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正式に奴隷制が全世界で廃止され、国際同盟に加入していないレームでも、同じようにして奴隷制が廃止された。そういうことで、マイエ商会は高級奴隷貸付業から一転、人材斡旋と人材育成に力を入れることとなった。と言っても正直やっていることは今までとさほど変わらない。俺の立場が最高責任者のみから、こどもたちの保護者及び身元引受人兼任となったくらいだ。今まで自力で身分を解放していった者たちには、解放のお祝いとしてそのまま金を返していたので特に文句も出なかった。寧ろ、いつかのカイやアルフと同じように知られてないと思ってたのか、とにやにやされたくらいだ。本当に何なんだ。こんなつもりじゃあなかったのに。
「先生はこれを予期してたの?」
「予期してたのとは違いますが…」
だって、俺は知っていたのだし。俺が大まかな流れを変えようとしたりしない限り、こうなることを知っていた。失われる生命とか、そういうもののことを考えると流れに加わった方が良かったのかもしれないが、俺にはそんな力はなかったし、正直自分のことで手一杯だった。
煌帝国の内戦の結果がレームにまで届いてからすべてのことが早かった。白龍帝が即位した、ということは、少し前に話したあの青年はもう死んでしまった、ということだろう。悲しみは特にわかなかった。生き返ることを知っているからではなく、単純にそこまで関わりがなかったものだから。あの邂逅だって、予想してはいなかったのだ。彼がレームに来ることは知っていたけれど、窓口から剣闘場はそんなに近くなかったし、俺だって窓口にほとんど顔を出さないし。なんとなく、彼の運命を引き寄せる力に巻き込まれたような気がして落ち着かない。
しかし、そんなことを忘れてしまえるほど、世界は大混乱だった。マグノシュタットでの戦いに呆然としていたら世界に置いていかれたことだろう。それを思うと、今の俺の状態はズルもいいところだ。まあ、知っていたからと言ってそれを活かせなければ意味がないので、まるきり知識だけで現状を構築している、とは言わないが。俺にだって、一応の矜持があるもので。
「言っていたでしょう、先行き不透明な制度だって。崩壊がいつ起こるか分からなくとも、用意はしておくべきなんですよ、なんでも。何百年後かもしれない、と思っていることが明日起こったっておかしくはないんですから」
「ゾーダン石みたいに?」
「そうですね、ゾーダン石みたいに。あれだって、突然岩盤が陥没してある日突然採れなくなってしまうことだって、頭の隅に置いておかなくちゃいけないんですよ」
そうでなくとも、ある日突然迷宮が生えてくるような世界なのだ。迷宮は誰かが踏破すれば消えるとは言え、これからの未来のことを思うと、もし近くに迷宮が出てきたら、と思うと憂鬱になる。特に、此処はただの田舎で、レーム属州以外の称号もない場所なのだから。山に町がくっついているような此処はルカッタと言って、一応位置づけは州だったけれど、そんな名前に不似合いなくらい小さなもの。治安はそこそこ良いが、人は少なく、多分牛やヤギの方が多い。
―――そんな、場所を。
誰かが守ってくれる、とは思えなかった。
物語のあの感じだと、誰もルフには還らなかった≠ニいうのが結末なのだろうが、本当にその通りに進むかなんていう保証はない。俺だってそこそこその知識をアテにはしていたけれど、情報にはずっと目を光らせていたし、それはやっぱり俺の知識が絶対であるという証明が何処にもなかったからだ。バタフライ・エフェクトという言葉だってあるのだし、俺がこの世界にやってきてしまったことで、遠回りでも何処かに影響が出て、何かが変わる可能性だって絶対にないとは言えなかった。そもそも、此処があの、作品≠フ世界である証明だって、誰にも出来ないのだし。とてもよく似た世界というだけであることだって、俺は頭の隅に置いていた。
「ヨナ」
「うわあっ!?」
そんなことを考えていたものだから、突然名前を呼ばれて肩に手を置かれて、俺は思い切り叫んでしまった。
「あ、あれ、ジャーファル様…?」
「…きみは、私が呼びかけるといつも驚きますね」
「ジャーファル様が驚かせているからだと思いますが」
俺のめったに出ない叫び声に、全員が何事かと顔を上げていた。何でもない、と手を振ると、とりあえず大丈夫そうだ、と仕事に戻っていく。何人かは少し前に来たシンドリアの高官だと気付いたようだったが、特に何も言われなかった。まあ仕事が忙しいのでそうしてくれた方が助かるが。これはまた夜にでも特に何もない、と言っておいた方が良いだろうなあ、と思う。この人、自分がどう見られてるかの自覚ないのか。
俺の思考なんてお構いなしに、ジャーファル様は辺りをきょろきょろと見回す。それから、首を傾げた。
「………やけに活気がありますね」
「そりゃあ、仕事で大忙しですから…?」
奴隷制度がなくなったことで、就職希望を出していた者はそのまま従業員となった。それは別に困らないのだが、今まで給料の貯め方なんかは机上の空論でしかなかった者たちだ。心構えの出来る前に実践をする羽目になって、どうしたら良いかと泣きついてくる者もいる。まあ、何か為出かされてから泣きつかれるよりマシだが。銀行というシステムがあんまり普及していないのもあって、結局自分で管理しなくてはならず、俺は従業員用の金庫の購入を余儀なくされた。銀行屋とか名乗ってたくせに、アル・サーメンも痒いところに手を届かせてくれないものだ。従業員の金品を守る必要性も出てきてしまったため、護衛の数を増やしたし、また新たに契約も結んだ。その辺りは、レームが国際同盟に加入していないのもあり、結構自由にやれたと思う。このままで行ってくれ、同盟加入とか言わないでくれ。無茶だと知ってはいるが。
何か用ですか? と聞くタイミングを失って、俺はただジャーファル様を見るだけになった。いや、本当に何しに来たんだろう。ジャーファル様はもうシンドリアの制服を着てはいなかった。白を基調としたあの服も似合っていたけれど、この黒を基調とした新しい制服も似合っていると思う。この人、似合わない服ないのだろうか。
「きみは、さぞかし気落ちしているだろうと」
「気落ちして、こどもにあたってるとでも思ってたんですか? そんな暇じゃないですよ」
「そんなふうには思ってません」
冗談で言ったのだけれど、思いの外強い口調で否定されて驚いた。思わず顔を向けると、きみがそんなことをするとは思っていません、と繰り返される。どうしてだろう、だって俺は、別にジャーファル様がそんなふうに思うような態度を、取った記憶がまったくもってないのに。
「…以前来た時に、」
俺が黙ったままだったからだろうか、ジャーファル様が続きを言う。
「多かれ少なかれ、こどもたちがきみを慕っていることは感じていましたから。それは、きみが慕われるだけのことをしたからだと思ったんですよ」
「こどもに対してえげつない人心掌握術を使ったとは思わないんですか」
「持ってるんですか? えげつない人心掌握術」
「………」
一本取られた。もし持っていても、ここで持ってます、とは返せない。事実、俺はそんなものを持っていはいないのだし。再び黙りこくった俺に満足したように、ジャーファル様は笑った。なんだかやられっぱなしのようで落ち着かないが、別にジャーファル様は競合というわけでもないのだ。蹴落としに来ているわけでもない。俺を連れ戻そうともしなかった。
―――見つかって、から。
俺は結局、再びジャーファル様から逃げることをしなかった。ちょっと予定よりは早いが商会を誰かに任せて、さっさととんずらすることだって出来ただろうのに、しなかったのだ。
だから、こんなふうに再来を許している、というのもあるのだろうけれど。
しかし、と思う。本当に、何をしに来たのだろう。シンドリア商会の設立は聞いている。シンドバッド様の輝かしい活躍の数々も。ジャーファル様だって、忙しいだろうに。
「ヨナ」
やわらかい声で、何処か罪悪感を帯びたような声で、ジャーファル様が呼ぶ。どうして俺に向かってそんな声を出すのだろう、と思いながら、はい、と返事をした。なんだか、腹の奥がこそばゆい心地になる。
「…シンを、恨んでいますか?」
「え?」
思わず、声を上げる。
「なんでです?」
なんで、そんなことを聞くのだろう。シンドバッド様は、俺の意味不明な逃走を許してくれさえしたのに。そんな人を恨む理由なんて、何処にもないだろうに。
そう思って問い返したというのに、返ってきたのは呆れた表情だった。さっきから結構忙しい人だな。仮にも世界のナンバーツーを張る人間だろうに、こんなに表情豊かでいいのだろうか。以前はどうにもやることが許されているからしてみせている、みたいな、何処か虚構感の漂うものだったそれは、虚実みを失ってジャーファル様のものになっていた。
―――どうして、
あの時は、あんなふうに思ったのだろう。そう、不思議になるほどに。
「きみ、仮にも奴隷商人だったんでしょう」
「え? あ、まあ、そうですね。成り行きでなったようなものでしたけど…」
答えてから、ああ、と思った。シンドバッド様が奴隷制を廃止した所為で、廃業に追い込まれた商会も少なくはない。そのことを言っているのだ、と気付く。
「あー…別に、奴隷だけでやっていたわけじゃあないので」
「…そのようですが」
「もともと、好きで奴隷商人を選んだわけでもないですし」
俺だって最初頭を抱えたのだ。奴隷制がそのうちなくなるだろうと知っていたのだから余計に。まあ、随分頭を抱えたおかげもあって、新体制になってからもとりあえずは食いっぱぐれないでやっていけそうなのではあったが。本当にこんなつもりじゃあなかったのになあ、と思う。もう口には出さないが。
「そういえば、」
「はい」
「どうして奴隷商人なんてやっていたんですか」
「ですから、成り行きで」
「その成り行きを聞いています」
成り行きに説明も何もないのに。どうやって返そうか、と思っていると、アルフがやってくる。何かあったのだろうか、俺が問うより先に、アルフが口を開いた。
「何、先生の武勇伝話してないの」
「武勇伝じゃあないです」
何を言い出すんだ。
「武勇伝なんですか?」
「武勇伝です」
「武勇伝じゃあないですから!」
ジャーファル様が余計に興味を持ってしまった。興味を持つようなことは本当に何もないのに、こんなどうでもいいことにかまけていないで欲しい。
「…乗っ取っただけですよ、悪いことしたんです」
「でも無血開城だったんだろ?」
「誰からそんな言葉習ったんです!」
「マカン」
納得の経路だった。マカンは身振り手振りの大きな子で、身分を解放した今は流浪の劇団に所属しているはずだ。手紙もくれるし、時折戻って顔を見せてくれることもある。一人芝居も見事なものだ、あれを見る度に、俺だって少しはいいことをしたのではないか、とそんなふうに思えるくらいの。…シンドバッドの冒険を熱演し始めたときは、正直動揺したが。いや話がズレた。咳払いをしてアルフ、と呼ぶ。
「何かあったんですか」
「いや? 特には。作業の進捗状況とか報告に来たんだけど、面白そうな話してたから」
「報告してくださいっ」
「でも部外者いるしなあ」
「今日は部外者に知られて困るような仕事してないでしょう!」
部外者、と呟くジャーファル様に部外者でしょう、と繰り返してから、アルフからの報告を聞く。さっき言っていたとおり、随分順調らしい。
それで、とアルフがそのまま続けたものだから、俺は当然他に報告しておくべきことがあるのだろう、と思ってはい、と聞き返したのだけれど。
「でもなんで、先生はこの商会乗っ取るなんてことしたわけ? 俺たちも結構気になってるんだぜ?」
「アルフ………」
まさかアルフに話を戻されるとは思っていなかった。
「だから、成り行きです」
「本当に成り行きだけだったらすぐ利権なんて手放したんじゃねえの?」
「本当に成り行きだけですってば」
当然、そんな会話をしていれば、仕事の報告なら、と黙っていてくれていたジャーファル様も口を開くわけで。
「私も気になります」
「………そんな顔してもだめです」
「どんな顔してました?」
「冒険に出かける前のこどもみたいな顔」
これから出会うであろう未知に、わくわくしているのを隠しもしない、きらきらした顔。ジャーファル様にも心当たりがあったのか、そんな顔してましたかね、と自分で自分の頬を揉んでいた。残念ながら揉んだところで表情というのは変わらない。あと、本当にそんな顔をされるような話ではないのだ。期待されても困る。
「アルフくん、でしたっけ」
「はい」
俺が喋らないだろうと踏んだのか、ジャーファル様の視線がアルフへと移った。別に会話されて困ることもないので放っておく。
「此処は長いんですか」
「先生が此処に来た頃からいます」
「………それは、長いですね?」
「アルフは身分解放出来るだけの貢献があったんですが、全然本人が納得してくれなくて」
「だって先生が言ったんだぜ、いつか奴隷制度はなくなるものだって。そうなったら、逆に奴隷だった期間って希少価値がつくだろ?」
「そんなこと考えるの貴方くらいですよ…」
多分、アルフは頭が良すぎて変なことを思いつくタイプなのだと思う。予定通りに奴隷制度が廃止された今、ゆくゆくはアルフにこの商会を任せてもいいかな、と思うくらいに仕事の出来る子なのだけれど。本当に玉に瑕、というやつだ。いやまあ、世界というのはこういうちょっととぼけた天才が作るものなのかもしれない。少なくとも、アルフは一人じゃあないのだし。
「制度廃止を期に、正式に先生の秘書になりました」
「秘書にしろって契約書持って迫ってきた子の言い草じゃない…」
一体いつからそんなことを考えていたのだろう。俺の遣り方に大まかには沿うていて、かつ自分の遣り方をうまく練り込んだ契約書だった。思わず上から下まで何度も読み返してしまったくらいだ。
「秘書」
「まあ、そろそろ必要かなとは思っていたんですけど、俺もまさかこんな形で立候補されるとは思っていなくて」
びっくりしました、と言えばアルフが満足げに胸を張る。俺は秘書だとか、そういう俺の補佐的な地位を作ろうと思っているなんて誰にも言っていなかったし、用意だって特にしていなかったのに、アルフは本当によく見ていると思う。決定打になったのも、これから絶対に必要になるだろ? なんて台詞だったのだし。
当然、任命を通達したら全員に驚かれた。カイなんかはその手があったか! と言ったし、そのカイも今は秘書補佐だ。それを見たライラは、自分も秘書補佐になる、と駄々をこねたが、まだ年齢が足りないという理由で納得してもらった。ライラが年齢を重ねてまだ補佐がしたいのならそれでも良いけれど、正直ライラには広報とかの方が向いていると思う。
「俺の知らない間に勝手に成長してくれ、とは思っていましたけど、こんな形になったのには、本当に驚きましたね…」
「でも、俺が秘書になってよかっただろ?」
「それは、もう。はい」
「そういうことだから、先生のことは任せてくれよな」
アルフの言葉に、ジャーファル様が少しだけ困ったような顔をして、それからはい、と答えた。
別に今のはジャーファル様が頷く必要なんてない遣り取りだったはずなのだけれど、俺は結局なんでジャーファル様が答えるんですか、とは言えずに、どうでもいい話ばかりに時間を費やした。
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