3
数年前。
俺は突然、シンドリアに降ってきた。降ってきた、というのは他に言いようがなく、あの巨大な結界の上に放り出されて、だからと言って弾かれることもなく、宙に浮いたまま途方に暮れていたところを結界の異常に気付いたヤムライハ様に発見され、不審者ということで捕らえられたのだった。あのままだったら空気の薄さにやられていたかもしれないから、捕らえられたのであろうと、発見してもらえて良かったのかもしれない。俺だって好きで降ってきたわけじゃあないのに、とは思ったけれど、まあ、国防の観点から言えば文句なんて言えない。だって魔法だの何だのが普通に存在する世界だ、結界の上に降ってきたのだって魔法か何かで侵入しようとしたのだろう、と思われても仕方なかった。
「だから結界の上に座ってたんですってば!」
「ヤムライハ、きみを疑うわけじゃあないが、そんなことが可能なのか?」
「可能も不可能もまずもってもう実現してるんです!」
「ならつまり、俺たちの知らない未知の方法だと…?」
「ですから、そう言っています! なのでシンドバット王、彼に近寄らないでください! 御身の安全のためです!」
当然ながらそんな意味不明な現れ方をした俺に国王はひどく興味を持ったし、ヤムライハ様は危険人物かもしれない俺に王を近付けたくはないしで、当初は結構大変だった、のだと思う。俺は当事者でありながら部外者だったので、特に何も言わずに大人しく捕まっていただけだったのだけれど。
手枷もつけられ、暫く牢獄暮らしにはなったが、着替えも食事も用意されていたし、そこまで困ることはなかった。仮にも牢獄なのでベッドは硬かったが、それくらいで。此処は南国だからか、夜寒いとかもなかった。ちょっと暑い日もあったが、それはそれで石造りの牢獄がちょうどいいくらいだったなあ、と思い出す。
―――俺、は。
こうして思い返してみると、どうにもならない状況について別に悲観的にもならなかったし、だからと言って楽観的にもなれなかった。中途半端な俺の様子は、見極める側からしたらたいへん面倒なものだったとは思う。別に、そこは謝らないけれど。
兵を連れたヤムライハ様が、毎日尋問という名の会話をしてくれるのも、そこまで心細くならなかった要因かもしれない。彼女からしたらまったくもってよく分からない男と喋らなくてはいけないのは、負担だっただろうが。
どうやってあんなところに現れたのか、それに俺は答えることが出来ない。
俺の記憶は宿代わりにしていた古書店に向かうところで途切れている。よくこんな話では車に轢かれるとか、そういうきっかけがあるものだが生憎俺にそんな記憶はなかった。そもそも車が入れるような路地ではなかったし、近くに工事してる場所とかもなかったはずだ。もし死ぬようなことがきっかけとなるのだったら、まあ、恨みを買っている自覚はあったので、それだろうか。あまりよろしくない集団に属していたし、セコい詐欺も繰り返してきたし。流れでそうなったところはまあ、あるけれど、やってきたことをそこまで後悔しているわけじゃあない。だから、捕まるでも復讐されるでも、何かあったらそのときは受け入れようと思っていた。痛いのは嫌だな、と思うくらいで。
一体何処からやってきたのか、それにも俺は答えることが出来ない。
嘘が多くなれば自分が困ると分かっていたから、記憶喪失とは言えなかったけれど、そういうことにしてしまいたいくらいに状況は面倒だった。せめてこんなことになるにしても、もっと別の場所に出れたら、なんてことも思った。それはそれで、ひどい目に合いそうなのでどうとも言いづらかったが。ある程度怪しい者にもそれなりの対応をしてくれるこの国の寛容さという利点と、其処の王がそう遠くない未来、他の世界、という括りにまで手を伸ばそうとするのだという欠点と。どちらを選べと言われてもそれはすぐに解えの出るものではないだろう。
俺の受け答えは、大抵が曖昧なものになった。それなりに整備されていた町に住んでいたこと、シンドリアの名前は聞いたことがあったこと、その二点の俺の証言から未開の地にある町から、何らかの問題で飛ばされてきた、という見解が強いようだったが。自白剤とか、自白させる魔法だとか、そういうものを使われたら余計なことも喋ってしまいそうだったので、そういう方向だけは避けたかった。あくまでも、俺はたいへんに困っている迷子なのだという顔を崩さなかった。出来ることなら俺もどうしてこんなことになったのか知りたい、というのは嘘でも何でもなかったのだし。しかし、曖昧であればあるほど、向こうも対処に困るのはそう、で。
そんな俺の状況をどうにかしたのが、ジャーファル様の鶴の一声だった。この世界に鶴がいるかどうか分からないので、口にはしなかったが。ヤムライハ様の懸念は尤もであること、けれどもシンドバッド王が興味を持ってしまったのならそう近くないうちに牢から出して好き勝手連れ回す懸念もあること。後者に関しての方に俺は人権は? と思ってしまったわけだが、この王ならそれくらいやりそうだったので黙っていた。
「なので、彼は私の方で預かります」
「で、でもっ…仕事はどうするんですか? ジャーファルさん」
「仕事中も見張っています」
「なら、彼に会いたいときはお前のところへ行けばいいんだな」
「あんたは仕事をしてください」
仮にも国の政を司っている人間の横に、怪しい身の者を置くのはどうかと思ったけれど、まあ、彼らがそれで納得するのならそれで良いだろう。俺だって別に牢が好きというわけではないのだし。
「あなたもそれでいいですか?」
「…お任せします」
俺に発言権はないだろうにな、と思ってそう返すと、賢いですね、と返された。どう考えても馬鹿にするような音が含まれていた。
そういうわけで、俺は手枷も外されて牢の外へと出ることになった。
長い廊下を、ジャーファル様の後ろをついていく。見張る、とは言っても、流石に居住区は同じには出来ないらしい。まあそうだろうな、と思う。ジャーファル様が暮らしているのは紫獅塔で、其処には王もいるのだから、俺のような怪しい者を置いておくわけにはいかない。寧ろ、緑射塔に部屋が用意されたことにだって驚きだった。食客と思われているわけではなく、勝手に何処かにいなくなったりしないようにの措置なのは分かっていたが、これからの暮らしが保証されたも同然ではあったので、俺は内心ホッとしていた。何も分からない世界で、流石に一人放り出されるのは厳しい、というのくらいは思っていたから。
「ああ、そういえば、」
沈黙を破るように、ジャーファル様が歩調を緩める。俺もそれに従うと、ゆっくりと止まった。
「名前をまだ聞いていませんでした」
振り返ったジャーファル様は、ちょうど逆光になっていて表情が見えなかった。
それでも、その目が光を失わずに俺を見ているのが分かったから。
「………ヨナ、です」
俺は、名前だけを言った。苗字はどう考えても浮くだろうから言わなかった。
「ヨナ」
「はい」
「私はジャーファルと言います。この国の政務官をしています」
「政務官」
「政治やら何やらを担当しているということです」
意味が分からなくて繰り返したのではなかったが、説明してくれるのならば有難い。
「………分からないことがあれば、なんでも私に聞きなさい」
「そうさせていただきます」
「………」
ジャーファル様は何か言いたそうにしていたが、それ以上は何も言わずに踵を返した。そのまままた、歩き出す。
俺はその背中についていきながら、これからどうしたら良いのかなあ、なんてぼんやり思っていた。
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