小説と夏、悪魔の終極を思って



 その同級生について、何か特別思ったことはなかった。いや、きっと思ったことがない、なんて断言してしまうと嘘になる。嘘になるけれど、うっかり断言しかけてしまうほどには記憶に残っていなかった。
 出席番号順、テストのときにだけ戻る席の配置。わたしの後ろの席に、いつも座る同級生。クラスメイト。
「今吉くん」
はい、とプリントを回すと、独特なイントネーションでお礼を言われた。関西の人はなかなか方言が抜けない、と聞くから、多分彼もそういう類なのだろう。わたしは別に会話が出来れば気にならなかったし、プリントの受け渡しくらいしか喋ることもなかったからそれ以上思うこともなかったし。
 それが。
 何の悪戯か風が吹いて、もう面倒だからとそのままになっていた席順の教室で、ほとんど空っぽの教室で、原稿用紙が散らばって。帰る支度をしていた彼が拾ってくれた。だからわたしはお礼を言って受け取って、そのまま帰り支度を続けようと思っていたのだけれど。
 じ、と。
 視線を感じたから。
「えっと、」
「それ、」
どうかした? と聞こうとしたら、指をさされた。そのさきにあるのは原稿用紙。
「小説?」
「え? あ、うん…散文かも」
「それ、どう違うん?」
まさか会話が続くとは思わなかった。うん、で止めておけば良かったかもしれない。でもこのまま無視するのも悪いだろう、彼に悪印象はないのだし。でも、困ってしまった。小説の散文の違いを上手く説明する術はわたしにはない。
「えっと、言っておいてなんだけど、わたしにもよく分からない」
「そうなん」
「小説と詩の空白が、そうかな、ってわたしは思ってるけど」
「空白」
「うん」
何だか不思議な感じだ。今まで、真面に話したこともなかったクラスメイトと、こんな、原稿用紙を挟んで会話しているなんて。しかも、妙に会話が続いてしまっている。いや、しまっている、なんて言ったら彼に失礼かもしれない。
「部誌、出してるんやったっけ」
 暫く黙られていたからもう会話は終わりかな、と思っていたら、また問われた。まさか所属している部活を知られているとは思わなかった。そうやってびっくりしてから、いや、原稿用紙に何か手書きで書いている人間なんて、消去法で文芸部くらいしかないと分かるかな、とも思い直した。まあ、どっちでも良かったけれど。とりあえず、質問に答える。
「うん」
「部活、まだ続いてるん」
「えーっと…続いてる訳じゃあないんだけど、卒業記念、みたいなの…作るのが伝統だから。落ち着いた頃に出すの。最後の一冊」
「ほん、なるほど」
実際は忙しくなるから、文化祭が終わったあとか文化祭前に提出する人の方が多いのだけれど。わたしは少しスランプ…と言って良いのか、とにかく手が動かなかったから、こんな冬の日に提出する羽目になっているのだった。でも、そこまで説明しなくても良いと思ってそこで止めてしまう。
「部誌って売ってるんやっけ」
「売ってるよ。百円」
「やっす」
「来年からは値上げするって」
「じゃあ、最終特価なんや」
「そうだね」
そんなことを思ったこともないから、少し、笑ってしまった。
「ごめ、ごめんね」
「何が」
「笑っちゃって」
「そんなツボに入るようなことあったか?」
「最終特価…」
 暫く笑っていたけれど、特に不思議そうには見られなかった。関西の人は息をするように冗談を言う、なんて言われているけれど、彼もまた、そんなステレオタイプなのだろうか。だから、笑ってしまっている人間を見ても、そういうもの、と思うのだろうか。
「それ、どんな内容なん」
わたしが落ち着くのを待ってから、また、彼が問う。
「夏…のはなし、かな。読む?」
「普通、こういうの嫌がるもんやないの」
「どうせ部誌に載せるのに、今更だよ」
「結構度胸ある方?」
「ついた、のかも。放送も兼部してたから」
「ああ、それは…つきそうやな」
「でしょ」
これでも入学した頃は人前で喋るなんて、というタイプだったのだ。人間、やってみると意外と変われるものだ。勿論、変わらないことだってあるとは思うし、それはそれで良いとは思うのだけれど。
「ありがたいけど、」
 少しだけ差し出していた原稿用紙が、丁寧に手のひらで押し返される。折れ曲がらないように、その仕草がとてもやわらかくて意外に思った。背が高くて、手も大きいのが今見てよく分かったからかもしれない。
「今はええわ」
「そう」
「最終特価で買う」
「え」
「何処で売るん」
「購買に置いてもらうよ」
「いつから」
「卒業式の一週間前だったかな」
「なら買えそうやわ。ま、買えなかったら後輩に走ってもらうわ」
「ええ」
言いながら、そういえば彼はバスケ部だった、と思い出す。
 冬の、大会が。
 ついこの間終わって、それで、突然受験生一筋になって。それは―――ちゃんと、切り替えが出来るのだろうか。わたしが心配することもないけれど。
 それでも、何か言いたくなって。
「今吉くん」
「なに」
でも、何を言えば良いのかも分からなくて。
「…何か言いたいことあったはずなんだけど、忘れちゃった」
「なんやそれ」
「そういうことない?」
「あるけど」
きみがそないなこと言うのは、ちょっと、似合わんなあ。
 今度は、彼が、笑ってしまう番だった。
 笑われたわたしは、なんとか、笑わないでよ、と言葉を絞り出す。でも、別に不快じゃあ、なかった。
 寧ろ。
「―――」
なんとなく、その笑みを見ながら。
 わたしは、次の題材は悪魔にしよう、と思う。
 もう部誌に寄稿する予定はないから、書いても机の肥やしになってしまうかもしれないけれど、なんとなく、悪魔が終わりを望まないはなしが、今なら書けるような気がした。



お題箱スロット
作業BGM「メルリドゥ」初音ミク(SilkyMint)


















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