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さて、どうしたものか。この場合院長である須子先生に相談するのが一番だろうけれど、須子先生は院長とは名ばかりであり経営その他は別の人が担っているので先にそっちに相談した方が良いかもしれないなあ、なんて思う。その人が良いと言えば大丈夫なのだろうし、だめだと言えばそれなりに向こうが納得するだけの理由を持ってきてくれるだろう。
「皆巻(かいまき)先生」
そう思って部屋を訪ねる。
「おや、伊佐早。戻っていたんですね」
「今戻りました」
「そうだったんですか、忙しくしていますねえ」
それなんですけど、と僕は早速切り出した。皆巻先生相手に腹芸など無駄なのでさっさと済ませるに限る。
「向こうに勧誘されました」
「良いじゃないですか行ってらっしゃい」
「軽いですね〜!! 行ったら戻ってこれない奴だから一旦保留で戻って来たんですけど」
「あれ、よくそんなことが許されましたね」
普通に流されると思ったのに皆巻先生はすごい表情をした。なんというか…すごい表情としか言いようがない。何が彼をそこまでさせるのか。
「大体相手軍人ですよ。引き抜きに失敗とかあんまよくないじゃないですか。自分の能力不足って感じで」
「流石にそこまでは…」
「そこまでですって」
皆巻先生は兵隊さんと何かあったのだろうか。そういう話は聞いたことがなかったけれど。まあ、此処に限らずいろいろと抱えている人はあちこちにいるものだし、詮索するようなことでもないだろう。流す。半ば須子先生の道楽の成れの果てのようなこの病院で、面倒な経歴の持ち主は珍しくもなんともない。
「一旦保留が許されたんなら、見抜かれてるんじゃないですか?」
皆巻先生は頬杖をつく。この仕草も久しぶりに見た。昔から知っているはずなのに、本当のところ殆ど何も知らないのだな、と僕は思う。それは僕が自分の動きを制限していたからかもしれないし、皆巻先生が上手(うわて)だったからなのかもしれなかった。
「君、向こうにいたいんでしょう」
息を飲むような真似はしない。どうせ分かられていると思っていた。でも、素直に答えるのも何だかむずがゆいもので、僕は口を尖らせる。
「………そんなに分かりやすいですかね」
「君、恋をすると馬鹿になりますからね」
久我原の時もそうだった、と皆巻先生が言うのに反論が出来ない。元より反論する気があったかと言うとそうでもないが。
「八雲のことなら…まあ、こっちでどうにかしますよ」
「恨まれませんかね」
「それこそ君の望むことでしょう」
馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたけど、結局ここまで変わらないんですから、三つ子の魂百までですね。それを聞きながら昔もよくこうしてお説教されたな、と思い出す。体面を保つこと、世間体を気にすること、それがどのように影響してくるかということ。結局、そういうものはすべて医者としての矜持に転用されてしまったけれど。そういえば皆巻先生はそれについて怒ったことはなかったな、と思い出す。
彼はきっと、ずっと僕の先生でいてくれたのだ。それこそ、僕が幼い頃からずっと。
此処を離れるということは、彼の元を漸く卒業するということなのかもしれない。
「みんな、君のことは孫か息子のように思っていますからね」
勿論八雲のことも、と皆巻先生は歌うように言う。
「幸せになって欲しいなんて、月次なことを思うんですよ、きっと」
幸せに、なんて。
難しいことを言う。
「………本当に、月次ですね」
こんなにも息の仕方を忘れそうになる言葉だっただろうか、それは。
「今は、その言葉が、ひどく嬉しいです」
その言葉は絞り出したようなものになったけれど、皆巻先生は気にした様子もなく、そう言えるようになったことは素晴らしいですね、と言った。
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