もしかしたら死ぬ覚悟を決めていて、侍として相応しい死に場所を求めてるんじゃないかって。それにあの人は猫みたいな人で……死ぬ場所を見つけたら、もうおれらの所に帰って来ないかも、っていつも不安に駆られるんです」
 侍としての生き様を他人が邪魔してはならない。けれども、死に行く覚悟を持ったまま戦場に向かう仲間をむざむざ死なせる程冷たくなれない。そんなジレンマに板挟みになっていた。
 血を吐くような苦悩を吐き出す永倉を、土方は思い切り鼻で笑い飛ばした。
「そんな事で悩んでンのかァ、ぱっつぁんは。真面目クンだねェ〜」
「ちょっと! おれは真剣に沖田さんの為を思ってんスよ!」
「あのな、お前はまだ総司と付き合いが浅い方だから解らなくても仕方ねえが、アイツもそこまで馬鹿じゃあねェよ。まっ、アイツツンデレだし、付き合いの長さはぶっちゃけ関係ないけどな」
 だから心配すんな。土方は永倉の肩に拳骨をぶつけると、そのまま去って行った。その背中を恨めしげに見送る。
「ンなこと言われたって……」
 永倉は消化不良の気持ちを腹に抱えたまま出陣する羽目になった。