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一度呼んだらそういうものと認識したのか、それともジャーファル様の中で呼んだ方が早い、と気付いたのか。真実は分からなかったけれど俺は名前で呼ばれるようになった。
しかしどうにも、慣れない。
別に今まで名前で呼ばれないような生活をしてきた、のとは違う。元の世界でだって、そう多くはないが名前を呼ぶ人間はいたのだし。そこまで不思議な文化じゃあない。それに、こっちに来てしまってからはヤムライハ様を始めとして、名前で呼んでくる人は一定数いた。だから、慣れないのはきっと名前を呼ばれること、自体にではなくて、ジャーファル様に呼ばれる、ということなのだろう。でも、理由が分からない。いやまあ、俺の中で名前を呼ぶことはそれなりに距離を縮める行為であって、そういうイメージとジャーファル様のイメージが結びつかないから、とかなのかもしれなかった。俺だってクソなりにも人間なので、おいとかそこのとか、そういう呼ばれ方をされたいわけでもないのだし。
そのうち慣れるだろう、と思う反面、今まで俺のことなんて放任もいいところだったのに、と思う。いや、自分で言い出した手前監視はされていたと思うけれど(ジャーファル様がそういうことを怠る方がイメージとしてなかったし)、監視するのに話しかける理由なんて、なくて。多分それも引っかかってるんだろうなあ、と思う。いよいよ怪しさが許せるレベルではなくなってきたのだろうか。でも、最近は特別新しいことをしてはいないし、そういうふうになるなら魔法を習い始めた頃だとか、杖を貰ったあたりでなっているはずだった。
「ヨナ」
「っ、はい!」
「そんな勢いをつけて返事をしなくても聞こえますよ」
「そ、そうですよね…」
すみません、と言ってみるが、ジャーファル様は特に気にしたようには見えなかった。まあこの人が俺に感情を悟らせてくれるようなことをするだろうか、ということも思うには思うけれど。
もう此処へ来て一年くらいになるけれど、正直どんな人なのかいまいち掴めないままであるのだし。いや、知っている≠ニかじゃあなくて。俺が知っているのは単なる一部分、外側≠熈外側≠ゥら見た情報でしかなかったし、やっぱり目の前にいる人間について、そういう情報だけで分かった気になるのは危ないだろう。…そういう意味ではヤムライハ様なんかは思っていたよりもパワフルで愉快で可愛い人だったし、シャルルカン様は想像よりも大分クールだった…クールって今も伝わる言葉か? 大丈夫? …まあ、俺によくすると高確率でヤムライハ様に話が伝わると分かったからかもしれないけれど。
「ええと、」
さっきの勢いを誤魔化すように咳払いをする。
「どうかしたんですか? ジャーファル様」
「それがですね」
たいへん困った、とでも言うようにジャーファル様は頬に手をあててみせた。結構分かりやすい仕草をしてくれるわりには、やっぱりどういう人なのか全然掴めない。王がそばにいる時もそうだけれど、割合ジャーファル様はリアクションの大きい方、なのだと思う。でも、それも何処かやってみせている感があるというか…演技、ではないけれど、本意がよく分からないというか。大仰にしてみせても許されるからやっているというか、そんな感じがして仕方ないのだ。この辺は、俺が穿った見方をしているのもありそうだから、絶対口には出さないけれど。それに、不審者に対して純粋なリアクションを見せる理由もないのだ。俺が気にすることでもない。それでジャーファル様がうまくやっているのなら、本人が楽しんでやっているのなら、別にいいだろう。
「少し、国を離れることになりまして」
「そうですか」
なんでそんなことを俺に言うんだろう、と思ってから、あ、と思い至る。思ったことを端から忘れる都合のいい頭で本当に申し訳ないと思う。
「あ、えっと…俺の監視、とかは…どうなるんでしょう」
「それなんですよね」
はあ、とため息が吐かれる。そういえばジャーファル様が出かけるのを俺は見たことがなかったが、それは単に俺に知らされていないだけかと思っていたのだけれど。もしかして、本当に政務室の机にずっとかじりついていたのだろうか。それはそれで怖い気がする。詳しい時系列を覚えているわけではないから、今≠ェいつなのか分からないのもあったが、確かシンドリアが建国三年目くらい、と言っていただろうか。本編≠謔闡Oだろう、ということしか分かっていない。まあ、何でも三年目が忙しないと聞くし、それは建国でも同じなのかもしれなかった。俺はそこまで頭が良くはないので、国だとか、政の遣り方についてはさっぱりなのだし。
「連れて行こうかと思ったのですが…そっちの方が危ない、とヤムライハに反対されてしまって」
そりゃあそうだろう、と思った。怪しいから王宮に留めているはずなのに、監視する人がいなくなるからと言って連れて行こうというのは本末転倒だ。この人時々意味不明なことを言い出すよな、と思いながら、そうですね、と控えめに同調しておく。俺とジャーファル様とでは力量差があると知っているからやらないが、もし俺が不意をついて逃げ出そうとしたら、仕事が増えるだろうし。
「ええと、俺のことはその…いいようにしてください。手を煩わせるのは本意ではないので」
不審者が何を言っても、ではあるが、何も言わないよりはマシだろう。そう思って言ってみると、ジャーファル様はただ一つ、頷いた。
「そうですか」
「はい」
「………」
「………」
何だろう、この沈黙。
ジャーファル様が出かけるからか、他の文官さんたちも忙しそうで、この謎の沈黙に割って入ってくれる人はいなかった。ジャーファル様は俺をじっと見ているし、俺が何か言えばいいような気がするが、ちょっと話題も思いつかない。困ったな、と視線を落とした先には本しかなかった。この本の話は昨日してしまったからだめだ。
「ヨナ」
そんなふうにぐるぐると思案していると、また呼ばれる。
「は、はい」
やっぱり慣れなくて返事に動揺が滲んでしまう。どうにかならないものか、これ。
「今日はあなたの部屋に行ってもいいですか?」
「はい、どうぞ」
答えてしまってから、え? と顔を上げた。今、この人、何と言った?
「どうしたんですか。嫌でしたか?」
「え、いえ…嫌とかはないんですけど、一体何の用ですか?」
そもそも俺の部屋、とは言われているものの、俺は食客でもなんでもないし、建物自体の権利も何もかもそっちにあるだろうに。用があるなら勝手に入られても文句は言えない、くらいには思っていた。まあ、出来ることなら入るなら一言欲しいのはそうだったけれど、そこまで言ってられるほど、自分の怪しさに対して能天気にはなれなかった。
いや、今はその話じゃあない。
ゆるり、とジャーファル様が首を傾げる。わざとらしいと思うのに、どうもこの人がやるとさまになるというか、違和感がそんなにない。わざとらしさまで含めて、仕草になっているというか。なんか変なこと言ってるな。
「用がないと行ってはいけないんですか?」
「え、ええ…?」
何を言い出すんだろう。言葉の出ない俺などお構いなしに、ジャーファル様は続ける。俺の思考が変な方に飛ぶのもジャーファル様の所為にしていいだろうか。この人が変なことを言い出したから俺の思考もそれに引っ張られてバランスを崩してるところないか?
「少し話がしたいだけですよ」
「俺の部屋で、ですか?」
「私の部屋には呼べないでしょう?」
それはそうなんだけれど。
俺が戸惑っている間に、他の文官さんがジャーファル様を呼ぶ。ジャーファル様はそれに応えてから俺の方をもう一度見て、よろしくお願いしますね、とだけ言った。
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