悲しいことはなにもない



 この世界に恐ろしいことはたくさんある。神に祈っても何もならないことだって、たくさんある。なのに彼は祈って良いのだと言う。
「何故?」
私は聞き分けのない子供のように聞いた。
「貴方は神をも恐れぬ恐ろしい行為を見てきたんでしょう?」
「だからと言って神を信じたらいけないことにはならないさ」
「本当に?」
「本当さ」
事実、君は神に助けられて此処まで来ているだろう?
 言われて振り返る。そう、そうだった。私がロッシに会えたのは神の導きだった。当時はそれをただの偶然だ、と言われたのに。
「…ただの精神構造の解析のためだって言ってた」
「でも君は信じている」
「貴方は信じてる?」
「………微妙、だな。でも教会のことは嫌いじゃない」
「…そう」
私はどうしてそんなことを言い出したのかやっと気付く。
「私、貴方に出会ったのは私が出会いたかったからだと思いたかったんだわ」
「思ったって良いんじゃないか? そっちも素敵だ」
「そう?」
「ああ」
だって君の神は君の判断を怒らないだろう?
 それはとても甘い言葉だった。だから私はそんな些末なことで悩める幸せ者なのだ。



鶴の息遠くまで飛ぶ明け方の夢のなかにはわたくしひとり / 加藤治郎


















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