1
「…はぁ」
私はため息を吐いた。つい一週間ほど前まで敵対していた男が目の前のソファーですやすやと眠っているこの状況を、ため息なしで見ていられるのならそうしたい。
私は夕食を終えて、お風呂に入って、テレビを見ていた。今日もいつものように、後は寝るだけだったのに。
ピンポーン
チャイムが鳴った。
「はーい」
回覧板だろうか、なんて思いながら無用心に扉を開けた、その先には、
「!」
「お久しぶりです」
煌めく笑顔。どうしてその人がここに居るのか分からなくて、私の行動が一瞬遅れた。閉めようとした扉はいとも簡単に止められる。
「ランスさん…」
「おや、覚えていてくれましたか」
「何か、用ですか」
警戒の色が隠れないのも無理はないと思う。ランスさんの所属していた組織―――ロケット団を解散に追い込んだのは私。幹部であったこの人が、復讐とか言い出さない保証はない。
「貴方の所為でアポロさんがロケット団を解散させてしまいましてね」
「知ってます」
彼が放送で宣言するのを、私は目の前で見ていたのだから。
「私は逃げ回る羽目になってしまいました。幸運なことに顔写真は出ていないのでまだ余裕はありますが、フラフラと表社会に出て行ける訳でもありません」
「そう、ですか」
私の頭には復讐の二文字が躍っていた。ああまずい、非常にまずい。回覧板とか呑気なことを考えてた少し前の自分を殴りたい。
「ですから、私を泊めなさい」
「―――え」
フリーズ。彼は今何と言った? 泊めなさい? 何処に? …私の、家に? 私が硬直している間に、彼は勝手に部屋に上がり込んでいた。
「え、ちょ、ま、」
「何か文句があるんですか?」
文句というか、言いたいことがたくさんある。けれど、どれから言ったものか。わたわたする私に痺れを切らしたのか、彼が歩み寄ってきた。
「力ずくで、言うことを聞かせた方が良いですか」
何が起こったか、最初は理解出来なかった。目の前にランスさんの顔があって、背中には軽い痛みがあって、ああ、これは、壁に押しつけられているのか。
「…ご遠慮します」
自分でもびっくりする程冷静な声で返した。弱みにつけ込まれているようにも感じるけれど、背に腹は代えられない。
「賢明ですね」
彼がそっと離れる。
「…一晩は譲歩しましょう」
「一晩だけですか」
「一晩だけです」
こんな夜中に人を放り出す程、私はひどい人間ではない。けれど、敵である人間をずっと泊める程、馬鹿でもない。
「まぁ良いでしょう」
彼は一つ息を吐いて、ソファを貸して欲しいと言った。私が頷くと、彼は倒れ込むように横になり、意識を手放したのだった。
「はぁ」
大きなため息が出た。ランスさんを見やれば、目の下にはうっすらとした隈が見てとれて、彼が眠れない日々を送っていたことが分かる。敵の懐だと言うのに熟睡する彼の、邪魔をする気にはならなかった。
「とりあえず、明日、考えれば良いか…」
考えることを一旦放棄して、私はベッドに入る。何も起こりませんように。そんな願いは天に届くのだろうか。
ひとつのはじまり
私はぱちり、と目を覚ました。目覚まし時計を見る。うん、いつもと同じ時間。自分自身にも、部屋にも昨日と変わった様子は見られない。ランスさんもソファに居る。ふわぁ、とあくびを一つして、私は起き上がった。顔を洗って、朝食を作って、それでも起きなかったら彼を起こせば良い。
目玉焼きの良い匂いが部屋中に広がる。二人分の朝食を作り終えて、まだ彼は起きてこない。
「起こしに行こうか」
朝ご飯が冷める、と私はエプロンを外した。
「ランスさん、朝ですよ」
「ん、ぅ…」
彼が身動ぐ。数秒して開かれた翠の双眸と、視線が絡む。
「おはようございます」
「…え?」
戸惑ったような表情が向けられた。そこで、私は何かが可笑しいと気付く。今のは、“何故私が目の前に居るか”というよりは―――
「…貴方、誰、です…?」
今、自分が置かれている状況が、全く分かっていないような。
prev /
next
ブラウザバックor戻る
ALICE+