11 硝子も夢なら


「わ!」
「わっ!」
 春風に吹かれる髪の毛を両手で押さえていた幼馴染の背後に周り、わざと大きな声で驚かせる。私の存在に全く気づいていなかった熊谷友子はその場で大きく肩を震わせて、ぽかんと口を開けながら後ろを振り返る。すると口だけでなく目もぽかんと開き、数回瞬きした後ようやく私と目が合った。
「誰かと思った。随分雰囲気変わったね」
「ふふ、かわいー色でしょ。これブリーチ三回もしたの」
 友子が目をやった先。自分の髪の毛を一束すくい、見せびらかすようにゆらゆら動かした。つい最近染めたばかりだからまだブリーチ剤の匂いがする。
「そんなにブリーチしたの? すごい力作じゃん」
「でしょー。頭皮いじめすぎたからそのうちハゲちゃうかも」
「ハゲた糸は見たくないなぁ」
 女の人はハゲないらしいけど、ガンガン髪の毛染めててもそうなのかなぁ? 純粋な疑問を友子にぶつけたけど、真面目な友子はうーん、とか言いながらすごく考え始めてしまった。脳死で「きっとハゲないんじゃない」って適当な返事を返してくれればいいのに。そういうところホントおもしろい。
 三月まではおそろいのブレザーを着ていた私たちだけど、四月から友子はセーラー服、私はなんちゃって学生服を身に纏うようになった。
 今日はカフェの新作ドリンクを飲もうと前から約束していた。なんか、事前に約束してから当日会うって変な感じ。前まではいつも一緒だったし、放課後ひま? って聞けばすぐに遊ぶ約束ができたし。
 中学までは私がサボらない日はほぼ毎日のように通学してたから、全く会わない一日があるだけでなんだか変な感じがしてしまう。友子のことだから相変わらずボーダーにも真剣に打ち込んでるんだろうな。少し合わないうちに心なしか友子の背が高くなったような気がして、私は少しだけ背伸びをしてみる。高校からローファーを履きはじめたから、昔よりは身長が盛れてると思うんだけどなぁ。
「糸の学校は染めても大丈夫なの?」
「うん。通信だからゆるゆるだよ」
 私も一応入学式は様子見のために黒髪で行ったけど、茶髪頭やツーブロックがたくさんいたから安心して染めれた。何なら、茶髪軍団に背中を押されてちょっと攻めた色にしちゃったし。でも学生時代しか好きに髪の毛いじれないんだもん。どうせ高校卒業したら就職だし、そしたらこんなハイトーンは無理。今のうちに試したい髪色全制覇したいもん。
 先にレジで会計を済まし、受け取り口で貰ったドリンク片手にテラス席を陣取る。期間限定ドリンクを手に持ったまま二人で自撮りをし、サクサクと携帯をいじる。SNSに写真をアップしてからようやくストローに口をつけた。
 春限定であるこの桜ドリンクは、見た目がとても華やかだからつい写真を撮りたくなる。味も甘さ控えめでいい感じ。ミルクベースの中にほんのり桜味が香り、上に乗ったホイップクリームがまた甘くて美味しい。桜味の食べ物って当たり外れが多いけど、今回のは大当たりくらいの美味しさだ。友子も同じことを思ってるみたいで、「ん〜!」とか何とか言いながら目をキラキラ輝かせる。
「高校は楽しい?」
 ズゴズゴ吸っている友子にそう話しかけると、彼女は口の中のものを喉元に流し込んだ後、ゆったりとした動きで口を開く。
「まあ仲良くやれそうかな。ボーダーの知り合いも多いんだよね」
「それいーね。知ってる人いると安心じゃん」
「うん。糸はどう? 学校行く回数少ないと友達作るの大変そうだね」
「そうなんだよね〜。なかなかクセモノっぽい人も多いし」
 友子に話を振られた後、頭の中で学校の記憶を掘り返す。初対面からはそう時間が経っていないけど、頻繁に会うわけでもないクラスメイトだし、あんまり明確な記憶はない。クラスメイトはみんなグレたヤンキーか物静かなタイプの人かの二極化だし、みんなアルバイトとかで忙しいから遊びに行こー、なんて展開にはならない。それくらいの距離感だと負担は感じないからいいけど、一般的な「高校生像」からは少しずれてる気がする。
「まぁ糸なら大丈夫でしょ」
「え。何が大丈夫なの。あたしは不安しかないけど」
 友子はもう一回ドリンクに手をつけて、呑気なことを言いながら「やっぱ美味しー」と感嘆の声を漏らした。友子だって一回教室に来れば私のこの不安が分かるようになるよ。学級崩壊してるクラスとはまた違った種類の不安だもん。あんまり長居はしたくないタイプのやつ。
「そういえば、糸に会わせたい人がいるんだ」
 鼻に抜ける桜の香りを感じていると、思い出したようにそう話しかけてきた。会わせたい人? と頭にハテナを浮かべながら友子の顔を見る。わざわざ私に会わせるってどういう関係の人? もしかしたら彼氏だったりする? 友子がどんな言葉を返してくるか分かんなくてつい首を傾げる。
「あたしに? なんで?」
「ボーダーで最近仲良くなった子がいるんだけどさ。それで、今度隊を組もうって話してるんだ」
「ふぅん。男? 女?」
「星輪の女の子なんだけど、前に幼馴染がいるって話したら『会ってみたい!』って乗り気になっちゃって」
「……その幼馴染があたしでがっかりしない?」
「え? なんで。幼馴染にがっかりも何もないでしょ」
「まあそうだけど……」
「あ。別に無理にとは言わないよ。糸の予定もあるだろうし」
「予定は全然大丈夫。いつでも暇だし」
「ほんと? じゃあ会うことになっても大丈夫?」
「もちろんおっけー」
「じゃあそう伝えとくね! 玲、本当に楽しみにしてたから」
「うん」
 友子の口から滑らかに他人の名前が出るのは久しぶりな気がしたけど、別に中学の時でもバンバン出てたなって思い返した。普段一緒に居ないから変なところで引っかかったのかな。違和感をかんじた自分が不思議だったけど、普段会わない時間のせいだ、なんて頭の中に丸め込む。
 ふうん。友子が今仲良い人はレイさんって言うんだ。そういえば、友子がボーダーに入ってから結構経つけれど、友子以外のボーダーの人とは初めて会う気がする。一体どんな感じの人なんだろう。普段テレビに出てる正統派アイドルみたいな人のように、みんな「街を守る!」という正義感でみなぎってるのかな。それだったら私は苦手なタイプの人かもしれないなぁと思いながら、まだ見ぬレイさん像に思い馳せる。
 決まったらまた連絡するね、と言いながら友子は携帯を取り出した。レイさんのところにメッセージでも送るのかな。私のことをどんなふうに話すのかな。携帯を触る友子の手つきを眺めながら、まだ残っている桜ドリンクをずずずっと吸った。春の始まりの味がした。

 ◇

 閑静な住宅街に並ぶ一際大きなお家。友子の後をひたすら着いていくと、立派なお宅の前で彼女は立ち止まった。「ここがレイのお家だよ」と手でわかりやすく示してくれる。
 どうしていきなり家に押しかけることになったのか。自分も不思議でたまらないが、なぜか会う場所はレイさんのお部屋だと初めから決まっていた。どうして家なの? とわざわざ聞くのもなあ、なんて躊躇ってずっとそのままにしてきたけど、実際におうちを見た今、「なぜ私がここに?」という想いを隠しきれない。そんな私との葛藤をよそに、友子は何の躊躇いもなくインターホンを押し、促されるまま玄関へと手をかける。レイさんのおうちの人もいるのかな。ていうか見ず知らずの人間を入れても大丈夫なのかな? 要らぬ心配が取り留めなく頭の中に充満していく。
 下駄箱に入ってすぐ、淡い色合いの花瓶が目に飛び込んできた。上品な雰囲気の母親らしき人物を見て、緊張感がさらに高まる。私や友子の母親とは全然違う雰囲気だ。無意識に背筋がピンとしちゃう。
 友子は慣れた様子で家の中を進んでいき、一つの部屋の前に立ち止まった。「ここが玲の部屋だよ」なんて私に目配せしながら三回ノックする。奥から女の子の声がする。
「玲、入るよー」
 そう言いながら、友子はためらいなくガチャリと部屋の扉を開ける。私はどんな顔してればいいんだろう。笑顔? いや、いきなりニヤニヤ笑いながら登場なんて怖すぎる。無難に真顔でいっか。冷静になればどうでもいいことなんだろうけど、今の私にはどうでもいいなんて思えなかった。だってこういう場面なんて体験したことないんだから緊張するじゃん。
「くまちゃん」
 優しくてきれいな声が部屋に響く。部屋の主を瞳に収めた瞬間、私は立ち止まってつい見惚れてしまった。目の前にいる人物が、まるで御伽噺に出てくる人みたいにきれいだったから。
「玲。調子はどう?」
「とてもいいわ。今日会えるのを楽しみにしてたから、本当によかった」
 友子に話しかけられて、目の前の女の子はすごく嬉しそうに笑った。まるで色がついたみたいに、部屋中の空気が華やかになっていく。
 私はなんだか居たたまれなくなって、入り口付近で固まったままそっと気配を消した。二人を邪魔しちゃいけない気がするし、誘われたからってホイホイついてこなくてもよかった。なんていうか、すごく場違いだ。
 でも、固まったままではいさせてもらえなかった。友子がハキハキした声で「この子があたしの幼馴染で……」と言いながら後ろを振り返る。あぁ、これは前に出るしかない。そう腹を括りながら友子の隣へと足を動かした。何これ、歩くだけなのにこんなにも恥ずかしい。
「初めまして。貴女が糸さんね!」
「あ、はい。あたしが糸です……」
「私は那須玲っていうの。こんな所まで来てくれて、今日は本当にありがとう」
 先ほど友子に笑いかけたときよりももっと満開の笑顔で、レイさんは嬉しそうに私の手を握った。まるで絹のようにすべすべの肌は、今にも滑り落ちてしまいそう。少しだけ力を入れて、レイさんの手を握り返してみる。私よりも少し冷たい手のひらは、私の動きに呼応するようにきゅっと握り返してくれた。

 お互いの自己紹介が済んだ後、どんなものが好きだとか、最近見たテレビだとか、取り止めのない会話ばかり繰り広げられる。会話の最中にレイさんは何度か咳き込んでいた。げほ、と何度か咳き込んでいると友子は彼女に駆け寄り、背中をさすりながら「大丈夫?」なんて心配する。「大丈夫よ。こんなのどうってことないったら」とレイさんは笑う。
 彼女を初めて見た瞬間、桜の花が似合いそうな女の子だと思った。陶器のような白い頬の上に、薄桃色の蒸気が浮かび上がっている。露出の少ない服でも分かるほどの華奢な体に、まるで羽根みたいに繊細で長いまつ毛。誰もが見惚れてしまうくらいの可憐な顔立ち。女の子が羨むであろう全てのものを、目の前の女の子は確かに持っていた。
 私がレイさんに見惚れている間、彼女はうそみたいに小さい口をぱくぱくと動かし、遠慮がちに「糸ちゃんって呼んでもいいかしら」と尋ねてきた。もちろん良いに決まっている、と思いながら軽く相槌を打つと、背後から効果音が聞こえてきそうほど頬を緩ませ、レイさんはその場でしずかに笑った。
「あのね、私が無理を言ってくまちゃんに連れてきてもらったの。忙しい中急にごめんなさい」
「いや、全然。あたしはいつも暇だし、遊ぶとしたら友子くらいだし」
「そうそう。糸は遊びたくない時は『無理』ってすぐ言ってくれるから」
 レイさんに気を使わせないように言ったセリフなのに、当たり前のように乗ってきた友子をチラリと一瞥し、またレイさんの方へ体を向ける。まるで白いシーツの中に咲くお花みたい。
「だからレイさん、気にしないでよ」
 窓際のカーテンは春風で揺れていた。風が吹くたびにビュウウ、とけたましい音が部屋の中に響く。無機質すぎる部屋の壁紙なんか、この春風に流れていってしまいそうだ。
「……くまちゃんから色々話を聞いてたけど、会ってみるとまた印象が違うみたい」
 最初は遠慮がちな様子だったレイさんの眼差しがようやく穏やかになった。緊張が解けたのはいいことだけど、ツッコミどころが多すぎてどこから消化しようか迷ってしまう。印象が変わったっていうのは悪い方向なのかいい方向なのか、そこだけはちゃんと教えてほしいな。反応に困るし。
「……友子ってばなんの話したの」
「えー? 別に変な話はしてないけどね」
「なんでニタニタしてるの」
「ふふ。くまちゃんの言う通り、変な話は聞いていないわ。糸ちゃんが犬に追いかけ回された挙句、くまちゃんの家に駆け込んできた話とか……」
「待って‼︎ それ一番の黒歴史なんだけど‼︎」
 よりによってその話をしてしまったのかと私は頭を抱えた。顔を見合わせた後に喋るくらいはまあ許してあげてもいいと思うけど、まだ顔も知らない見ず知らずの関係なのに勝手にベラベラ喋るなんてまったくの心外だ。
「ごめんって! でも小学生のことだし可愛い話なんだからいいじゃん!」
「どんだけ昔でも黒歴史は捨て去りたいのー! やだ!」
「ふふふ、その話すっごく可愛いのに」
「可愛くなんてない! ただ恥ずかしいだけだし」
「そんなことないと思うわ。ねえくまちゃん?」
「うん。糸が今までで一番可愛かった瞬間かも」
「もー! 二人で結託しないでよ。二対一で負けちゃうじゃん」
「いい加減観念しなさいよね」
「やーだー!」
 友子と二人で言い合っていると、後ろからふふふと声が聞こえてきた。鈴が鳴るような声の主はレイさんだ。おしとやかに笑う彼女に比べ、どこまでも子供っぽい反応をする自分が途端に恥ずかしくなり、それを誤魔化すように左手で髪の毛をいじる。毎日トリートメントを欠かさずしているのにパサパサになった毛先。そのうち枝毛でもできてしまうかもしれない。そんな私と対照的に、毛先まで水分が行き届いてそうなレイさんの髪の毛がうらやましい。
「あのね、もしも糸ちゃんが嫌じゃなかったらなんだけど……」
 お互い気兼ねなく話せるくらいになったあと、言いにくそうに、そして少しの期待がこもった顔でレイさんは私を見つめてきた。つい身構えた私に対して、そんな大したことじゃないんだけど! と慌てて付け加える。
「もしよければ……この三人でどこかへ遊びに行けたらなって思うのだけれど、どうかしら」
 照れくさそうにはにかみながら、浅葱色の瞳が私を見つめた。今だってこうして三人で会っているというのに、まるで特別な約束をするときみたいな顔をしている。それくらい別にいいよ、って二つ返事するに決まっているのに、どうしてレイさんはこうもドキドキしているんだろう。
「あたしはいつでもヒマだよ」
 予想通り、レイさんは私の返答を聞いた瞬間にふわりと笑った。部屋中に花が咲いたみたいに、一気にあたたかな風が吹き抜ける。友子は「楽しみだね」とレイさんに笑いかける。私にも笑いかけてほしいなって思ったけど、友子の瞳はレイさんしか見えていなかった。
 
 その瞬間、あんなにも綺麗に微笑むあの顔が、か弱くてすぐ倒れてしまいそうなあの体が、私は心の底からずるいと感じてしまった。
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 ◇

 約束の日。天候は雨。残念だと思ったけど、今日の目的地は水族館だ。建物の中に入れば天候なんて関係ない。湿気で髪の毛が広がってしまうのが難点だけど、いざ会ってしまえばそれも気にならなくなるだろう。
 今日の予定はこうだ。まず友子と一緒にレイさんのおうちへ迎えに行き、最寄りのバス停まで徒歩で向かう。そこから駅までバスに乗り、水族館の最寄り駅まで電車で向かう。乗り物に乗る時間はそう長くないのであっという間についてしまうだろう。
 今日着る予定の服を顔に合わせ、鏡の前で何度もにらめっこする。レイさんはどんな系統の服を着てくるだろう。やっぱり上品なやつかな。友子はきっといつものカジュアルな服を着てくるに違いない。私はどちらかというとカラフルな服装をすることが多いから、レイさんの隣にいて浮かないかが少し心配だ。手持ちの中でもできるだけ女の子っぽい服を選んだけど、当日になって替えたくなってきた。もう一度クローゼットを開こうと自室に戻ると、何やら携帯が鳴っているのに気づく。
「もしもし? 友子?」
『糸。まだ家出てないよね?』
「うん。まだ十五分くらいあるよね?」
 掛け時計を再度見てもまだ約束の時間にはなっていない。あと少しすれば会えるのにわざわざ電話が来るなんて、今日のことで何かあったのかな。疑問に思いながら耳元に神経を集中させる。友子の声は決して明るいものではなかった。
『あのね、今日のことで伝えなきゃいけないことがあるんだけど』
「なんかあったの?」
『それがね……』
 言うのを躊躇うような、そんな独特の間が空いた。友子がこんな苦しそうにするなんて、絶対にレイさんのことが原因なんだろうと、直感的にそう思った。

 ◇

「ごめんなさい。せっかく約束していたのに……」
 荒い呼吸を繰り返していたレイさんは、心底申し訳なさそうな顔をして私の顔を見た。初めて会った時は真っ白だったのに、今は顔全体が赤みを帯びていて、首筋には汗が浮かんでいる。時折繰り返す湿った咳に、友子は心配そうにしながらレイさんの背中をさすった。
「……今日、本当に楽しみだったのに」
 まるで子供みたいな顔をしながら、レイさんは目に見えて悔しがっているようだった。穏やかな彼女でもそんな顔をするんだなんて、私はすごく意外に感じる。自分の体を抱えながら、何かに苛立っているようだった。
 目の前の彼女を心配しながらも、初めてこの部屋に来た時のことを思い出す。私は、ベッドから離れられないままの彼女を儚くてきれいな存在だと感じた。同時に、誰からも心配されていいなぁ、なんて汚いことを思っていた。友子が心配する彼女のことが疎ましくて、座ってるだけなのにいいよなぁって感じてしまっている自分がいた。
 だって彼女はなんでも持ってると思ったから。育ちの良さが滲み出た立ち振る舞いに儚げな容姿。病弱でもサポートしてくれる人が周りにいるし、何よりもみんなに守られている。どうすれば人に愛されるのかすべて知ってる。私の目にはレイさんがそう見えていた。
 今、どうにもならない体を抱えながら悔しがる彼女を見て、きたない感情を持ってしまった自分のことを心底恥じた。彼女がどう頑張っても制御できない体のことを、私は勝手に羨ましがって疎ましがって。ほんとにばかみたい。彼女が欲しいのはサポートや同情じゃなくて、自分の思い通りに動かせる体かもしれない。人から守られなくても自力で立ち上がることのできる強さかもしれない。変に嫉妬していた自分がばかみたい。どこか穴にでも潜りたい。
「玲。水族館なんていつでも行けるよ。予定なんて合わせようと思えばすぐ合わせられるよ。だから、そんなに落ち込まないで」
「ごめんねくまちゃん。自分の体調管理がうまくできないことくらい、今まで何度も直面したことあるのよ。いくら気をつけたってどうしても体が言うことを聞かない時はあるから、こればかりは仕方ないって最近は思えるようになったはずなの。……でもね、今日はなんだかそう思えなくて」
「……無理矢理自分を納得させようと思わなくていいよ。悔しい時は思い切り悔しがればいい。あたしたちが邪魔だったらすぐに帰るし、一人が嫌だったらいつまででもここにいるから」
「くまちゃん……」
 今すぐレイさんに謝りたい気分だった。ごめんなさい。私、あなたのことを誤解してしまっていた。そう一言いえたならいいのに、どこまでも意気地なしでどうしようもない。
 レイさんだってすごく辛そうな顔をしてるけど、それよりも私の方が涙を堪えきれない顔をしている気がした。隠れるように友子の後ろに位置取り、二人の視線が私に向かないよう縮こまる。今気づかれてしまったら二人は絶対心配するし、そもそもなんで私が泣きそうになってるんだって話になるし。
 ごめんなさい、とか細い声が静かな部屋に響いていく。空気のこもった室内じゃすぐに息苦しくなって、今すぐにでもここではない何処かへ酸素を補給しに行きたくなる。
「糸ちゃんも、本当にごめんなさい……」
 いきなり名前を呼ばれて心臓が飛び出そうなほどびっくりした。潤んだ浅葱色の瞳が、まるで私の心を見透かすようにじぃっと見つめてくる。後ろめたい気持ちが隠せずにいつまでもカーペットばかり見つめて、彼女の瞳を見つめ返すことはできなかった。涙が溢れ出ないように目に力を入れて、できるだけいつも通りの自分を心がける。
「あ、あたしは別に……。それよりもレイさんの体の方が大切だし。あたしはホントいつでも空いてるし……」
「ほら。糸もこう言ってるんだから、大人しくベッドで休んでてよ」
「二人とも……」
 ごめんなさい、と言ってしゅんとするレイさんに、友子は優しく声をかける。ごめんなさいじゃなくて、ありがとうって言ってほしいな、って。いかにも友子らしくて暖かい言葉だ。レイさんの目が私から離れてやっと、私は彼女の顔をまじまじと見ることができる。彼女の瞳の中には友子しか映っていないのだから。

 いやだ。あの人をみていると自分がみじめな気分になってしまう。
 私っていつまでも嫌なやつだ。他人の表面だけ見て羨ましがって、自分にそれが与えられないからって文句を言っている。自分で現状を打開する力も気力もなくてただぼうっとしているだけなのに、幼馴染って理由だけで友子の隣に居ることができている。それって本当にいいことなのだろうか。彼女と肩を並べられるだけの人間性が、今の私にはまったくないと感じてしまう。

 私、あの子には一生敵わないな。敵うなんて思っちゃいけない。こんなにきれいで頭いいのに性格までいいなんて反則だ。同じ土俵に立つことすら許されないかもしれない。
 
 レイさんに出会うまでは知らなかった疎外感という感情を初めて知った。
 最悪な気分だった。

Lost stars