16 いつから愛しの、いつまで愛しの、
かち、かちと無機質な秒針の音が響いている。私と友子はぐたりと横になり、ただひたすら天井を見つめている。布団の暖かさに包まれながら、今すぐにでも意識を手放してしまいそうだ。
今日は久しぶりのお泊まり会。どれくらい久しぶりかと言えばいいのか考えたけど、正直記憶がないくらいだから本当に久しぶりなのだと思う。多分高二になってからは一度もしてないんじゃないかな。友子も忙しいし、私も私で鬼のようにバイトのシフト入れてるし。昔のようにいつでも時間が合うわけじゃなくなって、私たちも大人になったなぁなんてのんきなことを思う。
「その後アカネちゃんは引っ越しちゃったんだ」
「そう。家族の意向だからあたしたちにはどうしようもないけどさ。やっぱり寂しいよね」
今の話題は先日あったお別れ会のこと。友子のチームメイトであるアカネちゃんが家庭の事情で転校してしまうことになってしまったけど、チーム戦で過去最高順位につくことができたと、友子は晴れやかな笑顔で話してくれた。チーム戦というのがいまだによく理解できていない私だけど、友子の話にふんふん相槌を並べていく。
チームの話をしているときはとびきり楽しそうだったのに、アカネちゃんの見送り話をした瞬間に表情が曇っていったのが見てとれた。ずっと一緒にやってきたチームメイトだし、友子もとびきり可愛がってたんだろうなぁ。そりゃ落ち込むよなぁと思いながら、小さい子供にやるみたいに私は友子の頭を優しく撫でてやる。すると友子は、「子供じゃないんだから」とか言って私の手を振り払おうとした。素直に撫でられてればいいのに。
アカネちゃんに限らず、今でも三門市を出て行くと決意する人はそう少なくはない。最初の侵攻の直後が一番のピークだったけど、やっぱり毎日鳴り響くサイレンに耐えきれずに出ていく人も毎年ちらほらいるみたいだ。
……それに、二ヶ月前に警戒区域外で大きな侵攻が起こったばかりだし。
「……確かにさ、前回のでっかいやつはあたしもヒヤヒヤしたもん。友子大丈夫かなって、ずっと心配してたし」
「あたしは隊のメンバーが揃ってなかったから本部待機だったけど……。でも、みんなが傷ついていくのをただ見ることしかできなかったから、すごく苦しかった」
まるであの日のことを思い出しているみたいに、悔しそうな顔をしながら彼女はそう話す。
「……自分も戦いたいって思った?」
「うん。……あたしにできることは、なんでもやりたいんだ」
友子ならそうやって返してくるだろうとわかってた。わかってたくせに、ちょっと傷ついてしまった自分はホント馬鹿だと思う。目の前の人間は誰でも助けたいからってボーダーに入った友子だもん。そう考えてたに決まってるよね。
でもね、私は友子がヒーローになってほしいと思ってる訳じゃないの。
「……あたしのお願い聞いてくれる?」
「……急に何?」
「あのね、この先絶対に傷つかないでほしいの」
口の中が無性に乾いてきた。だんだん声が震えた。ぽんこつな私の言葉を聞いて、友子ははっとしたように目を見開く。私がこんなこと言い出すなんて、夢にも思っていなかったんだろうな。
「友子がいろんな人を守りたいって思いでボーダーに入ったのは知ってる。だけど、だけどね……あたしは友子に傷ついてほしくないんだよ」
もどかしくて仕方なかった。自分の気持ちを言葉に表すのは難しい。なんだかんだ理由をつけて怠ってきちゃったから、私のホントの気持ちなんて友子はきっと知らないんだろう。
「……ねえ、待ってる間ホントこわかったんだよ。情報なんて錯乱しまくってたから、何が本当なのか選ぶこともできなかった。友子の無事をこの目で確かめるまで、ずっと気が気じゃなかったんだから」
今までずっと溜めていた気持ちが溢れ出るように口からこぼれ落ちる。
私は侵攻が起こったあの日、三門市外にある高校でいつも通り授業を受けていた。午前中で授業が終わったので、電車で三門市に戻り、三時からコンビニバイトの予定だった。
でも、駅に着いたら電光掲示板は真っ赤っかで、三門市を通過する電車はすべて運転が見合わせられていた。改札の前でニュースを開いて絶句した。三門市中でバケモノたちが暴れまわっている、という信じ難いニュースを。
駅の待合室にいる間もずっと不安だった。四年前みたいなことが起きたらどうしよう。友子が危険な目に遭ったらどうしよう。もう三門市に帰れなくなったらどうしよう。あちこちで子供が泣き叫ぶ。一緒に私も泣き喚きたいと思った。
あれから数ヶ月経った今でも、あの日のことを思い出すだけで震えが止まらなくなる。こうやって彼女がここにいることは奇跡と等しいこと。私が触れたいと思って触れられるのは、この世で何より一番ぜいたくだということ。
「糸……」
へたしたらこのまま泣いてしまいそうだった。布団に包まれているとつい本音が溢れてきちゃう。もし友子が受け止めきれないくらいの言葉が溢れたらどうしよう。そしたら友子は受け止めてくれる? なかったことみたいに優しくそらしてくれる?
「……心配させてごめんね。糸のことも、町のみんなのことも守るよ。……守れるくらいに強くなるから」
「……うん」
友子の柔らかい体が肌に触れた。分厚いトレーナーにはすでに熱がこもっているみたいで、触れたところからじんわりと熱が広がっていく。あたたかい。いい匂い。このまま彼女に包まれていたい。そんな余韻に浸るままないまま、友子の体がそっと離れていく。
もっと抱きしめられていたいだなんて、馬鹿正直な本音を伝える勇気はない。あたしは名残惜しみながらも、はなれていく体温に心の中で別れを告げる。部屋中に広がる藍色の不安が、心の海にそっと色を添えた。
◇
「……ねえ。もう寝ちゃった?」
暗闇の中、恐る恐る小さな声を出してみる。問いかけた相手はうんともすんとも言わない。それをいいことに、私は少しだけ体を近づけてみる。二つ分の布団の空白は意外と長い距離だ。
そういえば、いつもお泊まりする時は客用布団は出さずに、一つの布団の中に並んでいたっけ。昔はそれでも十分すぎる広さだったのに、いつのまにかお互い体が大きくなってしまったな。
綺麗に閉じた瞼をみながら、今頃彼女は夢の中にでもいるんだろうなぁ、とぼんやり考えた。彼女が寝ている間だけ、もう少し欲張ってもいいだろうか。できるだけ音を立てないようにしながら、少しずつ距離を縮めていく。すると、布団で空いた空白なんてわからないくらいの距離に近づいた。彼女の寝息までかかってしまいそう。手を伸ばし、柔い手のひらをきゅっと握る。さらさらの素肌に滑って指が解けそう。もっと触りたい。ねえ、もっと。
もし友子が起きてたらこんなこと絶対できないなぁ。そう思いながら、普段は軽くしか触れられない友子の手のひらを堪能する。ペンだこが住み着いた中指の第一関節。野球バットのせいか竹刀のせいかは分からないけど、何回も豆ができてはつぶれて固くなった手のひら。骨の一つひとつの形までわかるくらいに、私は飽きもせずに手のひらに指を滑らす。
手の動きをぴたりと止めてみる。片手で友子の手を包み込み、少しずつ握る力を強めてみる。いっそのこと起きてくれたらいいのにな。そしたら私の気持ちも全部バレて、糸のことはそんな目で見たことなかったって振られて、私も急にごめんねなんて軽く笑って。それで、悔いもないまま友子のことを忘れられる。元通りの私たちでいられるかもしれないのに。
「……そんなの、無理に決まってるのにね」
不可能だって、自分が一番わかっているのに。
私は友子の一番の親友になりたいんじゃなくて、友子に触れたり、独占したりできる存在になりたいんだ。後戻りなんてできないところまで来てしまったくせに、私は今の関係性を手放したくないと思っている。
このままキスくらいできてしまえばよかった。友子は一度寝たら途中で起きないだろうし、今私が何をやっても記憶なんて残らない。触りたいという欲望のまま触れてしまえばいい。そんなことを思いながらも、心臓の音はずっとうるさいままで動けなくなる。他の人とだったらこんなにドキドキしたりしないのに、友子の手のひらを握ってるだけで苦しくなる。
私がいつまでも埋まらないもの。それを埋めてくれるのはこの人だけだって、ずっと昔からわかっているのに。
「……あたしの意気地なし」
すべてをさらけ出した後でも自分を選んでもらえるという自信が、今の私にはまったくない。
繋いだ手からどんどん壊死していくみたいに、私が私でいられなくなるような、そんな錯覚が全身中走っていくように感じた。私が手を緩めれば、友子の手も簡単に外れてしまう。隣にいるのも苦しくなって、私は横に並んだままの布団からもそもそと抜け出した。そのままテレビの前にあるソファへとなだれ込む。息苦しさを飲み込むようにして、掛け布団の中で小さく丸まった。
私がもしも別人だったら。もっと可愛くて優しい女の子だったら。それとも、頼り甲斐のある男の子だったら。そしたら、友子のことを手放さずにすんだのかな。
もしも私が、私じゃなかったら。そんなことを考えても、もうどうにもならないんだけど。
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◇
「……いと?」
布団の中でうつろうつろとしていると、どこからか人の声が聞こえてきた。いま何時だろ。時間を確認したいけど起き上がるのはやだなぁ。そう思いながら寝返りを打ったら肌にひやりとした冷たさを感じ、驚いて飛び起きてしまった。そうだ、昨日途中でソファに移動したんだっけ。あーあ、せっかく眠かったのに目が覚めちゃった。
「ごめん、起こしちゃったね」
「んーん。あたしが自分でびっくりして起きちゃっただけだから」
掛け布団だけちゃっかり持ってきてたけどさすがにソファは寒い。あったか〜いスープでも飲みたい気分だ。
「……いつの間にソファで寝てた?」
友子は不安そうにしながらそう尋ねてきた。私は頭をぽりぽりとかきながら、まだ目覚めない頭をどうにか動かそうとする。
「んー、夜中くらい。だって友子があたしのお腹にかかと落とししてきたからさぁ……」
「え⁉︎ ウソ⁉︎」
「ウッソ〜」
朝からよくそんな声が出るなぁってくらいの大声を出した友子に、わざとらしく両手をひらひら広げてやると、みるみるうちに眉毛がつり上がっていくのがわかる。
「はぁ? 何それ……。本当かと思ってめちゃくちゃ焦ったんだけど!」
「ふふ、友子がチョロすぎるのが悪い」
「こんの〜……」
「……朝ごはん持ってくるけど何がいい?」
くちゃくちゃになった布団をソファに置き去りにして、はだかのフローリングへと足を下ろした。裸足にフローリングの冷たさはよく沁みる。
「……何がある?」
「たしか菓子パンはあるはず。あとはヨーグルトとか?」
「じゃあ菓子パン頂いてもいい? 味はなんでもいいからさ」
「うい〜。待ってて」
「ありがと」
なんてことないような会話をして、当たり障りのないような顔をしながらドアを閉めた後、そのまま壁に寄りかかった。上を見上げると、どこまでも続く天井の模様が私を見下ろす。今の滑稽な会話も全部見透かされていたかもしれない。
今の私、どこも不自然じゃなかったよね? 何にも考えてないように振る舞えてた? 両手で顔を覆い、友子のことでいっぱいになった頭の中をどうにかして逃がそうと試みる。
廊下に伸びる朝日の額縁が眩しくて、私はその場で目を細めた。