本当に好きだったんだな
「どうして、そう思うのかな?」
薊は両肘をつきつつ、そのまた両指を重ね合わせながら静姫にそう聞き返した。手の甲に乗せているその顔は、少しも動揺した様子はなく……いや、むしろ彼女を試しているような微笑みを浮かべている。
「……質問してるのは私なんですけど」
「ごめんね。シズちゃんに気遣っていたつもりだったけれど、僕はどうやらその気遣いが下手なダメな大人らしいから……質問を質問で返すようなマナー違反もしてしまうんだ」
「綺麗な顔でいけしゃあしゃあと……ほんとに顔が良いな……」
「嬉しいよ」
柴は二人の会話を聞きながら思わずチベスナ顔になってしまう。「綺麗な顔でいけしゃあしゃあと」は完璧な『おまいう』案件であった。忘れてへんからな、俺んこと『都合の良い男』言うたの。
そんな柴のことなど全く気にせず、自身の顎を撫でながら静姫は薊の整った顔をしげしげと観察している。毛穴なくね?顔が良いわ本当に、変な服着てるけど……と考えている静姫。完璧な『おまいう』案件であった。鏡見てみな、そこには綺麗な顔と『アイスを愛す』がある。
「ちなみに、私がそれに答えてなんか利でもあるんですか?」
「利ね。じゃあシズちゃんが僕が隠していることの推理を教えてくれたらちゃんと答え合わせしてあげるよ」
静姫は腕を組んで不満そうに問いかけるが、薊は気にも止めずに、にこりと笑ってそう返す。
「ここまで話しておいて?薊さんには凍霞について、私に包み隠さず話す義理があると思いますけど」
「僕にはシズちゃんが凍霞に狙われている事実を伝える義理はあるけど、何故狙われているかの理由まで説明する義理はないよ。『四十万静姫が凍霞のもとへ降ることは六平家が彼らに狙われるきっかけになり得る』というだけで十分すぎる程にシズちゃんの足止めをできるからね」
「なんと卑怯な。フレンドポイント追加です」
「嬉しいよ」
「なんでそれで好感度上がんねん」
変梃やなぁ、と二人を眺めている柴だったが、実のところそんな変梃な静姫のフレンドポイント稼ぎの天井を叩いているのは彼っだったりする。
ちなみに六平親子の二人は天井を叩くどころかその天井貫いての青天井である。愛がデカい。
「それに……さっき僕の言ったことを『嘘』とはっきり言いきるのだから、シズちゃんはシズちゃんの中である程度の予想はついてるんだろ?」
「……まあ」
「キミが一番欲しいのは、僕からの解説ではなくて、自分の予想が正解か不正解かの確認じゃないのかな。だったらシズちゃんの考えを僕達に教えてくれる方がスムーズと思ったんだよ」
「ポイント追加」
「やったあ」
「嬉しいよって言いや」
基準はよく分からないがビシッと薊に指差しガンガン加点を許す静姫。薊が天井に手をつく時はそう遠くはなさそうだ。
「いろいろ確認したいことはありますが……まず一つ、これは聞いておきたいです」
そういうことなら、と静姫が最初に薊に確認することは、凍霞涼花の容姿について。
彼女は凍霞涼花が一体誰なのかほぼ確信はしていたが……その『ほぼ』の部分を最初に消しておきたかったのだ。
「凍霞涼花とは、雪のように白く柔らかい髪をした薄紅色の瞳を持つ……十代後半ほどの男性で間違いないでしょうか」
「そうだね。彼は凍霞家嫡流の末弟で年齢は確か十八歳だ」
「兄が何人かおったんやけど、兄弟の中でも取り分け優秀で綺麗な面持ち。現当主は涼花を以前から相当推しとったらしいで。本人はだいぶやる気なかったっぽいけんど、最近になって正式に次期当主に決まったらしいわ」
ああ、やっぱり。
静姫は二人からの返答を聞き、哀しいというか虚しいというか……まさに『失望』という感情でいっぱいになった。
「やっぱり、そいつが『アメオ』だったんですね……」
「アメオ?誰ぇ?」
「キャンディあむあむチャラお兄さん。私のこと、綺麗って言ってましたね」
「ああ、そういう……」
涼花は静姫が川辺で水浴びをしていた時に、彼女を眺めていたあの男だった。
静姫はその男を「外見が自分より美しい」と言っていた。彼女が己の母と名前を並べる程に容姿の整った男は一体何者か、と柴は考えていたが……その正体が美に異常なほど拘る凍霞家の次期当主というのなら納得である。まあ、その心は汚泥に塗れている屑なのだが。
涼花が静姫を見つけた日からその彼女が失踪した日を数えるとすると、それはわずか二日間。時期的に見ても彼が涼花だと考えない方が不自然である。
そして顔写真のない静姫の似顔絵をどうやって用意したか……これに至ってはもう涼花本人がデッサンしたのだろう。凍霞家はあらゆる芸術分野を幼い頃に叩き込まれるらしいし、涼花は末弟でありながら時期当主に推される程の人間だ。当然、再現度の高い似顔絵を描くことなんてお茶の子さいさいだろう。似顔絵で描かれていた彼女の服装は、彼と出会った時と全く同じであった。
色々考えを纏めながら静姫は、はぁあっと深いため息を吐いて落胆する。
「次に私がおかしいと思ったところを一つ一つ並べます」
「並べるくらい沢山あるんだね」
「いやぶっちゃけどっこもかしこもおかしい。破綻しきってて崩れ落ちそう。並べさせろ整理整頓させろ」
「こりゃ手厳しい」
静姫はテーブルの上でトン、トン、と物を置き分けるパントマイムをしながら話し始める。おそらくこれは彼女の癖なのだろうな、と柴はどうでもいいことを頭の隅で考えてしまった。
まず一つに、最初に紗凪が受け取った金のことだ。
「普通、売り買いする際のお金って取引成立する時に渡しますよね」
「まあそやな」
「それなのに、涼花は私を手に入れる際に最初にお母さんに百万円を渡した」
そして、その金の受け渡し場所は紗凪の働いている風俗店であろう。
涼花と紗凪の関わりは店のオーナーとキャストという間柄しか考えられない。凍霞家は売春斡旋にも手を染めているのだから風俗店もたくさん経営しているはず。
特に彼女は子連れの風俗嬢だと知られていたし、足がつくのも相当簡単だったはずだ。
「……ん?待て嘘やろ。つまりそれまでの四十万家の全財産って六万八千三百七十二円やったん?」
「や、直前までお母さんは出稼ぎに行ってたからもっとあったはずなんですけど……あの日に散乱してた酒、タバコ、クスリの状況から見て出稼ぎの分の金、寄生虫男に全部溶かされましたね」
「どう生きたらそんな碌でなしになれるんだ」
「死ねやドブカス」
「もう死んでます」
大人の二人が怒りを露わにし始めるが、当事者である静姫の方は寧ろ落ち着いていた。もう恨んでもいないし興味もないのだろう。やっと死んでくれたのだから、あの男に対して思考を割くのが面倒だとでも言いたげである。
「せっかくお母さんが稼いできた数十万をあの男は一瞬にして溶かした。流石に馬鹿すぎですけど、そこに追加でドンと百万来たからはっちゃけちゃったんじゃないですかね。稼いでくるお母さん自体が売られちゃったから収入なくなっちゃうのにね」
「ばーか」
「あーほ」
「ぼーけ」
あの男は全く四十万家の管理を全くしていなかった。故に十歳である静姫よりも金の価値や相場を理解していなかったに違いない。何を考えてるんだ、と言いたいところだがおそらく何も考えていなかったのだろう。
しかし、実際に涼花が欲しがったのは紗凪ではなく静姫である。そして、手に入らなかった彼女に五千万の懸賞金をかけた……では、紗凪に渡した最初の百万とはなんだったのか?
「もしかして退職金、なんじゃないかと」
静姫は元々おかしいと思ってはいたのだ。静姫は風俗嬢の売り上げの相場をある程度理解している。正直な話、紗凪はかなり稼ぎの良いキャストだった。
つまり四十万紗凪は店からの待遇が優先されるはず。それなのに、店側はそんな彼女の何よりも大切な娘を売れと言い出した。
それに、たとえ静姫のような女児単体の価値が百万だったとしても、店の稼ぎ柱である紗凪にとって精神安定の要であろう娘という点を考えれば百万では安すぎる。実際に手配書では五千万の金を出しているのだし。
「凍霞涼花はお母さんの出勤日に退職金を渡して、『四十万静姫』を五千万で売れと交渉という名の命令をしたのではないのかなって」
紗凪は何も好きで風俗嬢をやっていたわけではない。そうしないと娘を養っていけなかったのだ……だが、逆を言えば静姫がいなかったら紗凪は風俗嬢をやる必要がない。
そして涼花は店の稼ぎ柱である紗凪と、彼にとってなんらかの価値がある静姫を天秤にかけた結果、静姫を乗せた皿が下に傾いた。
だから、これから働く意味をなくす紗凪にはさっさと除籍してもらう。そして退職金を渡し、後日改めて静姫を五千万で買い取る……それから紗凪は何処へでも行けばいいと促したのではないか。
「グレーゾーンどころかまっくろくろすけな店のくせに退職金渡そなんてえらい親切な話やなぁ?」
「……まぁ、多分それは私の母親、だったから」
「あん?」
「とりあえず、退職金及び私を売った後に得られる五千万円をお母さんは得ることが出来たのではないかと思われます」
それだけの金があればいくらでも生きていけるはずだ。紗凪は自由の身になれるだろう……そうやって、彼らは紗凪を侮った。彼女は金に目が眩むような女ではない。そんなものよりも真っ先に静姫を取るに決まっている。
しかし、相手はあの下衆の煮凝り、反社の代名詞……悪名高き凍霞家の御曹司だ。交渉と言いながら拒否権はなかったのだろう。
「だから、騙した。涼花と旦那にそれぞれ、別の嘘を吐いて」
涼花には「五千万で静姫を差し出す」と、旦那には「私は百万で買われる」と……双方に認識のズレを生じさせ、その隙間から彼女を逃がすことにしたのだ。
そして、静姫にさえ真実は打ち明けなかった。もしも、そのことを聞いた彼女は大喜びで凍霞家へ身を捧げていたから……その先で自分がどのような扱いを受けようと、何をさせられようと「お母さんに大金が送り込まれる」と言いながら死んでいったはずだ。
紗凪にとって、それだけは絶対に避けたいことだったのだろう。
「だから、お母さんは自分自身をどうしようと助からない状況に追い込んだ。私にはそれを察することができる、と信用して」
そうやって、紗凪は闘ったのだ。
自分のこれからの全てを賭け、たった一人で。
「……実際のところ、紗凪さんの思惑は僕達には分からない。だから、それが真実だとは断定できない」
薊は肯定をしない代わりに否定もしなかった。彼らは凍霞家の事情しか把握していないし、四十万紗凪が生きてきた軌跡は静姫の口からでしか知ることが出来ないから。
「でも、キミがそう言うのなら……そういうことなんだろう」
だからこそ、それこそがもっとも正しい紗凪の意思だということにした。この世界で一番血の通っている紗凪と共に長い時間を過ごした静姫の言うことが……もっとも真実に近いに違いないのだから。
「……問題はその先です」
「僕が嘘を吐いているという話かな」
「そうですこの大法螺野郎め」
「一切トーン変えることなく暴言を吐きよったこの娘」
先程までは、紗凪から覚えていた違和感。次からは薊の言葉に対する猜疑心の話だ。
「薊さんは、凍霞家が私を戦力として欲しがっていると言いましたね」
「そうだね」
「おかしいんですよそれが。凍霞家に対しての私なんてただの雑魚です無力です役立たずです」
「めぇっちゃボロクソ〜……」
静姫は何食わぬ顔で自身を遠慮なく乏まくった。そんな涼しそうな顔でなんてことを。
「でも、キミはさっき自分でも言っていたじゃないか。『なんの教えもなく妖術を扱える天才だった』と。こう言ってはなんだけれど、キミの妖術は如何様にも悪用できる。凍霞家が欲しがるという点に何もおかしなところはないと思うのだけれど」
「薊さんそれ自分で言っておいて苦しいとは思わないんですか?」
「……正直、ちょっと無理あるかなって」
「むりせんといてや」
「ゆっくりやすんで」
ズバッと静姫に痛いところをつかれた薊は急に顔色が悪くなり胃を抑え始めた。日々のストレスが確実に蓄積している上に、静姫という国家機密セキュリティ全スルーモンスターまで現れ始めた。心労レベルは凄まじいだろう。
薊のその痛々しい姿に、柴も静姫もやわやわとした労りの声をかけた。いらんところのダメージを突いてしまった。
それはともかくとして、と彼女は話を戻す。「凍霞家が静姫を戦力として欲しがる」……この主張に無理があるところとは。
「それは凍霞家に私の妖術師としての才能がバレている場合の話でしょう」
「せやねんなぁ」
「すみません、もうちょっと隠そうとする努力くらいしてくれてもいいんじゃないですか」
「そもそもこっちはバレへんやったらラッキーくらいの気持ちやってん」
「試すな大の大人が二人してこんな年端もいかぬ女児を」
静姫の主張に薊も柴も一切否定することなく、うんうんと頷きはじまる始末。もう既に隠そうとする様子はどこにも見られない……実のところ、二人は彼女に隠し通せる気はそこまでなかったようだ。
そんな中途半端な気持ちで誤魔化そうとするんじゃねえ、と静姫は言いたいところではあったものの……ギュンギュンと思考を巡らせすぎる自分にも非はあるような気はするので黙っておくことにした。多分これ「しりたがりやはわかじにするぞ」って言われるタイプのそれ。
「私の妖術である薄氷は簡単に言えば用途は気配を隠す為のもの。それなのに、手配書を発行するっておかしな話ですよね。そんなターゲットに警戒されるようなことをするなんて愚策も愚策でしょうに」
「普通に考えて狙っていることがバレないように自分達だけで秘密裏に探すよね」
「しかもシズちゃんの妖術は無生物には無効やから、凍霞家の妖術の人形操作で簡単に見つかるわな」
「嘘でしょとうとうアシストまで始めたよこの大人二人」
最早、全員の共通認識になってしまっている事実……それは「凍霞家は静姫が妖術を使えることを知らない」ということだ。
そもそも、何の罪も犯していない静姫に何らかのスキルがあると考える者はいないだろう。何かしていたとしてもバレないのが彼女の薄氷なのだから。もちろん、ただ玄力を身体に巡らせて身体能力の底上げを出来る時点で妖術師の素養はあるが、静姫は生活の中で常に「面倒ごとに巻き込まれないように」ということを念頭において行動していた。騒ぎになるような派手な荒事など何もしていない。
静姫は無意識のうちに妖術を使用することがあっただろうと考えられるし、もしかすればそこで妖術の会得を知られてしまっている可能性は完全に捨て去ることはできないが……。
「でも、私は凍霞涼花の前で意識的に妖術を『使わなかった』んですよね」
「意識的にか」
「意識的にかぁ……」
「あなた達さては「私ってば凍霞涼花の前で無意識に妖術使ってたかも」って不安がるんじゃないかって、ワンチャン狙ってましたね?」
「狙ってました」
「んっのやろう」
静姫はそもそも自分が妖術を使えると認識していなかったし、それも最初から自分がそこにいるとバレてしまっていたら意味のないスキルだと勘違いしていた。癖になってはいるものの、実際に妖術を発動しようとすると体力を消耗するものだ。彼女は涼花の前で意識的に楽をしようと呑気に姿を晒していたことを思い出す。
だが実際には静姫の薄氷は発動前に姿が見えていたら不発、というわけでもなく発動後でも問題なく彼女の姿を視認できなくなってしまうもの。もしも、静姫が涼花の前で薄氷を発動していたら、妖術に明るい彼に彼女の才能を見抜かれていたかもしれない。間一髪であった。
「それに、私の家に乗り込んできた……多分、従者の方も言っていましたよ?「何考えてんだ」って」
「……従者?確かに、凍霞家の者は大体従者はいるけれど」
「それでも凍霞家やなくて、凍霞家が経営しとる店の連中や手配したヤクザかもしれんのに、なして従者って分かったん?」
「ああ、凍霞涼花。『坊ちゃん』って呼ばれてました」
「坊ちゃん」
「坊ちゃん」
坊ちゃん。十八歳の跡取り息子が若様とかじゃなくて、坊ちゃん。
二人はぼんやりと「ああ、甘やかされているんだな」という印象を覚え始めた。なるほどキャンディあむあむチャラお兄さんか、なるほどな。
何となく無の表情になってしまっている二人に気を止めることなく、静姫は話を続ける。
「凍霞家は妖術の才能ある子供を攫うこともよくするんでしょう?それなのにそんなことを言うってことは、私に妖術があるとは思っていなくて従者として育てるつもりもなかった。もっと別の目的があるんじゃないですか」
付け加えるのならば、その従者の男が話している相手は……会話の様子からして静姫とただ血の繋がっているだけのあの男だけに絞っていたように思われる。
きっと紗凪は「静姫はもう逃げました」と嘯いたのだろう。自宅は碌な家具もないので姿を隠せるような場所はないし、彼らも家の周辺をよく探すことはしなかった……まあ、探されていたとしても、その時の彼女はその場にいると悟られる前から薄氷を発動していたので見つかることはなかっただろうが。
「でも仮に私には薄氷を使えると彼らが分かっていたのなら「出てくるのなら今のうちだ。そうすればお前の母親は解放してやろう」って一応は脅しますよね。私ならそうする絶対にする」
「悪党の素養はあるにはあんねんな」
「生物学上では父親のゴミ男の殺処分未遂犯に何を今更」
と、いうわけで。
これまでの数々の違和感に気付いている静姫には彼らに妖術師としての才能があるとバレている、とはどうしても思えないのだ。
ならば何故、薊は彼女に「妖術師として狙われている」と言ってしまったのか。
「まあ、気を遣ったんでしょうね」
「最初からそう言っていたものね」
「大人の気遣いは気づかんふりするのがマナーやで」
「すみませんね、躾のなってない小娘なもので」
そう、薊は本当に静姫に気を遣っていたのだ。
凍霞涼花が静姫を狙っている本当の理由を明かせば、それは彼女にとっての精神汚染に繋がってしまうから。不快な思いをしないでいいのなら、しないでいいのに越したことはない。
薊が静姫に「妖術師として狙われている」と嘯いたのだって、凍霞家が大枚をはたいてまで彼女を狙っている理由を口にしないのは不自然だろうと考えてのこと。敗因としては彼女の勘が鋭かっただけに過ぎない。
悪いことをしたな、と静姫は少しばかり反省するが、当事者である自分にとっては見過ごしてはならない問題だ……そんなことを考えながら、彼女は目をゆっくり閉じて、もう一度あの川辺でのことを思い出す。
__『きみのことがとても綺麗だなって!そう思ったんだ!』
あんな風に誰かに自分を評価されたのは初めてだった。
すごくびっくりして思わず逃げてしまったけど、本当は……。
「本当は少しだけ、嬉しかったのもあったんだけどな」
静姫は残念だ、と言いたげな表情で手を組みながらいじいじと指を合わせたり離したりを繰り返した。
凍霞家は自分たちのことを『美を追求する者』だと言っている。彼らは独自で『作品』の展示会を開く。そのため『綺麗なもの』の素材探しには余念を欠かすことはない。
何だかまるで……もしもの未来で一人旅をしようと決心した動機の『綺麗なもの探し』に似ているな。私はもしかして、凍霞家の人間になっていたら案外馴染んでいたのかもしれない、と静姫は自嘲気味に笑ってしまう。
「凍霞涼花の目的。それは、私を彼の制作する作品の素材にするため……」
「……」
涼花が静姫をただの素材としてしか評価していない、という事実。
心臓がきちんと鼓動し、酸素を吸って吐いて、生きている……命ある人間に対してこれほどショッキングなことはないだろう。
薊は静姫が切なそうに目を伏せながら言ったその言葉を「そうだ」と肯定すべく、口を開こうとした。
……そのときだった。
「と、いうことにしておくつもりだったんでしょうけどね」
「!」
「……ああ、やっぱり」
まさかっ!て顔してる。
「知ってるのは私だけかもしれないと思ってましたけど、その表情を見るに多くの人達にとっての共通認識なんでしょうね」
薊は静姫の続いた言葉に目を見開いた。それには柴も同様である。
凍霞家は人間を素材として作品を制作する。この悪の所業を聞いていながら……彼らに妖術師として認識されておらず、且つ自身を見目麗しい人間だと評価する静姫が行き着く答えなど、彼女を素材にするというものしかないだろう。
だから、そこまで悟っているとは思わなかった。きっと、そこまでに行き着くことはないだろうと。
「シズちゃん、キミは」
「分かってますよ。あれは、そういう意味だったんでしょうね……そういうつもりで出た言葉だった」
静姫は昨夜にチヒロと話したことを思い返す。
ああ、あの時の月は本当に綺麗だった。うっとりするほどに、思わず見惚れてしまうほどに。
きっと、あの人もこんな気持ちだったのだろうな、と思い出させてくれる程に。
「あれほど強く真っ直ぐ「綺麗だ」って言われたら、あんなに胸の内が掻き乱されてしまうんだって初めて知りました。いっそ、恐怖を覚えてしまうほどに……」
凍霞涼花の本当の目的。
それは静姫を妖術師としての才能を見出されたわけでも、芸術品の素材として利用するためでもない……そんな凍霞家の人間としての価値観ではなくて『それ』は凍霞涼花という一人の人間としての感情からくるもの。
誰もが『それ』を覚えても、さして不思議ではないくらいにごく普通でそれでいて身を焦がす程に堪らなく苦しく激しいもの。
そしてどこまでも純粋で、それでいて可愛らしいほどに俗っぽい『それ』とは。
「凍霞涼花は私のこと、好きなんですよね。何が何でも手に入れたいと……希うほどに」
恋心、と呼ばれるものだった。