ハッピーバレンタイン!
「紫原くん! これ受け取ってください!!」
角でずっと待ちぶせしていたのだろうか、出会い頭にぶつかるようにして何かを押し付けられる様子。
「…え」
彼が言葉らしい言葉を発する前に、
「それだけです!!」
嵐のようにその女子生徒は去っていった。
はんぶんこ。
というのが数分前の出来事である。
世間はバレインタイン。墨麗ゆかりもそれに浮き立った一人であり、便乗して恋人にチョコレートなんてものを渡したあとだった。それからそのまま彼を部活に送っていこうとして、その途中の出来事が冒頭である。本当に女子生徒は嵐のようであり、正直顔もちゃんと見ていなかったしどうやら渡されたお菓子には手紙らしきものも入っていない。つまり名前も分からない。受け取ってくれるだけで良い―――その気持ちは分からなくもないが(だって紫原は有名人だ)(自分の恋人に対してあまりに他人事かもしれないが)、だからと言ってこうして見てしまうとなんとも言えない心地になってしまう。
と、墨麗が目をぱちくり瞬かせている横で紫原は暫くじっとしていた。何か考えている、とは分かるが何を、までは分からない。お菓子が好きな紫原だ。今日を楽しみにしていたのは知っているし、クラスの女子たちからはまるでお布施のようにお菓子を貰っていたのも知っている。墨麗とて紫原のお菓子好きは知っているし、部活に差し入れられるお菓子の山を見たことがあるから今更何を言うこともしないけれど。
「ねえ、」
大きな紫原の手にちょこんと収まる、可愛らしいラッピング。
「ゆかりはこれ、どうして欲しい?」
だから、まさかそんなことを聞かれるなんて思わなかった。
「どうって…」
悩む。紫原のことだから誰かわかんなかったね、と言って食べるのかと思ったがここで振ってくるのか、と。一応手作りのものは食べない、と公言している(させられている)からかその可愛らしいラッピングの中身もその辺に売っている既成品のようだったし、何か気にすることがある訳でもないと思うのだが。
聞かれた、ということはそういうこと、なのだろう。恋人が横にいるのに渡されたバレインタインのチョコ。受け取って欲しい、ただそれだけ。つまり、そういうこと。
「うーん…」
ここは食べれば良いんじゃない、と言うのが正解なのか、それとも、私以外の女からもらうなんて言語道断、と言うべきなのか。迷う。どちらも正解とは思えない。
そもそも紫原が人からお菓子を与えられるなんていつものことで、そこに少々の付加価値がかかったところで墨麗の地位が揺らぐ訳でもないのだ、と。
信頼、しているので。
「そう、だね…。じゃあさ、私とそれ、はんぶんこしようよ」
「はんぶんこ?」
「うん」
折角意見を求められたのだ。ここは妥協案を出しておこう。
「手放しに食べれば良いんじゃない、というのもちょっと癪だからね。でも食べるなっていうのも何か違うと思うし。だって敦、お菓子好きでしょ。それ見るからに既成品だし。食べちゃだめな理由もないし。だからはんぶんこにしよう、私も食べるよ」
「…ゆかりはそれでいーの」
「うん。敦がいいなら」
「俺もゆかりがいいならそれでいーし」
しゅるり、とリボンが解かれる。
はい、あーん、と差し出された既成品のチョコレートに、名前も顔も分からない女子生徒に少しだけごめんね、と思った。
(でも敦は私の恋人なので)
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