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 ジャーファル様との通話を終えて、俺は執務室へと戻る。片付けるべき書類は多くあった。世界がこんなふうになって、何処もかしこもお祭り騒ぎで、物流なんかはほとんどストップしているのだけれど、それで決済書類がなくなってくれるわけでもないのだ。こんな世界でこんなふうに仕事をしているのは俺だけではないか、とすら思う。多くの従業員は休みを取りたがったので、俺は特別に休暇を出した。身の入らない労働をされるよりは、此処で騒いでいてもらった方がマシだ。一応何処か行きたいところでもあるか、と問うてみたけれど、此処がいい! と返された。何処にも行かないのならそれで良い、すべてが終わったあとに人数の確認がしやすいから。
 少し経つと州長が訪ねてきて、俺の屋敷に集まれないか、と提案してきた。中庭を増設してあったから、きっと其処になら入れると思う、と伝えて、また仕事に戻る。町の人間も一箇所に集まっていればあとで点呼も取りやすいだろう。
―――こんなに、
無事終わったあとのことを考えているのに、どうしても不安が消えなかった。世の中には絶対などないことを知っているからかもしれない。
「ヨナさま?」
「はい、どうしましたか? ライラ」
いつものように、ライラは膝によじ登っては来なかった。俺が仕事をしているからかもしれない。もじもじ、とする様子にああ、そういう用件か、と思う。俺が何処にも出掛けないで此処にいるから、仕事中だと怒られるかもしれない、と思っても顔を出したのだろう。
「ライラ、ヨナさまといっしょにルフにかえれる?」
「ライラはどう思うんですか?」
「えっと、えっと…むり、っていわれても、いっしょにかえりたい! です…」
「そうですか」
これくらい、まっすぐに俺もものが言えたら、何かが違っていたのだろうか。でも、それには俺は少しものを知りすぎていた。
 だから。
 椅子を降りて、ライラに向き合う。
「俺は、あんまり世界のことを考えていません」
「そう、なの…?」
「だから、世界がどうこうなっても、自分のしたいことをします」
「したいこと…」
ライラの視線が机の上に行って、それからまた、戻ってくる。
「出来れば、ライラにもそうして欲しいです」
「うん、うん、そっかあ…!」
ぽろ、とライラが涙を流した。俺にはそれを拭うことも出来たのに、何もしないで待っている。ライラの気持ちに応えられない以上、俺はそういうことをすべきではなかった。
―――どんなに、幼くとも。
その感情に、貴賤はないのだから。
 ライラが自分で涙を拭って、それからにっこり、と笑う。
「ヨナさまは、おしごとだいすきだもんね!」
「大好きなわけではないんですが…」
そんなふうに思われてたのか、とちょっと肩が落ちる。いや悪い印象ではないと思うのだけれど、俺だって必要に駆られてやっているだけでやっぱり好きかと問われると違う、となるのだ。
 好き、というのは。
 思い浮かんだそれに、はた、と動きを止めると、ライラがじゃれついてくる。
「ヨナさま」
は、としてライラを見遣ると、その小さな手が伸びてくる。
「いいの」
そして、俺の頭を抱き込んだ。
「ヨナさまは、だいすきなひとのこと、おもいうかべてて?」
その言葉の甘さに、心臓が握られたような心地になる。
「ライラはわるいこだから、ヨナさまがいっしょにいるのがジャーファルさまじゃなくて、うれしいっておもってるの…」
その、言葉に。
 本当は悪い子なんかじゃないですよ、と返すべきだったのに。
 俺は結局、何も言えなかった。

 ライラがあとで絶対に来てね! と言い残して部屋を出ていって、暫くするとまた足音がした。こんな日なのに、結構様子を見に来る者がいるんだなあ、と思いながら顔を上げる。そんなに俺は信用ないだろうか、と思ったりもしたけれど、こんな日にまで仕事をしている最高責任者がいれば、気になって寄るものなのかもしれない。
「先生」
開けっ放しになっていた扉を一応叩いて入ってきたのはカイだった。
「なんですか? カイ」
「よかったのかよ。…その、休み…取らなくて」
「貴方こそいいんですか? 宴をしているんでしょう」
賑やかな音は扉を開けていれば聞こえてくる。あまりにも食料を無駄遣いしているようなら何か言おうと思っていたけれど、特にそういうこともないようなので放っておいた。あとは州長がいいようにしてくれるだろう。アルフも向こうに混じっているのに。
「俺はもう結構食べたから。休憩」
「休憩でこんなところに来ていいんですか?」
「別に、いいだろ。俺が何処に来ても」
 そう言いながら、カイが手元を覗き込んでくる。いつもなら怒ってますからね、と言いながらもそれを止めないでいると、カイがうへえ、と声を上げた。
「マジで仕事やってる…」
「ルフに還るからって仕事休んでられますか」
「え、ええ…」
まあ、今後も仕事がなくならないように、の願掛けなのかもしれなかったが。予想通り、ルフの書き換えからこぼれ落ちた俺は彼らのように宴には混じれないし、結局はこうしているのが良いのだ。嬉しそうなのには変わりないのだから、水を差す理由もないのだ。
「先生は、それでいいの」
「いいんです。俺にはこういうのが向いてるので」
「でも、他のやつらには休み出したじゃん。あのアルフだってライラと一緒にいるんだぜ?」
「休みたい者は休めばいいでしょう。それに、俺だって昼前には休憩を取ります。ライラに呼ばれているので」
「うわ〜悪い男〜」
「はいはい、そうなので俺のようにはならないでくださいね」
「どうやって先生みたいになれって言うんだよ」
そんな遣り取りをしながら、俺が一つ仕事を片付けたのを見てカイが手を出す。
「…なんですか?」
「もう昼前だろ?」
「………もう一つだけ」
「そんなこと言ってたら先生一生来ねえだろ!」
 もう、と手を取られる。その力は全然強くはなかったけれど、俺が立ち上がるのには充分だった。
「先生はさ、」
ぎゅう、とカイがその手を握りしめる。
「何か、俺たちと違うこと、考えてるのかもしれないけど…やっぱり、俺たちは、先生と一緒にいたいよ」
「………カイ」
「だから、ほら、今日の仕事は終わり!」
その、言葉は。
 まるで明日があるかのようなものなのに、どうして世界の終わりを信じているカイが言えるのだろう。
「………」
俺は、それを聞けなかった。
 俺に聞く資格が、あるようには思えなかった。

 カイに連れられて、みんなの輪に加わって。
 少し飲み物をもらいながら空を見上げている。使徒とやらの姿が見えて、そういえば引っ込む田舎を探すのには随分頭を悩ませたんだよな、と思い出す。場所が悪いかもしれない、と思いながらそれでも此処に決めたんだったな、と飛んでいくルフの群れを眺める。大峡谷は海の向こうだし、あそこは世界として未完成でうんたらかんたら…とかじゃなかったか。流石にもう随分前の記憶だから詳しいことはあやふやだ。今、この世界に生きて抗っている人間に託すしかない。
「………」
俺が静かだからか、周囲もそこまで熱狂してはいなかった。ただ静かに、空を見上げている。使徒たちの剣先が世界を崩していくのを、黙って見ている。
―――その、なんと、
恐ろしいことか!
 俺は、本当は叫び出したくてたまらなかった。
 こんなのはシンドバッド様が望んだだけのもので、貴方たちの願いではないのだと。誰かの願いについていくこと自体は否定しないが、貴方たちは既に選択の余地を奪われたあと、なのだと。でも、俺はシンドバッド様が考えに考えてこの選択に手を伸ばしたことを知っている。混沌の世界が本当にいいか、なんて誰にも分からない。だから、シンドバッド様は一つの指標として、自分を投げ入れた。それはきっと、生きながら炉の中で焼かれるような行為だ。世界をただ手中にしたい人であったならそういうことはないだろうけれど、これが実現してしまえば、シンドバッド様はこの先ずっと、終わらない戦いを見てはどうして、と嘆くのだろう。
―――俺は、
多分、人間にそんなに期待をしていない、のだ。だからこそ、シンドバッド様が指標になっても、つらくかなしいことになる、と思っている。結末≠知っているからじゃあない。
 誰か一人の犠牲でどうにかなるような、そんな簡単なものであって欲しくない、と。
 俺が、思っている、から。
 たとえそれが、シンドバッド様のルフが散り散りになってしまう結果を引き連れてきたとしても、この選択を認めたくはなかった。…とは言っても、結局戦うことも出来ない、のだけれど。
「あれ…?」
ピィ、と鳥のさざめくような音がする。
「どうして、………」
ライラが俺の膝の上で、小さく震えた。
「ライラ、あれ、怖い…」
は、と目を見開く。
「ライラ、何言って…」
「だってあれ、ライラたちを…あれ? どうして? ライラ、ルフにかえりたかったのに…」
 ライラを膝から下ろしてアルフに預けると、俺は望遠鏡を取り出した。望遠鏡とは言っても魔法道具で、実際のレンズよりずっと遠くまで見える代物だ。
「………来た」
見るのはレーム帝国の方角だけで良い。あそこなら、迷宮(ダンジョン)跡地が何処にあったか分かるから、何処を見ればいいのかすぐに分かる。
「非常事態です、と俺が言ったら動ける者はどれくらいいますか」
俺の呼びかけに、何人かが手を挙げた。半数以上は動けそうだった。
「分かりました。動ける者だけでいいです。緊急作動室へと来てください」
「先生、何を…っ」
「町を守ります」
此処は、ただの片田舎だ。レーム属州というだけの、国でもない一地域。そんな場所を、守ってくれる人などいない。いるかもしれないけれど、いない、と思っておいた方が楽だった。
 普段は開けることのなかった緊急作動室へと行く。町の人間も幾らか着いてきているようだった。まあ、動ける人間は多い方が良い。
「先生、これは?」
「巨大な防御魔法を張る装置です」
本当は一人でも主人公たちのように巨大な魔法を行使できればよかったのだけれど、残念ながら俺は主人公ではないから。こうしてこつこつ、魔力(マゴイ)を貯めておくしかなかった。
「俺の魔力が一応溜まっていますが、ジリ貧になりたくないので装置に魔力を吹き込んでください。人間には限度がありますので、交代のタイミングはしっかりと見極めて」
「はい!」
いい返事があって、従業員たちも、町の人間も動き出す。席から溢れた者は、他の者を鼓舞しに行ったり、即席の交代表を作っているようだった。それを見ながら、俺も席につく。
「では、始めますよ」
とん、と杖を、ヤムライハ様にもらった大切な杖を立てる。
 外の、世界で。
 誰かが戦っているというのなら。

 俺たちは誰かに守ってもらわずとも生きていけるのだと、それを最初に示したっていいはずだった。




















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