39
その日、尾形さんの病室に行ったら信じられないものを見た。
「おーがーたーさーん?」
思わず声が怒る時のものへと変貌する。これは仕方がない。本当に仕方がない。
「何やってるんですか?」
僕は尾形さんの肩をよいしょ、と押し戻す。此処は触っても押しても大丈夫なことを分かっている。僕はこれでも医者なのだ。だからちゃんと何処が触って大丈夫で何処が触ったらだめなのかよく分かっている。こんなぼろぼろの尾形さんの身体のことでも、全部、ちゃんと。
「いやそんな見て分かるだろみたいな顔されましても」
尾形さんは起き上がってベッドから降りようとしていた。普通この短期間で歩けるようになどならないはずなのだが、そういえば一人で便所くらい行けると目で訴えられたことがあった。尿瓶で我慢しろと思ったけれどもあれは尿瓶が嫌だと言うよりもしかして本当に動けるのだからこんなところで人にされていてたまるかとそういう話だったのかもしれない。いや、違う、今はその話ではない。便所に行くことと尾形さんが今ベッドから降りようとしていることとは絶対に関係がない。だって手には銃が握られていた。誰だこんな物騒な差し入れをしたのは。
「まさか激しい運動をするつもりじゃあありませんよね?」
僕の問いには、その他に一体何があるのだと問い返されたような気がした。銃を持った尾形さんが行くのはきっと訓練場だろう。そういう場所があることを僕は知っている。真面目なところもあるんだな―――なんてすぐに現実逃避しようとする思考をなんとか捕まえる。
確かに腕は既に治ったけれど。意味が分からない。本当に同じ人間なのだろうか。眩暈がする。しかし此処で下がってしまってはいけない。尾形さんは患者さんなのだ。しかも重症患者。この間まで死にかけていたと言うのに。
「顎、まだくっついてないんですけど?」
白栖先生に強く言われた通り、喋らないでいるのは一応自覚があるからなのだろう。なのに何故、訓練は良いと思ったのか。だめに決まっている。というか何で起き上がって動いているのか。可笑しいだろう。つい二、三日前までは生死の境を彷徨っていたはずなのに。本当に同じ人間なのだろうか。怪しくなってきた。
「いや、それでもとか言われましても」
尾形さんはじっとこちらを見上げてきた。僕は知っている。これは餌をねだる猫と同じ顔だ。
「だめです」
そして僕はこの対処法も知っている。毅然とした態度を崩さないことだ。
僕が譲らないことを早々に察したのか、尾形さんはよいしょ、と僕を押しのけてベッドから降りようとした。僕は必死になってそれを止める。
「良いから大人しく寝ててください! 貴方死にかけたんですよ!!」
死にかけたから何だと言うのだ、という視線が返ってきた。この人馬鹿なんじゃないだろうか。いや、問うのも勿体ない。馬鹿だ。馬鹿に違いない。
僕がそんなことを考えているのなんて露ほども知らない尾形さんは少し考えるように宙に視線をくゆらせてから、それから僕の白衣の袖を掴んだ。
「かっ…」
ちまっと。袖口を、指で少し。摘むように。
「かわいくしてみせてもだめです!!」
僕は叫んで病室を出ていってしまったが、それからその後尾形さんの脱走報告は上がって来なかったので心底ほっとした。
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