バレンタインと三輪くん(出水視点)
2月14日、俗にいうバレンタインデー。ショッピングモールにはピンク色の装飾が並び、テレビではデパートの催事場の様子が絶えず画面に映し出される。ソワソワと浮き足立ってしまうのは女だけでなく、男も同様な訳で。男子高校生にとってもバレンタインデーというのは特別な一日である。
おれ、出水公平もまた例外ではない。朝起きてから今の今まで、バレンタインデーということを意識せずにはいられなかった。朝のニュースではバレンタインデーのうんちくが取り上げられるし、校門をくぐって下駄箱にたどり着くまでの間もずっとソワソワしっぱなしだった。もしも差出人不明のチョコが入っていたら......なんてたらればを考えながら、なぜか早足で歩いていたりもした。
まあ、キャラ的にも義理チョコは貰いやすいタイプなので、クラスメイトから市販チョコをたんまりとプレゼントされたし、されるたびにやっぱり嬉しかった。でもやっぱり欲を言うと、本命チョコがあったりしねえかな、なんて思っちまうよね。
そんな下心を携えて校内を無駄にウロウロしまくっていたらなんと、なんと気になっていた相手から声をかけられた! 軽いテンションでラッピングされた袋を手渡され、それじゃあ、と言って逃げてしまった。手渡されたチョコにどんな気持ちが込められているのか分からないけど、手作りだというのでそれだけで万々歳だ。ありがとうバレンタイン。
そうして今日一日のノルマが達成され、このまま直帰して余韻に浸りたいと感動していた最中、タイミング悪く槍バカが声をかけてきた。そこでようやく気がついたけど、そういえば今日は防衛任務のシフトが入ってるんだった。バレンタインデーという行事に気を取られてすっかり忘れていた。仕方がないので、余韻に浸るのは防衛任務が終わってからにしよう。そう思いつつ、シフトが被ってた米屋と一緒に本部へ行き、少し早めの夕食をとることとした。
食堂はいつも通り人で溢れかえっていた。バレンタインだろうといつもと変わらない光景だ。すでに埋まっているボックス席の方へ目をやる。あそこに座ってる奴らは誰かからチョコ貰ったんかな。実はおれ、気になる子から貰ったんだぜ。そうやって誰かに自慢したくて仕方がない気分になってくる。これ以上ニタニタ笑ってると米屋にバレそうだから、なるべく口角が上がらないように意識する。やべえ、隠しきれないかもしれない。
食券機の近くへ向かう途中、よく見知った頭のふたり組が座っているのを見かける。黒いまんまると茶色いまんまる。見覚えのあるシルエットはきっと三輪と奈良坂のものだ。ふたりで食べているのなんて珍しい。いつもはあそこに米屋がいるはずだし。横の奴もふたりの存在に気づいたらしく、受け取り口から出てきたお盆を手に持った後、足が向かうのはあいつらの方向だ。
「よっ」
「……出水と陽介か」
秀次はうどん、奈良坂はハンバーグ定食を食べていた。向かい合わせに座るふたりの隣に腰掛け、四人でひとつのテーブルを囲む。オレが選んだのはアツアツのカツ丼。ここのやつは安い割に味が染みていて結構うまい。
隣でハンバーグを切り分けている奈良坂に目をみやる。すでにトリオン体に換装しているようで、いつもの制服姿ではない。ということは、荷物も全部隊室に置いてきているのか。
「奈良坂ぁ〜、チョコ何個もらった?」
どうしてもチョコの話がしたくなり、うってつけである奈良坂に話を振った。こいつのお手本のような顔面は男からしても見惚れるほどのもので、好物がチョコ菓子という点からもそりゃあ大層チョコを貰ったことだろう。
「たくさんだ」
「せめて数えろよモテ男……」
奈良坂は間髪入れずにそう答える。まるで聞かれすぎてうんざりしているような反応だ。さっすが次元がちげえなあ。そう思いながらカツ丼の主役へ箸を伸ばす。奈良坂の返しに槍バカもニタニタ笑っている中、三輪だけは手を止めずにしかめっ面でうどんを啜り続けていた。バレンタインチョコの話題に食いつかないなんて、男子高校生の中でもそうそういない部類だぞ。まあ、こいつは毎年本命が確定してるしな。それが羨ましくないと言ったら嘘になる。
「三輪は今年どんなのもらった? 蛇石のチョコって毎年手が込んでるよな〜」
「……もらってない」
「は?」
「だから、もらっていない」
もらっていない。その七文字の言葉がうまく頭の中で認識できず、壊れたパソコンのように一瞬フリーズしてしまった。蛇石が、三輪にチョコをあげていない。予想外の返答に返す言葉がみつからない。周りも少なからず衝撃を受けたようで、奈良坂は怪訝な顔で眉に皺を寄せており、米屋は予想外という表情をしながら唐揚げにかぶりついている。ちゃっかり食欲を満たすあたりが槍バカらしい。
三輪の返答を聞き、思わず眉間に皺が寄る。まさかあの蛇石がバレンタインデーを忘れるはずはないだろう。きっと何日も前から構想を練っていて、前日は夜な夜なお菓子作りに励んでいたはずだ。今までのバレンタインだってずっとそうだったし。
待て待て、まだ深刻に考えるな、と頭の中のもうひとりのおれが口を挟む。そうだ、単純にまだ蛇石と会えていないだけかもしれない。学校もボーダーの仕事のあるふたりは、会う時間が限られてしまっているだろう。そう頭の中で考えながらも、少し落ち込んだ様子にも見えるあいつのことを見ていると、ひとつの可能性を拭いきれなくなる。
「あー、この後会う約束でもしてんの?」
「いや、約束はもう終わった」
「そ……」
返す言葉が見当たらない。いや、会う約束までしといて渡さなかったんかーい。心の中であやうくノリ突っ込みをしたが、全然面白い空気になってくれやしない。地獄のような空気の重さである。
約束していたにも関わらず渡さなかったなんて、よっぽどの理由がない限りはあり得ないことだろう。となると、やはり先ほど予感していたひとつの可能性である、「三輪が蛇石の機嫌を損ねさせた」という説が浮上してくる。
「ケンカか?」
どう切り込んで良いのかと思いあぐねていると、何ともないような軽い口調で米屋がそう尋ねた。おいおいとは思ったけど、今の状況にはそれくらいの軽さが必要なのかもしれない。ファインプレー槍バカ。
「……喧嘩かは分からないが」
無言でうどんをちゅるちゅる啜っていた三輪が口を開く。小さい口がまるで女子みたいだ。
「クラスメイトに貰ったポッキーを見た瞬間、急に不機嫌になって帰った」
「ポッキー?」
三輪の言葉を聞いた後、全員の頭の上にハテナマークが浮かんだ。そんな、ポッキーごときで一体どうしたというのか。頭の中にいる蛇石像に想像を巡らせ考える。
「容器にメッセージが書かれていたんだが……。それを見た蛇石が、『わざわざメッセージを書くなんて、そんなの義理チョコな訳ない』と怒った」
「あー、なんかその光景想像つくわ」
「……別にメッセージ入りでも義理の分類だよな?」
そう言った三輪の声は、最初こそハキハキ話していたものの、だんだんと尻すぼみな声になっていき、最後には今にも消えてしまいそうなものへと変化した。自分の言っていることに自信がないんだろう。周りに肯定して欲しいという思いがミエミエだ。
「まー弾バカならともかく、秀次にメッセージ付きのチョコ渡してくるのはなんかガチっぽい気もするな」
「おいそれはどーいう意味だ」
「確かに。蛇石の目を掻い潜ってきた感じもするな」
槍バカがクソ失礼なことを口走り、その後奈良坂が冷静に分析する。確かに、オレも二人の意見には賛成である。
オレは、昔から蛇石が徹底してチョコ対策をしていたのをよく知っている。三輪がこのことを知ってるのかは分からないが、バレンタインの日だけ蛇石が登校するのはものすごく早いし、朝から下駄箱周りをウロウロと周回、もとい威圧している姿はたびたび目撃している。それに、三輪だって蛇石以外からの手作りチョコは全部断っているはずだった。それなのに、ノーマークだった「義理と見せかけたメッセージ入りチョコ」の存在に惑わされ、現在の蛇石は怒り心頭という訳だ。
これで大体の状況は読み込めた。しかし、本当にくだらないことで喧嘩してるなと、第三者である自分は思ってしまう。普段の二人の様子を見ていれば、三輪が蛇石以外に特別な気持ちを持つ訳がないというのに。
「……どうすればいい」
二人の話を聞いているうちにカツ丼が冷めてしまい、これはまずいと慌てて食べ始めたタイミングで三輪が口を開いた。普段は人に頼らない隊長が、今回ばかりはどうすればいいのか助けを求める顔をしている。どうすればいいなんてそんなの、三輪から一言「好きだ」って言えば済む話だと思っちゃうけど。
「三輪、蛇石のチョコだけが特別ということを言葉にして伝えたのか」
「なっ……。そんなこと、別に伝えなくても分かるだろ」
ご飯を飲み込もうと咀嚼している最中、隣の奈良坂がそう言った。奈良坂も、小言は多いがなんだかんだ優しい奴だ。
「あいつはそれを言葉にして欲しいんだろう。面倒くさくてたまらないと思うが、三輪もあいつが好きなら付き合ってやれ」
奈良坂の言葉に三輪はぐっと押し黙る。奈良坂の言う通りだとオレもうんうん頷く。今日中に蛇石の機嫌を取って、さっさといつもの二人に戻っちまえよ。
「……さすがモテる男のアドバイスは違えな〜」
「茶化すな」
まったく、あいつのどこがいいんだか。奈良坂は呆れた顔をしてそう言った。それに対して三輪は何も言わなかったし、そもそも本気で捉えていない様子だった。きっと奈良坂だって本心では言っていないだろう。
「……電話してくる」
「会いにいかねーの?」
「夕方から防衛任務があるだろ!」
「ハハ、クソ真面目」
すでに食べおわった食器を両手に、三輪が静かに立ち上がった。槍バカからの野次を受けながら三輪は律儀に返事をする。いってらー、なんて手を振って、今から彼女様のご機嫌を取りに行くA級隊長様の姿を見送る。
まったく、蛇石も毎年毎年忙しいことだ。ずっと同じ熱量で相手を思っていられるなんて、そこは純粋に尊敬してしまう。それに答えようとする三輪も同様だ。毎回飽きずに喧嘩をして、毎回飽きずに仲直りをしている。喧嘩するほど仲が良いとは言うけど、あいつらのそれも当てはまんのかな。
まあおれは、二人が幸せそうならそれでいーんじゃないって思うけどな。毎回あいつらの話を聞くのはうんざりだけど、三輪が意外とかわいい一面を見せてくるからけっこう楽しくもある。
「あ、ここでおれの話いい? 実はおれ今日さ〜」
「その話長くなるか? 食後のアイスを食べたいんだが」
「ちょっとくらい話聞けよ!」
「ハハッ、オレもアイス〜」
おれの話を適当に受け流しながら、三輪隊のふたりがグルみたいに席を立ち上がる。あーあ、あいつらの話をしていたらおれの話をしそびれてしまったじゃないか。三輪コノヤロウ、どうせうまく行くんだろ! あいつが帰ってきたらおれの話もたんまり聞かせてやる。三輪は多分「そうか、良かったな」くらいしか言わないだろうけど。それでもいいから絶対話してやる。
まったく、バレンタインに防衛任務なんてどうかしてるよ。そう思いながらも、残った三人でアイスの自動販売機までぞろぞろと足を進める。アイス賭けてじゃん勝ちしようぜ。そう笑う槍バカと、勝つ気満々の奈良坂。まあ、たまーにならこういうバレンタインのシメもいいかもな、なんてことを心の隅の方で思った。