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襟首を掴まれたまま猫の子のように運ばれた俺は、舌の痛みと眩暈に悩まされながら膝をつく。
「う、う…」
「空を飛ぶくらい、魔法でやっているでしょう」
「そ、そういう難しいのはやってないです…」
「そうでしたか」
せめて一言くらいでいいから謝ってくれ。正直そう思った俺は悪くないと思う。ていうか俺なんかがそんな移動が有利になるような魔法を習うわけないだろ。分かってて言っているなら相当趣味が悪いと思うが、どうにもこの人は何処に本気があるかよく分からない。大真面目に言っている可能性が拭えない以上、俺が何を言うことも出来ないというわけだ。いやまあ、別に何か言わなくてはいけないわけではないが、襟首を掴んだまま大ジャンプに巻き込まれた身としては胸中で文句の一つや二つくらい言わせて欲しい。
未だくらくらとする視界に、落ち着かず目を擦っていると腫れますよ、とその手を止められた。耳の後ろにするり、と指が回る。何、と思っているとつい、とその指先に力が込められた。
「いっ、………つ…ぅ、ぁ、っ」
「乗り物酔いに効くツボです」
「つ、ぼ…」
ていうか、これは乗り物酔いに分類していいものか。そんなことを思っていると、反対側も同じようにやられる。また悲鳴を上げてしまった。いやこれ、結構痛い。
「楽になったでしょう?」
「………はい」
残念ながら、痛かった分視界は真っ当に戻っていた。
「ええと、ありがとうございます」
そもそもジャーファル様がそんな常人離れした運び方をしなければこんなことにはならなかったような気がするが、気分が悪いのを直してもらったのは間違いがない。そうやって思ってお礼を言うと、ジャーファル様はよく出来ました、とでも言いそうな顔で笑った。
「どういたしまして」
この人、こんな顔するんだ。
いや、するんだろうなっていうのは知っていたけれど、俺には向けられないのだと思っていた。俺は小さなこどもではないし、何よりも未だ不審者のままなのだし。
「―――」
何か、言おうとしたような気が、したのだけれど。
それは何かが暴れるような、ドーンッという音でかき消された。
「………え?」
音の方へと顔を向ける。人々の悲鳴。ぬう、と岩棚の向こうから顔を出した、鰻みたいな顔をした生物。知っているだろうか、鰻って結構怖い顔をしている。いや、そうじゃなくて。
「あの、えっと…」
「見たことありませんか? アバレウツボです」
見たことあるけど見たことあるわけないだろ。とは言えそれを言うわけにもいかず、正直に初めて見ました、とだけ言う。ジャーファル様は特に気にした様子もなく、まあ珍しい生き物ですからね、と返してきた。なんだっけ、この辺の海域にしか生息していないんだっけ。やっぱりこういうとき、図鑑なんかがあれば良いのになあ、と思う。大まかな流れは流石に覚えているけれど、そういう細かいところまでは覚えていない。まあ、そんなだったからこそ、ヤムライハ様の魔法の授業には素直な驚きでもってして接することが出来たのだけれど。
「ええと…災害、的なやつですか」
「そういう側面もありますね。入ってこられると港なんかは一部壊されたりしますし」
「はあ…」
さっき聞こえた悲鳴は、どうやら悲鳴じゃあなくて歓声らしかった。人間の甲高い声って結構区別がつかないな、と思う。
「側面、ってことは…恩恵…的なものもあるってことですか? 皮とか、骨とか…?」
「皮や骨は主に船の素材になりますね。あと、食べられますよ」
「食べ…」
「美味しいですよ」
「そうですか…」
なんというか、実際に見てみると、知っていても本当に食べられるのか? という疑問の方が先立つ。だってデカいし。顔も怖いし。魚も結構歯があるんだな、というのがよく分かる。よくこんな生物がうようよいる海域の島に建国なんてしたな。いろいろな考えあってのことだとは分かっているものの、純粋な驚きの方が勝る。
王の号令でシャルルカン様が飛び出していった。アバレウツボはきれいに解体される。下でしっかり肉を受け止めている兵の人たちもすごいな、と思った。
定期的に襲い来る災害をこうしてパフォーマンスに落とし込み、王と八人将の見せ場にする。軍事演習やパレードと同じ効果があるのだろう、民は災害を国が退けてくれるのをその目で見られるし、観光客には確かにこの国は強いのだと思わせる。退治したあとは宴を開いて、海の恵みとしていただく。よく出来ている。アバレウツボが壊していったところも、ちゃんと補修されるようだったし。
そんなことを考えながらアバレウツボの周囲で動く人々を眺めていたら、ふいに、空が陰った。
「………え?」
雲でも出てきたのか、と思って振り返った俺の視界には、何か青いものが飛来していて。
「ヨナ!」
「―――ッ」
声を出すよりも先に、がくん、とまた視界が揺れる。気付くと俺はさっきいた場所から随分離れた場所にいた。ばらばらになった青いものがきらきらと太陽の光を反射して、きれいだなあ、なんて思う。どう考えても俺はさっきあれの下敷きになりかけたのだったが、人間、そうすぐに自身の危機を直視出来ないものだ。ぎゅう、と肩を掴まれて初めて、誰かに半分抱えられているような状態なのだと気付く。
「………」
シンドリアの文官服。周囲の文官で、瞬時に俺を移動させて多分アバレウツボの一部をばらばらに出来るような人間を、俺は一人しか知らない。
ジャーファル様。
びっくりして息を吸い込むと、あの部屋と同じようなインクと紙の香りがした。ぐっ、ともう一度強く引き寄せられて、それからジャーファル様は俺の肩を掴んで顔を上げさせた。
「怪我はありませんか」
「あ、えっと…ないです」
「よかった」
そこでようやく安堵が追いついてきたのか、へな、と力が抜ける。そのまま座り込むと、ジャーファル様も目線を合わせるようにしゃがんでくれた。
―――よかった、
って。
なんだろう。
遅れてアドレナリンが出てきたのか、無駄に頭がぐるぐると回転する。俺は、単なる不審者で、ジャーファル様は見張りのために俺をそばに置いているだけのはずだった。そういう願望があるわけではないが、不慮の事故とかで俺が死んだのなら、それはジャーファル様の懸念事項が一つ勝手に消えてくれる、ということになるんじゃないだろうか。
「ボルグはどうしたんですか」
「えー…あー…習ってないですね」
多分、流石のヤムライハ様もボルグの出し方が分からないとは思っていなかったのだろう。ルフが不安定だろうとそこそこ魔法は使えていたから、俺だって出るくらいはすると思っていたのだ。よくよく考えなくてもそんなものが今まで出たことなんてないのだから、言っておくべきだった。
向こうからヤムライハ様が駆けてくる。
「ヨナ、大丈夫!?」
「え、あ、はい。大丈夫です」
「もうっ、あの馬鹿には強く言っておくからね!」
あの馬鹿、という言葉に一瞬考えて、この場合は多分シャルルカン様だろう、と当たりをつける。シャルルカン様の斬り残しが飛んできたのだろうし。
「いえ、本当に大丈夫なので…」
「ヤムライハ」
「はい。ジャーファルさん、なんですか?」
「ヨナはボルグが使えないそうです。今度教えてやってください」
「えっ!? そうなの!?」
「俺もさっき初めて知りました」
「そんなの、赤子を海に放り込むようなものじゃない…! 明日からそっちやろうね!」
「………はい」
赤子を海に放り込むまでいくのか。俺からしてみれば普通はボルグなんて張れないので、正直その感覚は分からないが。
「ヤムライハ、あとは頼みます」
「はあい! 任せてください!」
ヤムライハ様が俺の手を引いて走り出す。思わず振り返ると、ジャーファル様が軽く手を振っていた。でもそれも一瞬のことで、すぐに横の文官と何かを話し合い出す。被害の補填とかの話だろうか。偉い人はやることが多くて大変だな、と思う。
「そういえばヨナは謝肉祭(マハラガーン)は初めてよね」
「は、はいっ」
「すっごいお祭りなんだから、ちゃんと楽しまなくちゃだめよ?」
「え、えっと…頑張ります」
―――よかった。
ヤムライハ様と話しているのに、さっきのジャーファル様の言葉がどうしても耳から離れなくて仕方なかった。
別に、おかしな台詞ではない、と俺は自分に言い聞かせる。
海の恵みとしてイベントに昇華させているのだから、それで死んだ人間が出たら外聞が悪い、のは分かる。分かるけれども、なんだかもやもやとしたものが俺の中には居残った。
「ヨナ、全然食べてないじゃない」
監視の代わりなのか、俺の隣に座ったヤムライハ様が覗き込んでくる。
「好きな味じゃあなかった?」
「えっ、いえ、好きです。美味しいです」
「よかった!」
にっこり、と笑われて、ほらもっと食べて! と皿に次から次へと料理が盛られていく。それをシャルルカン様が文句言いたげに見ていた。俺はちょっと居心地が悪く思いながらも、ヤムライハ様にお礼を言って料理に手をつける。
「ていうか! 剣術馬鹿はヨナに謝ったの!?」
「あ、謝っていただきましたから…!」
「ほんと? あとちょっとでぺしゃんこになるところだったのよ?」
「本当ですっ、怪我もしてませんし、美味しいですしっ」
ぐるる、と俺を挟んで睨み合う二人の間でわたわたと手を振った。二人とも随分な年下なのだし、普通に喧嘩するくらいなら俺だって何も言わないけれど、流石に原因が俺だと何も言わないわけにはいかない。
「俺はお前の中で謝りもしねえ人間だと思われてるのかよ…!」
「そうだけど?」
「ヤムライハ様っ」
「ヨナは宴を楽しんでて! 私はちょっとこの馬鹿にいろいろと言いたいことがあるのよ」
「俺だって言いたいことくらいありますけどぉ? 魔法馬鹿のくせに基本中の基本も教えられてなかったんだって? 魔法馬鹿から魔法抜いたら馬鹿しか残らねえじゃねえか」
「シャルルカン様もっ」
許されるなら、この二人の口に何か食べ物を突っ込んでしまいたい。
俺と同じことを思っていたのか、マスルール様が二人の口に魚の切り身を突っ込んで、無理矢理席につかせていた。それを見てほっとする。
他の方々は事情を知っているからか、俺を遠巻きに見ているだけだった。俺もその方がありがたい。逆にマスルール様がこっちの席に座っているのが不思議なくらいだったけれど、二人を黙らせてくれたのには助かったので、余計なことは聞かないにした。
「………」
―――よかった。
まだ、耳の奥でジャーファル様の声が響いている。本当に、大したことのない台詞なのに。ジャーファル様だってそう、何か意味があって言ったわけじゃあないと思う。ただの、会話の流れ。俺が気にしすぎているだけのはなし。
「ヨナ」
ヤムライハ様がまた覗き込んでくる。
「アバレウツボのこと、怖くなっちゃった?」
「え? いや、えっと…そういうふうには考えてはなかったです」
「そうなの? そこまで頻繁じゃないけど、シンドリアでは時々あることだから…怖いは怖いでいいんだけどね、たくさんの恵みをくれるものだから、それだけじゃあないって、思ってほしくて」
「えーと…それは、多分、大丈夫です」
美味しいですし、ともう一度言うと、またヤムライハ様は笑ってよかった、と言った。
それは、こんな俺のことだって考えてくれている、ひどく優しい言葉、だった。
「―――」
「ヨナ?」
「あっ、ヤムライハ様、これ食べました? すごく美味しいです」
「まだ食べてないの。ヨナがそう言うなら食べようかな」
そう、ヤムライハ様の言葉こそ、意味があって、会話の流れだけじゃあなくて、言ってくれたものの、はずなのに。
どうして、引っかからないんだろう。
そんなことを思いながら、びっくりしたからだ、と自分に言い聞かせて料理に戻る。あの巨体のわりには、本当にアバレウツボは美味しかった。
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