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 シン、と静まり返ったような気がした。そんなことはないのに。相変わらず家は燃えているし人の戦う音も叫ぶ声も煩い。
「センセー、」
ぐい、と腕を掴んでから尾形さんが僕に問うた。
「どうして来た」
まさかそんなことを聞かれると思っていなかったので驚いてしまう。
「ええと、人が上がっていくのが見えたので」
「家永は」
「脱出経路探してると思いますよ」
「置いてきたのか」
「大丈夫でしょう。家永さん、僕より修羅場くぐり抜けて来てると思いますし」
言ってからどうしてそんなことを言うんだろう、と思った。だって、尾形さんの方が家永さんの有用性については知っているだろうに。
 妙に、思考がぼんやりしている。慣れないことをしたからだろうか。ともすれば、身体から力が抜けて行くような。
「…尾形さん、」
「なんだ」
―――何、を。
 言おうとしたのだろう。分からない。だって、今は余計なことを考えている暇はないはずなのに。
「…応急処置しますからちょっとだけ時間ください」
「応急処置って」
「鼻血出てます」
「ああ…」
小さな鞄をいつも持ち歩いていて良かった。これくらいなら処置が出来る。
「良かったですね、折れてないみたいですよ」
「良かったのか」
「よ、か、った、で、す、ね」
「………折れてないなら良かった」
「はい」
 言わせた感は否めないが、まあ、尾形さんだって心底嫌なことは言わないだろう。そういうところはひどく強いひとなのだと知っている。
「………」
はい、これで終わりです、と言って手を下ろすと、間髪入れずに尾形さんがそれを掴んだ。痛いな、と思う。処置するのに手を使うのが分かっていたから、ここまで我慢していたのだろうか。
 怒られるかな、と思った。別に、僕が尾形さんの言うことをすべて聞かなければいけないということはないだろうけれど、尾形さんは尾形さんでいろいろと考えて指示を出したのだろうし。そして、僕はそれを破った。でも、これは遅かれ早かれ起こっていたことだろう。その指示が妥当だと思えば僕だって従うが、事態というのは刻一刻と変化するものだ。ずっと、尾形さんの言葉に従っていることは出来ない。
「…怪我は」
「ん? え?」
だから、その言葉には驚いてしまった。
「ええと、え? ………あ、えっと、ない、ですが…」
「なら良い」
ぱっと手を離して尾形さんがそろり、と窓に寄る。僕は僕で階段の方を見てみたけれど、特に誰か登ってくる気配はないようだった。
「センセーは其処にいろ」
何を思ったのか、尾形さんが厳しい声で言う。僕がまた階下に戻ると思ったのだろうか。いや、脱出するにはどうせ降りなければいけないけれど、来てしまったのだからもう、尾形さんと別行動をとる必要もないのに。
「脱出出来そうになったらどうせ俺が指示を出すんだ。すぐに動けるようにしておけ」
そうですね、と答えるはずだった。だって、その通りだと思ったから。
「俺の側を離れるな」
―――でも。
 その言い方は、狡い、と思う。
「………はい」
「そんなしおらしい声を出すな。悪いことをした気分になる」
「いえ、その………」
「別に、センセーだって………」
愚かなことをした訳じゃない、とそれは早口になった。愚かなこと、と僕は口の中でだけ繰り返す。
 尾形さんの、価値観というものが。
 何処に基点を置いているのか、僕はまだ、知らないから。
「まあ、」
誤魔化すように尾形さんが後頭部を掻いた。以前から気になっていたのだけれど、あれは癖なのだろうか。まだ髪が伸び切っていない、坊主頭だった頃もやっていたと記憶している。まるで、自分で自分を撫でているようだ、と思ったことも、覚えている。
 もし、そうであるなら。
 尾形さんは、一体誰にそうしてもらいたいのだろうか。
「上にいた方が今の状況じゃあ撃たれたりはしねえだろ」
「………あっ、はい。そうですね」
「ちゃんと聞いてろ」
「すみません」
流石にこれは睨まれた。僕が悪いので素直に謝る。
「………センセーだって、」
「はい」
「別に考えることくらいは出来るんだよな」
「なんですか、それ」
「素人と思ってたってことだ」
「そりゃあ、まあ…そうですけど」
何を言い出すんだろう。僕は確かに素人で、それは間違いはないのだろうけれど。言葉が纏まらない様子にも見えた。でも、僕は望まれていないので何をすることもしない。
「でも、」
尾形さんは言いかけて、いや、と首を振った。
「先生は力がないんだから、無茶をするな」
 その表情は、何処か喉に小骨の引っかかったような顔にも見えた。


















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