5 漫ろ雨
その日は一日中雨が降っていて、玄関先には傘を差した蛇石が静かに立っていた。
「今日の雨は一段とひどいね」
彼女は傘を差しているにもかかわらず、肩の辺りがぐっしょりと濡れていて、Tシャツが肌に張り付いている。
「今日は夜遅くなるって親に言っといたから、何時でも居られるよ」
そういって彼女が差しだしたのは、たくさんの花火が入ったコンビニのレジ袋だった。
「こんな雨の日に花火なんてどうかしてる」
「だって三輪君、夏の思い出何にもないでしょ? 私が作ってあげようと思って」
「余計なお世話だ」
庭の軒下の、少しばかり雨をしのぐことのできる場所で、俺と蛇石は隣り合わせで立っていた。上に屋根はあるけれど、それで雨が完全にしのげるわけではなく、守り切れなかった雨たちが、所々でぽつぽつと俺の肩辺りを濡らす。
蛇石が着てきたTシャツは雨でべたべたになってしまっていたので、仕方なく自分の服を貸してやった。蛇石と俺は、身長にはそれほど差がない。少しばかり俺が大きいだけだ。でも、肩幅、体の幅、それらがやっぱり違っていて、特段大きいわけではないのに、彼女が着るとやけに体格の違いを感じた。
「ろうそく買うか迷ったけど、すぐ消えちゃうだろうからライターにした」
「……」
「ほら、花火持って! 私が火をつけてあげる」
早くやらないと湿気っちゃうよ! なんて、こんな雨の日を選んでおいて急かすとは、些か図々しいのではないか。それでも彼女と話していると、心の何処かで気分が和らぐ自分がいる。
俺は乱雑に開けられた袋の中から、一番シンプルで王道そうな手持ち花火を持ち、彼女の手元へ突き出した。
その場でカチッ、カチッと、何回もライターを押す音が響いたが、接触が悪いのか、それとも力が足りないのか分からないが、うまく火を付けることができず、「あれ?」なんて言いながらも彼女は何度も繰り返した。
「貸して」
俺がそう言うと、彼女はあっさりライターを手渡す。試しに一度指を引っかけてみると、案外すんなりと火をつけることができた。
「あれ、何で? 三輪君すごい」
「蛇石、火つけてやる」
「ん、」
彼女は俺と同じ種類の手持ち花火を選んだ。花火のヒラヒラした紙の部分にライターをやると、少しずつ火が燃え移っていき、そのうちに、花火特有である色つきの火花が周りに飛び散っていく。
火がついた瞬間にライターの手を引っ込めて、俺は自分の手持ち花火を彼女の火花の海へと泳がした。煙が立ち込めるのと引き換えに、赤、緑、白とカラフルな火花が彼女の足元を明るく照らす。自分のものに火が移った後も、彼女はそこから離そうとせず、まるで2つの花火が1つにくっついてしまったようだ。
「俺の花火まで燃やす気か」
「んー、そうかも」
何故だかすごく楽しそうに、彼女は上機嫌に話す。直に彼女の花火の光が途絶え、数秒程経ってから、自分のものもひどく静かに消えていった。
「あ、この花火、全然火つかない」
「湿気ったんだろ」
「嘘、早すぎない?」
「まだ封を開けてないやつもあるし、また今度やればいい」
「……また今度、」
「何?」
「ううん。そうだね、また今度やろう」
何気なく言った「また今度」の言葉を、そんなに噛みしめなくてもいいのに。いつもズカズカと土足で上がってきて、いつの間にかスルリと内側に入り込んでくるくせに、変なところで遠慮したり、変に意識したりする。彼女のそういう所はあまり理解ができないので、何を考えているのか分からない。
「あ、でも、これならまだ出来るかも」
後ろを振り返った彼女の手に握られていたのは線香花火だった。確かに、他の手持ち花火とは別で包装してあるし、まだ開封もしていない。差し出されたものを手に取り、地面と垂直になるように、一番上の部分の千代紙にそっと手を添えた。
「じゃあ、同時に火を付けるからね」
ライターの火がゆらゆら揺らめく中、二人で黙ったまま、線香花火の先端をじっと見つめ続ける。橙色に光ったかと思えば、それはみるみるうちに丸いかたまりに変化し、少しずつ火花を上げながら、手元をぽんやりと優しく彩る。
「線香花火なんて、すごく久しぶり」
「……そうだな」
「雨の日にやる花火も悪くないんじゃない?」
「手持ち花火はすぐ湿気ったけど」
「また晴れた日に一緒にやればいいじゃん」
そう話している間に、一層花開くピークを迎えずに、俺の線香花火はブツリと地面まで火球が落ちていった。
「あ、三輪君の負けだ」
「……別に競ってない」
「あはは、じゃあ次から競おうか」
彼女が笑うと、手元の線香花火の種はぽつりと落ちていった。相変わらず雨の音はシトシトと続き、時折雨の跳ね返りがぽつりと飛んでくる。雨はカーテンのように周りとの空間を遮り、まるで水の中に、周りの雑音がすべて吸い取られたように静かだ。
「こうしてるとさ、雨の音しか聞こえないじゃん」
「まあ、そうだな」
「なんだか、ここには私たちしかいないみたいだね」
そう言ってこちらを振り向く蛇石の顔は、にっこりと口角は上がっているけれど、瞳の奥は笑っていない。
「……なんちゃって、そんなのあり得ないのに」
彼女が目を伏せた瞬間から、やけに頭の中で雨の音が響きだす。
「こことは別の、もっと遠いところなら、二人っきりになれるのかもしれないけど、現実的に無理だよね。私たち、まだ子供だもん」
彼女が何を思っているのかなんて、俺には全然分からなかった。俺は彼女の横顔を見つめることしか出来ない。雨は先ほどよりも一層強まって、ザーザーとノイズのような音がする。
「ねえ、三輪君は、一生三門に居たいと思う?」
「……そんなの、分からない」
「……そっかあ、」
変なこと聞いてごめんね、二回戦やろっか。蛇石はそう言って、残りの線香花火を俺に差し出す。
一生三門に居たいかなんて、そんなこと、今の自分では判断などできるはずがない。ここにいると、いろんなものに雁字搦めになってしまって苦しいけれど、三門から出てしまえば自分の中のすべてが亡くなってしまう気がして。
静寂の中、火花がぱちぱちと鮮やかに広がる。先ほどよりも派手に燃え盛った後、あっけなく火球は地面に吸い込まれてしまった。
「わ、今回も私の勝ちだ!」
蛇石の火球はまだ手元で綺麗な明かりを点している。
「じゃあ、罰ゲームはどうしようかな。何かお願い聞いてもらおうかな」
「変なやつは却下するからな」
「えー? ……じゃあね、」
「この先もずっと、こうやって花火をして欲しいの」
彼女の薄い唇が弧を描く。
「『この先も』って、また今度やるっていったばかりだろ」
「うん。また今度花火をやるのは決定事項だけど、来年も再来年もずっと、一緒にしようってこと!」
「……」
「だからまた、どっちが長く保つか、競争しよう」
「……そんなのでよければ、別にいつでもいい」
「本当? じゃあ、今後の楽しみにとっておこうかな」
対した約束ではないくせに、大袈裟にニコニコと笑う彼女を横目に、俺は燃え尽きてしまった線香花火を、左手でキュッと握った。