2 だるまさんが転んだらあなたは走って助けにいくだろうから

 
 空っ風が吹き抜けるグラウンドの上に、薄靄みたいな砂の風が肌に突き刺すように吹き抜ける。窓を開けたら砂埃が飛んできてしまいそうだ。外の冷気が厳しい時期は、六年一組の窓は閉め切った状態である。
 休み時間である今、ストーブが教室の前方に置いてあることも関係してか、クラスメイトたちは自然と前側に固まっていた。そんな中、「換気のためだ」なんて言いながら担任が遠慮なく窓を開けていく。寒すぎる! とあちこちで抗議の声が上がる中、私と友子もみんなと同じように二の腕をさする動作をする。
「こんなに寒いのに窓開けるなんて鬼だ!」
「ね早く休み時間終わらないかなぁ……」
 私たちの抗議もむなしく担任の耳には届かない。担任は宿題の山に取り掛かりながら、「外で体を動かせばあったかくなるでしょ」なんて暴論を吐いてきた。今外になんて出たら凍死してしまうんだけど。灰色のグラウンドを睨みつけながら、休み時間が過ぎ去るのをぼーっと待つ。
「友子の着てるパーカーあったかそうだね」
 そう言って、厚手のパーカーのフードと背中の間に手を突っ込んでみる。友子は「わ!」なんてかわいい声を出した後、「糸!」と恥ずかしそうに怒ってきた。自分が過剰にリアクションしちゃったことが恥ずかしかったのかな。だってあったかそうだったんだもん、なんて言い訳をしてみる。
「糸の手ってすごい冷たいんだからやめてよ」
「知ってる? 心があったかい人は手が冷たいんだって」
「なにそれ。初めて聞いた」
「だからあたしの手はこんなにも冷たいんだよ〜」
 私とは対照的に、友子の手はいつもあたたかい。手だけじゃなくて、体全体が。夏でも冬でも関係なくぽかぽかで、まるで人間湯たんぽみたいだ。そんな魅力的な体質なんだから、冬場になると友子に引っ付きたくなるのはしょうがないことだ。うん、しょうがない。私はでたらめを並べながら、暖を得るためのもっともな理由を探している。
 賑やかな教室の中にチャイムの音が響き渡った。窓側のクラスメイトは我が先にと窓を閉め、とたとたと忙しなく着席していく。私も友子にばいばーいと手を振って別れ、それぞれの席へつく。冷たい空気が入り込まなくなった教室で、早く学校終わってくれないかなぁ、とぼんやり考えた。

 ◇

「ねーねー、寒いから走って帰ろ!」
「えー。別にあたしはいいけど、糸はすぐバテちゃうじゃん」
「疲れたら歩いて帰る。置いてかないでね?」
「はいはい。どれくらい保つかなぁ」
 子供っぽいピンク色のランドセルを背負い、さようならをしたばかりの教室で真っ先に友子の元へと駆け寄った。友子のは真っ赤なランドセル。はっきりとした色が友子の顔によく似合う。私のピンク色の相棒は、小さい頃にどうしても欲しくって母に泣き落としして買ってもらったやつ。当時の私にとっては最高に可愛かったけど、六年生になった私にはデザインや装飾が子供っぽく感じてちょっと恥ずかしい。友子のランドセルみたいに、無駄なものが何もないシンプルなデザインに惹かれるお年頃である。
 教室の扉をくぐり、人がわんさかいる廊下へと踏み出す。友子の隣から離れないように歩くペースを緩めると、背後で聞きなれない音がした。
「あ」
 チャリン、とかわいい鈴の音とともに地面に何かが落ちた。反射的に後ろを振り返ると、そこには可愛らしいお洋服を着たくまのキーホルダーがポツンと横たわっていた。
「あたしのだ。どうしよう、チェーン取れちゃったのかな」
 スカートのフリルが特徴的なそれは、私が以前友子にあげたやつだ。夏休みに家族旅行に行ったとき、高速道路の売店で思わず心を奪われたやつ。「熊谷」という名字によく似合う、可愛いくまのキーホルダー。そういえばずっと付けてくれてたんだよね。あげたのは確か二年くらい前だったかな。さすがに少し黒ずんでいるけれど、大切にしてくれてるのをみると嬉しくなる。
「これ、熊谷の?」
 チェーンもこの辺に落ちてないかな、なんて眺めていたら、どこかから唐突に男の子の声がした。声がした方を向くと、クラスの中でも騒がしい部類に入る男がすぐ側に立っている。そいつはキーホルダーを遠慮なく拾った後、友子の目の前に差し出す。友子は戸惑いながらありがとうなんて返したけど、私はそいつの表情がなんだか気に入らなかった。面白いものを目にした時のような、人間の残酷さが目の奥に現れていたから。
「へえ、熊谷ってこういうフリフリ系好きなんだ。なんかすげー意外かも」
 冷たい廊下の冷気が私たちの首元を掠めていった。この男が吐く毒が目に映ってしまうくらいに、確かに悪意を孕んだ言葉だとわかった。私はその場で固まる。男の歪んだ口元に吐き気を覚えた。
「……拾ってくれてありがとね」
 そう言って友子がキーホルダーを受け取った後も、気持ち悪い目つきはずっと続いている。品定めをするようなそれは、見られている側の価値まで下げてしまいそうだ。お前が勝手に友子を品定めするな。怒りが湧き上がってきて止められない。
 最後に男がにやりと口角を上げた途端、私は我慢できずに飛び出していた。
「……っ死ね!」
「は、いってぇ……」
「糸‼︎」
 衝動のまま目の前の男を突き飛ばす。おもいっきり肩を押してやれば、バランスを崩した男はその場で尻餅をついた。
「ねえ、今友子のこと馬鹿にしたでしょ! 聞いてんの⁉︎」
「は⁉︎ してねーよそんなの‼︎ てか急になんだよ‼︎」
「糸……! 待ってよ、あたしは大丈夫だから……」
「大丈夫じゃない!」
「おい加藤、いきなり何すんだよ!」
「あんたが悪いんじゃん!」
「ちょっとやめて! あーもう、二人とも落ち着いてってば!」
 頭の中がカッカと煮え切る中、すごく大きな声が私たちの間に割り込んでくる。一瞬動きが怯み、まるで冷水を浴びさせられたように頭の中がクリアになった。殴りかかろうとした拳を静かに下すと、男は「クソ」なんて負け犬みたいな台詞だけ残してどこかに逃げていく。追いかける気持ちもなくなるくらい、友子の大声は衝撃的だった。
 温厚な友子が声を荒げるところなんて久しぶりに見た。いつの間にか人気がなくなった廊下で、静かに友子の方へ振り向く。すると彼女は困った顔をして、私に「ごめんね」とだけ呟いた。なんで友子が謝るの、と言おうとしたのに、私は言えなくなった。だんだん目の前がぼやけてしまったから。
 間違ったことをしたつもりはないけれど、心の奥に何かがつっかえたように苦しくなった。

 ◇

 その後、職員室でコッテリお話、もといご指導された後、走って帰る気力なんて無くなった私たちはとぼとぼ川沿いを歩いていった。ご指導といってももちろん一方的に怒られたわけじゃない。ちゃんと喧嘩になった理由も話したし、先生も分かってくれた。暴力で解決しようとしたことについてはきちんと指導されたけど。
 日が短くなったせいか、空にはオレンジ色が見え隠れし始めていた。もうすぐ十七時のメロディチャイムが鳴ってしまう。でも、まだ家には帰りたくないなぁ。
「……糸、ごめんね。痛かったでしょ」
 ぼうっと空を眺めていたら、ずっと喋らないままだった友子がようやく口を開いた。両手でランドセルの肩紐を強く握り、下を向いたまま動かない。友子の体は夕日に照らされ、足元から伸びた影は原っぱの草木のところまで伸びていた。
「……あたしこそごめん。悪い注目集めちゃったね」
「糸は悪くないよ。あたしを守ってくれたんだから」
 本当に友子を守れてたなら、今こんなに落ち込んだ表情してるわけないもん。小さく唇を噛み締めて、また戻す。赤蜻蛉が二匹、私たちのことを仲良く追い抜いていく。
「……あー、友子まで変なこと言われたらどうしよう……」
「そんなの言う人いないから。みんな、糸の勇敢さをすごいって思ってるに決まってる」
「そんなことないよ。あーあ、明日から乱暴女って呼ばれる未来が見える……」
「……ふふ、珍しく糸がネガティブだ」
 私はただ悔しくてたまらなかった。友子の顔を晴らしてあげられなかったことも、あの男に暴力以外の力で対抗できなかったことも。
 どうして好きなものを身につけてるだけなのに「可笑しい」なんてからかう人がいるんだろう。「その人らしさ」を想像だけで勝手に決めつける人がいるんだろう。
 友子は良くも悪くも周りが見えてしまうから、そういうの全部解っちゃってて、その上で、場の空気を崩さないようにやり過ごしてしまう。そんな優しい友子が好き。その優しさを見下して傷つける人間が私は誰よりも嫌い。友子のこと傷つける人はみんなバチがあたればいい、とまで思う。
「……川沿いなんて久しぶりに来たけどさ。意外とあるんだね、白詰草」
 友子が優しく呟いた。そう言われて初めて、地面に白詰草が敷き詰められていることに気づく。存在に気づかずに何個かは踏み潰していたかもしれない。
「……白詰草って春のイメージあるけど」
「ね。まだ咲いてるんだね。ちょっと萎びてるけど」
 確かに友子の言うとおり、白詰草の花はくたりと元気をなくしていた。私はなるべく長いものを選んで、根元の方から手でちぎっていく。
「ちょっと、そんなに抜いてどうするの。持って帰るの?」
「白詰草といえば決まってるじゃん。花冠作るんだよ」
「え。糸作れるの?」
「らくしょー」
 一年生だか二年生だか覚えてないが、生活科の授業で公園に行った時、白詰草の冠が作れた私は一躍クラスの人気者になったことがある。みんなで地面に咲いた白詰草を一通り抜き取って、「こうやって巻くと上手くできるよ」なんてアドバイスして回ったのを覚えてる。
 一本の白詰草にもうひとつ、くるりと巻きつけるように結ぶ。もうひとつ、もうひとつと編んでいくと、あんなにも慎ましかった白詰草がだんだん繋がっていった。友子が集めてきてくれた花をどんどん使うと、あっという間に頭を一周できるくらいの長さになった。両端を合わせて茎で結び、飛び出た花を微調整する。えー、すごい! なんて感嘆の声を漏らす幼馴染の目を見つめ、手のひらにある花冠を彼女の頭の上に乗せてみた。うん、真っ黒な髪の上に白い冠がとても映えて、まるでお姫様のようだ。
「よし。やっぱり似合う」
 目の前で戸惑う幼馴染を見ながらそう言うと、彼女は頬を赤らめながら両腕をぶんぶん振り、めくらましのような動作をする。
「なんであたし⁈ こういうのは糸の方が似合うってば!」
「なんで。友子がつけてよ! あたしは友子にあげるために作ったんだもん!」
「やだよ! こんなの恥ずかしいってば!」
 いつまでも抵抗しようとする彼女を横目に、辺りには十七時を告げるメロディチャイムが鳴り始めた。幼い頃から毎日聴いているメロディが、まるで友子と私の間を繋ぐように響きわたる。
 癖毛の黒髪に乗っかった白詰草の冠に時折目をやりながらも、いつまでも唇を尖らせて恥ずかしがる彼女のことを、私はずっと眺めていた。落ち込んだ心は、いつの間にか晴れていた。

Lost stars