26
指定の時間に指定の部屋を訪ねると既に呼び出した本人は来ていた。僕が部屋に入ると座っていた彼はがたっと立ち上がって頬を染め、泣きそうな顔をした。来てくれた、と思っているのが痛いほど分かる。僕が来ないかもしれないと不安だったのだろう。それから彼はお呼びたてしてすみません、と頭を下げた。僕が別に気にしていない旨を伝えるとまた泣きそうな顔をする。まだ若い彼は見習いとして此処に来ている。その期限の残りはもう少しで、だからこそ今だったのだろうと思う。
「伊佐早先生」
青年が呼ぶ。やわらかい声だ、と思う。彼はきっと良い医者になるだろう、人に寄り添える医者になる。
「以前よりお慕いしておりました」
それは、今後世界に何もなければ、だろうけれど。世界情勢を見る限り、なかなか平穏が来るようには思えない。まだ世界は揺れそうだ。
「ご存知の通り私はあともう少しで実家へと帰ります。その後は実家を継ぐことが決まっております。ですから、どうか貴方にこの気持ちを伝えたかった」
切々と綴られる言葉。美しい言葉。
「貴方からも、同じ気持ちを戴きたくて」
まるで物語、恋というものをそのまま封筒に押し込めたような。
それでも、僕は言う。
「僕は、その気持ちに応えることは出来ない」
まあ可愛らしいと言ったらそうだろう。でも、そう、ひどくあけすけな言葉にはなるけれど―――残念なことに好みではない。
「僕は君をそう言った目で見たことはないし、そもそも君にはご実家を継ぐという将来がある。君の家は大病院だ。必然、子供も必要になるだろう。君の嗜好を否定することはしないけれど、家を守りたいのだと、高めていきたいのだと語っていた君がそのための努力を怠るというのであれば失望さえ覚える。…それに、僕は君と個人的な付き合いはなかったと認識している。君のことを、仕事以外で何も知らないに等しいんだ」
まるで模範解答だ、と思う。勿論、僕の中でだけの模範解答だ。青年にとってこれが模範解答足り得るかは分からない。
「私が、男性であるからでしょうか」
ぽつり、と尋ねた青年は笑っていた。悲しそうに、泣きそうに、それでも微笑みを湛えている。
「いえ、分かっていたんです。伊佐早先生ほどの方が私に応えてくれるはずがないと…。でも、今の言葉を聞いて、縋りたくなってしまいました」
自虐的な言葉も棘を持たない。それを聞きながら、僕はああやはり、彼は良い医者になる、と確信した。
「もし、ご迷惑でしたらこのまま部屋を出てくださっても構いません」
どう答えるべきか、迷わなかったと言えば嘘になる。でも僕は多分、答え方というものを知っている。それは経験というよりも、医者であるからというものだったのだろう。
僕は今、医者として彼に向き合うのではなく、きっと人間として向き合ってやるのが良いはずなのに。正しさを、その先にある未来というものを手繰り寄せようとする時、僕は結局医者にしかなれない。
「…誤解を招くことを承知で、正直に答えるよ。僕にとって性別はあまり気にするべき要素ではない。今まで、そういうこと≠烽った。その上で、僕は断る決断をした。それは先に述べた通りだ」
「なら、」
「まだ話は終わっていない。そして恐らく、それが、誤解だ。僕が今後君に恋愛感情を持つことは、可能性としてはゼロとは言えないが、僕の見立てでは殆どないと思う」
青年は息を呑む。
「だから、諦めなさい」
我ながら汚い大人の対応というやつをしている、と思う。それでも、青年にかける言葉は変わらない。
「君は君の道を行くんだ」
prev /
next
ブラウザバックor戻る
ALICE+