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今日は天気が悪そうだなあ、と窓から空を見上げる。
レーム帝国の少し下の方にあるこの街は、交易をするにはあまり向いていない土地で、ゆったりと農業を営む人間の方が多い。海を越えた向こうには砂漠が広がっているとは思えないほど天候は安定しているし、俺が此処へ来てからというもの大きな災害は起こっていなかった。勿論迷宮なんてものが出てくるようなこともない。海向こうとは言え、大峡谷が近い場所であるのは分かっていたから警戒してはいたものの、最早役者の出揃ったこの世界ではあの放浪のマギも新しい迷宮を出したり引っ込めたりはしないらしかった。…放浪じゃあなくてさすらいだったかな。まあどっちでも同じだろう。
「カイ」
そばをゆくこどもに声をかける。
「先生、どうしたんだ?」
「雨が降りそうだと思いまして。洗濯物班に今日は早めに取り込むように伝えてもらえますか」
「それならさっき、セリーが伝えに行ったよ。あいつ、鼻だけはいいから」
「そうでしたか。ならよかった」
「あとでセリーを褒めてやって。おれも洗濯物班手伝いにいってくる」
「言われなくとも。…カイもいい子ですね」
言われたこどもは少し照れたように笑ってから、知ってる! と叫んだ。
先生、という呼ばれ方は慣れないなあ、と未だに思う。
感覚として、これはよくないことだ、と知っているからかもしれない。
こんな長閑な町でこどもたちにさまざまを教えて暮らしていると分からなくなるが、彼らは言うところの奴隷≠セった。つまり、彼らをどうやって扱っていようと俺は奴隷商人≠ナある。俺の中の常識では、当然奴隷という身分制度は許されるようなものではない。基本的人権、なんていう言葉のない世界で何を言っても、とは思うが、だからと言って俺一人が声を上げたところで何が変わるわけでもない。
―――だから、というわけではないけれど。
成り行きとして経営利権をぶんどってしまった奴隷商会で、俺は少し、遣り方を変えてやることにした。レームにあった大きな商館を畳んで窓口機能だけを残し、所有していた奴隷たちすべてを連れてこの田舎に引っ込んだ。利権は俺のものだったのだから、このまま彼らを解放しても良かったのだけれど、それだとまた別の奴隷商人に捕まってしまうかもしれない。この先奴隷制度がなくなることを俺は知っていても、乗りかかった船を放り出すことはなんとなく据わりが悪かったのだ。
田舎に移った俺は、まずこどもたちの体調を整えることに専念した。この商会は結構阿漕な稼ぎ方をしていたらしく、資金には困らなかった。そうして体調の整ってきたこどもたちを中心に、勉強や作法を教えた。俺も作法なんかには疎かったので、死にものぐるいで勉強した。そうして三年ほど体制の移行に費やして、取引を再開させた。とは言っても、以前のような奴隷取引ではない。取引、では彼らの将来に責任を持つことは出来ないと考えた俺は、その形を貸出、に変えた。最初はその分入ってくる金は下がったけれど、貸し出されるこどもの教養が高いことが知れ渡ればその値段を跳ね上げるのに苦労はしなかった。
…と、言うと簡単だが死ぬほど苦労した。特にこどもたちの教育と、もっと金を積むからと買い取りを迫ってくる元・お得意様。こどもたちの教育はそれでもなんとかなった。こどもと言えども、馬鹿ではない。今は彼らに人権というものが認められていないこと、此処で俺が勝手に解放すれば彼らは野垂れ死んでしまうだろうこと、だから生きるために、自分を奴隷身分から解放するだけの金を貯めるために、今は俺を利用した方が賢い、ということ。厳しい現実を突きつけたものだから最初の頃はひどく憎まれたし、脱走沙汰もあったにはあったのだが、そのうちに落ち着いた。落ち着きすぎて懐かれているような状況になっているのは、不本意なのだが。そういうつもりではないし、都度都度言っているのだけれど、やっぱり人間とのふれあいに飢えている彼らにその線引きは残酷なのかもしれなかった。まあ、これからも言い続けるけれど。
問題だったのは後者だ。買い取りを迫られるだけならまだいいが(丁重にお断りするだけなので)、断られた客がとる行動は大抵決まっている。力の訴えるのだ。ついでに、此処の奴隷たちの質が良い、と噂になればそれを盗んでしまおうと目論む輩も少なくはなかった。残念ながら俺は別に武術の達人ではないし、魔法だってそんなに使えない。日常あるとちょっと嬉しい程度のことが出来るくらいだった。なのでそれをどうにかすべく、方々奔走してどうにか護衛を雇った。信用出来る相手を選ばなくてはいけないので、これがもう大変だった。何を基準に信用したら良いのか、とかそういう知識が俺にはやっぱり足りなかったから。
それでも働いただけあって、商会は立て直したし以前より環境もよくなった。こどもたちの貸出先も厳選に厳選を重ねたのも功を奏して、体制が変わってから死んだこどもはいない。幾人かは自分で身分を解放して旅立ったり、周辺の農村に溶け込んだりしていた。旅立った連中からは時折手紙が来るし、周辺にいる連中も時折顔を見せてくれる。決して、悪くはない、と思う。だからと言ってよくもないけれど。でも、あのまま可哀想だからと、倫理に反するから、と手放してしまわなくてよかった、とは思っていた。
「ヨナさま〜」
いけない、空を見上げて物思いに耽っている暇なんてない。そう思って部屋に戻ろうとすると、ぱたぱた、と足音がした。
「おきゃくさま!」
「そうですか、ライラ。呼びに来てくれたんですか?」
「うん! おきゃくさまはガランがおうせつしつにあんないしてて、だからわたしはヨナさまをよびにきたの!」
「ありがとうございます」
礼を言って、ライラについていく。しかし、今日は誰が来る予定もなかったはずだが。飛び込みの客が今までなかったわけではないが、レームには窓口だってちゃんと置いてあるのだ。商談をしたいのならまずそっちに行くべきだろう。なのにそういう手順を吹き飛ばしてくるということは、その分厄介な客、ということで。
―――面倒だな、
そう、思った。
俺の頭の中には様々な厄介事のパターンが浮かんで、それから消えていった。まずは会ってみなければ何とも言えない。ライラ、と呼ぶ。
「なあに? ヨナさま」
「どんなお客様でした? 教えてください。ガランが行ったということは、大きな大人でしたか?」
ガランは背丈もあるし、ガタイも良い。そこまで愛想はよくないものの、それなりに商才があるように思えたから、よくレームの窓口の方を手伝わせている。向こうには闘技場もあるから、何度か誘われたこともあるらしい。ガラン自身も興味がないわけではなさそうだった。闘技場がもう少し整備されたら本人の自由にさせてやりたいところだけれど、残念ながら未だ殺しを見世物にしているような場所だ、彼の身柄の保証人としては頷くわけにはいかなかった。せめて師か何か、見つかればいいとは思っていたけれど、流石にそこまで手が回らなくてそのままになっている。
それはさておき。
客が来たときには、ある程度合う$l間が出るように、という教育はしていた。中でもガランは体格のこともあるし、人を見る目がある。だから、見た目で荒くれ者と分かる客が来たか、面倒な商談を持ち込んできそうな客か、どちらかだと思ったのだけれど。
「あのね、あのね、…シンドリアのおようふく、きてた!」
ライラの言葉に、思わず目を見開きそうになる。でもすぐに気を持ち直して、違うでしょう、と問うた。
「シンドリアみたいな服、の間違いでしょう?」
「ちがくないよ! シンドリアのぶんかんさんのせいふくだよ!」
文官の制服。
俺は眉を寄せる。
さっきも言ったとおり、此処のこどもたちには、一定の教育を与えている。読み書き計算は勿論、出来るだけ情報を集めて、何処の国の人間がどんな格好をしているか、どんな職業があるか、そういうことだって教えている。ライラだってそのうちの一人だ。それに、ライラは服飾に興味があるのか、そういったものを覚えるのは他のこどもよりずっと得意だった。でも、シンドリア。此処からは随分遠いし、あの国は奴隷制を敷いていないはずだ。そんな国の文官がやってくる理由に心当たりはない。
「先生」
「アルフ」
立ち止まっている俺を見つけたのか、他のこどもがやってくる。
「話、聞こえたんだけど」
「…聞かれて困る話でもないから、いいですよ」
「俺も見たんだ、その客。…ライラの言うこと間違ってないと思う。海兵も一緒にいた」
「海兵まで…? なんでまた、文官と海兵が…」
盗賊くずれか何かが何処ぞで追い剥ぎをして服を手に入れた、という話でもなさそうだ。奴隷制を敷いていない国が奴隷制度に参入すると、そんな言葉であれこれ騙そうとしてきた人間は今までもいた。だから、それを疑っていたのだけれど。海兵も一緒、となると流石に話が変わってくる。本物の可能性が高くなった。
―――本物。
脳裏に、とある人間の顔が思い描かれる。俺は咄嗟にその思考を否定した。
「いやいやいや」
そんなことがあるはずがない。…否、あっては困るのだ。
一人思考を続ける俺を、ライラとアルフが心配そうに見上げている。面倒な客、というのはこの二人にも分かっているのだろう。
「先生、出ないことにする?」
「いや…出ますが…」
「お腹でも痛いって言っておく? なら俺たちが代わりに謝っておけるけど」
「こどもに、仮にも一国をしょって来てる人間を相手にさせられますか…」
制服で来ているということは、つまり、そういうことと考えておいた方がいい。でもおかしい、シンドリアは奴隷制をとっていないはずだ。なのに、制服を着てやってくる、というのはどういうことだろう。あの国にも血迷ったお偉いさんがいるのか、その確率はゼロとは言えなかったけれど。
「―――」
これが、どんな仕事だとしても。
此処の責任者は俺だった。ライラとアルフに礼を言って、このまま一人で応接室へと向かうことを告げる。二人はまだ心配そうな顔をしていたから、台所に顔を出したらお菓子がもらえるかもしれませんよ、と言っておいた。
「おまたせしました。マイエ商会へようこそ」
扉を開けて、にこり、と笑う。あっては困る、…あってはならない、展開。部屋の中心にいる、その文官の顔を初めて見た、というような顔を俺はしていなければならなかった。
「見つけましたよ―――ヨナ」
シンドリア王国政務官、ジャーファル様の顔など、俺は、今日、初めて見たのだ。
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