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ジャーファル様に言われたからではないが、ヤムライハ様にもう少し簡単な本はないかと聞いてみたところ、もっとはやく言ってくれたらよかったのに! と言われた。そんな、俺に本を勧めたりしてくれるだけでも有難いのに、それ以上手を煩わせるわけにはいかないだろう。それに、俺は現在こんなに怪しくてもヤムライハ様よりずっと年上なのだし。改めて口にすると、幾ら天才魔導士だろうと年下の女の子の手を煩わせている現状に普通に落ち込んだ。
「年下に教わるのは嫌?」
「そういうわけではないんですが…」
別に何かを教えてもらうのに、年はあんまり関係ないと思う。年齢のことをとやかく言う人間ほど、敬える部分がなかったりするものだし。でもそれとは別に、正式な生徒でもないのにここまで手を煩わせている、というのは…なんというか、申し訳なさが勝つ。
「ふうん? ヨナって意外と遠慮しいなのね」
「そんなことはないですよ」
本当にそんなことはなかった。俺だって、こんな状況でもなければ一生気にしなかったことだと思う。宿代わりにしていた古書店にだって、何かしていたわけでもないのだし。気弱そうな店主に泊めてくれと頼み込んで、それから時折顔を出していたくらいだ。お土産と言って饅頭とかを買っていったこともあるが、本当にその程度。
店主のジジイだって、どう考えても怪しい俺が来なくなって清々しているだろうな、と思う。部下だって特に持っていなかったし、改めて考えると本当に誰にも惜しまれることのない人生を送っている。だからこそ、こんなあり得ない状況にもさっさと適応したのかもしれないが。多分俺があれこれ触れてきた物語を思い出すに、元の世界に戻りたいと思うようなシーンが大抵入るものだ。だって、どんな登場人物であろうと、思い出というものがあるものだから。家族のこと、友人のこと、やりかけの仕事、お気に入りの場所、新しい世界には絶対にない四季折々の風景、など。思い返してみてもそういうのないなあ、と思う。
「………ヨナは、」
「はい」
少し考え込んでいた俺にヤムライハ様が眉を寄せる。これは目の前で考え事をされて怒っているというよりかは、悲しそうな顔に見えるのだけれど、どうしたのだろう。
「故郷に、帰りたいって思わないの?」
「思わないですね」
「そうよね、当然そう思うわよね………って、ええっ!?」
「すみません、思わないです」
ヤムライハ様も複雑な経緯で此処に来ているはずだから、気にしてくれたのかもしれないな、と思った。でも、本当に帰りたいだなんて思ったことはないのだ。
「薄情かもしれませんけど、思い出も何もないので。あ、ええと…故郷のことが嫌いってわけじゃあないんですけど、そこまでこう…郷愁に駆られるほどの場所かと問われると…ちょっと違うな、っていうか」
「そ、そうなの?」
「はい」
暫く俺の顔色を窺っていたヤムライハ様は、ふうん、と呟いた。
「もしかしたらヨナは、冒険者とか向いてるのかもね」
「うーん…そこまでではないと思いますが、新しい土地に放り出されてもある程度やっていけそうなのは、まあ、ありますね」
「それで充分よ」
むくれたように言うヤムライハ様に、そうですか? とだけ返しておく。
どうしてむくれられたのか、それはよく、分からなかった。
政務室の隅へと戻って、いつものように本を読んでいるとヨナ、と呼ばれた。それに返事をしようとして、あれ? と思う。此処は政務室で、いるのはジャーファル様と文官の人たちだけだ。文官の人たちはそれなりに優しくしてはくれるけれど、彼らは仕事が忙しいのもあってあまり話しかけてきたりはしない。それもあって、此処で名前を呼ばれることなんて、今までなかったのに。
「ヨナ」
顔を上げる。どうやら俺の幻聴ではないようで、三回、強く瞬きをした。
「ヨナ」
三度目のそれは少し苛立ちを含んだ音になっていて、慌てて返事をする。
「えっ、あっ、はい!」
びっくりした。思わず立ち上がる。
「なんですか、その反応」
「あ、いえ、ちょっと集中してたので…」
嘘だった。そうではないのだ、ジャーファル様が俺の名前を呼んだものだからびっくりしてしまったのだ。だって、今まで全然名前なんて呼ばれたことはなかったし、流石に忘れているとは思っていなかったが、これからも呼ばれはしないのだろうと思っていたから。あまりにびっくりして心臓が変な音を立てている。
ジャーファル様はそんな俺のことなどお構いなしに近付いてきて、栞を取って本に挟む。それから本を閉じる。
「外に出る用事が出来ました。あなたもついてきなさい」
「え」
それだけを言ってすたすたと歩き始めたジャーファル様に、俺はもたもたとついていくしか出来なかった。本も閉じられてしまったし、問答無用とはこのことを言うのだと思う。しかし、外に出る用事についてもう少し何かあっても良かったのではないか。そう思う俺は多分、図々しいのだと思う。俺は未だ不審者だろうし、ジャーファル様の用事を事細かに伝える必要なんてないのだ。
部屋を出ると、全体的に騒がしいのが分かった。よくこんな状況で呑気に本なんて読んでいたな、と思う。そういえばいつもは時間を知らせるだけに使っているはずの鐘が、慌ただしく鳴っている。何かあったのだろうか。部屋にも他の文官さんはいなかったし、廊下ですれ違う人たちもせかせかしている。
「ヨナ」
「は、はい」
「そっちじゃないです」
「え?」
どちらにせよ王宮から出るのなら階段を下りないといけないだろうと、角を曲がろうとしたら呼び止められた。しかし、名前を呼ばれるとこんなに緊張するものなのだな、と思う。ヤムライハ様は結構名前を呼んでくれる方だし、時折顔を出すシャルルカン様もそうだ。シンドバッド王は言うまでもない。なのに、今までまったくもって呼んでこなかったジャーファル様が言うというだけで、ひどく緊張する。
「ヨナ」
「はい」
今度はどもらずに返事が出来た。そんなことを思っていたら、襟首をがっと掴まれる。
「え?」
「行きますよ」
「え、え、まっ―――」
そのまま、ジャーファル様は窓から外に飛び出した。
俺は当然、舌を噛んだ。
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