7 波ははじめ風だった
ハロウィンが終わって、コンビニやスーパーでもクリスマスソングが流れるようになった今日この頃。部活でも新人戦が終わり、練習もスタミナ系中心のメニューが増えてきた。日が落ちるのが随分と早くなったけれど、私たちは屋内で練習しているので外の明るさなんて関係ない。野球部やソフト部が早々にボール練習を切り上げてベースランニングをやっている間、体育館ではいつも通りの練習が続く。顧問の怒号が飛び交う中ひたすらボールを追い求めるのは、体はヘロヘロになってでも確かに充実した毎日と言えた。
練習中は半袖を着ていても、朝や夕方は凍える寒さになってきた。ブレザーの上にコートを重ね着する女子生徒は多いが、みんなもこもこでまるで雪だるまみたいだ。膝丈のスカートも相まってなかなかかわいいシルエットだと思う。その中でも加藤糸は比較的見つけやすい。彼女はコートだけでなく、耳当て、マフラー、しまいにレッグウォーマーまで装着して完全防備である。耳当ては登校中危険だと何度か教師に指導されたそうだが糸はそれを守らず、学校に近づいた時だけちゃっかり外している。キャメル色のコート以外の小物は全部白色で囲まれていて、まるで雪の妖精みたい。妖精なんて可愛い存在ではないけど、黙ってれば妖精でも通じるかも。
そんな糸が、今日ばかりは様子が全然違っていた。練習のせいでヘトヘトの体のまま帰宅し、お風呂であったまった後すぐ寝ようとしていたのに、ピンポンとこんな時間にインターホンが鳴ったのだ。弟が「糸ちゃん来たよ」って呼んできたから玄関先に向かったけど、なんと扉の先にいた彼女の目は赤く腫れていて。それを見て一気に眠気が吹き飛んでしまう。
「え、どうしたのその顔」
「…………わかれた」
「え?」
「面白くないって言ったら急に怒ってきて、それで、それで……」
「えっ、ちょっと待ってちょっと待って、ストップ。とりあえず落ち着いてから話聞くから……」
私の顔を見るやいなや、糸はさらに泣き始めてしまう。そんな幼馴染を目の前にして、私もどうやって励ませばいいのか全然分からない。ていうか、別れたって何? 私は糸に好きな人ができたことも、ましてや彼氏ができたことも知らなかったんだけど。情報量が多すぎて、部活終わりの頭の中では全然処理できない。
「えっと……。とりあえず中入ろ? 寒いでしょ?」
「ううん。外がいい。おばさんの顔見たらもっと泣いちゃう」
そう言って糸は手首の裏側で目をゴシゴシと擦る。そんなにやったら赤くなっちゃうに決まってるのに、糸はそんなこと気にしないままゴシゴシと擦る。
夜風が裸の足元にすうっとしみていく。血流がよくなった足もきゅっと縮こまり、クロックスで玄関まで出てきたことにひとり後悔した。真っ赤になった耳をそのままにして、糸は目をうるうる潤ませていた。
「……あのね。ちょうど一週間前に彼氏ができたんだ」
「そ、そうだったんだ……」
「うん。隣の中学の人でネットで知り合ったんだけど、その人も学校行くのだるい〜って言ってたから気が合って」
「へえ……」
「それで、ちゃんと私浮かれてて。初めて付き合おうって言われて嬉しかったし、ずっとメールが気になったし、夜は毎日電話したし。それがすごく楽しかったの」
「うん」
「でもなんかね、なんか急に気持ち悪くなっちゃって。理由が何なのか全然分かんないけど、その人の行動ひとつひとつが許せなくなって……」
「そ、そうなの……」
「いちいち自慢ばっかしてくるからさぁ、それ面白くないよって言ったらすっごい詰め寄られて。ほんと怖かった……」
時折苛立ちと怯えが混ざったような顔をしながら、糸は今まであった事すべて説明してくれた。糸が泣いた理由はきっと、別れが苦しかったんじゃなくて怒られたことが怖かったんだ。ていうか、一週間前に付き合いはじめてコレってホント急展開だったんだな。糸が誰かと付き合うなんて、そんなこと考えたことなかったから何だか変な感じがした。糸は目がぱっちりしていて女の子らしいし、最初こそ愛想なしだけど仲良くなるとすごくかわいい顔するから、きっと作ろうと思えばすぐにでも次の彼氏ができるだろう。
付き合うとか別れるとか、私には遥か遠くにある出来事を彼女はちゃっちゃと体験してしまう。きっとこれからもそうなのかもしれない。でも、こうして私の側で半ベソをかく幼馴染の顔は昔とまったく変わっていない。
「せっかく来月はクリスマスだったのに。もうやだ、ひまになっちゃった」
拗ねたような、それでいてぶうたれたような声を出しながら、真っ赤っかの目元をいとわずひとりごとのように呟く。確かに世間はどんどんとクリスマスムードになっている。
「……あたしと遊べば?」
「え?」
「クリスマスは昼まで部活だけど、それ以降は空いてるよ。せっかくだから夜もうちで食べない? おばさんも誘ってさ。人数多い方が楽しいだろうし」
それに、昔はよくクリスマスパーティーしてたじゃん。続けてそう言おうとしたけど、これは間一髪のところで飲み込んだ。昔とは違うなんて言われちゃったらそこでおしまいだし。現に、糸はどんどん大人になっていく。私の知らない糸もこれから増えていくんだと、自然とそんな気がして仕方ない。
「……友子はいいの? クリスマスなんて特別な日に」
「もちろん。むしろ糸と遊べるなんて楽しみだよ」
「……ゆーこだいすき」
「いまさら何」
クリスマスくらいで大袈裟だよ、なんて笑い返してみたけど、私も結構浮かれているかもしれない。糸とちゃんとした遊びの約束をするのは久々だし。中学に上がってからもたまに近場をぐるりと散歩したりしてたけど、ちゃんとした遊びの約束はあんまりしてなかった。私も部活ばっかりになってしまっているし、糸はいつの間にかふらりと出かけているし。
小学生の時は、毎日のようにお互いの家を行き来してたな、なんて懐かしくなる。糸の家に行けば決まってゲームだったり、少女漫画ばっかり読んでたりしたなぁ。あの時一緒に読んだ漫画はまだ連載してるんだろうか。主人公は一体どっちの男の子を選んだのか、また糸と話をすればいい。傷心中の今はやめておくけど、隣同士に住んでるおかげでいつだって話ができるのだから。
とりあえず、予約してあったケーキを一号サイズアップできるか母に聞かなきゃなぁと思いながら、いつまでもうさぎみたいな目をする糸の頭をぽんぽんと撫でた。香水みたいなシャンプーのいい香りがした。