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生活に図書館へ行く、というルートが増えて、それを知っているヤムライハ様は時折顔を出してくれた。彼女の勧めてくれる本は大抵難解な魔導書であったから、読むのに結構苦労したけれど。どうやらこの世界には辞書、という概念がないようだった。図鑑、も正直怪しい。まだまだ戦争ばかりしているのだ、調査だとかそういうものは交易や観光があってこそ進むようなもので、そちらにはそんなに手が回っていないのかもしれなかった。俺だって、そこそこ平和で文明の発達した時代に生まれたというだけで、そういったなんと言えば良いのだろう、アカデミックな分野については詳しくないのだし。
ちなみに王もよく顔を出してくれたけれど、王の相手をするとジャーファル様に怒られるのは目に見えていたので丁重にお断りした。俺だって見えてる地雷は避けたい。それに、王はやっぱり話上手だったので、長く話していたら要らないことを言ってしまいそうだった。実際口を滑らせたこともあったかもしれないが、そう重大なことを言ってないことを願うのみだ。あの人であれば、そんなに重大じゃあないことでもとんでもなく価値のある情報に変えてきそうだったが、それはさておき。
「しかし、初心者への手引きは考えたことはなかったな」
「そうですか」
「ヨナの話は面白いな。もっと聞かせてくれないか?」
「喋るの苦手なので勘弁してください。あと、ジャーファル様に怒られたくはないので…」
「堅いこと言うなよ」
俺だって好きでこんな堅いことを言っているのではない。もとよりそんなに真面目じゃあないタイプの人間だし、こんな状況じゃあなかったら王の脱走の手引きくらいはしていたかもしれない。俺は残念ながら授業をサボるのに教室の窓から抜け出すようなこどもだったので。
「あ、そろそろ政務室か。じゃあ俺は退散するか」
「もうこのまま行ったらいいでしょうに。ジャーファル様〜! 王が逃げようとしてますよ〜!!」
「え、ヨナ、お前、そんなデカい声出るのか…!?」
「出ます。普段大声を出す機会に恵まれないだけです」
普段、というかこっちに来てから、と言い換えてもよかったけれど。
俺はそこまでガタイが良いわけでもなから、声くらい大きく強そうなものが出せないと、それはもうナメられるのだった。あまりよろしくない集団においては、ナメられるというのはそのまま搾取側に回るということでもあったし、そこまで出世欲のない俺でもある程度の地位は守りたかったので、その辺は注意していた。
「シン」
「ひえ」
王の後ろにジャーファル様が生えてくる。
「仕事をしにこんなところまで来てくれるとは政務官冥利に尽きます」
「い、いや…俺はそんなつもりじゃあなくてだな」
「じゃあ今からそんなつもりになってください」
俺の大声にびっくりしていた王はそのまま捕まって、その日はしくしく泣きながら執務をこなす王を見ながらの読書になった。
まあこんな日もあるだろう、とさして気にはしなかった。
ルフのことや、俺に一応は魔法使いの素質があることも手伝って、ヤムライハ様には呼び出される回数が増えた。あまりも増えたため、ジャーファル様がいちいち連絡してこなくてもいい、と諦めたくらいだった。ヤムライハ様は喜んでいたし、俺も負担が減るのであればそれはそれで嬉しいと思うくらいはしたけれど、依然として俺は不審者のままなので、正直素直には喜べなかった。
とは言っても、実際に魔法のことを教えてもらうと、そんな罪悪感じみた気持ちは吹っ飛んだのだが。勉強も練習も退屈だと思っていたけれど、やっぱりこれは、違う。体質―――と言っていいのかは分からないけれど、まあ他に言いようがないので体質―――のことを除いても、今までまったくもってフィクションだと思っていたことが出来るのは楽しかった。最初にヤムライハ様が言っていたとおり、簡単な魔法しか使えなかったけれど、その簡単な魔法でも俺からしたら絶対に手にすることがないだろうと思っていた力だ。手に入れようとも思ったことのない力だ。
正直、楽しくてたまらなかった。
当然杖なんか持っていない俺に、ヤムライハ様は古いけれど、と杖をくれたし、練習を繰り返す度に命令式の組み合わせ方も分かってきた。本当は杖だって、俺は不審者から変わっていないのだから断るべきだと分かっていたのだけれど、目先の楽しさには敵わなかった。
―――でも、
思う。
ジャーファル様は俺が杖を持って戻ってきても、何も言わなかったな、と。流石に何か言われるかと思っていたのだけれど、いつものように一瞥して、それだけだったな、と。他の文官さんたちはとうとう杖貰ってきたんだ、なんて言ったくらいで、誰にも怒られはしなかった。まあ、俺の実力もどうせ報告に上がっているのだろうし、杖を持ったところで大した脅威にもならないことを知っているのかもしれない。そう思って、気にしないことにした。
「またヤムライハのところに行っていたんですか?」
「はい」
「あまり、彼女の邪魔をしないように」
「分かっています」
邪魔をするな、というのを言葉通りには受け取れなかった。怪しい身なことには変わりないのだから、大切な食客である彼女に近付くな、ということだろう。まあ、実際のところ、俺が好きで近付いているのではなく、ヤムライハ様の方から近付いてくるの割合の方が多かったのだが。魔法の練習が本格化したところで、そうも言っていられなくなった。それに、そんなことをジャーファル様に言ったところで言い訳にしかならないし、俺がうまく断ればいいだけ、とでも言われそうな気がするし。
この頃になると、もう俺は半分開き直っていたのだと思う。
俺が、身の潔白を証明する方法なんてものは、きっと何処にもない。だから、ある程度大人しくする、という前提はきっちり置くものの、その中でやりたいことはやろう、と思った。元の世界には、なんとなく戻れないのだろうと思っていたし、それならばこの世界で暮らすのにさっさと適応した方が良い、と。
そんなことを思いながら、ヤムライハ様に勧められた本の続きを読む。おすすめ、とは言うけれども実質的な宿題だった。昔は宿題なんて真面目にやらなかったのに、今、こんな年になって初めて真面目にやっているのは、それだけ魔法が楽しいからだろうか。
「それ」
「はい………おわ、」
「なんですか」
珍しく声をかけてきたな、と思って顔を上げたらすぐ其処にジャーファル様がいた。そんなに近いとは思っていなかった。
「思ったより目の前にいたので、びっくりしたんです」
「…そうですか」
今、どうして少し間が空いたのだろう。よく分からないな、と思いながら別に分かる必要もないか、と見上げる。机に座っていれば、俺でもジャーファル様を見上げることは可能だった。いや別に、見上げたいわけではないが。身長は、俺の方が少しだけ高い、というようなものだったから、普段はあまり見ない角度だなあ、くらいは思うもので。
しかし、何の用だろう。
俺は別に、いつもと違うことをした覚えはないのだけれど。ジャーファル様の視線は俺の読みかけの本に落ちている。
「理解出来るんですか」
「正直、さっぱりです」
「なのに読むんですか」
「勧めてもらったので…」
あれこれと魔導書を勧めてくるヤムライハ様はいつも楽しそうだったし、分からないながらも新しい知識を吸収すること自体はそんなに苦ではなかった。理解出来ないのは主に過程の部分であって、結果―――魔法でどんなことが可能か、というのはそれなりに分かるのだし。それにまあ、理解出来たとしてもきっと、俺の体質では再現は不可能だっただろうし。
じ、とジャーファル様が俺を見遣る。
本当に、何だろう。俺の開き直りが流石に目に余ったとか、だろうか。でもそれだったら、こんな何から問うたら良いのか、とでも迷うような顔はされなかったのではないか、と思う。暫くそのまま俺を見ていたジャーファル様は、口にする言葉をそっと選ぶように、ゆっくりと問うた。
「…ヤムライハに、感想を求められることはないんですか?」
「聞かれますが」
「何と答えているんです」
「さっぱり分からなかった、と言ってますが…」
なんだろう、やっぱり、不審者が魔導書なんかを読んでいるのはまずいのだろうか。でもヤムライハ様に勧められたものだったし、基本的に誰でも読める棚にあるものしか借りてはいないし。怪しいには怪しいかもしれないけれど、俺だって大丈夫そうなラインを探りながらこれでもやっているのだけれど。まあ、魔導書や魔法の練習はともかく、図書館出入りを取り上げられてしまうと暇になるな、とは思った。もしそうなったらこれからどうしよう。暇を潰すネタが一つ消えることになる。
戸惑う俺などどうでもよさげに、ジャーファル様がふ、と笑う。なんだ今の笑み。
「今度からは、」
すっと、その指が本のページをなぞっていく。
「もっと簡単なものにしてくれ、と言った方がいいですよ」
「え、あ、はあ…」
「ヤムライハもそれが分からない子ではありませんから」
そう言って部屋を出ていくジャーファル様に、何を思うのが正しいのか分からなくて、ヤムライハ様のこと子≠チて言うんだな、とだけ思っておいた。
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