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 随分年下とは言え、夜中に同じ部屋にいるのも外聞がよくないんじゃないかなあ、と思ったのだけれど。俺がそれを言うと、でも食堂だと秘密の話が出来ないでしょ? と言われてしまった。それは、そうだ。応接室も一応あると言ってみたのだけれど、ヨナの部屋が見たいの、と言われてしまえば俺はお手上げだ。それに、見られて困る部屋じゃあないし。
「片付いてるのね」
「毎日寝るくらいしかしてないので」
事務処理なんかは別の部屋でしているから、本当にこの部屋では寝るだけだ。人を入れたのも、ヤムライハ様が初めて。そもそも俺に知り合いなんていないし、商会の責任者としてはなかなか友人を作るわけにもいかなかったし、こうなるのも仕方ないと言うか。
「ヨナ、友達は出来た?」
「う…」
流石ヤムライハ様痛いところを突いてくる。
「普通に商会の手伝いとか、やれてれば出来たかもしれませんが…」
「いないのね」
「い、いませんがあ…作れなかっただけです! 本当です!」
「本当かしら。だって王宮にいた頃も、全然自分からは人に話しかけなかったじゃない」
「あれは不審者としての自覚ある人間の行動でして…!」
とは言うものの、実際友達を作るのが上手い方か、と問われると多分答えはいいえ≠セ。だって友達と言われて思い浮かぶ顔が一つもないのだから。
 あまり掘り下げられてもアレなので、ここはモノで釣ってしまうことにする。こほん、と咳払いをしながら箱と皿、そしてお茶セットを出せば、ヤムライハ様の興味はそちらに移ったらしい。
「レームの郷土菓子です」
「わあ! 美味しそう」
「お茶は…よく交易に出てるそうなので、そんなに珍しいものじゃあないかもしれませんが」
「あ、袋は見たことあるかも…! でも飲んだことはないわ」
「そうでしたか。なら、ゆっくり味わっていってください」
夜にお菓子なんて、と言われたらどうしようかと思っていたけれど、この分なら大丈夫そうだ。ついでに友達の件も忘れてくれると嬉しい。
「穀物類を小麦の生地で包んで焼いてるのね…? はちみつが入ってるの? すっごく甘い!」
「気に入っていただけましたか?」
「うん! これ、どうやって作ってるのかしら? パンとは違うわよね」
「俺も詳しくは知らないんですが、捏ねて作るパンとは違って、ひたすら折りたたんで伸ばしてを繰り返して作るみたいです」
「へえ〜! それでこんな、違う食感になるのね…面白い…」
この世界に科学という言葉はないけれど、魔法の仕組みは科学と似ている。元素だとかの代わりに、もっと小さなルフに働きかけて起こすのが魔法だ。だからヤムライハ様はこういうのに興味を持つと思った。ので、珍しく菓子なんてものを買ってみたのだ。気に入ってもらえたようでよかった。
「お茶も…なんだか不思議な味がするわね? 薬草に近いような…でもすっきりしてて飲みやすい…」
「ヤムライハ様は本当にすごいですね。もともとは民間に伝わる薬草茶だったらしいです。それをあるとき、レームの貴族がいたく気に入って、帝国全土に広まるようになったんだとか」
「なるほどね。ただの薬草茶から、ある程度飲みやすいように改良がされたってこと…」
「恐らくは。お茶がヴヌで、お菓子がフラヴァルパと言います」
「待って! メモ取るから!」
「他にもありますから」
「メモっ、足りるかなっ?」
「足りなくなったらうちの紙を使ってください」
苦笑しながら言えば、満面の笑みでお礼を言われた。本当に可愛いな、この人。

 そんなこんなでお腹も落ち着いた頃。
 ティディクというまた他の薬草茶を淹れたカップの口を、ヤムライハ様が指先でゆるくなぞる。ちなみにもう一つ用意してあったお菓子も無事にヤムライハ様のお腹に収まった。ヴァルーハというそのお菓子は結構食べごたえのある、もっちりした牛乳プリンみたいなものだったから、お土産にしようと思っていたのだけれど。まあレームの郷土菓子はまだあるから、帰り際にでも何か買って渡せばいいだろう。この町でもそれなりに買えるものだし。俺だって質素に暮らしてはいるが、金を持っていないわけではないのだし。こんなときでなくては金を使うこともないだろうとか言わないで欲しい。本当のことを言われると泣く人だっているのだ。
「ねえ、ヨナ」
「はい」
きゅる、とカップの口が音を立てた。
「ヨナは、恋とか、したことある?」
「あー…えっと、その」
思っていたよりも率直に問われたな、と思った。俺だって、ずっとこんな感じの問いから逃れられるとは思っていない。今まではそれでも、ジャーファル様が俺を探してたなんて二人とも知らなったのだから自然、話題に上げることは避けていたけれど、こうなってしまっては避けておく方がおかしいだろう。
「………どう、見えますか」
どうやって答えようか迷いに迷って、俺はそんなふうに返していた。ヤムライハ様はその返し方に怒ることもなく、そうね、と頷く。
「流石に恋くらいはしたことあるのかな、とは思ってるわよ。…でなきゃ逃げたりしなかったとも、思ってる」
「…はは。そう、ですよね…」
あの時。
 ジャーファル様と本当は何があったのか、聞かれたことはなかった。でも流石に、ジャーファル様が俺の部屋で酒を飲んでいたことは知ってるだろう、と思っている。ジャーファル様が起きて俺の部屋から出ていくとき、何人かに目撃されていたし、俺も普通に見送ったと思う。眠かったので記憶が曖昧と言ったらそうなのだが。そもそも俺の部屋には日没後鍵がかけられるようになっていたのだから、二人だけの話にしておくのは無理だ。…まあ、何かあったのかと問われると、何もなかった、が正答ではあるのだが。
「恋は、したことはあります。お付き合いも…したことがあります」
「それは、女性と?」
何も、なかった。
 それでも、俺はこのままではいけない、と思ったのだ。
 それに、何もなかった、と言うのは何か起こり得たかもしれない、というのと同義のような気がして。
「…はい」
もし、あのまま。
 俺がシンドリアに、ジャーファル様のそばに残っていたら。俺たちの関係はそう、変わらなかったのだと思う。少し他人よりは近くても、ただ、それだけ。その関係に新しく名前がつくことは、きっと、なかった。もしついたとしても、弟子だとか家族だとか、そういう、ものになったのだと思う。
―――それでも、
思いがけない名前がつくことになっても、俺はどうしても、逃げ出したかった。
 俺なんかが、ジャーファル様に影響を与えるのが、嫌だった。
 恐らくその人が一番嫌いな人生を歩んでいる俺が、真っ当なふりをしてその近くにいる、というのが許せなかった。
「ジャーファルさんに見つかって、どう思った?」
「とうとうこの日が来たかって思いました」
自分の言葉に吐き気がする。別段俺は、自己嫌悪が激しいタイプだとか、そういうことはない。というか、自己嫌悪が激しかったら奴隷商人なんてやっていられなかっただろう。どんな分野でも俺は、俺の出来ることをしてそれなりに稼いで暮らすことが出来たし、そんな自分のことを悪いやつだと断じても、たとえば、ばちが当たるべきだとか、そういうことは思わなかった。刺されても文句は言えないなあ、程度で。
 でも、流石に今回はだめだった。何が―――違うのだろう、何もかも、と言ってしまうのは簡単だったけれど。この世界に来てしまったから、それがきっかけならよかったのに。
「笑えますよね。あんなふうに逃げたのに…俺は、ジャーファル様が俺を探さないって、信じることが出来なかったんです」
「そっか」
ジャーファル様は、だめだった。保証として、ではあったけれども結果的にヤムライハ様とはここまで連絡を取り合えているのだ、違う世界の人間だから、というのは理由にならない。多分、この商会を乗っ取ってしまったことを報告したときに、そんな仕事が出来る人間だったのかと見下げ果てられたとしても、正直苦しくなかったと思う。ヤムライハ様であればそうやって感じるかもしれない、と俺は思っていたのだし。…まあ、実際はそういうことはなかったのだけれど。伝えたときは随分驚かれたし、そんなにシンドリアはつまらなかった!? なんて言われたなあ、と思い出す。俺は何だと思われていたのだろう。
「俺、」
言い訳は、しようと思えばそれこそ山のように出来た。そういうことが得意だった。嘘が特別上手いだとか、病的に染み付いているだとか、そういうことがなくても。俺は人を騙すことが本当に得意だった。
「ジャーファル様が突然来たのに、全然、驚けなくて。すぐに、どうやって帰ってもらおうって、そんなことばっかり考えて」
それは、自分が相手でも、例外ではないのに。
「自分で、逃げたのに」
「でも、ヨナは逃げたかったんでしょう?」
「………はい」
「なら仕方ないわよ」
 けれどもそうは出来なかった。俺は自分をも騙したふりをして、その実ずっと用意してきたのだ。万に一つもないとか言いながら、予想していないと対策を立てるのに困る、といつもの動きをした。それが期待と呼ばれるものだと、知っていながら。
「ヨナは、」
またヤムライハ様の指が、きゅる、と音を立てる。もう、お茶は冷めてしまっただろう。淹れ直しますね、と言うと、冷めたのだって飲ませてよ、とむくれられた。
「ジャーファルさんのこと、きらい?」
「…いえ」
冷え切ったお茶が。
 ヤムライハ様の口の中へと消えていく。こくり、とその細い喉が揺れるのを眺めながら俺は思う。問うのは嫌いかどうかなんだな、と。
「きらい、ではないです」
「そっか」
他人の関係だから、と立ち入らないのもある程度は分かるけれど。ヤムライハ様になら別に聞かれてもよかったのに、と思った。ここまで巻き込んでおいて、今更他人だから、と回答を拒絶するようなことはしない。
「それなら、いいの」
あったかいの、おかわりちょうだい?
 笑って、からっぽになったカップを差し出したヤムライハ様に、俺ははい、と答えるしか出来なかった。
 温かいお茶を淹れ直して、もう一度向かい合う。
「ヨナは、このまま、シンドリアに来ないつもり?」
「…ヤムライハ様までそんなことを言うんですね」
思わず苦笑してしまった。俺の中のイメージとしては、こういう台詞はジャーファル様に言うべきものな気がしたけれど。ジャーファル様までそんなことを言うんですか? 呆れたように言い放つ自分の姿は容易に想像が出来る。
「俺、もともとすごい不審者だったんですよ」
「そんなの、最初の数ヶ月で疑い晴れてたけどね」
「………そう、だったんですか」
「寧ろ、ヨナが私に泣きついてくるまで、そんなふうに思ってたなんて知らなかったし、知ってちょっと悲しくなったのも事実なんだけど」
「それは…いや、だって流石に怪しいのは分かってましたし、潔白も証明出来ないですし…そう思うのも仕方なくありませんか」
「ヨナって、図太いわりにはそういう細かいところ気にするのよね…」
あんなに熱心に魔法の勉強してたのに、と言われると返す言葉がない。正直、あのときの俺は比類なくはしゃいでいたと思うので。いやだって魔法だ、完全にファンタジーだったものが目の前に現れて、それが自分にも使えるとなったら大半の人間ははしゃぐだろう。仕方ないことだったのだ。ユニバに行ったら大抵の人間は魔法の杖を振れる箇所で杖を振るだろう。そういうことだ。
 誤魔化すようにお茶を飲む。もともと薬草茶なのもあって、やさしい味がした。俺は結構、この味が好きだ。
「やっと商会が安定したんですよ。俺は仮にも此処の責任者なので、放ってはいけません」
「全員シンドリアで引き取れると思うけど?」
「そうすると、自分で奴隷の身分を解放していったやつらに言い訳出来なくなるでしょう」
世界がまるきり変わってしまって、そもそもの制度がなくなる、というのならまだしも。人間を納得させるのは難しい、相手がこどもでもそれは変わらなかった。俺の遣り方が受け入れられたのだって、彼らがこの方が身の安全が図れる≠ニ多かれ少なかれ納得したからだ。そしてそれが、自分の将来に繋がっているのだと、無意識にでも感じた、から。利権を放棄していればこんな面倒なことは考えなくてよかっただろうが、乗りかかった船を捨てて逃げ出すほど無責任にはなれなかった。
「俺は、自分の力で未来を切り開け、と言ってきたんです。そして、それを守った。だから彼らは自分の得意なことを見つけて、好きなことを見つけて…前に進んだんです」
「解放、じゃあ、見つけられなかったことを、あの子たちは手入れた?」
「それは…どう、でしょうね。そうであって欲しいと願ってはいますが」
俺が何を言っても、それは俺の空論だ。誰か語れる人間がいるのだとしたら、彼ら自身しかいなかった。そして、俺はその問いを彼らに投げかける権利を持たない。
「………ヨナは、」
 それに、俺に感謝するようなことはして欲しくなかった。彼らにとって、どれだけ俺が良い主であろうとも、それは本来誰にも渡すべきではない権利を自分のものだと主張しているという、いびつなものの上に成り立っているのだから。
「奴隷制度のことを、どう思ってる?」
「難しいと思っています」
「難しい?」
首を傾げられ、これだけじゃあな、と思う。でも、何処から説明したら良いのかも分からなかった。
「ええと…そこまで良い制度ではないとは、思っているんです。でも、だからと言って、解放、なんて言葉で突然全員を解き放ってしまったら、それはそれで彼らは何をしていいのか分からなくなると思うんです。人には向き不向きがあって…例えば、それこそ奴隷を人間だと思っていないようなところで生きていれば、逃げ出したいと願うかもしれません。逃げ出して、どうしたい、だとか…そういう目標があるのなら、まだ大丈夫だと思います。でも、そういうやつらばかりじゃあ、ない。それに、奴隷を買う人間もさまざまです。能力にあった仕事を与えて、教育を施すような人間も、いなくはない。そういうところで生きているやつらは…無理に縁を切ってしまえば、混乱すると思います。寧ろ、どうして解放したのかと言うことすらするかもしれません」
あれは何で読んだんだったっけな。何か漫画だったと記憶しているけれど、流石にもう思い出せない。そもそも人権っていう概念が出来たのは結構近年に入ってから、だったんじゃなかったか。授業を真面目に受けておけばよかった、と思う日が来るなんて思ってもみなかった。
「だから、どうにかするにしても…奴隷側も、使う側も、意識を変えなくてはいけない…というか………すみません、何を言っているのかよく、分からなくなってきていしまいました」
「意識…」
「あっ、ほんとに、その、俺のこれもどっかの誰かの受け売りってだけですから!」
慌てて言うと、別に受け売りだっていいじゃない、と言われる。
「意識、ね」
 ヤムライハ様が小さく呟く。
「そうね、きっと…それは、なんでだって、考えなくちゃいけないものなんだわ」
多分それは魔法についての呟きだったろうので、俺はただ、黙って聞いているだけにした。




















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