「だから!! 次から次へとうざいのよ!! くるな!!」
「他のトリガーの組み合わせも試してみたいって言ったのお前だろーが」
「正隊員がC級相手にどんどこ使うんじゃないわよ!! 加減しろ!!」
「その割にはちゃんとガチじゃん」
いくら避けようと体を翻しても、出水が放ったトリオンキューブは執拗に私を追いかける。シールドがない私はトリオンキューブに対抗する技がなく、遮蔽物でうまく防がなければ相手にやられるままになってしまう。しかし、度々続く大爆発のおかげで、肝心の遮蔽物たちも大方はただのガラクタに成り下がり、こうなってしまえばもうどうしようもない。糞野郎、と心の中で叫びながら、まだかろうじて生きている住宅地帯へ移動し、なんとか奴の攻撃を防ごうと奮闘する。
出水公平はいつの間にか、白とオレンジ色のジャージから、よく本部で見かけるような青色のシンプルなジャージに服装を替えた。対する私はというと、まだ白とオレンジ色のダサいジャージのままだ。同期の中で、まだこいつ以外に正隊員に昇進したという人は聞いたことがない。
何で正隊員のこいつと手合わせをしているのかというと、それは一時間ほど前の出来事が原因だった。たまたま通りかかったランク戦ブースで、ちょうどこいつが暇そうにしていたところに出くわしてしまったのだ。正隊員になってからは手合わせをしてこなかったので、昇格してやっと増やしたトリガーホルダーのことについて話していたら、「てか実戦で試した方が早くね?」なんて言った出水の言葉にのせられてしまい、現在のような模擬戦に至った。
今までにも変化弾をメインにする人間と戦ったこともあるが、こいつのはまるで生きているみたいな動きをして非常にやりづらい。こちらが接近戦に持ち込めないように、カクカクと曲がりながら私の行く手を阻もうとする。何も考えずに避けるなんてことをしていたらそのまま追い込まれそうだ。
「そんなんじゃ弧月使えねーぞ」
「……分かってる」
盾の役割を果たすシールドというトリガーは、今の階級じゃ使えない。だから、慎重に距離を詰めないと蜂の巣にされてしまう。冷静に考えろ、蛇石桔梗。
出水の場所からは死角である建物の間に身を潜め、そっと顔を覗かせる。普通に出て行ってもどうせトリオン弾につかまっておしまいだ。かといって、弧月しか手段のない私には、遠距離戦なんてできわけがない。あの手段を使っても成功するかは分からないけれど。そう思いながら、覚悟を決める。
「お、出てきたな」
私の姿を確認した出水は、余裕そうにトリオン弾をどんどんとこちらへ向かって撃っていく。遠くから放たれる弾なら、まだ遮蔽物でなんとか避けられる。周りを見ながら、どんどんと距離を縮めるべく足を動かす。
出水に近づき、弧月の間合いまで距離を縮めようとする。出水からダイレクトに放たれるトリオン弾は、この近距離じゃよけきるのが難しい。私はとっさに左腕を切断し、向かってくるトリオン弾の中に置くように動く。私に向かってきたトリオン弾は、私の左腕の残骸にぶつかり、大きな爆発を起こした。
続けて、右足、左足も自分で切る。出水の放った弾は、私の身体の残骸に当たって大きく爆発していく。その爆発に全く巻き込まれないわけではないけれど、急所にぶつかるのは避けられる。トリオンがどんどん漏れ出し、体に亀裂が入るのが分かる。はやく、早くとどめを刺さないと。
そのまま真っ直ぐに向かっていくと、出水はそれに対応すべくさらにキューブを出した。出水はきっと、私が裏をかくと思って出てくるはず。だから、私はその裏をかく。
いつもの私なら、突っ込むように見せかけて身を翻し、背後へ回り込んで一気に距離を詰めるだろう。でも、今それをいても勝ち筋は薄そうだ。出水の放った弾が私の左側へ集まっていくのを確認しながら、私はそのまま素直に真っ直ぐ懐へ入る。目の前の男はにやりと笑いながら「そっちか」と言った。
咄嗟に出水が放った炸裂弾が爆発するのと、私が弧月を突き刺したのは同時だった。既にトリオンが漏れ出していた私は、出水よりも先に粉々になっていく。出水の顔にもどんどん亀裂が入っていく。
十戦中、九敗一引き分け。最後に「やるじゃん」と笑った出水の瞳が、どんどんと光を無くしていき、最後にはパキリと亀裂が入った。
「はい。三秒で選んで」
「早すぎだろ!! もうちょっと待てよ」
出水は慌てた様子で目を泳がせた後、真っ直ぐに手を伸ばした。炭酸飲料のボタンを人差し指で勢いよく押したのち、数秒後にガタン、と大きな音が響く。出水が選んだ炭酸飲料は、ちょうど私があまり好きじゃないやつだった。でも、それがなぜか人気あるのよね。私も自分のものを買うため、もう一度小銭を自販機に押し込む。ラウンジの方面からは、絶えず賑やかな声が聞こえてくる。
正隊員とC級隊員のランク戦ではポイントの行き交いはできないと決まっている。でも何かを賭けないとつまらないという我儘な出水のために、あらかじめジュースを賭けていた。流石の私もまさか勝てるとは思っていなかったけれど、今のこいつとやれるのなら、それくらいの対価は払ってもいいかと思った。
「いやー、最後の悔しかったわ」
「そう言っても結果引き分けじゃない。負け続けた私に対する嫌味?」
「ちげーよ。純粋に悔しんでるだけ」
「へーえ」
目の前の男は、信じてねえなあ、とでも言いたそうな顔でこちらをみた後、プシュ、と爽やかな音を立ててキャップを捻った。私も先程買った紅茶を静かに開封する。出水のものと違って爽やかな音はしない。
「でも、久しぶりに蛇石のマジな顔見た気がするわ」
ごく、ごくと、甘ったるそうなそれを喉に流し込んだ後、目の前の男はにやりと笑いながらそう言った。
「そりゃあね。他の相手と違って気抜いてられないし」
「オレさ、お前のそういうところすげーと思うよ」
その言葉を聞いて、思わずぱちぱちと瞬きを二回ほどした。それまではお互い宙を見ながら話していたというのに、意外な発言に対し、反射的に顔を向ける。いきなり何を言い出すんだこいつは。
「何がよ」
「だってさ、正隊員とC級のトリガー全然違うだろ。勝ち目薄いのは明らかなのに、お前は一生立ち向かってくるんだもんなあ。オレもそっちの方がおもしれーけど」
「……何それ。褒めてんの、それともけなしてんの」
「はあー? めちゃくちゃ褒めてんじゃん」
「どっちにしろウザいわ」
褒められたって、こいつは正隊員で余裕があって、私はこいつよりも階級が下で余裕もない。そんな褒め言葉を素直に受け取れるほど、私の頭はおめでたくない。
「ところでさ、正隊員生活はどうなの?」
「あー、さすがに無双ってわけにはいかないかな」
「C級のときもそこまで無双じゃなかったわよ」
「終盤はオレに負けてばっかだったろ」
出水は私の顔をみながら、からかうような声でそう言う。確かにそれは事実だけど、余裕のある表情でこいつにそう言われるのがむかつく。
「うるさい。今に見てなさいよ。正隊員でトリガー整えてからリベンジするから」
「蛇石もポイント稼ぎさえすれば余裕で上がれるだろ」
「だって自分より弱い相手と何戦も何戦も……なんて、そんなのつまらないじゃん」
「うわ、今の発言でお前にたくさんの敵が生まれたわ」
うるさいわよ、と適当に返事を返しながら、私は手に持っていた紅茶のペットボトルを口に流し込んだ。すっきりとした甘さが体中に染み渡る。
さあ、休憩したらまたブースに入って、ポイント稼ぎのために頑張るか。そう思いながら、隣にいるこいつといつまでも軽口をたたき合っていた。
◇ ◇ ◇
「よ、秀次」
「……迅さん」
ランク戦ブースがガラス越しに見渡せる席で、俺はぼうっと考え事をしていた。部屋の中は誰も居なかったはずなのに、いつの間にか背後に現れた迅悠一に吃驚する。足音すら気づかなかったなんて、どれだけ気を抜いていたんだろう。
「秀次がここにいるのなんて珍しいね。蛇ちゃんのことでも見てたの?」
「っ、なんであいつのこと……」
図星だった。咄嗟に嘘がつけず、言い終えてからしまったと思って押し黙る。というか、なんでこの人が蛇石の名前を知っているんだ。まだあいつはC級で、正隊員の、しかも古株のこの人との関わりは何もないはずだ。お得意のSEのせいとでも言うべきだろうか。そう考えながら、この人がしゃべり出すのをじっと待つ。
「だって蛇ちゃんの仮入隊の監督員、おれだったもん」
仮入隊。そういえば俺も入隊するときは正隊員の人に指導を受けていた。でも、この人が蛇石の稽古をつけていたなんて。せめて違う人がよかった、なんて今更思ってもしょうがないし、もうどうしようもないけれど。
「蛇ちゃん、面白くていい子だよね」
「軽々しく名前を呼ばないでもらえますか」
たった数回言葉を交わしたくらいなのに、勝手にあいつのことを分かった気になっている素振りをするこの人が気にくわなかった。
ああ、ここにいても苛々が募るだけだ。俺はそう考えて、今まで座っていた椅子から腰を上げた。ずっと立ったままのこの人の隣を通り、部屋から出ようとする。
「秀次、あの子を大事にしなよ」
すれ違いざま、迅悠一は俺にそう言った。まるで、今までの俺たちのことを何もかも知っているようないいぶりだ。こいつのSEで、俺たちのことは大体視えているのかもしれない。勝手に覗き見されて、しかもこの人に助言されるなんて。とても不快に思い、思わず舌打ちをする。その不満はモクモクと周囲一帯を覆い、この部屋中を充満するような勢いで湧き上がってくる。
「言われなくても……っ」
俺が腹を立てることなんてお見通しみたいな顔で、迅は不敵に笑った。ああ、その顔が嫌いだ。だからこの人とは関わりたくないのに。
そう、この人にわざわざ言われなくてもわかっているつもりなんだ。でも、勝手な行動をしたあいつを許してやりたくはない。大事にしろなんて、そんな分かりきったことを言うな。
◇ ◇ ◇
やった。ついにやってやったぞ。口角が緩みきってしまうのをなんとか我慢する。今日の私はいつもよりも浮かれてしまっていた。
その理由は、なんと昨日のランク戦でめでたく四千ポイントが貯まり、今日正式に正隊員への手続きを終えることができたのだ。ついに念願の正隊員になれた喜びが体中を張り巡る。これで防衛任務にも参加できるし、トリガーもいじれる。何より、ようやく三輪君と同じ土俵に立つことができたのだ。
いつのタイミングで三輪君へ打ち明けようか。あの日から距離を開けていた私たちは、学校でもあまり話さない状態が続いていた。学校で突然話しかけるよりは、まだボーダー内の方がハードルが低いかもしれない。そう思い、まずは三輪君を探すことにした。
三輪君が行きそうなところをぐるぐる巡っていると、お目当ての人物がこちらに向かって歩いてくるのがみえた。黒色の髪の毛に、くすんだ水色の隊服。私の見間違いじゃないとすれば、あのシルエットは多分、私の大好きな人のはず……。
「蛇石、正隊員になったみたいだな。……おめでとう」
「……! 三輪君! お祝いに来てくれたの?」
三輪君は意外にも穏やかな表情をして、ぶらぶらとラウンジを歩いていた私に話しかけた。こんなピンポイントのタイミングで祝いに来るなんて、ひょっとしたら、誰かが三輪君に伝えてくれたのかもしれない。
必要最低限しか会話してこなかった三輪君が、なんと自分から話しかけてくれるなんて。何よりもその事実が嬉しすぎて、ついつい前のめりになって近づいてしまった。でも、三輪君はまだ怒っているみたいで、私が駆け寄った分だけ後ろに距離を取った。その行動の分だけ心の壁を感じたけれど、向こうから話しかけるくらいには許してるみたいだから、まあとりあえずは良しとしよう。
「蛇石、この後の予定は」
「特に何もないよ」
「じゃあ、折角だから手合わせしよう」
「え! 三輪君と手合わせ!?」
どうしよう。すごく嬉しい。いつかこんな日が来ればと待ちわびていたことが、こんなに早くできるなんて。急な三輪君からのお誘いに心が躍り始める。私、三輪君と同じ弧月を選んだんだよ。三輪君は知ってた? 早く三輪君に私の戦う姿を見せてあげたいな。
三輪君の戦うところは、個人ランク戦で何度も盗み見していた。弧月を使いこなし、相手の懐に一気に入り込む戦い方がとてもきれいで、私もあんな風に使いこなしたくて目に焼き付けようと頑張ったこともある。
ぼうっと立っていると、こっちへ行こう、と三輪君に手招きをされた。でも、ランク戦ブースは今私たちがいるこの場所だ。
「三輪君、ここでやらないの?」
「……蛇石はまだ上がったばかりだから、今日はポイントが動かないところでやろう」
「ああ、模擬戦闘室?」
「そうだ」
そういえば、一番最初に模擬戦闘室に入った相手は迅さんだったな。入隊してからというものの、本部で迅さんの姿を見たことがないけれど、三輪君はあの人と話したことあるのかな。
彼の後ろ姿を眺めながら、遅れないように後をついていく。少しばかり身長が伸びたような気がする。
真っ白な壁をくねくね曲がっていると、左手に模擬戦闘室の表示が見えた。貸出許可は既にもらっているみたいで、三輪君の後に続いて入室する。三輪君は慣れた手つきでパソコンに触り、何かの操作をしている。
「そういえば、正隊員になってからトリガーはいじったのか?」
急に三輪君に話しかけられる。目線は備え付けのパソコンに向けられたままだ。
「バッグワームとシールドと、あと旋空を入れたよ。使いこなすまでにはもう少しかかりそうだけど」
「まあ最初は仕方ないだろ」
「三輪君は何を入れてるの?」
「……手合わせしてから説明してやる」
「なあに、勿体ぶっちゃって」
じゃあさっさとやっちゃおうよ。三輪君は私の呼びかけに黙って応じ、右ポケットのトリガーに手をかけた。なんだか、今日の三輪君は歯切れが悪いな。この模擬戦が終わったら機嫌が戻るといいんだけど。
「へえ。この部屋建物とかも作れるんだ」
「仮想空間だからな。パソコンで設定すれば地形を変更できる」
さっきパソコンをいじっていたのはこれのためだったのか、と一人納得する。
仮想戦闘モードは、ボーダーの技術によってトリオンの働きを再現することができるという画期的な仕組みだ。だから、この部屋ではいくらトリオンを使っても、ガス欠になる心配なんていらない。
三輪君の水色の隊服の左側には、弧月の鞘がすっと伸びている。私と同じものだ。お互いの距離を十分にとった後、三輪君の口から「始めるぞ」の合図が聞こえた。私は柄に手を伸ばし、ゆっくりと刀を抜く。自然と高揚する気持ちを静めようと、息をふう、と一回吹いた。
少し切り合ってみて思ったけれど、三輪君は、やっぱり手ごわかった。迅さんと戦っているときみたいに、全く手が出ないというわけではなかったけれど、こちらの読みなんてお見通しかのように、常に先回りをされて迎え撃たれる。出水とやるよりも断然やりづらかった。
崩れた体制を整えるため、少し三輪君と距離を取る。三輪君はここまで追いかけてはこなかった。さあ、これからどうやってあの人を崩しにかかろうか。そう頭を回しながら三輪君を視界に入れるべく元の場所へ戻ると、さっきまでいたはずの三輪君がどこかへ消えていた。
後ろを警戒し、辺りを見渡す。すると、ドン、ドンと、けたたましい銃声の音がしたのちに、重力に引き寄せられるように地面と顔が近付いていった。ぶつかる。そう思い咄嗟に手をついたはいいものの、腕だけじゃ重たい体を支えきれなかった。普段感じることのない体の重さと、どうして聴こえるはずのない銃声がしたのかが分からず、音の原因の方向へ顔を向ける。首が動かせなかったからしっかり見ることはできなかったけれど、少し遠くで仁王立ちしてる三輪君の左手には、拳銃のような黒いものが握られていた。
この状況からわかること。それは、先ほどの銃声は三輪君から出された音であることと、おそらく私は三輪君に撃たれてしまったということ。でも、今まで三輪君が拳銃を使っているところなんて、一度もみたことはなかった。
「三輪君、弧月トリガーだけじゃ……」
私の言葉に何の反応も示さないまま、三輪君は拳銃をしまったのち、ゆっくりと歩幅を進める。二人の間の距離がじわじわ縮まっていく。
「新しく開発中の小型銃トリガーだ。そしてこれはオプションの鉛弾。シールドは効かない」
三輪君は這いつくばったままの私の頭上付近で足を止めた。体を起こそうとしてもびくともしないので、顔だけ三輪君の方へ向け続けた。
こんな体勢だと急所が丸出しすぎて、相手が誰だろうと一発で仕留めることなんて動作もないだろう。鉛弾という初見殺しのその技に、奥歯をぎりりと噛みしめる。せっかく強くなったところを三輪君に見てもらおうと思ったのに。
「あーあ、まず一敗か」
「二戦目はしない」
「……どういう意味?」
「そのままの意味だ。蛇石が負けを認めるまでここから出さない」
三輪君の言っている意味が全くわからなかった。もうすでに負けを認めているつもりだけれど。それに、死に損ないの私を放置するよりも、さっさととどめを刺せてしまえばいいのに。
「……言ってる意味が分からないんだけど」
「負けを認めて、ボーダーを離隊しろ」
「は……?」
その言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ白になった。予想もしない展開とは、こういうことを言うのだろう。
私が入隊したことをよく思っていないことくらいわかっていたけれど、まさか三輪君がこんなことまでして辞めさせようとするなんて思ってなかった。
背筋がひやりと凍り、喉元に切っ先を向けられているような感覚がする。全身から水分が奪われていくようにも感じる。
「……どうしてわざわざ来た。お前がここに来ることなんて望んでいない。トリオン兵だって、基地の近くにしか出ないように誘導されているんだ。お前がそこに近づかなければ、この先ずっと危険にさらされることなんてないのに」
「はぁ? 何それ……」
湧き出た苛立ちを全て向けようとしたが、三輪君の表情を見て思いとどまった。今の彼は、まるで苦虫を噛むように苦しそうな顔をしている。見ているこちらが苦しくなってしまうような顔だ。そんな顔をされたら、私が抱えている不満をぶつけるのに躊躇してしまうじゃないか。
今の話と三輪君の表情から、真剣に私のことを考えた結果、この決断をしたんだということは分かった。それでも、その考えは私には賛同し難いものだった。一方的に言われるがままなんて性分に合わない。
「……ねえ、一つ言わせてもらうよ。三輪君はそうやって言うけどさ、『ずっと』なんて言い切れると思ってるの? またあんなことが起こらないかなんて、そんなの誰にも証明できないのに!」
「そんなのただの屁理屈だ。常に危険が伴う隊員と、あくまで可能性止まりの市民。どちらが危険かは考えなくても分かるだろ」
「ふうん。私がボーダーに居るのはそんなに嫌なくせに、三輪君はこっちにかまけて私を放っておこうとするの。そんなの都合が良すぎるよ」
「それとこれとは話が違うだろう」
「違わないよ」
どうしても話が噛み合いそうにない。折り合いをつけて譲歩するなんてこと、今の三輪君にはできそうにもないし、私もしたくなかった。だって、三輪君の考える理想は私のことを全く考えていない。安全か安全じゃないかはあくまで可能性止まりのことで、未来のことは誰にも分からないのに。だから、そんなことに固執し続けるのはやめてほしい。
「……ずっと安全なところに居ろだなんて、そんなの三輪君にとっての理想じゃん。私のことだって少しは考えてよ」
「考えてる。考えた上で言ってるんだ」
考えてない。ちっとも考えてなんかいないよ。だって、三輪君は自分のことで一杯一杯になってるじゃない。体の底から想いがこみあげて止まらない。
「私の大切な人が危険と隣り合わせで戦っているというのに、安全なところで指をくわえて見てろって言うの?」
「そういう訳じゃない!」
「私にはそうやって聞こえたの。そんなの、私の気持ちはどうなるの。三輪君、自分のこと守れって私に言ったじゃない」
「俺はお前に守られるほど弱くない!!」
「……っ」
私の言葉を遮り、三輪君の一際大きな声が頭の中に響き渡った。三輪君の青ざめた顔が歪み、今にも倒れてしまいそうだった。
先ほどまでは言いたいことがポンポン溢れていたというのに、今の怒声のおかげで考えていたことがすっかり頭の中から飛んでいった。対する三輪君は、ハァ、ハァと肩で息をし、今にも泣き出してしまいそうな顔をしている。こんな風に声を荒げる三輪君のことなんて久しぶりに見た。
守られるほど弱くない。今言ったその言葉、もしかして今までずっと思っていたの?
「……それが本音?」
「……今のは」
それじゃあ、前に私に言ったことは一体なんだったの。そう言いかけて、やめた。
さきほどの言葉ひとつで、今まで三輪君に追いつくために頑張ってきたこと全てがぐちゃぐちゃに塗りつぶされたみたいに思えた。私は三輪君を守りたいってずっと思ってきたけど、三輪君はそうじゃなかったみたい。それだったら、昔のうちに言っておいてくれれば、こんなに虚しい思いはしなくて済んだのに。
「……分かった。もういいよ。はやくとどめさして」
そう口に出したら、自分が思っているよりも投げやりな言い方になってしまった。私の言葉を聞いた三輪君は、さっきよりももっと辛そうな顔をする。自分で言ったくせに、そんな顔するな馬鹿。
「……別に俺が切らなくてもここから出られるんだから、さっさと出ればいい」
「それくらい知ってるよ。自分の意志で出ようとするか、どちらかが離脱すれば出られるんでしょ」
「だから、蛇石が自分で出ればいい」
「私、もう何も考えたくないの。……ていうか、一回三輪君に切られてみたいな、なんて」
最後に、三輪君に切られてみるのもいいかもしれないと思った。ここには誰もいないし、なんの音も聞こえない。だから、三輪君がこちらへ近づく足音しか響かない。
冷ややかな、それでいて怯えているような瞳が私をまっすぐに見下ろす。三輪君は拳銃をしまい、右手で弧月を構えた。
ああ、やっぱり三輪君の貌は綺麗だ。しなやかで、寂しげで、それでいてどこか苦しくなる。
弧月が高く振り上げられる。予想されるであろう冷たい痛みに合わせ、私は静かに目を伏せた。
でも、いくら待っても切られる感覚が襲ってこない。無抵抗状態の私にとどめを刺すくらい動作もないことだと思うけれど、どうしたんだろうか。変な沈黙に耐え切れずに、おそるおそる目を開く。
視界が開けた瞬間、三輪君は私のすぐ正面にしゃがんでいた。三輪君は、確かに切っ先をこちらに向けている。いるんだけど、そこから手は進まない。私に向かって伸びている弧月が、ふるふると微かに震えてみえた。そんな、まさか。
三輪君の瞳の中に、いろんな色がせめぎ合っているように見えた。沈黙の時間が続く中、こちらに向けられていた切っ先が、静かに三輪君の方へ向く。
「待って、三輪く、」
私の制止など意味がないかのように、愛しい人の胸に、刃が突き立てられる。
色のない瞳、顔に増えるヒビの数。どんどんと塵になるからだ。
目の前で広がる光景に胸がぎゅうぎゅうと締め付けられ、とても直視できなかった。手を伸ばしてたって、塵になる三輪君の手を掴むことすらできなかった。
そうやって三輪君は、私の体に刃を立てるよりも、自分の体を傷つけることを選んだ。
◇ ◇ ◇
気づいたら訓練室の外にいた。無意識に涙が出ていたことを、視界がぼやけていることに気づき初めて知った。私は咄嗟に三輪君の姿を探す。三輪君、まだ行かないで。
「ねえ! 三輪君!」
足早に訓練室から立ち去ろうとする三輪君の姿を捉える。
「……ねえ、どうして」
三輪君の胸を貫いた刃はすっかりなくなっている。胸に空いた傷ももちろんそこにはない。そんなことはわかっているけれど、確認せずにはいられない。
先程の光景が頭から離れない。あんなことになるなんて、自分が切られるよりも痛かった。
「ねえ三輪君、どうして私を切らなかったの」
三輪君はその場で足を止める。でも決してこちらには向いてくれない。だから、三輪君が今どんな表情をしているか分からない。
「別に理由なんてない。自分とお前、どっちを選んでも退室できるからそうしただけだ」
「私を切るのが一番楽じゃない。無抵抗なんだし」
「うるさい。別にどっちでもよかった」
私にとどめを刺す直前、震えていた弧月のことを思い出す。私の思い上がりじゃないのなら……。
「……ねえ、三輪君は私のこと切れなかっただけなんじゃないの」
私の言葉だけが部屋に響く。また、不自然なほどの間が開く。そんなに間を開けなきゃ答えられないなんて、それは肯定しているのとほとんど同じなのに。
「……そんなことはない」
「さっきだって、鉛弾なんて小細工使わずに、小型銃で通常弾でも、いつもの弧月でも何でもできたでしょ。鉛弾なんて使って捕縛しても、私が簡単に根を上げないことくらい、三輪君が一番分かってるでしょ?」
「……」
私のことを避け続ける今の三輪君は、私の知っている大好きな三輪君から、何も変わっていないのかもしれない。だって、私の知ってる三輪君は、どれだけ怒っていても、私のこと嫌いになったりなんかしない。私の気持ちは考えてくれないときもあるけれど、いつも三輪君は私のことを大切に思ってくれるんだった。
そんなことまで忘れてしまうなんて、私は今まで何やってたんだろう。
「ねえ三輪君、私に守られたくないなんて嘘でしょ。私の知ってる三輪君ならそんなことは言わない」
「……嘘じゃない!」
三輪君は焦ったような顔をして私をみる。彼は後ろめたいことがあると語尾を強くする癖がある。
ああ、やっぱり嘘だったんだね。それなのに、一瞬でも三輪君の言葉を間に受けてしまったことが悔やまれる。ごめんね、そんなことにも気づいてあげられなくて。彼女失格だよね。心の中でそう謝る。
こんなに彼が心を乱して、私に強く当たらなければならないほどのもの。それは何だろうと頭をひねらせていると、頭の中でひとつ、これなんじゃないかという候補が浮かんだ。三輪君は絶対に自分から弱音を吐き出そうとしない。だから、三輪君が自分のことを大切にしない代わりに、私が三輪君の弱いところを守ってあげたい。
「ねえ、間違ってたらごめんね。……もしかして三輪君は、私を守れなかった時のことを考えて怖がってるの?」
「……っ!」
三輪君のあかい瞳が大きく開く。信じられない、とでも言いたげな顔で、私のことを捉えて離さない。どうやら、私が言ったことは正解だったということが、その表情から理解することができた。
ああ三輪君、大好きな三輪君。そんなことを一人で考えて、葛藤して、勝手に動く私のことを憎んで、でも憎み切れなくて、ずっと悩みながらここまできたの?
長い沈黙が続く。長い前髪に目が隠れて、どんな顔をしているのかはうまくわからない。
「……本当はお前を切ろうと思ったんだ」
お互いの呼吸の音しか聞こえないような静寂の中、ようやく三輪君が口を開いた。声色からすぐに三輪君が泣きそうになっていることを気づく。
「……でも、いくらトリオン体だからって、切れなかった。お前が切られるところを想像すると、体が固まるんだ」
「三輪く、」
「……蛇石、どうしてこんなところに来たんだ。お前がボロボロになる姿なんて、この先一生見たくもない」
こっちをみるな。三輪君はそう力なく言って、静かに地面にしゃがみ込んだ。
瞳から溢れ出たそれらは、とてもきれいなかたちにみえた。まるで硝子細工が透き通るみたいに、透明な涙が三輪君の真っ白な肌を伝う。
今にも儚くて消えてしまいそうなものこそが美しいと気づいたのは、目の前にいる三輪君のおかげだった。昔の、今にも消え入りそうな三輪君の姿が蘇る。こうやってしゃんと立てるようになってからも、三輪君の根っこは何も変わっていないんだと、そう気づかされる。
「三輪君……」
「何を考えてる。俺があれだけ苦しんだのを知ってるくせに、お前は」
少しずつ三輪君の息が荒くなる。どれだけ弱々しく見えても、瞳の色だけは不思議と力強いものにみえた。
「自分の身は自分で守るだとか、俺のことを守ってくれる強さだとか、そういうことは望んでない。何もいらないんだ。……ただ、蛇石が安全なところで生きていてくれれば、それだけでいいのに」
脳内で、嵐山さんの会見と重なる。家族の無事を確認したら、すぐ戦場へ戻ると答えた先輩。もし三輪君が同じ質問をされていたなら、どう答えていたんだろう。彼もきっと、大切な人さえ生きていればいいだなんて、そんな自己犠牲的なことを考えているのではないだろうか。
「蛇石の言う通りだ。俺は……、もしも、万が一のとき、そんな時が来たとしても……。周りの人達を守り切れる自信なんてないんだ。自分のことだけでこんなに精一杯なのに」
三輪君の唇が震えている。そんな姿にいつまでも引き寄せられて、彼から目が離せない。
「……三輪君」
「……幻滅しただろ。見捨ててくれていい」
「そんなの、する訳ないじゃない、三輪君の馬鹿。……それよりごめん。三輪君の気持ち知らずにわたし、」
「今は近づくな」
三輪君との距離を縮めようとした私を制止する声が響く。それでも、こんなに愛おしい人を放って置けるわけなかった。その言葉を無視して、三輪君をすっぽり覆い込めるように両手を目一杯広げた。
「……わたしね、三輪君がこんなに想ってくれてるのなんて知らなかったの。むしろ、ボーダーに入って私への関心が薄れちゃったのかと思ってた」
彼も百パーセントの本音を偽りなく伝えてくれたから、私もそれに答えたい。そう思いながら必死に、頭の中でころがっている言葉のなかから、今の三輪君に伝えたい言葉たちを手当たり次第かっさらっていく。
「確かに、寂しかったのは事実だよ。入隊した理由も、三輪君がいるってことが八割くらいだった。……でもね」
彼はおとなしく私の腕の中に収まったままでいる。この人を好きになるまで、相手のことを考えて苦しくなったり、愛おしくなったりする感情なんて知らなかった。
「私、ボーダー楽しいんだ。今は三輪君のことだけが理由じゃないの。誰かに望まれなくても、自分が続けたいって思うの。こんなこと思うなんて今までなかったから、何て言えばいいのか分からないけど……」
「……蛇石」
「私は三輪君が何と言ってもボーダーを続けるよ。でも、私は欲張りだから、三輪君のこともずっと手放したくないよ。守るとか守られるとかそんなの、もうどうだっていい。三輪君とずっと一緒にいられればそれでいい」
全然かなしくなんてないのに、自然と涙が溢れて止まらない。
「ねえ三輪君、私は死なないよ。三輪君を置いていけるわけないじゃん」
トリオン体の涙は、生身の姿と変わらない、少し塩辛い味がした。