凍った霞では息苦しくて
「『凍霞』という名を聞いたことあるかい?」
「いて、がすみ……?」
薊は神妙な顔で静姫にそう問いかけた。どうやら裏稼業の方に明るい者達の間では有名な名らしいのだが、ほんの一瞬でも汚れ仕事をしたことがない彼女には全く聞き覚えのないものだった。
しかし、静姫の似顔絵付きの手配書をアングラ社会に流し始めたのはその凍霞家の次期当主……『凍霞涼花』という人物なのだという。
「スズカ……女性が次期当主って珍しいですね」
「いんや男やね」
「えっ?」
「凍霞家に生まれる男児は女性的な名を付けられることが多いみたいでね」
そして、この静姫の手配書が発行されたのは、なんと一昨日からなのだ。
ごく最近の出来事だと知った静姫はピクリと僅かに肩を跳ねさせる。それは決して驚きからくるものではない。
彼女が生まれ育った街から立ち去って世間から姿を隠し始めたのは六日前……ごく最近のことだ。して、そのきっかけは何だったか。
そう、静姫の母親である四十万紗凪が裏稼業の者に売られたことがきっかけだった。
では、何故その紗凪は売られてしまったのか?静姫の元の生家に来た者達はこう言っていた……『四十万紗凪は娘である四十万静姫の身代わりになった』と。
それも、交渉したのでない。紗凪はその者達を謀り、苦肉の策で静姫を街から逃したのだ。つまり、その裏稼業の者達は未だ四十万静姫を探している。
その事実を繋ぎ合わせて導き出される答えに気づけない程、彼女は馬鹿ではない。
「つまり、私の母を買い取った屑共の親玉が、凍霞涼花、ということですか……!?」
「……十中八九」
「ッ……!!」
静姫はふるふると震えながら口元を両手で抑え、そっと目を伏せる。
突然、四十万家の日常を破壊した存在を知らされて動揺する気持ちは分かるが……柴はそれが少しばかり意外だった。
きっと、彼女は怒り出すのだろうと思っていた。頭の回転が速い静姫ならば、手配書の発行日を聞いた瞬間に、自分から母親を奪った者達の正体が凍霞家の者達だろうと気付けるのは想定内……その後はきっと、憤怒の炎で燃え上がるのだろうと考えていた。
その際に、叫び出すことはしない。そのまま静かに薊に明かされる凍霞家という存在の詳細を一つずつ、決して情報を取り零すことのないように聞き入るのだと。しかし、静姫の長い前髪からそろりと覗く瞳は、まるで焦点が定まらないようにぎょろぎょろと右往左往している。
それは絶対に怒りなどではない……彼女は今、間違いなく恐怖に慄いていた。
「……凍霞家は君の想像している通り、屑に分類される一家だ」
薊はそんな静姫に凍霞家のことを詳らかにしていった。
まず凍霞家とは主にアクセサリー、腕時計、バッグ等々のラグジュアリーブランドを取り扱っている大企業……その様々な会社を傘下に持つ財閥の一つだ。しかし、それはあくまで表の世界だけの話。裏の世界では売春斡旋、武器の密輸、人身売買などの悪行三昧。神奈備のブラックリスト入りを果たしている一家だ。
「そして最大の特徴。それは、自分達のことを芸術家と名乗っているところだ」
「芸術、家……?」
「……シズちゃん」
薊は彼女の名前を呼び、一度言葉を切った。
その先の言葉を紡ぐことを躊躇う薊とふいと視線を下げる柴に、ザワザワとした怖気が背中を這い回り始める感覚が静姫を襲う。つつ、とこめかみから冷や汗を一滴流したところで薊は続きの言葉を口にした。
「凍霞家が最も力を入れているもの。それは『オーダーメイド』だ」
「オーダーメイド、って……?」
「注文されたものは何でも制作する。その素材が何であろうと……」
たとえそれが『人間』であろうと。
「なッ……!?」
「……凍霞家は昔から、そういったものを欲しがる下衆達との交友関係が幅広くてね」
その中には美しい人間やその臓器を観賞等のコレクションに欲しがる悪趣味な輩も少なくはないのだ。その者達から素材提供及び作品制作の発注を受ける。それが剥製だろうとラブドールだろうと生きたまま体を改造されていようと……凍霞家ではそのような下劣な技術を幼い頃から学ばされるのだという。
もちろんそれだけではない。彼らは度々注文されていなくても作品を制作しては展示会などを開く。まるで生花でも飾るかのように沢山の悍ましい不幸を並べ立てるのだ……反吐の出る話ではあるが、彼らはその行いを『美』を追求する者として当然だと宣っているらしい。
「お、お母、さんは……そんな、人達のところに……?」
そして、静姫の母親である四十万紗凪はそんな凍霞家に買われた。ただでさえ、見目麗しい紗凪だ。美しい女が大好きな下衆達から引く手数多に違いないだろう。
それに、四十万家に乗り込んできた凍霞家の手の者は確かに言っていた。彼女の母親は「身体をまるで物のように改造されてビスクドール代わりにされる」のだと。
あの話はきっと、整形だとかそういったことだと思っていた。しかし、凍霞は人間を素材に美しい物を制作することを生業とする。
もし『ビスクドール』というのは、例えではなく文字通りの意味だったとしたら。今頃……紗凪は既に……。
「……ッ!ぐぁッ!う゛ぐぇ゛え゛え゛ッ……!!」
「ッ!シズちゃん!」
感情も体温も無くし、下衆の劣情を満たすだけの美しい人形に変わり果てた我が母……そんなあまりにも無情でショッキングな光景を想像した静姫は、ガツンと頭を石で思いっきり殴られたのではないかと思うほどの衝撃を受ける。耐えられぬといった様子で、そのまま椅子から転げ落ちては堪えきれない吐き気に苦しみ始めた。
風呂場へと急いだ柴が洗面器をまるでフリスビーのように投げ、それを受け取った薊が静姫の口元へと置いた。蹲りながらおぇおぇと喘ぎ苦しむ彼女の背を吐きやすいように強めの力で撫でてやれば、彼女は胃液と共に朝のものを戻してしまった。
静姫の精神的負担を考慮し、話は一旦中断した。まずは柴が涙と鼻水、口元に付着した嘔吐物をタオルで拭き取り静姫にうがいをさせ、薊が彼女が戻したものの処理を行う。大人二人がせっせと働いた。
ひっくひっくととめどなく涙を溢れさせながらも、自分の戻したものなのだからと静姫は立ちあがろうとするが、そんな彼女を柴は腕に閉じ込めながら無理やり休ませた。この娘には己が大変な時に他人、特に大人に頼ることをしっかりと覚えさせる必要があるな、と思いながら。
「……す、すみません、でした。大変な粗相をしてしまいまして……」
「いや、無理もない。僕も君の心情をもう少し考慮すべきだった」
「いえきっと、必要な話でしたので……母の、ことは……」
十分と少し経った頃、静姫が「もう、大丈夫です……」と柴の胸を叩いた。彼は彼女が無理をしていないか案じたが、ぐずぐずと鼻を鳴らしながらもその瞳には絶望でも恐怖でもない『覚悟』という意思が伺えた。これから先を生きる静姫にとって、切っても切り離せぬ因縁である……凍霞涼花と向き合うための、覚悟だ。
「……凍霞家というのは、時折貧民街から攫ってきた見目の麗しく、そして妖術師として素養のある子供を従者として育成することもあるらしい」
なんでも凍霞家というのは皆が皆、顔の美しい者達なのだとか。
古くから人間を美醜で判断するきらいがあり、完全なるルッキズム主義……故に嫡流以外の人間は彼らの判断基準で美しいとされた者のみが凍霞家の人間になれるらしい。
その中には、酷い傷を持っていたとしても元々の見目がよく、健康的な体を持っている者も含まれる。
要は遺伝子的に美しければ……子孫を残す上で問題はないということらしい。
「簡単に言えば変態の集まりや」
「気色悪っ……」
そんな動物の品種改良のような子孫の残し方の影響からか、凍霞家の嫡流は代々それはそれは美しい外見をしており、中性的な顔立ちの男児が多いという。凍霞家の当主というのはその代でもとりわけ顔立ちの良い男が継ぐことが大体なのだとか。
「シズちゃん、そないなぼんぼんに心当たりないか?」
「……」
静姫は柴の問いかけに、きゅっと唇を噛みながらゆっくりと瞬きをした。
彼女の脳裏に浮かぶ景色は、陽の光差す、とある昼下がりの、なんの変哲もない川辺だった。
青々とした草に腰を下ろしては、身を清める私をただじっとじっと、見つめるだけのあの人……まるで、この世で最も美しいものを目にしたような、陶酔とした瞳で。
真剣な眼差しで「とても綺麗だ」という真っ直ぐな言葉をぶつけ、私の感情に喧騒を沸き立たせたあの人が、きっと……きっと。
「……神奈備は何故そんな凍霞家を放っておくんですか」
静姫は目を伏せ、柴の言葉に答えることなく逆に問いかけ返す。その声色はどこか切なげだった。
そのあからさまな話題のすり替えから、二人には「四十万静姫は凍霞涼花と思しき男に心当たりがある」と白状しているようにしか聞こえない。実際に彼女もそれについて隠す気がない様子だ……きっと今の静姫は感情の擦り合わせをしている最中なのだろう。
静姫が凍霞涼花に何を思っているのかは分からないが、その整理がつくまで彼女の心の柔いところを突くような野暮な真似をする気は二人にはなかった。
「あくまで神奈備の目的は『国の脅威となるものの排除』……表でも裏でも手広くビジネスを展開する凍霞家に迂闊に手を出すことが出来ないんだ。下手に抗争にでもなれば世界規模の経済恐慌にまで発展しかねない」
「あぁあーうざった!かったくるしぃ肩凝るわ」
「ちっ……柴さんが定職を失った経緯がよく分かりました」
「もうちっと言葉をオブラートに包むことを覚えぇや?……傷付くから」
加えて凍霞家は九年前の斉廷戦争でも功績を上げている。妖刀が生まれる前の戦時中、凍霞家は相伝妖術『降魔』によって無数の人形を操作し、敵の進軍を食い止めていた。壊されても壊されても命を持たぬ人形達は何度でも再生し命ある者達の盾となり続けたのだ。おかげで神奈備も凍霞家へと強く出ることができないのが現状である。
そんなものは弱冠十歳の子供である静姫としては知ったことではないし、大人の世知辛い事情は腐っているなと舌打ちを打ってしまう。その苛立ちはとてもとても鋭利な刃物と変化し、柴の心に深い傷を刻んだ。
「……ともかく、キミはすでに狙われている。六平の二人と同様に身を隠すべき存在だ、ということは理解していてほしい」
「そう、ですね……」
特に静姫は六平の家や妖刀について知ってしまった上に、結界を素通りできるような技術も有している。
もしも、凍霞家に捕らえられた場合にそれら全てが彼らに露呈してしまったらどうなるか?
国一番の刀匠、六平国重の作り上げた妖刀を凍霞家が「美しいもの」だと思わないわけがない……彼らは必ず、静姫を利用して六平家を襲うだろう。
「シズちゃん……キミの存在は十分に『国の脅威』だ」
「……はい」
「間違っても逃げようとは考えないこと。いいね」
薊は静姫に六平家の護衛を頼むと同時に、この事実を六平国重に伝えると言った……勿論、監視のためである。静姫が逃げ出すことは決してないが、彼女に『逃げ出せることが出来る』という事実がある以上、必要なことだった。
静姫はそんな自分の事情を六平国重に知られることは心の底から嫌で、思わず目に涙を溜めたが拒否することはなかった。彼女は既に沢山のものを譲歩されてこの場にいる……それ以上の我儘まで口に出すことはできない。
「辛いかもしれない。憎いかもしれない……今すぐにでも凍霞家に報いを受けさせたいかもしれない。だけど、堪えるんだ。シズちゃんが今、凍霞家に捕まってしまえば、紗凪さん……お母さんが命を賭してまでキミを庇った意味がなくなってしまう」
「……意味」
薊は柴から聞いていた。静姫が屑の人殺しに堕ちなかったのはひとえに彼女の母のおかげなのだと。
もしも、彼女が六平家のことを知る前に凍霞家の手に渡っていたとしても、彼らは静姫を利用していたはず……結界さえも無効化し、存在を気取られずに行動できる妖術だなんて凍霞家だけでなくどこの組織だって欲しい能力だ。
「シズちゃん。こういう言い方をして気を悪くしないでほしいのだけれど……キミの容姿は凍霞家のお眼鏡にかなうほどに整っている。それに加えて、その才能……凍霞涼花は五千万という金を払ってでもキミを自分の従者にと育てるつもりだ」
「……」
だからこそ、静姫は凍霞家に狙われている……と、薊はそういうことにした。
その方が静姫は余計に傷付かなくて済むだろうと考えて。
「シズちゃんが彼らに捕まってしまうことがあれば、どんなに汚ないことをさせられるか分かったものじゃない。他人の幸せを無遠慮に奪うような人殺しだっていくらでも強要されるだろう。そんなことになれば、キミのお母さんの願ったシズちゃんの清廉さが」
チンと、音が小さく鳴った……静姫が薊の話を遮るように、ベルを鳴らしたのだ。
「ねえ」
いつの間にか静姫は伏せていたはずの顔をほんの少しだけ上げている……下から見上げるように向けられたその目はぎょろり、と薊を睨んでいた。その鋭い視線に貫かれた薊は思わず、ごくりと生唾を飲み込む。
「もう、そういうのいいから……いい加減やめません?」
「……そういうのっていうのは?」
「怠い、と言っているんです。その気遣いになってない気遣いが」
静姫には苛立ちを微塵も隠す様子が見られない。彼女は向かい合って座った大人二人に向かって少し前のめりになりながら、ドンとテーブルを拳で叩いた。静姫は一瞬だけ柴に視線を向ければ、そこには「あちゃぁ……」と額を抑える柴の姿があった。
どうやら、柴は彼女がなぜ苛立っているのか理解しているらしい。じゃあ、もう彼のことはいいだろう……と、静姫は再び薊の方へと視線を戻す。
「ねえ、薊さん……」
「うん」
「……」
そこで「ああ、なんだ」と、静姫は少し拍子抜けした。
ずっとシラを切る気なんだろうな、と思っていたのだが……存外、薊の返答の声色とその表情には「バレてしまっているのか」という諦めが見られた。
そんな彼の様子から、静姫の苛立ちは空気の抜けた風船のように自然と萎んでいく……しかし、彼女はもう「ねえ」という言葉を口にしてしまった。怒りの感情とは違い、それをしまい込むことは少しだけ難しい。
「……ねえ、薊さん」
だから、静姫は前のめりになった姿勢だけは正して、続きの言葉をそのまま吐き出すことにした。
「どうしてそんな嘘を吐くんですか?」
と、切なそうに……薄く、薄く微笑みながら。