10 けむり越しにちらついた影


 朝からちゃんと学校へ行き、夕方くらいに下校する。そして、録画してあった深夜のバラエティ番組を見る。母が帰宅する直前にお菓子の袋を片付けて、「疲れたぁ」と帰ってくる母に「おかえりぃ」と声をかける。
 あれから夏が過ぎ、秋が去り、世間にはすっかり冬が染み付いた。
 私が学校に行く回数が増えるのと同時に、友子が学校を休む回数が増えた。友子の欠席はサボりとかそういうものじゃない。いわゆるボーダー関係の出張みたいなものらしい。友子が具体的に何をしているかは分からないけど、なんだかとても忙しそうにしているのは見て分かる。バスケ部のキャプテンだった時もたびたび忙しいという愚痴を聞いたことがあるが、最近は愚痴を聞く間もないくらい、友子と顔を合わせる時間が減ってしまっていた。

 晩御飯を食べ、お風呂に入ってさっぱりした体のまま熊谷家のインターホンを鳴らす。まだ乾きかけの髪の毛に夜風が沁みて肌寒く感じる。肩をすくめながら待っていると、私と同じような髪の毛の幼馴染が玄関から顔を出した。いつも上げている前髪も、お風呂上がりのせいでへなりと下に落ちている。
「ゆーうこちゃーん。おじゃましまーす」
「糸。こんな時間にめずらしい」
「今日はお疲れさまー。ノート欲しいかなって思って持ってきたよ」
 手に持った数学ノートを目の前に掲げ、友子のために取りましたよアピールをする。対する友子はその場で瞳を一回、二回ぱちんとした後、やっと状況を飲み込んだのかひどくびっくりした顔をする。
「え、糸がノートを? あたしのために?」
「何その顔。せっかく真面目に写してあげたのに」
 目の前の幼馴染は、信じられないといわんばかりの表情で私の顔を凝視する。そこまでびっくりしなくてもいいじゃん、なんて少し拗ねた私は、持っていたノートを背中に隠し、訝しげに友子の顔を見るフリをする。
「だってあの糸がちゃんとノート取るなんて思わなくて……」
「友子の中のあたしって何なの。ノート取るくらい余裕だよ」
「ごめん、感動してつい……」
 それに、もうすぐ受験だしね。それは言葉にせずに、自分の心の中へとしまっておいた。
 友子はボーダー推薦とかなんとかでもう進路が決まっているらしいけど、私はギリギリの三月までは決まらない。受験するのは通信制高校だから落ちることはないと信じたいけど、万が一にでも落ちたらお先真っ暗だ。「今からできることはとにかく出席日数を増やすことだ」なんて担任からの圧を受け、秋頃から私はちゃんと毎授業出席するよう心がけている。
 この先大学へ行きたいなんていう目標はないし、高卒認定さえもらえれば就職にも有利になる。極め付けに校舎もきれいでいい感じだった。ふふ、我ながらちゃんと将来のこと考えているなぁなんて感心しちゃうね。
「糸も受験勉強は順調?」
「うーん。ほぼ面接で決まるらしいから、まだちゃんとした対策とかはやってないよ」
「え、面接あるんだ。あたしそういうの緊張しちゃうから苦手だな〜」
「何言ってんの。女バス元キャプテンで今はボーダー隊員の熊谷友子さんがさぁ?」
「もう、わざとらしくいじらないでよ」
「せっかく尊敬の想いを込めてるのに……」
 友子は灰色のスウェットのままベッドサイドに座り、唇を尖らせながらうらめしげに私の顔を見た。ははは、なんて乾いた笑いが私の口から出てくる。あまりにも分かりやすすぎる作り笑いになったけど、これを取り繕うとしてもさらに逆効果な気がする。その場に気まずい空気が流れたけど、友子が「寒いでしょ」と言ってエアコンの電源を入れてくれたから、ばかみたいに静寂な時間からなんとか免れることができた。
 あの日。友子がボーダーに入ると打ち明けてくれた日、私は無神経にも彼女を傷つける言葉を発してしまった。後から謝ろうと思っても時間だけがズルズル過ぎていき、結局謝れていないまま今に至っている。それでも友子は変わらず接してくれるから、私は彼女の優しさに甘えてしまっている。
 文句ばっか言いがち私とは違って、友子はみんなのためにボーダーという道を選んだ。それは純粋に素晴らしいことだと思う。
 けれど、同時に友子がどこか遠くへ行ってしまう気もして仕方ない。私なんか、幼馴染っていう強いつながりがなかったら、きっと友子もこんなに優しくしてくれなかった。いつまでもウジウジしてるだけの意気地なしなんて、友子の隣にはふさわしくないかも。
 でも、あの日以降も友子は変わらず私の隣に居てくれるから、私もいろんな気持ちを飲み込んで友子のことを応援しようと決めたのだ。他人の手を借りようとしない彼女だから、友子をよく知っている幼馴染の私が支えてあげたい。
「……ボーダーは忙しい?」
「まぁ。あたしはまだへっぽこだけど、すごい人はホントすごいよ。全然別次元なの」
「友子だって運動神経いいじゃん。すぐにすごい人になっちゃうよ」
 バスケの試合だってすごい活躍だったし、昔から彼女はずば抜けて運動ができる。そういうところもきっとボーダーに向いているんだろう。真っ直ぐな正義感を持ってるところや努力家なところ、それと優れた運動神経。ヒーローになるためにはこれ以上ない要素を彼女は持っている。
「それがボーダーの時は生身じゃないんだよね。なんか説明難しいんだけど……。あと頭脳も必要だからさ、一人前になるまでに結構時間かかっちゃうかも」
 またお決まりの謙遜かと思ったけど、それにしては表情が暗すぎる。ひょっとしてかなり落ち込んでいるのかも。友子に元気を出させてあげたいけど、こんな私にできることは何もない。ごめんねと思いながら、体操座りのまま足の裏を擦り合わせる。裸足の指先が冷えてまるで氷のよう。
「……友子は馬鹿正直だけど、まあなんとかなるんじゃない」
 何も言わないよりはマシだと思いながら、恥ずかしさを飲み込みなんとか言葉を発することができた。なんとかなるなんて無責任な言葉すぎるだけど、この先どうなるかわかんないからこんな言葉しか使えなかった。あまりにもフォローが下手すぎ問題だけど、私がそういうキャラじゃないことを加味すれば頑張った方だと思う。
「……ちょっと、馬鹿正直って悪口じゃん」
 友子はちょっと驚いたような顔をした後、嬉しそうな、それでいてちょっと呆れたような顔をしてそう言った。その表情を見ながら、ああよかった、間違ってなかったななんて思う。肩の荷がそっと降りたような気がした。
「……限りなく褒め言葉なんだけど」
「褒められてるように聞こえないよ」
 そう言いながら、馬鹿正直な友子はちょっと照れくさそうだ。もう少しこのまま、中身のすっからかんな会話を続けていられたらなぁと、柄にもないことをぽつりと思った。

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