22
もう帰らないと、と至極残念そうなジャーファル様にお土産を持たせて見送って。
結局何の用事で来たんだろうな、とだけ思う。いや、本当は用事なんてないことは分かっているけれど、用事があったのに切り出すタイミングを逃した、ということにしておいた方が良い気がした。何に、と問われると分からないのだけれど。対外的に、というか、俺的に、というか。
「話してやればよかったのに」
そんな俺の煩悶など知らないアルフが、悪戯でも思いついたような顔をする。
「…ゲームでイカサマしかけられたからやり返したら、カタにされてた商会が奴隷を扱ってたってだけの話じゃないですか。面白くもなんともありません」
「でも、あいつはそういう面白くもなんともない話でも聞きたいんじゃないのか?」
面白い話だけが冒険じゃあないだろ? と言われるとまさにその通りなのだけれど。新しい土地に行って、そこで生活するためにしたことすべてが冒険だった。誰の、と問われれば俺の。そしてジャーファル様はそれを聞きたがった。俺がジャーファル様のもとを飛び出してから経験したことを、物語にもならないそれを、聞きたいと願ってくれた。
そんなこと、分かっているのだ。
それこそ、誰に言われずとも。
「俺たちの方が先生のこと知ってるの、嫌なんだろ」
「………アルフ」
呼ぶ声は、咎めるようなものにはならなかった。当然だ、咎める理由なんて何処にもないのだから。代わりにはあ、とため息を吐いて細めた目で見遣る。
「貴方、中におじいさんとか入ってるんですか?」
「正真正銘の十二歳だよ」
「じゃあ、前世の記憶があるとかそういう系ですか」
「残念ながらそういうのもないよ」
そんなに触れてほしくない話題? と真っ向から問われてしまうと、言葉に詰まる。そういうわけじゃあない。そういうわけでは、ない、けれど。
「先生は、」
答えなくてもいいよ、と前置きして、アルフは十二歳とは思えない静かな声で言う。
「あいつのこと、嫌いなの」
「…嫌いではありませんよ」
「先生がそうやって言うときは、結構好きなときだ」
それは、そうだった。そうだったし、自覚もあった。なんなら、ヤムライハ様に問われた時にだって、もう俺の心は決まっていたのだ。
ただ、それを口にしなかっただけで。
「先生は俺たちに、好きだって思ったものは大切にしなさい、って言うじゃん」
「…言いますね」
「先生にとって、大切にするってのは、距離を置くことだったの?」
「………本当に十二歳ですか?」
「だから、本当だって」
アルフが賢い、というのもあると思う。でももっと言ってしまえば、俺がそんなこどもでも分かるようなことで、立ち止まっているのはそうだった。勿論其処には、立ち止まりたい理由がある、のだったけれど。
その理由を誰にも言わないと決めている俺は、結局、こどもに指摘されてしまうほどあからさまな場所で立ち止まっている人間、でしかないのだ。
「そうですね、」
許されることなら膝を抱えてしまいたかった。それくらいに、正直みっともないのは分かっている。いや、恋愛に対する態度にみっともないもクソもないのは分かっているけれど、やっぱり俺の事情は誰にも話せないものなので、早くこの人応えたら良いのにな、と思われても仕方がないのは分かっているのだ。改めて言葉にすると本当に恥ずかしい。
「言われてみると、そうなのかもしれません」
ヤムライハ様が来たときにはそういうんじゃない、と訂正を入れたからか、特に何を言われることもなく、そうなんだ、残念、と片付けられたのに。どうしてだろうな、と思う。残念、というのは俺がもしヤムライハ様とそういう関係なら、あのきれいな人がずっと此処にいるようになるかもしれない、という期待からだろう。言ってて自分でちょっと虚しくなってきた。ジャーファル様の襲来の方がインパクトがあったのはそうだろうが、だからと言ってそのまま恋愛感情があるとかないとかに紐づくものだろうか。主人公の青年のように、怒らせたことがあるとか、思っても過去に何か面倒な因縁がある、程度にしか思わないものではないだろうか。まあ、今俺が此処でぐちぐち言ったところで、もうなんだか商会の半数にはバレてそうな事態には変わりがないのだが。本当、どうしてこうなったのだろう。俺だって、そんなに分かりやすい方ではないはずなのに。
「俺が一緒にいたら、あの人を迷わせて、苦しませるのが分かっていたから…逃げたのかもしれませんね」
「逃げる力があったから?」
「いいえ、運に恵まれたから」
あの時、俺がどれだけ願ったとして、ヤムライハ様が頷いてくれなかったら俺は逃げることは出来なかった。ヤムライハ様が頷いたとして、シンドバッド様が頷かなければ、俺は今此処にはいなかった。あのまま、シンドリアに、ジャーファル様のそばにいたら、それはそれで今のように、恋愛感情なんてものにはならなかっただろう、それは、今でも思うけれど。
「俺自身は、本当に何を誇ることも出来ない、小悪党ですよ。貴方たちから先生と呼ばれるのも、正直まだ違和感がありますし」
「もう奴隷商人じゃあないのに?」
「それでも、元・奴隷商人というのはついて回ります」
「俺たちは元・奴隷とは言われないのに?」
「それと、これとは違うって分かっているでしょう」
奴隷制の廃止というのは、即ち奴隷制度という制度自体そのものを悪と断ずる行為だ。悪いことだから、やめてしまいましょう。大変でしょうが、全世界で足並みを揃えるために、さんハイ、で。シンドバッド様がやったのは、つまりそういうことだ。奴隷という制度が当然のように存在する世界では何を言われることはなくとも、廃止後の世界は違う。誰もが新しい世界についていくために、禁止されたものは悪だったのだ、と唱える。
それ自体は悪いことではない。実際、奴隷制度というのは限界のある制度なのだし、その限界がある≠ニいうのをもっと簡単に言い換えてしまうと悪≠ノなるのだ。俺はこうなることを知っていたし、もといた世界では奴隷制度は悪だと言われていたし、今更と言えば今更だったけれど。
だからと言って、これから後ろ指さされるだろうことから、逃げてはいけないと思った。
「此処のやつらは、みんな、先生が悪いだけの人間じゃないって知ってるよ。だからって、めちゃくちゃいいひとでもないことも。こどもだからって馬鹿じゃない、って言ったのは先生だろ?」
「それは、そうですが…」
「だからもう、諦めて先生になっちゃえよ。先生のこと、元奴隷商人だって悪く言うやつが出てきたら、その時初めて、いつもみたいにそうですね、って気にしてないみたいに言えばいいだけなんだから」
珍しく、アルフの声が震えている。アルフでもこんな声を出すのか、と思った。
「そういうの以外では、そういうこと、言わないで」
「………アルフ」
一瞬俯いたアルフに動揺するも、すぐに顔が上げられる。ね? と笑われてしまえば、俺は完敗だ、と両手を上げるしかなかった。
「貴方は本当に…俺のところにいるのなんか、向かないくらいにいい子ですね」
「先生ってほんとに馬鹿だよな。いい子だったら先生のところになんて残るかよ」
「ええ…」
その言い草も如何なものか。前から結構ずけずけとものを言う子ではあったけれど、秘書になってからはその回数が増えたなあ、と思う。一応主と奴隷、という立場を気にしていたのか、それとも秘書の座を手に入れて浮かれているのか。俺にはどっちなのかは分からなかったけれど、アルフが楽しそうなのでどっちでもいいか、とも思った。
商売というのは、楽しんだものの勝ちだ。
其処にどんな価値観を置こうと、それだけは変わらない。…俺が、ずっと、そうして来たように。従来の遣り方を変えるのも、少しずつ他の路線を増やすのも、他の商会と競うのも、売られた喧嘩を買うのも、誰かを騙すのも。俺は全部、楽しんでやっていた。
「応えるつもりならさっさと応えてやんねーと」
「………時期ってものがあるんですよ、俺にも」
「でも、早くしねーとライラが先生のお嫁さんになる〜ってまた言い出すぞ」
アルフのその言葉には、流石に詰まる。
「それは…」
「先生はこども、って馬鹿にしたりしないと思うけどさ、俺から見てもライラがどんくらい本気か分かってるから」
ライラは来たばかりの頃、本当に身体が弱くて、常に誰かが様子を見ていなければならなかった。ある程度順番に面倒を見るようにしていたのだが、そのうちにアルフに懐いて、ライラの面倒を見るのはアルフの仕事になった。それもあって、二人は本当の兄妹のように暮らしている。ライラがアルフの真似をしたがるのも、兄姉のやることを真似するのと同じなのだろう。
「せめて相手の幸せを願っての失恋であって欲しいわけよ」
「………難しいことを言いますねえ!」
「ま、これでもライラの兄≠セからな」
「最強の兄じゃないですか…」
ため息をまた吐きながら、俺は努力はします、とだけ言葉にした。
実際、俺の努力なんかでどうにかなるようなことではないから、そうとしか言えなかった。
今日やるべき仕事を終えて、部屋へと戻る。もしこれからもジャーファル様が暇を見つけては顔を出すのだったら、部屋を作っておくべきだろうか、なんて考えながら。そう思っている時点で期待しているのも同然で、本当に俺は自分の都合の良さにほとほと呆れるのだったが。
そういえば、と思う。
―――きみ、
今までは、あなた≠セったのに。
「………クソ、」
五年間まったくもって動かなかった距離が、再会してからも動かなかった距離が。
動いている気配がしているのに、俺は、それを嫌だとも思えないのだ。
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