21
その日は珍しく病院に鶴見さんがやって来ていた。どうやら頭の傷の経過観察ということらしい。よく死ななかったなあ、と正直思う。いや、よく生きているなあ、だろうか。僕は鶴見さんの主治医ではないので彼の主治医の手伝いという形だったけれど、その患部を見て思わず息を吐いてしまったくらいだ。勿論感動の。だって本当に、よく死ななかったなあ、という怪我だったのだ。これは処置をした者が良かったのか、それとも鶴見さんの悪運というか生きる力が強かったのか。悩むところである。
その帰り、鶴見さんは僕のところを訪ねてきた。
「伊佐早先生。調子はどうかな」
「おかげさまで。忙しさは増しましたがやりがいはあります」
「そうかそうか。それは良かった」
鶴見さんは愉快そうに笑った。あまり笑うとまた傷口が妙なことになりそうだが、その辺りは本人も分かっていると思うので何も言わない。一頻り笑ったあと、鶴見さんはところで、と話題を変えた。
「尾形上等兵はうまくやっているかな?」
「えっ、特には」
あまりに唐突なことを言われたものだから思わずそのままに返してしまった。そのあまりの率直さに鶴見さんもぽかんとしている。
「すみません、何かやらせるために尾形さんは病院に来てたんですか? それだったら気付かなくて…申し訳ありません」
僕が流石にまずいと思って立て直すと、鶴見さんは心底面白いと言ったように固まっていた。そこまで笑うことだっただろうか。暫くして落ち着いたところで鶴見さんが控えめに手を上げる。
「いや、そういう意味で言ったのではないのだ。誤解させたのならすまない」
「いえ、こちらこそ早とちりだったようで」
世間話というか冗談を受け取れなくなっているのだろうか、僕は。ちょっと落ち込む。確かに最近忙しかったし考えることも多かったけれど、そこまで柔軟性が失われていたのだろうか。
うーむ、と唸る僕に、鶴見さんはいやあ、馴染んでいるようで何より、と言う。
「その馴染んでいる伊佐早先生に、お願いが」
どうやら話題を逸らすのは無理だったらしい。はい、と向き直って聞く。
「僕に出来ることなのでしょうか」
「出来ることではある。ただ、先生が頷いてくれるかどうか」
大仰な仕草はまるで悩める乙女だ。早く言って欲しい。
「実は…この病院に、正式に移ってはくれないかと、思っている」
息を飲む。驚く。出来ただろうか。
「え、こちらに、ですか…」
「ええ!」
「ですが、いくら鶴見さんの頼みでも、院長が許可をするかどうか」
「それが、伊佐早先生の話を上の者にしたところ、非常に興味を持ってくださったのだ。そんな優秀で志の高い医師であれば、より国のために働いてもらう方が心強いと…」
するり、と鶴見の手が伸びてくる。ひし、と取られた手。少しばかり冷たくてなんとなく湿っぽい。なるほど、と思う。これはなかなか天才的所業だ。
この人の下で働く人間は―――ああ、なんて、面白い!
僕は息を吸う。困ったように笑う。笑ったつもりでいる。
「申し訳ありませんが、此処でお返事することは出来かねます。一度持ち帰って相談しなければ」
鶴見さんは最後に一度にこり、と笑うとすっと手を離していった。色良い返事を待っているぞ、と言い残して出て行く。息を吐く。
緊張というのはなかなか演技として出すことが難しい。だから厳密には鶴見さんのあれも演技ではないのだろう。彼は恐らく、瞬時に自分の感情を操れる。比喩的に言うのであれば、瞬間的に違う自分になれるのだろう。違う自分を憑依させる、引き出しに幾つも貯蓄していてその都度呼び出している、などでも良い。それは非常に高度な技だ、と思う。もしかしたら演技をしてみせるよりずっと。
そんなことが出来るのは天才か狂人だ。
鶴見さんは一体どっちなのだろう。
そして。
尾形さんはそれを知っているのだろうか。
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