20




 どうにでもな〜れ、というフレーズは便利だなあ、と思う。
 カイの宣言後、何を聞いたのかまだ貢献の残っている者たちの幾らかが俺のところにやってきて、無事に身分解放出来たらそのまま雇って欲しい、と言ってきた。何の流行だ。こんな片田舎では大した生活も出来ないし、苦労もあるだろう、と言ってみたものの、そんなの慣れてるし、と返ってくるばかりだった。こんな粗食に慣れなくてももっと他にあるだろうに、と思ったが、その食事の献立を組んで提供しているのは俺なのだった。俺がそんなことを言うわけにはいかない。
「か、考えてはおきます…」
なんとか絞り出した言葉に文句を言われながらも、俺は事業縮小なんてやってる場合じゃあない、と腹を括ったのだった。
 レームの窓口の方にも顔を出して、あれこれの調整をする。このまま窓口だけでやっていくべきか、もう少し広げて受注系の仕事を増やすべきか。そういうことだって考えなくてはいけない。この商会を手に入れた時は一回やれば良い、と思っていたのもあって思い切れたところもあるのだ。今回は長く、もっと長く、と見なければいけなかった。完全に想定外だ。
 窓口の隣の店舗はよく入れ替わっている。店員に話を聞いてみたところ、今入っているこの店も期間契約だそうだ。どうやら、元マイエ商会の土地、ということであまり入りたがる者がいないらしい。少しの申し訳なさを感じつつも、これなら買い戻すことも出来そうだ、と思った。
「先生」
「マフ?」
そんなことを考えていると、窓口店舗にマフが飛び込んでくる。珍しい。マフがこんなふうに走る姿はあんまり見たことがなかった。
「どうしたんですか? カジノへの納品に何か問題が?」
今日マフに任せていたのは納品だ。もう向こうとも顔見知りだし、問題は生じにくいと思って任せていたのだが、何かあったのだろうか。俺の不安をよそにマフは慌てて首を振る。
「そうじゃないです。でも…」
「あっ! いた!」
明るい青年の声に顔を上げる。どうやらマフは追いかけられていたらしい。なんだろう、と思って声の主を見遣った俺は、言葉を失った。
「なあなあ、お前ファナリスじゃねーのか? 髪の色とかちょっと違うけどさあ、睫毛の感じとか、結構それっぽいって思うんだけど…!」
「………旦那様」
主人公、とでも、言えばいいのだろうか。
 アリババ・サルージャ。
 俺はこの青年を知っている。動揺を悟られないようにマフを自分の後ろに隠しながら、まずは言わなくてはいけないことを言う。
「これは当商会の商品です。そう、稀少民族の名前を出されますと、要らぬ諍いに巻き込まれるおそれがあります。ご遠慮いただけますか」
半分嘘だったけれど、騒がれると面倒なのは変わりない。此処はレームで、奴隷制が強く根付いている。そしてマフも、今は奴隷の身には変わりない。ファナリスが見たいだけなら剣闘場へ行けば時折ムー・アレキウスが大暴れしているのが見れるだろうが、手元に置きたい、と願う馬鹿がいないわけでもないのだ。それにマフが巻き込まれるのは困る。
「商品…?」
「………これは高級奴隷です。私はマイエ商会の責任者。今は事業を狭めてはおりますが、高級奴隷の貸付業をおこなっております」
分かりやすく表情が歪んだ。でもすぐに、マフの身なりに気付いたのか目が瞬かれる。
「でも、鎖とか…」
「重いしうるさいし不衛生なので当商会では使用しておりません」
「重いしうるさいし不衛生…」
そのまま繰り返された。何というか、逃げられると困るから鎖をつける、という発想は分からなくもない。でも、ずっと鎖をじゃらじゃら引きずっていたら邪魔だと思うのだ。実際他のところの奴隷を眺めていても、邪魔そうとしか思えなかった。
 基本的に、労働力として求められ連れて来られているはずの奴隷が、逃走防止のための鎖で労働力が阻害される、というのは何とも本末転倒ではないか。そんなことを思う。これは俺が別の常識を知っているからこその思考なのかもしれなかったが。それに、うちみたいに全部が全部、鎖に代わるものを用意出来るわけではないことだって、一応分かっているのだ。…まあ、それでも、実際に鎖の代わりをしているのは、彼らは今は一人では生きてはいけない、という現実なのだろう。故に、大人の奴隷を扱っている層はこの方法ではそう、うまく御せないのも分かっている。正直なところ、俺がこんな中途半端なものでも違う遣り方をすれば、誰かもっと頭の良い人間とかが画期的な遣り方を思いつくんじゃないかと期待していたところはあったのだけれど。流石にそこまで簡単じゃあなかった。まあ、画期的な遣り方が出てこなかったのが、この制度の限界を物語っているのかもしれないが。
「当商会の証は…マフ、旦那様に見せてあげてくれますか?」
「はい、分かりました、先生。………これが証、です」
俺の背中に隠れたまま、マフが上半身だけズラしてそれを青年に見せた。
「首飾り…?」
「首輪です」
「いやどう見ても首飾り…」
「責任者の私が首輪と言ったら首輪です」
 この首輪を採用したときにあれこれ言われたくらいで、最近ではうちの商会の証として浸透してきていたから、こういう遣り取りは久しぶりだ。首飾りに見えるのは否定しないが、俺はやっぱり、勝手に外したら花火の上がるものをただの首飾りとは言えない、と思っていた。それを外で言う意味もないから首輪と言い張るに留めているだけだ。
「自分は赤色だから、あと二段階で卒業資格を得る…ます」
マフは力仕事が得意なのもあって、よく危険な仕事を自分で取ってきてはさくさくと稼ぐ。この調子ならあと半年もすれば卒業資格を得るだろう。いや、最初は驚いた。工事現場だとか、危険な仕事ばかり行きたがるものだから、本当に大丈夫なのか着いて見に行ったくらいだ。今はこうして俺の後ろに隠れているが、愛想もそこそこ良いので貸し出しされる度に知り合いを作ってくる。卒業後は引く手数多だろう。
「卒業…? 売るってことか…?」
「いえ。当商会は貸付業なのでそういうことはしません。身分解放資格…と言えば伝わるでしょうか」
「えっ!? それは…奴隷を、解放するってことか…!?」
「まあ…有り体に言えばそうなる、んでしょうかね…? 私としては、元手が取れたらそれで充分だと思うのでこういう形にしているだけなんですが」
まあ、それだけじゃあないが説明としてはこれでいいだろう。幾ら主人公≠ニ言えども、俺みたいな奴隷商人と深く関わることなんてないはずだ。俺だって、毎度毎度窓口に顔を出すこともないだろうし。変な奴隷商人もいたな、くらいで終わるだろう。
 そう、思ったのに。
「あーっ!」
暫く何やらぶつぶつと呟いていた青年は、そう叫んで俺の顔を指差してきた。人は指差したらいけないって知らないのか。いや、この世界にそういう概念あるのか? ちょっと分からない。でも今まで指差した記憶も差された記憶もないから、どうにも判別がつかない。分かるのは俺がちょっと嫌だな、と感じていることだけだ。
「あんた、もしかして、ヨナって名前か!?」
「先生、この旦那様うるさいです」
「マフ。旦那様にそういうことは言わないものです」
「はあい。旦那様、ごめんなさい」
「気にすんなって! あーそうか! あんたが悪くて狡いヨナ様か…!」
「先生、この旦那様先生の悪口言いました」
「マフ。そういうこともあります」
マフを留めながら、なんで彼は俺の名前を知っているのだろう、と思う。あと、俺はまだ肯定していないのだが。せめて肯定を聞いてから話を進めて欲しい。
 俺の怪訝そうな態度に気付いたのか、彼は慌てて身体の前で手を振る。
「ああ、いや、すんません。その、あんたのことはレアンから聞いたことがあって…」
「レアン? ということは、旦那様は砂漠からいらっしゃったのですか?」
そうじゃあないことは知っているが、レアンが向かったのは砂漠だ。砂漠の植生を調べて本を書くのだと言っていたから、なかなか顔を見せはしないが時折手紙が届く。そのレアンから聞いた、となるとそうやって訊ねるのが間違いないだろう。
「あ、いや、チーシャンって町でちょっと一緒になったんだ。ていうか、あんた、解放した奴隷が何処行ったのかまで覚えてんのか?」
「責任者ですから」
本当は旅立った者の行き先まで覚える必要はないのだが、ほとんど全員手紙やら何やらをくれるので自然と覚えてしまったのだ。手紙を寄越さないやつらは、単純に近くに住んでいるからであるので、結果的に全員の行き先を知っていることになる。こんなつもりじゃあなかったのになあ、と再度思う。最近では就職希望者もいるし、従業員見習いはいるし、俺の悠々自適田舎のんびりライフは露と消えた、気がする。本当にこんなつもりじゃあなかったのに。いや、仕事があって就職希望があるのは嬉しいことだとは思うが、人手というのはいつだって足りないものだし。でもやっぱり俺がそういう地位になるのは何か違う気がする。
 俺の葛藤など知らずに、青年はやっと長年のつかえが下りた、とでも言わんばかりに話を続けた。俺がすごく忙しい商人だったらどうする気だったんだ。今日は残念ながらもうやることも終わってしまったし、あとは帰るだけだから特に逃げる言い訳も思いつかない。あと、俺の記憶もやっぱり怪しいので、ここらで情報を仕入れておきたい気持ちもあった。
「ちょっといろいろあって、俺はチーシャンで奴隷を解放したんだけど…そのときに、これからどうすればいいのか分からないって人たちが結構いて…」
そうだろうな、と思う。こんな生活がずっと続くのか、という絶望はあっても、こんな生活から抜け出してこんなことをしよう、と思うのは結構難しい。しかもそれが長年続くとなれば尚更だ。誰もが急に環境が変わって、それに適応出来るわけではないのだ。
「でも、そのときにレアンが助けてくれて。とりあえずその時解放した人たちが、路頭に迷うようなことはなくなったかな…って思うから…」
確かにレアンならそういうことをするかもしれない。人に教えるのもうまかったし、良い意味で他人を刺激するような子だ。其処に居合わせた人は運が良かったなあ、と思う。でも、思うだけだ。
「あんたは回り回って、あいつらの恩人なんだ! だから、俺は会うことがあったら礼を言おうと思ってた!」
「そうですか」
死ぬほどどうでもいい。
 別に俺はそういうことを思ってこういう形式を取っているのではないし。いや、ワンチャンないかな、とは思っていたけれど、それはそれ、これはこれだ。お礼を言われるような仕事をしているわけではないし、それはレアンへの感謝であって、レアンを飛び越えて俺が受け取るものではない。これで終わりかな、と思って青年を見遣ったのだがまだ続きそうだった。まだ何を話すというのだろう。さっきので俺への用事は済んだだろうに。
「そのときのことが忘れられなくて、旅の仲間とか、行った先の国で話したりして…」
うん? なんだか雲行きが怪しくなってきた。行った国、というのはバルバッドとシンドリアだろうか。俺の記憶と知識が正しければ、バルバッドではそんな話をしている余裕なんてなかったんじゃないだろうか。嫌な予感がする。
「あ! そういえば、あんたってもしかして、国の偉い人怒らせたことでもあんのか?」
「………何故、そのようなことを?」
「シンドリアって国で話したときに、その、話聞いてた偉い人が血相変えてさ〜。結構あんたのこと聞かれたから、知ってること全部答えたんだけど。ああ、でもそれからは特に何も聞かれなかったんだよな」
やっぱりお前の所為か!!
 叫ばなかった俺は頑張ったと思う。流石にこんな、ひと目の多いところで俺が叫ぶのは諸々のイメージに関わる。
「…特に記憶にはないので、人違いだったのでは?」
「そっか。まあ、シンドリアは奴隷制を敷いてないし、知り合いってことはないか」
「そうですね。お取引したこともないですし」
よし、今度こそ話は終わったらしい。さっさと逃げたい。これから俺はうっかり俺がシンドリアの高官を怒らせたことがある、なんて噂が出回らないように手を回さなくてはいけないのだ。そんなに大きな声ではないけれど、他人の会話を商人はよく聞いているものだ。後手後手に回るより先手を打っておいた方がいい。しかし、彼だって商人としての教養はあるはずなのに、どうしてこんなところでこんな会話をしてくれたのだ。泣きたい。
 ちらり、とマフが俺を見上げて、先生、と呟いた。
「ああ、そうですね…」
「あっ、なんか引き止めちまったか?」
「いえ、大丈夫ですよ、旦那様。今日の夕食がマフの好物なので浮足立っているんです」
「今日はスラブブギの日。豪勢…です」
スラブブギは肉と野菜を薄いパンで巻いて食べる料理だ。人が多いので、ある程度中身とパンを平等になるように配って、あとは自分で巻いて食べる形式にしている。でも、早く食べ終わった者にはおかわりが許されているのだ。マフも肉が好きなのもあるが、多分一番嬉しいのは後者に違いない。毎日お腹いっぱい、というようにはしてやれなくて申し訳ないな、と思う。
「スラブブギなら仕方ないな…」
青年も納得している。スラブブギは屋台でもよく売っているし、食べたことがあるのだろう。店ごとにソースの味が違ったりして結構面白いのだ。
 しかし、と思う。
 やっぱりマフにはファナリスの血が流れているのだろうか。純血じゃない、という概念があるのは知っていたけれど、俺が知識で持っているファナリスの情報は大抵あの、特徴的な赤髪だったのだし、ちょっと睫毛がそれっぽいだけの力のあるこども、くらいに思っていたのだが。マフのためには一度、ファナリスと会わせてみた方がいいのだろうか。本人があまり戦うことを好んでいないようだったので、困ることはないだろうと今まで放っておいたのだけれど。
 幸か不幸か、此処はレームだ。ファナリス兵団がいる国。
 直接のコネはなくとも、幾つかツテを頼れば話くらいは出来るかもしれない。…まあ、奴隷商人として行ったら門前払いを食らいそうだったが。冗談じゃあなく八つ裂きとかにされそう。
「何処の生まれとか、どうでもいいです」
急に、強い口調でマフが言う。ついでに、腕も引かれた。
「先生、剣闘場のこと考えてましたよね。怖い顔してます」
「そんなに分かりやすいですか?」
それには答えずに、マフはまっすぐ見上げてくる。
「自分も、あそこは嫌いです」
だから、どうでも、いいです。
 マフの綺麗な金髪が太陽に透ける。マフに会った当初はこの髪が無理矢理染められていたんだよな、と思い出した。ファナリス、というふうに売りたかったらしい商人に染髪を認めさせ、買い叩いたのはそこまで昔のことじゃあない。
「大丈夫ですよ。剣闘場に行ったりはしません」
「それなら、いいんです。仕事なら、仕方ないけど…好きじゃないところに、先生が行くのは、自分も、嫌です」
その遣り取りを見ていた青年が、なんかごめん、と後頭部を掻く。
「俺の仲間にもファナリスがいるからさ…ちょっと、過敏になってたんだ。悪かった」
「いえ。私が奴隷商人なことには変わりありませんから」
本来誰にも奪われることのない人権が、他人である俺の手に渡っているのはそうだった。だから、彼が嫌悪感を抱くのも仕方がないことだろう。そういう商売だと知っている、だから、今更何を言うこともしない。俺だって、別に慈善事業をやっているつもりはないのだし。
「そこの坊主も、気が向いたら俺の仲間に会いに来てくれよ。あいつも、他の仲間がいれば元気出るかもしんねーし」
「考えて、おきます」
マフが嫌だ、とはっきり言わなくてほっとした。今は大丈夫かもしれないが、他の客の前では少々危うい。一応護衛はちゃんとつけているし、俺だって多少の心得はあるけれど、何事もないに越したことはないのだから。
「旦那様」
 少し考えて、これだけは訂正しておかねばならないと思った。
「マフは女の子です」
驚いて叫んでから、マフにぺこぺこ謝る青年を見て、俺はとりあえずジャーファル様に情報を流されたことに対する溜飲を下げることにした。



















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