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 俺は思っていたよりも気を張っていたらしい。
 まる一日眠って起きたは起きたのだけれど、起きてもすぐに眠気が襲ってきてしばらく何をすることも出来なかった。それでも食事やトイレ、湯浴みなんかはなんとかこなして、あとは歩き回ることも頑張ったが。歩かないでいるとすぐに体力が消えるということは知っていたので。しかし、仕事らしい仕事はまったく出来なかった。一応此処だって災害復興で大変なのに、こんな時に役に立たないなんてどうかしてる。
「先生、生きてるか?」
カイがひょこり、と顔を出す。カイだけでなく、入れ替わり立ち替わり何度も様子を見に来られていた。倒れておいて何だが、俺はそんな簡単に死なないと思う。
「生きてますよ…すみませんね、こんな時に役に立たなくて」
「そういうのはいいんだよ、町のやつらが先生の姿見えないからうっかり還ったんじゃないかって心配してるよ」
「それは…」
「それに、ぶっ倒れた情報も加わって、先生がこの町の英雄! みたいになってる」
「それは違うので訂正してください」
どうしてそうなった。いや、そういう感じの動きはしたかもしれないけれど、それは単に魔法道具のおかげで、誰がすごいと言うのなら、それはあの大混乱の瞬間に俺の言葉で動いてくれた者たちだった。俺だって、一人じゃあどうにも出来なかったのだし。本当に、使徒というか黒い槍がこちらへと向かってきたのがルフに還る魔法が解けたあとでよかった、と思う。最悪、あの装置を俺一人で動かすしかなくなって、魔力(マゴイ)が枯渇して死んでいたかもしれない。ちょっとそれだと、何ていうか恥ずかしいので、そうはならなくてよかった。まあ、諸々が終わったことで気が抜けたのか、ほとんど寝たきりの生活が続いているのだけれど。
「とりあえず…」
このままでいたら、次に姿を見せたときにとんでもない騒ぎになるかもしれない。それは困るし、嫌だ。俺はただの一商会の責任者でしかないのだ。それ以上のものは、正直キツい。というか、そんなことを言い出したら商会の最高責任者だって向いているわけではないのだ。もうさっさとアルフ辺りに譲って、俺は最高顧問とか、そういうやつに引っ込もう。隠居だ隠居。
「生きてるって伝えておいてください…」
「それは伝えるけどよ〜」
なんで今、けど、で切られたのだろう。
 俺がよいしょ、と起き上がるとカイが手伝う? と聞いてくれた。そろそろ一人で起き上がれるようになっているはずなので、断る。ずっと誰かに手伝ってもらっていたら、訓練にはならないだろう。
「働きすぎなんじゃねーの?」
無事に一人で起き上がった俺を見て、カイが言う。
「そうかもしれませんね」
「世界がルフに還るだの還らないだので忙しいときに仕事してたの先生だけだろ」
「流石にそんなことはないでしょうよ」
「いや、絶対先生だけだって…」
世界広しと言えど、と続けられる。世界のために戦った人間がいるのだから、俺のように戦う力はなくとも仕事だとかそういうものを続けていた人間が絶対にいないとは言えないだろう。どうしてみんな言い切るんだ。
「ところでさ、」
「はい」
「先生に客が来てるんだけど」
「俺こんなですよ? 今、人前に出られる感じじゃあないんですけど…」
湯浴みなんかはしているから清潔感は大丈夫だと思うが、やっぱり髪とかはちゃんとしてないし、寝起き感がすごいし。本当に人前に出られる感じじゃあないんだが。
「それがさあ、断れない感じの人で」
「どんな人ですかそれ…」
カイの冗談みたいな言葉にとりあえず髪だけでも整えようとしたところで。
 キィ、と扉が開いた。
「あっ待ってろって言ったのに」
カイが慌てて扉を開けるのを引き継ごうと走っていく。亜麻色をした裾に、緑のクーフィーヤ、そこから覗く白銀の髪。
「………ジャーファル様?」
なんでいるんだ。びっくりして目を瞬(しばたた)かせる俺にジャーファル様が困ったような顔をする。ああいうことがあって、シンドリア商会はある程度の引き継ぎを終え、解体となった。シンドバッド様がいなくなってしまったのだから無理もない。急に職にあぶれた人間も多くいるだろうが、正直こんな天地があべこべになってしまった世界ではやることしかなかったし、シンドリア商会に属していた、という肩書はこうなった今でも結構な箔だった。うちにも何人か引き取れないかという打診があって、幾らか引き取ったはずだ。俺はこうして寝込んでいたためまだ会っていないが、アルフが直々に面接に飛んでいたから大丈夫だろう。こどもが上司でもやっていけるちゃんとした人材を持ってきたに違いない。
「きみが、」
カイが気を遣ってか、扉閉めておくので何かあったら鈴鳴らしてくれ、と部屋を出ていく。ちなみに鈴は、常に部屋に人がいる気がしたので、ちゃんと起きたら呼びますから、と俺の頼みで導入したやつだ。魔法道具の一種で、遠くまでよく響く。話がズレた。
「倒れたと聞いて…」
「ええ…」
誰から、と思ったけれど、今はそれは重要じゃあない。そろそろ、とジャーファル様が近付いてくる。俺はこの寝起きそのままの頭をどうしたものか、と急いで手櫛でどうにかしようとしていた。どうにもならなかった。
「いても、立っても、いられなくて…」
「シンドリアはどうしたんですか」
「ドラコーン王に任せています。サヘル殿もいますし」
そう言われると確かに、あのお二方なら大丈夫な気がしてきた。
 ジャーファル様がシンドリア商会の解散後、シンドリアに戻ったことは知っている。眠っていた俺が連絡に出ることはなかったが、忙しい、ということで各方面を誤魔化していたらしい。商会の仕事は別にもう俺なしでもやっていけるようにしてあったし、ジャーファル様からの連絡も、伝えておきます、と言って跳ね除けていたと聞いていた。ジャーファル様も忙しいという言葉に納得していたのか、シンドリアに戻って国のために尽くすことになった、という伝言を残していたのだし。だからジャーファル様に倒れたことが伝わるとは思ってもいなかったのだ。本当に、一体何処から伝わったんだか。ついでとでも言うように、そういえばジャーファル様ってシンドリアに戻るのも結構ゴネたって聞いたぜ、というカイの言葉を思い出した。一体何処からそんなことを聞いたのだ、と問うとドラコーン王、と返ってきたな、と。俺が寝ている間に商会の人脈がめちゃくちゃになっている気がする。いや別に悪いことではないのだが。このままだと俺は正真正銘の浦島太郎になりそうだった。
「抱き締めても、いいですか」
「…いいですよ」
もう断るのもな、と思って頷くと、ぐ、と唇が引き結ばれてから手が伸ばされた。
「私は、っ」
 そんなに勢いがつかなかったのは、倒れた、という俺のことを心配してくれたのだろうか、と思う。
「きみが倒れたと聞いて、今も療養生活をしていると聞いて、本当に気が気じゃ、なかったんです」
「すみません。…でも、別に療養生活なんてのじゃないんですよ。よく寝てるだけで」
「満足に起き上がれないのは療養生活って言うんですよ」
「そうですか? 一応、起き上がれはするし、歩けもするんですが…」
ぎゅう、と背中に回された腕に力がこもった。でも、苦しいだとかそんなことはまったくない。気遣ってくれているんだな、というのが分かって、無意味に喉が熱くなるような心地になった。
「きみ、が、」
掠れたジャーファル様の声が、耳元でしている。
「きみが、好きなんです。きみを失いたくないと強く思うくらい、きみのことが好きなんです」
「………ジャーファル様、」
そのどうしようもない熱さに、俺は一回だけ強く、目を瞑った。
 もう、タイミングは来ていた。あと問題があるとすれば、ジャーファル様が俺のことを何も知らないということ。
 なら、話さなければ。
 俺は、このひとに嫌われる覚悟で、言えることを言わなければ。
 そろそろ、とジャーファル様の背中に腕を回す。ヨナ、と驚いたようなジャーファル様に動かないで欲しいと言うように、そのまま息を吸った。
「本当に、俺は、ジャーファル様の思っているような人間じゃあないですよ」
「…そうでしょうね」
顔を見ないで欲しいというのが伝わったのか、ジャーファル様はそのままでいてくれる。
「なんですか奴隷商人って。私が知ったときどれくらい驚いたかきみは知らないでしょう」
「まあ、それはなんとなく想像してましたが」
「私、驚いていたように見えました?」
「見えませんでしたけど、驚いてもらえないと、意味がないとも思ってましたから」
あの頃の俺は、本当の本当に頭を悩ませていたのだ。突然降ってわいてしまった商会の利権、それだけならまだよかったのかもしれないが、扱っているメインの商品は奴隷、で。そこで俺が終わらせてしまうことも出来た、くどくど今まで説明してきたように、乗りかかった船を放り出すのも気が引けた、というのだってあった。でも、やっぱり、一番の理由は。
「シンドリアが奴隷制を敷いてないことを含めても、この仕事なら見つからないって思ったんです」
「き、みは…」
「俺は、」
 この、仕事なら。
 ジャーファル様に見つからないと、思ったから。
「そういうことが出来る人間です」
俺は、自分の保身のために誰かを蔑ろにすることが当然のように出来る人間だった。そこに罪悪感を持ち込むのは俺にとって、難しいことだった。倫理観として、悪いことだと分かっていても、俺がそれで得をするのなら別に良いだろうと、そういうことが言えてしまう人間だった。
「人権とか、そういうものを蔑ろにする商売の、出来る人間なんですよ」
「…本気で蔑ろにしようと思っている人間は、そんなふうに言わないと思いますが」
「そもそも…故郷でも、悪いことばっかりしてきましたし」
一度言葉を止めてしまえば、俺はこのまま黙ってしまうかもしれない。そんな不安を察したのか、ジャーファル様は簡単な相槌を打つくらいに留めてくれた。
「故郷は…」
聞いていますよ、とでも言うように背中が撫でられる。その仕草があまりにも優しくて、思わず腕に力を込めてしまう。
「そこそこに広い世界、ではあったんですが、その中でも平和な方でした」
「…きみから故郷の話を聞くのは初めてかもしれませんね」
「だから、俺のやる悪いことも、多少みみっちいというか…人を殺したりとかの、方ではありませんでした。でも、人を殴ったことはあるし、そのまま恐喝したことだってありますし…人を騙してお金を騙し取って、生活、してましたし」
こんな、世界になっても。
「人を殺すことよりも、そういう方が嫌いなんじゃないですか?」
 ジャーファル様からは紙とインクの香りがした。
「ジャーファル様だって、商人なんだから」
 俺とはきっと、一生無縁だっただろうものの、香りがした。
「私だって、」
腕の力が緩められる。俺ももう、言うべき言葉はとえあえず言ったので同じように力を緩めた。密着していた身体が離れて、表情が見える。どれだけ見下げ果てられたような顔をされているのだろう、と思っていたのに、ジャーファル様の表情はひどく、穏やかで。
「きみが思っているような人間じゃあないかもしれませんよ」
「…そうでしょうね」
そんな顔で見てもらえるような人間じゃあないのに、なんて思ってしまう。今までほとんど誰にも思ったことのなかった、自己卑下みたいな部分が当然のように顔を出す。
「戦うときには角が…何本生えるんでしたっけ?」
「あれは脚色です!! 全員そんなことにされてるんですよ!!」
「でも俺は、ジャーファル様が戦っているところを見たことがありませんから」
「アバレウツボのときに見たでしょう」
「早すぎて見えませんでした」
「そんな…」
「俺、は、」
 どうしてだろう、こんなに心を傾けるようなひとに、出会っていなかったからだろうか。
 この人に、好きでいてもらいたいと、そんなふうに思ったのが初めてだから、だろうか。
「確かにジャーファル様のことをよく、知りませんけど」
「はい」
「でも、好きな相手を三番手にしか置けないことを知ってれば、俺はまあ、それで充分です」
「さんばんて」
「どう頑張っても三番手でしょう? 一番、王。二番、世界。頑張って三番、俺」
「そ、それは…」
ジャーファル様の目が一瞬丸くなって、それからええと、と緩く撓んだ。
「頑張ってくれる、と捉えても…?」
「………今いいところだけツマみませんでした?」
「そ、そんなことはないです」
 腕が背中から離れていって、そっと、頬を包む。
「………教えてください」
その熱さがひどく、かけがえのないものであることを、もう俺は知っている。
「きみのこと、全部」
燃えるように熱いのが、ジャーファル様だけではないことを、俺はもう知っているのだ。
「それで、私のことも、知ってください」
こつ、と額が合わせられて、ジャーファル様の額飾りがしゃらしゃらと音を立てた。
「…だめ、ですか?」
 息を吸う、必要はなかった。
「だめじゃないです」
細い鎖の擦れる音がじれったくてたまらない。
「でも、俺のこと嫌いになるかもしれませんよ」
「なりません」
その音にまで、熱が上げられていくようでもどかしい。
「絶対になりませんから、ヨナのこと、全部、教えて」
―――本当に。
 そんな声で言われると、叶えてもらえるような気がしてしまって。
 俺はただひたすらに、泣きたくなるのだった。




















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