マリンスノーに澱んでく
兄の遺体は帰ってこなかったらしい。
らしい、というのは私には兄が帰ってきたようにしか見えていなくて、そのことを聞いたのはボーダーがちゃんとした建物を立てて、それで有名になり始めた頃のことだった。ボーダーに関わるも関わらないも好きにして良い、と言われた私は、ただ一つ、兄のことを聞いた。
「お兄ちゃんは、其処が、好きだった?」
遺品として渡されたのはドッグタグだった。これが俺の証明なんだよ、なんて言って笑っていた兄はもう何処にもいなくて、遺体がどうのこうのとか本当はどうでも良かった。だって遺体があろうとなかろうと兄はもう帰ってこなくて、私と話してくれることだってないのだから。私は冷たい人間だった、現実的な人間だった。ちゃんと兄が死んでもお腹も空いたし眠れもしたし、それまでと変わらぬ日常を送ることが出来た。
両親は、頷いた。楽しそうだったよ、とそう言って。だから私は、分かった、と言った。
「ボーダーには、出来るだけ関わらないようにする」
兄が好きだったものを、嫌いになることが怖かった。
兄が生命を賭して守りたかったもののことを、恨んでしまうことが怖かった。
「よう」
そんな決意をしていたはずの私の前に、その人は再び現れた。私の記憶処理については上手く言ってくれたようだったけれど、オモチャのドッグタグに気付いていたなら、便宜は図りやすかったのだろうな、とも思う。
「あれ、忘れた? 俺俺、この間落とし物届けた」
「…忘れてません。太刀川さん、ですよね」
「そうそう、太刀川。太刀川慶」
オレオレ詐欺みたいだな、と思ったことは口にはしない。
A級一位の太刀川慶。知っている人なら知っている名前だった。私も、その一人。ただ、顔と名前が一致していなかっただけ。そんな人が何の用だろう、と思う。落とし物を届けたかっただけなら、もう私に関わる必要はないはずだった。だって、もう目的は達成した。記憶も消さないのだと言ってくれたことだし、私も口外しないと約束した。それが例え口約束でも。なら、見張っているのだろうか、とも思ったけれどもA級一位なんて人をそんな一般人の見張りに割くほど、ボーダーという組織が人手が足りているとは思わなかった。
そこまで思って、結局ボーダーに関わっているみたいだな、と思う。本当は、この街を出た方が良かったのだろう。その方が私には良かった。でも両親は兄の守ったこの街の行く末を見届けたかったみたいだし、私は私でまだ中学生で、親元を離れて暮らす方法なんて幾らでもあっただろうけれど、私にはそんな度胸はなかった。
こんな。
いつ攫われるかも分からない街で、兄の好きだったものに嫌な感情を抱くことより、ちょっとした勇気を出すことが苦痛で仕方なかった。
「何の用だろう、って思うよな」
「えっ」
そんなことを考えていたから、目の前のその人がそんなことを言った時にはすごく間抜けな声が出た。
「まあ、えっと…用事は、終わってんだけど。ほら、落とし物も返せたし」
「はい」
「でも、なんてーの? こう…気になるっていうか」
「監視、ですか?」
「そんなブッソーなモンじゃないよ! あ、でもお前中学生…だよな? 制服着てたし、中学校から出て来たし」
「そう、ですけど」
「俺大学生なんだけど、そういうのってマズい? 月見に怒られんのかな、俺」
その月見さんとやらが誰なのかは知らなかったけれど、何か拍子抜けしてしまって、まずいことしなきゃ大丈夫なんじゃないですか、と言った。
「個室とか、物陰とか、そういうとこに入ったりとか、あと金銭物品のやり取りとかしなければ」
「エンコーに見えなきゃ良いってことだな」
人が折角オブラートに包んだことを。
一つくらい文句を言ってやろうかと思ったけれど、結局何を言うのも馬鹿らしくなってしまった。大学生らしいけれど、この人勉強とか出来るんだろうか。
「じゃあ、まあ、ええと、これからもちょいちょい様子見に来るから」
「はあ…」
「嫌、」
これが問いだったら、良かったのに。
「じゃあないだろ」
確信を持った言い方だった。なのに威圧感は何もなかった。自然で、本当に自然で、だから余計に私は悔しくなる。
この人は兄を知っている、知っていて、私のところへ来る。私は多分、この人に嫌と言うべきだった。この人のことが嫌いだと言えなければいけなかった。
なのに私の喉は張り付いたまま、何も言えずに感情を降り積もらせるだけ。
*
(貴方の死体を私は見ることになるのでしょうか)
*
Blacksee/p @Utusemi_KagE
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