木枯らしがなく季節に、赤いマフラーの男の子と二人肩を並べて歩く。マフラーに手袋という完全防備にも関わらず、肩をすくめながら縮こまっている三輪君は、どうやら冬の寒さにてんで弱いようだ。私も大概弱いと思うけど、自分よりも寒がりな人間なんて生まれて初めて見たかもしれない。
「……どこ行くんだ」
「ナイショ。ていうかここまで来れば分かるんじゃない?」
「全く分からない」
「うそお」
最寄駅から二つ進んだところで下車し、ぷらぷらとコンクリートを踏んで歩く。この駅に降りた時点で大方察しはつくのではないかと思ったけれど、三輪君はそこのところは疎いらしい。
ちゃんとしたデートは、多分今回が初めて。そんな記念すべきデートの前に、私はメールで「明日は動きやすい格好で」と伝えていた。だから、今日の三輪君はいつもよりカジュアルな格好をしている。学校のジャージを着てきたらどうしようかと思ったけれど、今日の三輪君は薄手のシンプルなトレーナーにメッシュ地のパーカー、下は動きやすそうな黒いズボンを履いている。ちゃんとデート向きの服装だ。ひょっとしておばさんが見立ててくれたのだろうか。
「あ、ほら、見えてきたよ」
「……?」
私が指差した方向を、三輪君は目で追いかけてくれた。視線の先には、なんの変哲もない住宅街に突如現れた、真っ白いボウリングのピン。奇妙なオブジェは街の景観には合っておらず、かなり浮いているみたいだ。ここが今日の目的地である、屋内外でスポーツを楽しめる人気のレジャー施設だ。私たちが通う一中の学区からは少し遠いけれど、スポッチャができるところは三門でここにしか無いので、たまに同級生に出くわすこともある。
三輪君は「ああ」と薄い反応をした後、特段嬉しがることも嫌がることもしなかった。あまりこういうところは好きじゃなかったかな、と少し気後れしたけど、心なしか彼の足取りがそわそわしているようにも見える。私の勘違いじゃなければ、三輪君も少しうきうきしているみたいだ。
「……スポッチャは初めてだ」
「え、初めてって本当? 今まで一緒に行く友達いなかったの?」
彼の切長の瞳から目の輝きが薄まり、たちまち顰めっ面に変わっていく。あ、しまった。浮かれたように話す三輪君が可愛くって、ついいつもの癖で揶揄ってしまった。三輪君の表情を見て自分の発した言葉を思い返す。今のはちょっと失礼だったかもしれない。
「そんなことはない。ただここに来たことなかっただけだ」
「ごめんごめん。そんな怒らないで?」
「怒ってなんかない」
特段怒る訳でもなく、意地を張ってる時みたいないつもの顔をして三輪君はそう言った。まるで、子どもが不貞腐れながら言い訳をしている様にも見えた。
今回は私が悪いからなんとも言えないけれど、今の三輪君は子どもっぽくて可愛いなあ。三輪君は意外と友達のこととか気にするのかな。だって、いつも歩幅を合わせてくれている彼が、少しだけ足を早めて歩こうとしているんだもの。
それでも、しばらくすればまたいつもの歩幅に戻っている。時々、私が離れてないかさりげなく確認する目線も、全てがとてつもなく愛おしい。
「さあ、テニスにバトミントンにバスケ。なんでもできるよ。何からやる?」
あちらこちらで色々な音が響き、建物内は見た目以上に騒がしかった。赤と白の看板が至る所に設置され、店内全てがガシャガシャと賑やかだ。たとえ耳栓をしていたとしても、視覚に入ってくる情報だけでうるさく感じるほど要所要所の主張が強い。エレベーターを上がった先の受付で諸々済ませ、ロッカールームに荷物を集めて集合する。人混みの中、三輪君の丸い頭が左右に揺れ動いている。さあ、一番最初に三輪君に選ばれる記念すべき第一種目はなんだろう。これに違いない! という予想はなかなかできないなぁ。
常日頃から、男子の体育の授業をこっそり盗み見ているけど、三輪君は結構運動神経がいい方だ。ボーダーでも、トリオン体とはいえいい反射神経しているし、男の子だからパワーやスタミナも十分だろう。私が本気で向かっていっても負けちゃうかもしれない。
「蛇石は何が得意だ?」
「私? 私は球技全般! だから三輪君がやりたいのに合わせるよ」
「俺は……」
そう言って三輪君は辺りをきょろきょろと見渡す。少年と青年の狭間のような顔をした彼は、まるで目に入るもの全てに気を取られるような子どもの顔をしている。さあ、三輪君が選ぶのはどれだろう。私の第一予想は、まあ無難にバトミントンとかかな。
引き続き観察していると、三輪君の目線がある一点の場所で固まっていた。視線を寄せたまま止まる三輪君の肩を叩き、そっちに行ってみようか、と声をかける。フリータイムとはいえ、時間は有限だ。三輪君と共有するスポッチャの時間を思う存分楽しむため、一分一秒も惜しめない。
「初手卓球なんて渋いねえ」
三輪君が釘付けになっていたのは卓球コーナーだった。屋外コーナーに続く通路の一角に、何台か卓球台が並んでいる。あまり人がおらず、待ち時間なしにすぐ開始することができた。
「ウォーミングアップだ」
「わっ!」
オレンジ色のピンポン球は、風を切りながら目の前を足速に通り過ぎていった。まだ運動モードに入っていない私の体ではとても追いつけず、あっという間に一点を失う。いきなりスマッシュなんて大人気ない! そう文句をつけてやると、ネットの向こうの三輪君は子どもみたいににやりと笑った。まるで、してやったぞとでも言わんばかりの顔だ。ひょっとしたら、行きに「友達がいない」なんて言ったことを根に持っているかもしれない。ちょっと言いすぎたかなと思うけど、さほど罪悪感も浮かんでこなかった。それでも一応、心の中で三輪君にごめんねと謝っておく。
それにしても、私に対して全く手加減してこない三輪君は、ちゃんと対等にみてくれているようにも思えるから、つい自然と口角が上がってしまうな。
その後も三輪君の猛攻は続いた。初手から卓球かぁと思ったけれど、三輪君は想像以上にちゃんと上手だった。もしも運動部に入らなきゃいけないことになったら、三輪君は卓球部なんて向いてるんじゃないかな。
「さあ、私も本気出しちゃうからね」
「のぞむ所だ」
カン、コンと音を立てて、白いボールは私たちの間を行ったり来たりする。三輪君から遠い方の角を目掛けてスマッシュしているつもりだけれど、三輪君は取りこぼさずに丁寧に拾っていく。カン、コン。カン、コン。軽い音とは裏腹に、じわりと汗が出てくるくらい激しい運動量だ。もっとゆるーい感じでやるかと思ったけど、意外と三輪君は本気だった。一歩も引けない試合が楽しくて、こっちに飛んでくるボール一つたりとも取りこぼしたくない。
「うわー! 負けた!」
白熱したラリーの末、12−14で三輪君に白星が下った。何度か同点に持ち込んだけれど、三輪君の鋭いボールをなかなか処理しきれずにこぼしてしまった。
「なかなか手強かったな」
「あーあ、三輪君は彼女様に対して手加減の一つもしないんですねぇ」
「手加減されるのは嫌いだろ?」
「それはそうだけど……」
悔しさのあまりちくりと嫌味を言ってみたけど、三輪君の正論に負かされて言い淀んでしまった。手加減されたらされたで、「どうして手を抜くの」とムカついてしまうことは目に見えている。そんな私のことをよくわかった上での本気だと思うけれど、それでも小言が言いたくなってしまう天邪鬼な私を許してね。
「次は蛇石のやりたいものをやろう」
「はーい。何にしようかなぁ」
私を負かせてきた三輪君の右手を取り、陽が差し込む屋外コートへずんずん進む。緑色の人工芝の上では、学生グループらしき集団が思い思いに楽しんでいるのがよく見える。バトミントン、フットサル、ハンドボールなどなど。どれもやりたいくらいだけど、奥のフェンス側にある誰もいないスペースに目が移る。
「じゃあ、キャッチボールがいいな」
「キャッチボール」
「何よオウム返しして」
「いや。もっと激しいのでもやりたいのかと思ってたから」
「へえ。三輪君は激しいことがしたいの?」
「俺がやりたいというわけじゃない。ていうかその言い方やめろ」
もう、先に言ってきたのは三輪君のくせに。そんなからかいの言葉に彼は反応を返さず、貸し出し用のグローブの大きさを確かめるふりをしている。「激しいこと」から連想される何かを、三輪君は頭の中から必死に消そうとしているようだけど、意識してるのは顔からもうバレバレだ。そんなむっつりすけべ君をいじるのは可哀想なので、そろそろこの辺でやめてあげようかな。
「ねえ、どのグローブがおすすめ?」
「そうだな、これとかどうだ」
そうやって差し出されたグローブを受け取り、左手にはめて感触を確かめる。いろんな人に使われているであろうそれは、力を加えれば簡単にぐにゃりと曲がるくらい柔らかい。いろんな人の汗が染み込んでそうで嫌だけど、この施設に来ている以上文句は言えまい。
ちょうど手のひらに収まるボールを握り、軽く腕を回す。最近授業でソフトボールをやっていたし、感覚はそんなに鈍ってないはず。目の前で構えるグローブへと視線を合わせ、肩甲骨を意識して大きく腕を振る。するとボールは思った通りの軌道を描き、三輪君の元へとまっすぐ飛んでいく。
「ナイスボール」
「はは、ありがと」
十数メートルほど開いた三輪君との距離に、小さなボールだけが行き来する。投げて、捕る。ただシンプルな動きを繰り返していると、三輪君に話したい言葉がたくさん浮かんでくる。隣同士で並んでいる時だって言葉はたくさん溢れてくるけれど、その時よりも身体中がウズウズと忙しいのだ。
「ねえねえ。三輪君はさ、もし部活に入れって言われたら何部に入る?」
「急になんだ」
「もしもの話だよ、もしも。さっき卓球やってる時にさ、三輪君が卓球部だったらそこそこ無双してそうだなって思ったから」
「まあ、卓球は得意な方だけど」
三輪君の投げたボールは、いつも決まって私の胸のあたりに飛んでくる。緩めのカーブを描いて、私が取りやすい球速で投げてくれる。だから私のグローブはそれほどいい音がしないけれど、そんな中途半端な音も愛おしさの塊だったりする。
「それで? 何部に入りたい?」
一中で活動している部活は、確かバスケとサッカー、野球、卓球、あとその他もろもろって感じだった気がする。入学したての頃は近界民とは無縁の世界だったから、三輪君も体験入部とかは行ったはずだ。私は最初から生徒会に力を入れるつもりだったので、部活は眼中になかったな。
「……何だろうな。陸上とかかな」
「あー! 似合いそう!」
控えめな声で返事をした三輪君と裏腹に、私の高い声はいつもよりよく響いた。さっきまで微塵も思い付かなかったけれど、言われた瞬間、三輪君には陸上という言葉がぴったりだと感じた。同時に、試合用のユニフォームに身を包む三輪君の姿が頭の中に浮かぶ。まん丸い黒髪はそのままで、体にフィットしたタンクトップに、短距離用のハーフパンツを身に纏った姿。スターティングブロックに足をかけ、前傾姿勢でレース開始を待つ三輪君。いつもの学ラン姿の三輪君や隊服姿の三輪君も、私にとってはどれもかっこいいけれど、陸上部の三輪君は私以外の誰から見てもずば抜けてかっこよく見えるだろう。三輪君の鋭い眼光が、ゴールテープを真っ直ぐ見据える姿。それを想像するだけでも胸がざわざわしてくる。
「……もし陸上部に入ったとしても、試合には出て欲しくないなあ」
「何でだ」
「だってかっこ良すぎるもん。周りの人に見て欲しくない」
「なんだそれ……。それじゃ部活に入る意味がないだろ」
「うん。だから入らなくていい」
「……」
呆れたような顔をした三輪君から、ふわりと優しいボールが飛んでくる。三輪君の言う通りだ。私から聞いてきたくせに入らないで欲しいなんて、一体何の話をしたかったのか意味が分からないだろう。けれど、陸上部に入ってくれなくてよかった、ということは断言できる。陸上部に入る三輪君の姿は、私の頭の中だけで留まっておいてほしい。
「……蛇石だったら何部に入るんだ」
「私? 私はねー、何だろうな」
気の抜けた速度のボールをキャッチしながら、私は頭の中をうんうんと巡ってみる。ふと上を向くと、ネットで囲われた天井付近に、小さな鳥が止まっているのが見えた。こんな騒がしいところにいられるなんて、体に見合わず神経が太そうな鳥だ。
もしも私が部活に入るなら、間違いなく文化部よりも運動部だろう。私は三輪君と違って、陸上よりも球技の方が肌に合っている気がする。どの種目でも人よりこなせる方だと思うけれど。そうだな、ずっと続けるとするならば……。
「うーん、やっぱりバスケ? ガンガン抜いてく瞬間が楽しいんだよね」
「そういえば、授業の時も生き生きしてたな」
「見てたの? 私の華麗なシュート」
「見てたよ」
そうやって、三輪君は少し優しい目つきで返事をしてくれた。なんだ、見てたんだ。そう思うとつい頬が緩んでしまう。私も授業中に三輪君を盗み見ることがあるけど、その時は一度だって目が合った事は無い。きっと三輪君のことだから、私のことなど考えずに真面目に授業を受けていると思ったのに。でも、三輪君も私と同じだったんだって分かったから、これからは堂々と授業中盗み見しようと思う。
野球ボールを投げる瞬間に感じる、右腕の筋肉の伸び縮みと、向かってくる球を目で追いかける瞬間。キャッチボールにはスリルなんて感じないけれど、投げて捕る、そんなシンプルな動作がこんなにも楽しい。それはきっと、三輪君と一緒に向かい合っているから。競争なんてしなくていい、肩肘張らないこの感覚が、ぬるま湯に浸かっているようで心地いい。
「……そろそろ次に行くか。他のもやりたいだろ」
「そうだね」
ちょうど会話が切れた瞬間、三輪君はキャッチしたボールを持ち替えながらそう言った。その言葉がなかったら、きっといつまでも続けているところだっただろうな。少しの名残惜しさを感じながらも、ボールとグローブを元あった場所に戻す。さあ、体がちょうどいい感じに温まってきたし、次は何をやろう。
◇
館内をうろうろしながら、楽しそうだと思ったものは次々と取り掛かった。テニスにバトミントン、バッティングマシーンにストラックアウト。ロデオは三輪君が激しく抵抗したので仕方なくやめてあげた。大勢の前で乗ることが恥ずかしさ極まりないらしい。そんなにみんな見てないよと言っても、嫌なものは嫌だと頑なにやらなかった。三輪君はきっと、崖から飛び降りるか一発芸をするか、という二択に迫られなければ、自分から体を張るような真似はきっとしないのだろう。でも、三輪君の一発芸なんて、一生に一回くらいは見てみたいけどな。きっと恥ずかしがって顔が真っ赤っかになるだろうけど、そこがたまらなく可愛いし、すべり倒す所もみてみたいなあ。
一通り体を動かして汗をかいたので、自販機でペットボトルを買って休憩することにした。プラスチックの安っぽいベンチに座り、ごくごくと清涼飲料水を勢いよく飲み込む。ちょっと腕がだるくなってきたので、その場で大きく伸びをして筋肉を伸ばす。
「三輪君はまだまだ余裕?」
「ちょっと疲れたけど大丈夫だ。蛇石は?」
「私もまだまだ大丈夫!」
糖分をチャージしたおかげか、体がスッと軽くなった気がした。座ったおかげで足の疲労も段々取れてくる。元気になった私は、「あっちに行こう!」と声をかけた後、私と同じくらい白い手を引っ張ってみた。西日が三輪君の顔に反射し、眩しくて思わず目を瞑る。お昼頃にはここに着いたはずだけど、気付いたら結構時間が経ってしまったみたいだ。
私が三輪君を連れて行った先。学校の体育館とは違うカラフルな床と、ひとつしかないゴールが目に入る。私がずっとずっとやりたかった、バスケットボールのコートだ。スポッチャは3on3専用のコートしかないため、床に描かれた線は半分ほどの大きさしかない。でも、二人でやるにはちょうどいい大きさだ。
「それじゃあ、今からフリースロー勝負しよ! 三本先取、負けた方が帰りの荷物持ちね」
「おい。ほとんど蛇石の荷物だろ」
ロッカーに預けたのは自分のトートバッグと、三輪君の小さなボディバッグ。三輪君の言う通り、ほとんど私の荷物である。一応着替えもあった方がいいと思って入れたから、小さいバッグには入りきらなかった。
「じゃんけんぽーん。あ、私の勝ち! じゃあ後攻取りまーす」
はい、三輪君! 私の投げたボールを受け取った三輪君は、やれやれとでも言いたげな顔をした後、すっと表情を変えた。線にぴったり合わせて立ち、数回その場でボールを打ちつける。私から見える三輪君の横顔は、真剣でピリッとしていた。視線はゴールに一直線で、ただでさえ姿勢のいい体がスラリと伸びる。格好いいなあ、と思わず惚れ惚れしてしまう。
三輪君の投げたボールは、リングに当たることなく静かにゴールをすり抜けていった。まずは三輪君が一点。
「かっこいいじゃん」
「茶化すな」
ゴールから落ちたボールは数回バウンドし、コロコロと私の方向へ転がってくる。私の両手に収まったボールを何度か弾ませ、指を大きく広げて持つ。すでに温まった体は何も意識しないでも動かせる。ボールをゴールに運ぶだけ。ゴールへ送り出すように手をスナップすると、脳内でイメージした通りにボールが動いていく。それは大きなアーチを描いた後バックボードに跳ね返り、音を立てながらネットをすり抜けていった。
「やった。次は三輪君!」
一対一と点数が並ぶ。三輪君は、私がパスしたボールをそのままドリブルし、最小限の動きでシュートをした。堅実で、無駄な動きを省いたようなシュートフォーム。周りにあっと言わせるようなパフォーマンスは一切しない、三輪君らしいシュートだ。
ボールは一度リングの上でバウンドした後、吸い込まれるようにリングを抜けていく。これで二対一、私が次失敗したらちょっと厳しい展開になってしまう。
「三輪君が本気出してくるんだけど」
「いつでも本気の蛇石を見習ってるだけだ」
「うわ。言うねえ」
「普段の蛇石に比べたら全然だ」
普段の私ってそんなにも言ってる? と疑問を口にすると、三輪君は呆れたように「気づかなかったのか」と返事をかえした。そんなつもりはなかったけれど、確かに、最近は周りにいい子ちゃんの顔を見せなくなった気がする。いつもの私の姿を思い出しながら、地面に数回ボールを打ちつける。三輪君と一緒にいる時間が長すぎて、他の人にどんな態度を取っていたのかすら思い出せない。
そうやって考え事をしながらシュートしたのがいけなかった。まっすぐ飛ばしたはずのボールは少しずつ右に逸れ、リングに大きく跳ね返った後、全然違う場所へと行ってしまった。二回目のフリースローが終了、得点は二対一。次三輪君が成功したら×ゲームになってしまう。
「あーやばい。失敗しちゃった」
変なところへ転がっていったボールはネットにぶつかり、そのまま勢いを無くした。それを取りに行く三輪君の後ろにつき、ゴールに近づけないようディフェンスする。
「おい」
「何?」
「ゲームが違うぞ。フリースローだろ」
「だってピンチなんだもん。1on1に変更しよ?」
「ズルだ」
そう言いながらも三輪君はその場でドリブルを始める。茶色いボールと共に、私の息も弾んでいく。三輪君が私の反応を見ながら左右に切り返しするのに合わせて、こっちもフェイントを仕掛け続ける。三輪君の動きは正直そうに見えて意外と駆け引き上手だ。単純な動きをするかと思えば、その逆をつかれる。でも、そんなもので私のしつこいディフェンスをかわしてもらっちゃ困る。
キュ、と三輪君のスニーカーの擦れる音が響いた。左に大きく動いたのをただのフェイントだろうと思った瞬間、目の前の男は前傾姿勢で一気に速度を上げた。手を伸ばしてもあと一歩のところで届かず、瞬く間に隣をすり抜けていく。これはまずいと思って追いかけようとしたけど、すでに三輪君はシュートモーションに入っていた。教科書みたいな整った姿勢から、ゴールに向かって山なりにボールが飛び出していく。それはリングにぶつかることなくゴールに吸い込まれていった。
「やった……」
ボールがその場でバウンドする最中、三輪君は噛み締めるようにそう言った。その姿がまるで子どもみたいだったので、私は反射で笑ってしまいそうになった。そんな私に気づいた三輪君は、ばつが悪そうな顔をしながら「なんだ」なんて口を尖らせる。だってあまりに可愛かったんだもの。これは仕方ないじゃん。
ゆるゆるとした感情に絆されながら、負けてしまった悔しさが後から込み上げてきた。あれはフェイントだと思ったのに。彼にしてやられたことがとてつもなく悔しい。
「あーあ、三輪君に負けたのめっちゃ悔しい!」
思ったままの感情をそのまま声に出してみる。それでも悔しさは発散されず、運動したせいで乱れた息はなかなか整わない。汗で張り付いた前髪を耳にかけながら、同じく肩を上下させる彼の方へ目線をやる。
「……勝ったな」
「わざわざ言わなくていいじゃん! はいはい負けましたよ!」
バスケだけは三輪君に勝てると確信していたのに。そう思うと悔しくてたまらないけど、三輪君のバスケ姿は格好良かったな。本気を出していても、勝てそうで勝てない相手。格下相手とゲームするよりもそっちの方がいいけどさあ。私にも見せ場は残しておいて欲しかったってのは欲張りかな。
「うわ。三輪君が笑ってきた。むかつく」
「だって蛇石があまりにもムキになるから」
私を見ながら三輪君は子供みたいにニタニタ笑ってきた。だって勝負事だもん。ムキになっても当然じゃない。むかついていることを体に表すために視線を他所へ寄せると、バスケットボールが遠くで一人ぼっちになっているのを見つけた。視界のふちに転がるそれは、私たちの間に入れずに除け者になったみたいだ。
「ズルした意味がなくて残念だったな」
「うるさいな。1on1なら勝てると思ったのに」
「考えが甘い」
背伸びした子供のような顔をする三輪君に、夕焼けのオレンジ色が反射する。三輪君ってこんなにも身長が大きかったっけ。いつもよりも上に見上げなければ、三輪君の顔を視界に入れられなくなった気がする。体もゴツゴツしてきた気がするし、これから目線は離れるばかりかもしれない。
「……三輪君ってば絶対背が伸びたでしょ」
「ちょ、」
手を伸ばせば頭のてっぺんまですぐ届いた。そのまま三輪君の身長を縮めようと、頭を地面に向かって押しつける。強制的に膝を曲げさせられた三輪君は、ちょうど私と同じくらいの高さにまで下がってきた。私が抑えるのをやめさせようとしたのか、三輪君の白くて大きな手が私の手首へ伸びてくる。彼の手は私の手首に余裕で巻きつき、指が余るほどの大きさだった。
「ずるいなあ。このまま縮んじゃえばいいのに」
「おい、やめろ。周りがみてるだろ」
そう言いながら三輪君は、周りの視線を気にしているのかもじもじとしていた。人前でくっつくと怒る三輪君は、相変わらず照れ屋さんなんだから。
「別にいいじゃん。顔も名前も知らない人たちのことなんて」
「……」
「ふふ、うらめしい顔してる」
照れてるのか怒ってるのか分からない顔をしながら、三輪君は私にされるがまま背中を丸めている。パーカーの上からでも三輪君の体が温かいのが伝わってくる。きっと私の手も温かいんだろうな。
じっと見つめ合った後、私は頭の上に置いていた手をぱっと離し、床に転がったバスケットボールを手に取った。そのままゴールまで小走りで近づいてレイアップシュートをする。ボールはバッグボードに跳ね返った後、リングの中へと吸い込まれていった。
「見て見て、ナイシュー!」
「それは無効だ」
「じゃあもう一回やる? 今度は最初から1on1で」
「分かった。やろう」
「あ、ちょっと待ってよ!」
「待たない」
三輪君は返事をした後、私がコートに戻ってくるのを待たずにボールをかっ攫ってしまった。さっきの不意打ちの仕返しだろうか。夕暮れのグラデーションの中に、逆光で黒く染まったボールが勢いよく落ちていく。
ただ何も考えずに、三輪君とボールを取り合う瞬間。いつもと違ってなんだか新鮮で、こういうデートも楽しめる人でよかったな、と心の中で思った。三輪君だって、いつもと比べて今日はよく笑っている気がする。
次は三輪君にもっともっと勝てるように、何か自主練でも始めようかな。そう思いながら、三輪君からボールを奪うべく、コートの中へと飛び出していった。