どんなに睡眠時間が短くても良質な睡眠が取れていなくても朝は来る。ああ、本当にひどい話だ! という訳で眠くて仕方のない僕はどうやってやって来たのかも分からない座椅子の上で目覚めた。こればかりはもうこの時間に目覚めるように身体が出来ているとしか言いようがない。
「あ、伊佐早先生起きましたか」
既に起きていた看護婦が早く顔洗ってきたらどうです、と洗面所の方向を指差した。
 急患がいつ来ても困らないように、この小さな町医者は併設されている長屋に医者も看護婦も大抵が暮らしている。暮らしていないのは所帯を持っているとかそういう者だけだ。独り者は問答無用でこの長屋にぶち込まれると言っても過言ではない。
「…おはようございます」
「おはようございます。まだ寝ぼけていますね? あれから兵隊さんが居座っているので何とか追い出してください」
「………無理だと思う」
「奇遇ですね、私もです」
看護婦のすげない言葉が現実を突き付けてきた。ここで否定して頑張ってくださいと棒読みで言ってくれるだけの可愛げがあったらなあ、と思って首を振った。
 さて、と立ち上がる。追い出すのが無理なら生活範囲にいても苦にならないようにすべきだ。もっと簡単に言うと、知り合いになるべきだ。

 夜中(というよりももう空が白み始めていたような気がするけれど夜中)から朝まで大した時間じゃないが放置されたというのに兵隊さんは最後に見たのと変わらない顔で立っていた。待合室にずっといたのだと言われてちょっと引いた。兵隊さんは直立不動はお手の物と聞くけれども流石に立ちっぱなしってどうなんだろう。でも眠いからと言って放置したのはこちらなのでそこは突っ込んで行くところではないのだろうとも思う。いやでも本当に眠かったのだ。
 昨晩、鶴見さんが最後にこの兵隊さんの名前を言っていたような気がするけれどそんなところまで覚えていなかった。なので改めて名乗ることにする。
「伊佐早順玲です」
「久我原八雲です」
ついでとばかりに横に来ていた看護婦、八雲も名乗った。
 置いていかれた兵隊さんはこちらの自己紹介に押される道を選んだようだった。覚えていなかったので助かる。名前聞いただろ、とか思われていても覚えていなかったのだから仕方ない。
「…尾形だ」
「下の名前は?」
すかさず聞く。これはもう癖のようなものだ。兵隊さん改め尾形さん(多分この字であっていると思う!)は一瞬思案してから、すっとまた平坦な瞳で僕を見てきた。
「必要か?」
「カルテに書くことになった時に必要でしょう」
尾形さんは表情を変えることはなかったが、流石に言葉に詰まった。
 病院でカルテを書くこと。それがどういうことなのかちゃんと分かっている。
「伊佐早先生、万一ってつけるの忘れてますよ」
「え、言わなくても伝わるでしょう」
「伝わるとは思いますが、あるのとないのとじゃ大違いと言いますか」
「ええ…そうかなあ」
「そうですよ」
これも茶番だった。年齢的にも、階級的にも恐らく尾形さんは戦争に行っている。そんな人が今更このような遣り取りに臆してくれるはずがない。あそこの医者はやばいので護衛とか要らないですよ中尉殿―――なんて間違っても言ってくれそうになかった。残念極まりない。
「で、下の名前は?」
「………百之助」
「オガタヒャクノスケさんですね。漢字はどう書くんですか? 尾っぽの尾にさんづくりの形、数字の百、足跡の象形に助けるで良いですか?」
「………書く」
「それは助かります」
尾形さんはやはり特に表情を変えないで自分の名前を書き付けた。こういっては何だが、兵隊さんにしてはきれいな字だった。尾形百之助。書いてもらったものをカルテに写しながらふむ、と僕は頷く。
「これでいつ死んでも大丈夫ですね!」
「先生、それじゃあまるで今から私たちが尾形さんを殺そうとしてるみたいですよ」
「ええ、そんなっ! 僕らは医者だよ?」
「そうですね、医者ですね」
この茶番にも反応なし。なかなかにしぶとい兵隊さんだ。反応らしい反応があったのはカルテに書くといった部分のみだった。捉えづらい。
「伊佐早先生は割と頭の可笑しい人ですが、今まで人を殺したことはないので大丈夫ですよ」
「はは、八雲くん、どんな殺人者も最初の殺人を犯すまでは人を殺したことなんかなかったと思うよ?」
「先生は私に庇われたくないんですか?」
「え、今の発言の何処が僕を庇っていたの?」
 尾形さんはそこでやっとはあ、とため息を吐いた。
「伊佐早先生」
「はい」
「アンタ、寝る時の眉間のシワすごいんだな」
思わぬ言葉に、僕は座椅子が寝にくかったんでしょう、としか返せなかった。


















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