15 テクマクマヤコンと唱えたとして


 休みの日にこうして外にいるなんて、なんだかすごく久しぶりのことかもしれない。しかも、休日はほぼ引きこもりの私が公園のバスケットボールコートにいるなんて。普段は履かないスニーカーなんて履いて、久しぶりに味わう手のヒリヒリした感覚を噛み締める。こんなでかいボールを何回もドリブルするのは中学ぶりかもしれない。高校は体育の授業といっても全然授業らしくなくて、手を抜いていても何も言われないし。
 でも、今回はあまり手を抜けないのだ。だって運動神経魔人たちがたくさんいるんだもん。
「糸、全然動けないって言ってたのにそんなことないじゃん!」
「えー、これがあたしの限界だよ……。もう無理……」
 昼過ぎに集合してから今までの間、ずっと体を動かしっぱなしだったせいですでに膝が笑っている。それなのに私以外の三人は全然平気そう。本当に私と同じ人間なのか疑ってしまうな。
「ちょっと休憩にしよっか。あたしなんか飲み物買ってくるよ!」
「じゃあアセロラジュースがいい」
「注文がピンポイントすぎるわ」
 熊谷友子はいかにも「動けます!」と言わんばかりのスポーツウェアを身に纏った状態で、せかせかと自販機の方へ向かおうとする。彼女は元から体力おばけだったけど、高校に入ってからさらに体力ついたんじゃないかな。ボーダーでは生身を鍛えるメニューはないとか言ってたけど絶対ウソだよ。なんであんなに動けるのか不思議すぎるもん。
 彼女の運動神経が私にもあればきっと楽しいんだろうなぁ。そう思いながら後ろ姿を眺めていると、短髪の男の人が友子を追いかけて行くのがわかった。あの人は確か……カキなんとかさん。なんかオレンジ色の名前だった気がする。友子が連れてきたボーダーの人だ。
 颯爽と近づいていくカキなんとかさんを少し羨ましく思いながらも、棒みたいになった足を動かすことを断念し、私はここにとどまることにした。
「本当に熊谷と仲が良いんだな」
「……村上こーさん、だっけ」
 いつまでも友子の背中ばかり見ていると、いつの間にか私の隣に男の人が立っていたのに気づく。緑がかった髪の毛と切長の瞳が印象的な男の人。ギラギラしすぎてないから個人的にすごく落ち着くし、いい意味で高校生っぽくない。もちろんカキなんとかさんもギラギラしてないけど、それとは別の落ち着きっていうか、なんていうのかな。なんか武士みたいな男の人。
 友子が紹介してくれた名前を聞きながら思ったことだけど、「こう」ってどういう漢字を書くのかな。光? それとも航? 聞いたところで「へえ」としかリアクションが取れなさそうな気がするからわざわざ聞かないけど、ちょっとだけ気になっている自分がいる。
「熊谷がよく話してくれるから、今日はやっと本物に会えたって感じがする」
 本物って私のことだろうか。ボーダーでも話してるなんて、友子は本当に私のことが好きだなぁ。なんだか自然とにやけてきちゃう。
「本物ってなにそれ。こーさんって変わってるって言われない?」
「はは、言われるかもしれない」
 穏やかそうな雰囲気に、ゆったりとしたしゃべり方。愛想が良い方ではないけれど、他人を攻撃するような目つきは決してしない。相手の警戒心を抜くのが上手な人だな、というのが第一印象。この人もやっぱりバスケがすごく上手で、何回もボールを取られたし、取り返そうとしてもついていくのに必死でそれどころじゃなかった。友子に誘われなきゃ、こんな運動神経いい人たちとバスケなんて一生やらないよ。
「友子はすっごくバスケ上手でしょ」
「ああ。よく抜かれてしまう」
「あの子の運動神経ってホントやばいからねぇ。こーさんも異常だけど」
「加藤さんだって動けてたじゃないか」
「運動神経いい人に言われても純粋に受け取れないなぁ」
「え……」
「あはは、ジョーダン。ていうか年下なんだからさん付けとかいらないし」
 ちょっとからかってみただけなのに、こーさんは分かりやすく固まってショックを受けたみたいだった。この人なんか反応おもしろいなぁ。
 なかなか友子たちは帰ってこなかった。公園の自販機ってどこにあるんだろ。もしかしたらどっかコンビニでも行ってるかもなぁ。友子が一人で困っちゃうといけないから、カキなんとかさんが着いていってくれてよかった。
 公園に響く子供の声が風の音と相まって心地いい音楽みたい。ここで寝転がって昼寝できたら最高だなぁ。空は青々としすぎてまるでにせものみたいだ。
「……ねえ、友子は私のことなんて言ってるの? 悪口言ってなかった?」
「はは。残念ながら、熊谷から悪口なんてのは聞いたことがない」
 こーさんは乾いた声で軽快に笑いかえす。続きの言葉はいつまでも返らず、私の質問がいつの間にかなかったことにされているみたいだ。わざとかわしているのか、それとも私の質問をすっかり忘れてしまったのか。もう一度聞き直すほどのことでもないし、仕方なくそのままにしておいた。
「加藤さんはどこの高校に通ってるんだ?」
「あたしは通信制のとこだから名前言ってもわかんないよ。三門じゃなくて隣町のところ」
「へえ。通学が大変そうだな」
「もう慣れちゃった。毎日は行かないし」
 学校の話ついでに、一高近くのコンビニでアルバイトをしているとこーさんにも宣伝してみる。こーさんもたまに行くらしく、もしかしたら会ったことあるかもなんて盛り上がる。
「……ねえ、こーさんは友子のこと、ちょっとでもいいなって思ったことある?」
「え」
「えっ。それはあるって顔なの?」
 こーさんの優しい笑顔を見ているうちに、どうしてもこのことが聞きたくてしょうがなくなった。私が質問をした後、こーさんは瞼すら動かさないまま三秒くらい止まる。
 ええ。こーさんはそういうの思ってなさそうだから聞いたのに、まさか友子のこといいって思ってたの? まだ数時間しか一緒にいないけど、この人には悪いところがまったく見当たらないし、むしろ安心して友達を任せられるタイプの人だろう。棘のないあたたかな言葉遣いと、真面目すぎない肩の入り方。非の打ち所がないのに偉ぶってる様子なんて感じさせない。だからこそ、もしこーさんにもその気があったらなんて不安になってしまう。
「いや。そんなこと考えたこともなかったから、少しびっくりしただけだ」
 少し時間を置いてから、こーさんはゆっくりとそう答えた。なんだ、さっきの間はびっくりしてただけなの。ただならぬ感情がそこにあるのかと疑ってしまって恥ずかしくなる。すごくややこしかったよなんて小突きたくなる気持ちを抑えて、そうなんだぁ、とできるだけフランクに相槌を打ってみる。
 遠くの方から男女二人組が歩いてくるのが見えた。あれは友子とカキなんとかさんだ。遠すぎて私の視線に気づかないだろうなぁって思ってたけど、視線の先にいる友子はこっちを真っ直ぐみているような気がする。流石に気のせいかな。そう思いながら眺めていると、彼女の視線は隣のカキなんとかさんへと移ってしまった。ああ、あっち向いちゃった。さすがに伝わんなかったかとぼんやりしていると、隣のこーさんも「今こっちを見てたかと思った」と呟いた。今、こーさんとおんなじものを見て、おんなじことを感じてる。数時間前までは見知らぬ他人だったのに、なんだかおかしな気分。
「……こーさんと友子、結構仲良しでしょ。あたしそういうの分かっちゃうから」
「まあ、女子の中では結構仲が良い方だと思う。ただ、それで何か起こるって可能性はないな」
「ふうーん。友子ってば可愛いのに。こーさん見る目ないね」
「じゃあ加藤さんは見る目があるな」
 こーさんの鋭い目つきがあたしを見据えた瞬間、隠し事がバレた時みたいに急にどきりとした。心臓が掴まれたようにひゅっとして、足元からひんやりと冷気が漂い始める。
 目の前の暗い瞳は、もしかしたら私の心の中まで見透かしてるのかもしれない。それだとしても、この人相手だったら別に見透かされてもいいのかも、なんて。普段の自分だったら絶対に思わないようなことなのに、なぜか今だけはそう思える。
「……そうだね。見る目はあるかも。そんでこーさんのことは嫌いじゃないよ」
「はは、ありがとう」
 私の言葉を本気にしていないのか、また乾いた笑いがこーさんの口から漏れる。「こーさんっていつも乾いた笑いばっかなの?」と尋ねてみると、彼はその自覚が全くなかったようで、「乾いた笑い?」なんて頭に大きなハテナマークを浮かべた。
 
 ◇

「……いい子じゃん」
「え?」
 飲み物を買いに行く途中、アセロラジュースなんて自販機にあったかなぁとぼんやり考えていると、隣を歩く柿崎先輩がふと口を開いた。突然だったから誰を指してるか分からず、つい間抜けな声を出してしまう。
「加藤ちゃんのことだよ。見た目が派手だからとっつきにくいタイプかと思ったけど、話してみると全然印象が違った。熊谷と仲良いのもよく分かるよ」
 そう言ってザキさんは嬉しそうに笑う。なんで彼が嬉しそうなのか分からないけど、後輩想いな先輩のことだから、後輩が楽しそうにやってるところを見て嬉しいのかな。
 先ほどまでの時間をふと思い返してみる。二対二に分かれ、ひたすらシュートを打ったり打ち返したり。糸はヘロヘロになっていたけどちゃんと楽しそうだった。私も楽しかったし、先輩たちも余計な気を使わず楽しめているようだった。
「……あの子が他の人と楽しそうに笑ってるの、久しぶりに見た気がします」
 バスケ中に見せた、糸の子供みたいに無邪気な笑顔を思い返す。ダブルドリブルを取られて「なんでー!」とか言いながらわざとらしくぶうたれたり、パスブロックが成功すると「やった!」と大きな声を出したり。何事もゆるゆる力を抜いてきた糸があんなに熱中する姿なんて、私の前でもそう見せない気がする。
「そうなのか?」
「はい。高校入ってからはあんまり楽しそうにしなくなって。だから今日はなんだか新鮮です」
「いやいや。鋼と二人じゃ何にも出来なかったし、こっちこそ助かるよ。熊谷を誘ってよかった」
 そう言って、ザキさんは言葉通りの明るい顔でこちらに笑いかけてくれた。彼が多くの後輩から慕われる理由もこの人柄の良さにあるんだと、この人に会うたびに感じるな。
 いつの間にか随分と歩いていたようで、先程いたバスケコートから離れた位置にある自販機置き場までたどり着いていた。ここには自販機が三台と簡易ベンチが置いてある。そして左手側に見えるのは中くらいサイズのため池。ここは散歩に疲れたおじいさん達がこぞって利用する休憩スポットでもある。
 ザキさんは、ポケットから小銭入れを取り出そうとする私を静止し、我先にと自販機へ一千円を入れ込む。
「今日は俺たちに付き合ってくれたから、ここは奢るよ」
「え! そんなの悪いですって! せめて糸の分は払わせてください!」
「そんなのいいって」
 優しく、それでいて頑なに私の主張を聞いてくれないザキさんに甘え、なんと四人分の飲み物を奢ってくれることになった。全然面識のない幼馴染の分まで出してくれるなんて優しすぎる。とても頭が上がらない。
 やっぱりアセロラジュースはなかったから、糸が二番目に好きなカルピスを買ってもらうことにした。え〜って文句を言うのは目に見えてるけど、全部ザキさんに奢ってもらったって伝えたらどんな顔するかな。眉間にシワを寄せながら困っちゃうかも。勝手に糸の顔を想像してると笑いそうになっちゃう。
「熊谷は加藤ちゃんといつから仲良いの?」
 しゃりしゃり芝生を踏みながら歩いていたら、ザキさんが唐突にそう尋ねてきた。
「いつからって言えばいいのかな……。もともと家がすっごく近くて、保育園行く前からよく遊んでたらしいですけど、それが何歳からかは分かんないです」
「じゃあ相当昔からなんだ」
 ザキさんの言葉に頷いた後、糸との今までのつながりについて、無意識に頭の中で振り返っていた。真っ黒な髪で、自分のやりたいことにはなんでも挑戦していた彼女のことを。あの日、私が男子に言い返せなかった日、糸が私の代わりに怒ってくれたこと。今でも彼女の根っこはそう変わっていないと、ずっと思っているけど。
「……なんか、幼馴染って大切な存在だよな。普通の友達とは違うんだけど、何が違うかはうまく言い表せないというか」
 ふと、隣を歩いていたザキさんが足を止めた。ザキさんの言葉はクリアに響いて、私の心の中にストンと落ちていった。普通の友達とは違う意味で大切な人。ザキさんが言いたいのは何なのか、私にもわかる気がする。
「あ、知ったような口をきいて悪い。……でも、俺も幼馴染と呼べる存在は居たから。大学は市外に行ったからもう離れちまったけど」
「……ザキさんにもいたんですね」
「ああ。二人みたいにいつでも仲良しって訳じゃなかったけど、それこそ小学生の頃は毎日のように遊んでたな」
 過去形で幼馴染を話す姿からは寂しさを感じて、私はなんとも言えない気分になった。考えたことはないと言ってしまえば嘘になるけど、いつか私たちにも離れる日が来るかもしれない。ザキさんの時みたいに糸が三門市外へ行ってしまうかもしれないし、もしかしたら私がどこかへ行ってしまうかもしれない。距離が離れなくたって、いつか疎遠になる可能性だって捨てきれないだろう。
「私も……糸のこと、できるだけ大切にしたいと思ってるんです」
 でも、糸が何を考えているのか、私には年々分からなくなっていたりしていて。その悩みはとてもザキさんにぶつけられなくて、言葉にしないままぐっと喉元に押し込む。
 昔の糸は、今みたいにすぐに諦めたりせずに粘り強いところもあったのに。今は始める前からすでに身を引いて、目の前で起こる物事すべてから逃げているみたいに感じてしまう。
 そして、私がそれを指摘できるほどの間柄ではないような気がしてしまって、いつも黙って瞳をつぶるだけ。それでいいのか、いつも悩んでいる。
 幼馴染といっても実際は近くて遠い存在だ。今日見せてくれた子供みたいな笑顔だって、昔は毎日見ていたというのに。いつから私の前で見せてくれなくなったんだろう。
 どんどん不安が膨らんでいく私に気づいてか、彼は突然立ち止まり、ぐるりと私の方へと振り返る。穏やかな風によく似合う、優しい顔だった。
「まー、今のは俺の勝手な自分語りだ。二人とも仲良いし、熊谷たちなら大丈夫だろ。女の友情は男よりも堅い絆で結ばれてそうだしな」
 そう言ってザキさんは右手のコーラを差し出してきた。きっと乾杯の意味なんだろう。私も自分のファンタグレープをザキさんのにぶつけ、一足お先に乾杯した。キャップを一捻りするとプシュ、と気持ちのいい音が響く。
 左手のカルピスは地面に置き、ファンタ片手に深呼吸をした。まだまだ陽は長いから、この後も何回かチーム替えしながらバスケができそうだ。隣のザキさんはコーラを勢いよく飲んだ後、やっぱうまいなぁ、なんて笑っていた。

Lost stars