応対したのがガランで良かったな、とだけ思う。俺は礼儀を欠かないようにと気をつけながらも、何を言われているのかさっぱり、という顔をしてみせた。
「………確かに、私はヨナという名前ですが、生憎と貴方様に見覚えはありません。どなたかとお間違えでは?」
「奴隷商人とは考えましたね。奴隷制を導入していないシンドリアであれば、顔を合わせないで済む」
無理だった。いやもう少しくらい俺の態度を汲んでくれてもよくないか? そうは思ったけれど、そもそもそんなことをしてくれる人なら此処にいないだろう、とも思った。
 想定外、と完全に言えないのが悔しい。それは、俺が期待していた、と言い換えてもいいものだったから。
「…どのようなお話を聞いていらっしゃったのかは、私には分かりかねますが…当商会では高級奴隷の貸出をおこなっております。貴方様がたはお話のとおり、シンドリアの方々とお見受けします。シンドリアは先ほど貴方様が言ったように、奴隷制を敷いてはいないはず。私どもとはするべき交渉など、何処にもないように存じますが」
「そうですね。私の目的は奴隷ではありません」
「では、どうぞお帰りを。此処には貴方様がたとは縁のない奴隷しかおりませんので」
出口はあっちだ、と指し示すが、誰も動かない。誰か動けよ、後ろの海兵だけでもいいから。俺の無言の願いを察したのか、はあ、とため息を吐かれた。ジャーファル様に。そういうことをしたいのは俺なのだが。
 下がりなさい、とジャーファル様が言う。すると海兵たちは俺に軽く一礼して、さっさと部屋を出ていってしまった。待ってくれ、幾ら上司と言えどおかしな奴隷商人と同じ部屋に残すか? いや、強いのは知っているんだけれど、こう、慣例としてよくないのでは? 混乱する俺を他所に、ジャーファル様はこちらは下がらせましたよ、と言う。こちらは、と言うということは、お前も下がらせろ、という意味だろう。部屋にはガランがいるだけで、他はいない。
「………」
俺は少し考えて、こどもに聞かせる話でもないだろう、と下がるように言った。ガランは少し俺を見上げてから、こくり、と小さく首肯をして出ていく。
 さて、困った。
 沈黙が流れる。俺は、俺自身のためにこの人をさっさと追い出さなければならない。けれど、どうやったって一般階級の遣り取りしかしてこなかった俺が、国の高官まで含んだ相手をばっさばっさと切ってきたこの人に敵うのだろうか。
「…そういえば、自己紹介がまだでしたね。私はマイエ商会の最高責任者、ヨナと申します」
以後お見知りおきを、というのは意地でつけなかった。つける必要もないと思ったし。
「お召し物からシンドリア王国の文官様とお見受けしますが、何とお呼びしたらよろしいでしょうか」
「………読み書きはあれほど優秀だったのに、そんな簡単なことすら忘れるとは…」
「生憎、存じ上げませんので」
頑なに言い張れば、ジャーファル様は諦めたらしい。
「シンドリア王国政務官、ジャーファルと申します」
「…ジャーファル様」
「はい」
なんで本名言うんだよこの人。
 いや、本名を言うつもりがないならまずもって、こんな制服では来なかった気がする。私服なんて持っていないという話があったような気がするが、だからと言って現地調達が出来ないわけではないだろう。お忍び、という概念が頭から吹っ飛んでいるわけでもあるまいし。あの王について回っているのだから、そういう概念とは切っても切れない仲だと思っていたのだが。
「………」
「………」
再び沈黙が落ちる。こんなに痛い沈黙は生きている中で一番だ。でも、ジャーファル様から会話を始めさせるわけにはいかない。それをさせたら、俺の主導権が地に落ちる。どんな状態でも、此処は俺のホームなのだ。ホーム戦で負けるなんてやっていられるか。
「…ジャーファル様」
すう、と息を吸う。
「なんですか?」
「…こうして見ると、随分きれいなお顔をされていますね?」
特別翻訳、お前奴隷として売れそうだな。意味が伝わらない人だとは思っていない、だからこのまま喧嘩でも買ってくれれば、俺はそれを口実にこの人を追い出せる。
「………はあ」
すっ、と。その目が細められた。怒った、だろうか。この人を本気で怒らせたいのであれば王を侮辱すればいいのだろうけれど、今関係のない王を巻き込むのは流石の俺でも良心が痛む。
 そっと足が机に乗せられた。ぐっと、顔と顔の距離が近付く。
「この商会の生まれ変わりようは随分耳にしたのですが、責任者であるあなたはそうでもなさそうですね?」
「これでも奴隷商人ですからね」
「それにしては、遣り方が回りくどいように感じますが」
「時には遠回りの方が近道になることもありますよ」
顔色は変わっていないだろうか。変わっていないと信じたい。これでも面倒な客の相手は結構してきたのだ、それが今更、ジャーファル様に変わったところで………問題しか、ないのだったけれど。距離は詰められたが、怒っているのか怒っていないのかは分からない。俺としては、はやく出ていって欲しいのに。
 緊張の沈黙を破るようにして、扉がこんこん、と叩かれた。二人同時に扉の方に視線をやる。
「ヨナさま〜?」
扉の向こうでライラの声がした。
「おちゃのおかわり、もってきたよ! アルフが!」
「先生。持ってきました」
これは、人払いをされたときの安全確認だ。彼らがしっかり覚えていて実行していることに内心ホッとしながら、応えを考える。とりあえずこのまま、俺がジャーファル様の対応をするしかない。喧嘩を買ってくれないのであれば、誠心誠意対応して出ていってもらうしかないだろう。
「………悪いけれど、おかわりはいりません」
「そうなの? ヨナさまも、おきゃくさまも、おなか、すいてない?」
「大丈夫ですよ。仕事に戻りなさい。今日は鐘が壊れているので、おやつの時間を間違えないように」
「はあい、わかりました!」
「わかりました。何かあったらすぐに呼んでください」
 扉の向こうの気配がなくなったのを確認してから、またジャーファル様がずい、と近付いてくる。ジャーファル様が足を置いているのは机であって、踏み台ではないのだが。
「………今のは、どういう意味ですか」
「何がです」
「仲間内でだけ使える暗号のようなものでしょう。こどもたちに何を言ったんです」
バレるだろうなあ、とは思ったがこんなに真っ向から問われるとは思わなかった。
「…敵襲警報を鳴らすな、と言いました」
「それは鐘が壊れている、の部分ですね? 後半は?」
「別に、なんでもいいでしょう。貴方や従者の方々に危害なんて…」
「私は、」
与えないんですから、と続けるはずだった言葉は、遮られた。真っ黒な瞳が、静かに俺を見つめている。
「あなたに危害を加えることも出来ますが」
「………」
後半は、避難行動も必要ない、という意味だったがそこまで言う理由が俺にはなかった。
 ない、はずだった。
「ジャーファル様は、そういうことをしないでしょう」
「………」
今度は、ジャーファル様が黙り込む。俺がそんなふうに言うのは予想していなかったのだろうか、意外だった。でも、意外でもなんでもやっと出来た隙だ。ちなみにこれは机なんですが、と指さしてみたら、思いの外素直に身が引かれる。ついでに土も払ってくれた。そこまでしてくれなくても良かったのだけれど。
「どうして、」
ジャーファル様の唇が、小さく、震える。
「どうして逃げたんですか」
 俺は、その質問には答えなかった。
「………遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
この商会の責任者として、俺はただ予め決めておいた台詞を言う。
「本日はこちらで宿を手配させていただきます」
それ以上のことを、今は言う気になれなかった。



















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