34




 このまま話し込んでいるわけにもいかない。商会の面々だって心配しているだろうし、此処に泊まるわけにはいかないし。泊まればいいのに、と言うアリババくんにお礼を言って、お暇する。アラジンにはまたいろいろ話を聞かせてね! と言われたので商会の名刺を渡しておいた。俺がいないときに来ても、あそこなら話し相手に困ることはないだろうからいいだろう。
 約束通りお茶を購入して、帰路を辿る。帰りもジャーファル様が抱える、と言って聞かなかったのだけれど、俺を一生歩けなくさせたいんですか、と言ってなんとか自分の足で歩く権利を得た。いやまあ、今日くらいいいのかもしれなかったけれど、ジャーファル様は一回許すとそのままずるずると引きずりそうだったもので。俺の生まれたての子鹿みたいな歩調に合わせてもらうのは申し訳なかったけれど、今後の俺の健康のためなのだから理解して欲しい。
「あの」
「はい?」
俺が立ち止まる度に手を貸してくれるジャーファル様の顔を、恐る恐る覗き込む。いつもとは逆だな、と思った。いつもは、ジャーファル様が俺の表情を確認しようと覗き込んでくるのに。
「………怒ってますか?」
「いえ」
俺が何に対してそう言ったのか、すぐに分かったのだろう。ゆるり、と首が振られる。
「でも、少し驚きました」
「何に?」
「きみは結構、シンのことを苦手だと感じていたのかと思っていたので」
「ああ、まあ、状況的には苦手でしたね」
ジャーファル様が言いたいのはそういうことじゃあないとは分かっている。だから俺は、言葉を選びながら続きを言うことにした。
「でも別に、シンドバッド様のことを怖いだとか、嫌いだとか、そういうふうに思ったことはないです。状況として、えげつなく厄介そうな相手、とは思っていましたが」
「シンはきみに嫌われている、と随分落ち込んでいましたよ」
「それは…申し訳ないことをしましたね…。状況が違えば、俺はあの人が仕事をサボって脱走するのだって手伝ったと思うので…」
「前言撤回します」
「ええ、いいんですか」
「私の気の所為ということにしておきます」
「ええー…」
 そんなにシンドバッド様の脱走癖は大変だったのだろうか。俺が王宮にいた頃はそんなに脱走劇を企てているのを見た覚えがないから、意外としっかり仕事してるんだな、と思っていたくらいなのだが。俺は大抵政務室にいたのだし、流石に脱走したとなれば連絡が来るはずだった。だから、俺がいた頃はあまり脱走していなかったのだと思っている。
「すごい、ことをした人だと思っていますよ」
「はい」
「世界平和なんて、いっときだって実現させるのは難しいんです。煌帝国は少し…その手のひらから溢れていたかもしれませんが、それでも、それらしい世界を維持するのは大変なんです」
「ええ」
「商売だって…転送魔法陣の邪魔をした以外は、尊敬出来ますし」
「………やっぱり、あれがシンの仕業だって分かりました?」
「アルフが言うには、分かるのは俺たちくらいだろうってことでしたが」
「それは、何故」
「商人に一番必要なのは信頼で、シンドバッド様はそれをたくさん持っていたから。もしシンドバッド様がガラクタを売り始めても一定数買う人間はいたでしょうし」
「………きみが言うと、説得力がありますねえ…」
「褒めてませんよね?」
「褒めてますよ」
褒めてますよ、ともう一度、ジャーファル様が言う。
 ゆっくりと、視線が絡んだ。
 その表情の何処にも怒気がなくて、心底ホッとしてしまう。
「七海の覇王を真っ向から騙し切ったのなんて、世界を探してもきみだけでしょう」
「そうですか?」
「多分、そうです。他の人間が騙したのであれば、私が許していないでしょうから」
俺が疑問に思ったのは真っ向から、という部分だったのだけれど、ジャーファル様がそう言うのであれば無駄なことは言わない方がいいだろう。俺だって生命は惜しいのだ。
「ヨナ」
手が伸ばされて、また、頬が包まれた。こうされると安心する、なんて、本当に俺はこんな感情を、何処で手に入れてきたのだろう。頭を撫でられるのだって落ち着かなかったのに、ジャーファル様がするというだけですべて、満たされるような心地になる。
「元詐欺師なだけありますね」
「そうですね、その辺で培った話術です」
「本当、きみのその話術は、魔法と同じです。使い所を間違えば、誰かの尊厳を簡単に奪い取ってしまう」
「そんな大層なものではないですが」
「大層なものですよ」
「…なのに、俺の言葉を疑わないんですか?」
「どれを」
「どれでも…ですけど、故郷のことも、告白とかも」
「それは、」
 ヨナ、と呼ばれて、落ちていた視線がまた、絡む。
「分かりますよ、本当だって」
「どうして?」
「さあ、どうしてでしょうね。私がヨナのことが好きだからじゃあありませんか?」
「なんですか、それ。答えになってませんよ」
答えになってない、と言いつつも、俺はなんだかその答えに納得してしまった。好きというだけで真偽が見抜けたら世の中困らないだろうと分かっているのに、ジャーファル様が言うのなら信じてしまえそうだった。
「ヨナ」
「はい」
「まだ言ってないことはありませんか?」
「ありますけど、」
言葉の端々に出たりしないように、必死で調整した事実。
「これは、本当の本当に秘密です」
貴方たちの活躍はすべて俺の世界では本になっていて、だから俺はさまざまなことに先回りして動けたのだと。
「誰にも言わないでこのまま墓まで持っていきたいので、ジャーファル様も、知らないでいてください」
それだけはそれこそ死んでも伝えるつもりがなかった。
 せっかく希望を勝ち取ったこの世界に、運命がどうのこうの言わなくなった世界に、また混沌を齎しそうなことを言うほど俺は野暮じゃあなかった。




















prev / next

ブラウザバックor戻る
ALICE+