12
シンドリアを出て、俺はレーム帝国に向かった。交易の盛んな都市と聞いていたし、何処かの商会の仕事でも手伝えれば、と思ったのだ。計算の遣り方は変わらないのだし、文字を覚えてしまえばそこは困らなかった。…そうやって、静かに、大人しく暮らすつもり、だったのだ。それがなんでか、奴隷商人になってしまったわけだが。利権を得てしまったあと、どうしたものかと俺だって悩んだには悩んだのだ。結局、シンドリアは奴隷制を敷いていない、という事実が後押しして、隠れ蓑にはちょうどいいだろう、というふうに決断したのだったが。どうせ、ものを売り買いすることはするつもりだったのだ。それが人間になったところで、問題は―――あったけれど、どうせ褒められた人生なんて歩んでいないのだ、今更汚点が増えようが知ったこっちゃなかった。
それに。
売られた喧嘩は買う主義なのだ。商人として働こうと出てきたところで、手に入った商会を手放すのは外聞が悪いだろう。もしやってみてやっぱり肌に合わない、となったらやめれば良いのだし。…結果、意外と肌に合った、というのが現状だった。勿論、大改革も奴隷以外の商品のラインナップを増やすこともやったけれど。やっぱり奴隷を扱っている、という事実には変わりがないのだし。
「はあ………」
久しぶりに思い出したシンドリアでの一年は、思ったほど色褪せていなかった。俺にとってはシンドリアを出てからも結構大変だったのだけれど、やっぱり楽しかったのだろうな、と思う。
逃げた。
改めて言われると、当時気にしないようにしていた罪悪感がむくむくと湧いてくる。俺にだってそういうものはあるのだ。それに、この件ではヤムライハ様にすごく、ものすごく迷惑をかけてしまったのだし。ジャーファル様から問い詰められたという話は聞いていなかったから、ジャーファル様も王が決めたのなら、と俺の処置に納得してくれたのだと思っていたのだけれど。
「どうしよ、これから」
見つけましたよ、と言ったということは、探していたということだろう。もしかして黙っていてくれただけで、ヤムライハ様も問い詰められたりしていたのだろうか。そうだったら謝っても謝りきれない。ジャーファル様だってそんな、部下とは言え食客であるヤムライハ様にそんなふうに出ることはないだろう、とは思うけれど。
そこまで思って、もう一度ため息を吐く。
「ぜんっぜん驚いてない…」
寧ろ、知らぬ存ぜぬを通して喧嘩売って帰ってもらおうとするくらいに余裕ブチかました対応が出来た。そのどの対応も真面に実を結んでいないことはさておき。ノックの音がする。応接室にいた客が客間へと向かったことはすぐに広まったはずだ。確認の誰かだろう、そう思って返事をする。
「ライラだよっ」
「アルフです」
いつもの二人だった。入るように言うと、待っていたとばかりに扉が開く。
「先生」
「ヨナさま〜」
ライラは笑顔だし、アルフもそこまで険しい顔はしていない。案内と通達はうまくいったと考えていいだろう。
「おきゃくさまは、サーナがあんないしたよ!」
「…ありがとうございます。あとでサーナを褒めないとですね」
「サーナ、すっごくきんちょーしてたみたい」
「でもしっかりやってたよ」
「それなら、よかった。…二人も、ありがとうございます」
俺が立ち上がらなかったからか、ライラがそばに来て膝によじ登り始める。普段は他のこどもたちに邪魔をするな、と言ってくれるアルフも、今は俺が何もしてないのが分かっているのか、それを止めてはくれなかった。別に重くもないからいいけれど、幼女を膝に乗せている奴隷商人の男って、なんていうか…絵面的にアウトでは? とも思わなくもない。いや俺が好きで乗せているんじゃあないし、ライラも客の前ではやらないが。
というか、男女年齢問わず全員に、俺に対する客の前でのスキンシップは禁止している。うちの方針は貸出であって、当然貸出中でも彼らの主は俺だし、すべての権利だって俺にあるままなのだけれど、勘違いした客がいろいろと要求したら困るなあ、と思ってのことだ。主にしているのだから変わらないだろう、とか言えばこどもくらい丸め込めそうな大人ばかりが客なのだし。最初の頃は高級奴隷、という言葉ばかりが独り歩きして、そういう用途で貸出を希望してくる客も結構いた。そのすべてを、あーそういうんじゃないんで、で断り続けたのも記憶に新しい。というか、今も時折来る。人様の趣味をとやかく言えるような立場ではないが、世界の醜い部分の煮こごりを目にしているようで嫌になることもある。他の商会からいろいろあって引き取ったこどもが真夜中に俺のところに来たと思ったら、そういうことをしようとした、ということだってあった。思い出したら頭が痛くなってきた。
「ヨナさま〜?」
「なんですか?」
「おつかれ?」
「…そうですね、今日はすごく疲れました…」
「じゃあヨナさまにもいいこいいこ〜」
「………ありがとうございます」
こどもに撫でられるのはどうなんだろう、とは思うが、払い除けるのも何か違う。でも、一体何処で覚えたんだろうな。俺は出来るだけ客に接触を許さない方針にしているため、褒めるときも撫でたりしないのだけれど。仕事のないときや、まだ仕事に出せるほどの年齢じゃあない者は町に貸し出すこともあるから、そこで覚えてきたのかもしれない。
ある程度好きにさせてから、アルフがそろそろ先生の髪がぐしゃぐしゃになる、と止めてくれた。ごめんね、と言うライラに大丈夫ですよ、とだけ返す。どうやらまだ膝から降りる気はないらしい。
「ヨナさま」
「はい」
「あのひと、こわいひと?」
あの人、と言うのはジャーファル様のことだろう。聞かなくても分かる。というか、他にそんなふうに言われるような客は今日はなかった。ライラの言う怖い人、というのは商品に危害を及ぼしたり、商会の邪魔をしようとしてくる人のことだろう。こっちは大体の当たりをつけてから、答える。
「………いえ、大丈夫ですよ」
そう、別に、そういうことはないのだ。ジャーファル様であればやろうと思えば出来るだろうが、流石にやらないと思うし。見つけた、とは言われたけれど、それはきっと、探していた、ということでもあるだろうけれど。
連れ戻しに来た、のとは。
違うように思った。どう違うのかなんて、明日話してみないと分からないが、今日引き下がってくれたということはそういうつもりはないのだろう、と思う。
「でも、シンドリアは奴隷制を敷いていないんじゃ…」
アルフの疑問は尤もだ。
「その通りです。…ちょっとした、昔の知り合いってだけですよ」
「…昔の知り合いなのに、制服で会いに来るのか?」
うん、尤もすぎる。それについては俺だって文句を言いたい。普通、昔の知り合いに会いに来るだけなら制服では来ないし、そもそもあんなピリピリしまくったりはしないのだと思う。人払いもしたし。これまでに人払いをしたような案件は大概、喧嘩を売られたので喧嘩を買いました、という結果になっているのだし。明日ジャーファル様を無事に追い返したらある程度説明をしなくてはならないだろう。ああ、仕事が増えた。
うーん、と唸る。別に俺がジャーファル様の目を気にしなくてはいけない理由なんて一つだってないのだけれど、やっぱり見つかったあとすぐに通常運転に戻れるかというとそんなことはない。大抵のことは強い心で乗り切ってきた俺だったが、ちょっと流石に今回の件をそのまま流すのは難しかった。
「………でも、そうですね。怖い人ではないですけど、怖いは怖いので少し、商会の仕事は縮小しましょう」
「いいんですか」
「ゾーダン石の飾りも、結構数が溜まったでしょう? しばらくそっちをどうやって売るか考える方に回します」
「しろいいし、うるの? ライラのつくったのも?」
「そうですよ。どうやったらたくさん売れるか、そういうことも考えます」
「やったあ! ヴェールたちもよろこぶよ! ラインハルトも!」
此処へ来て、随分世界情勢を気にしてきたけれど。そこまで大きな流れが変わったようには思えなかった。バルバッドは民主制へと移行するだのしないだのの話が出ているし、商会のネットワークによって手に入れていた奴隷産出国予想も無事打ち砕かれた。あれについては内外へ示す態度を決めるのに結構手こずった。仮にも奴隷商人なので、何の興味も示さないのはおかしいだろうし、だからと言って大仰に準備するのも無駄になると知っていて出来る行為ではなかった。うちは高級奴隷を扱っているから、と素知らぬ顔をしてもよかったけれど、一筋縄ではいかないのが商人だった。そして、煌帝国はその勢力を順調に拡大していった。これなら、奴隷制も俺が知っているとおりになくなるのだろう。
それに代わる事業は最初から幾つか持っていた。でもやっぱり、多くて困るということはあるまい。
「本当にいいのか? 先生」
膝の上で飛び跳ねはじめたライラを下ろしながら、アルフが問う。
「…まあ、どうせそろそろやるつもりだったので、いいきっかけだったと思うことにしましょう」
「………先生がそう言うならいいけど」
「さて、そうと決まれば各所への説明を考えないと…」
どんな商会であっても、その責任者というのはやることが多い。こんなに働くつもりはなかったのになあ、とそんなことだけは思っておいた。
全然関係なくても、ジャーファル様の所為だということにしてしまいたかった。
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