推しカプ爆誕いとおかし
「ヌハハハハァッ戻ってきたぞ!我が根城へとなぁ!」
「わァ……ものすごくしてやったりって顔してる」
「おかえんなさいなぁシズー」
「ただいまぁ国重さんっ!」
すぱぁんっと六平家の扉を開き、魔王のような高笑いと共に現れたのは薊との面会を済ませた静姫。
まるで鬼の手を掲げたバリバリ最強ナンバーワンな先生のような決めポーズだ。彼女は自分のことを可愛いと評価していたはずだが、可愛いとは一体。
きっと静姫は力の限り走ってきたのだろう……大人の二人が彼女よりほんの少しだけ遅れて姿を現す。そこには思いっきり苦々しい表情の薊と慣れきったような柴がいた。
「ちゃんと真摯に真っ当にお願いした?」
「もっちろん!ねっ薊さん!」
嗚呼、言っている。薊の方を振り返った静姫の眼光が嫌というほど訴えかけている……「ボケろ」と。チヒロには絶対にシリアスな話をしたと微塵も思わせないような返しをしろ、と。怖いよその目つき。
えーと、そうだな、うーんと……。
「首を縦に振らなかったら前髪をぶち抜いて生え際を五センチ後退させ、胃袋に数多の風穴を開けると脅されたね」
「シズ、今からでも遅くないから辞書を引こう」
とりあえず「成程、今回もゴリ押したのだな」と、チヒロに間違った認識を擦り込ませることには成功したようだ。
嘘はついてないが、三人の話し合いはこのようなコミカルチックな雰囲気ではない。
薊の顔色があまり芳しくない原因は静姫が駄々を捏ねたからなのではなく、彼女のアホの子擬態が完璧すぎるあまりに「本当に末恐ろしい娘だ」と実感してるからである。柴は慣れたが。
「薊さん、苦虫噛み潰したような顔してるけど」
「私の可愛さに舌を巻いてるんだよあれは」
「じゃあ、もうそれでいいかな」
「泣きゲロかまされたらもうそれでええわともなるわな」
「ハァッ!?なんっで、よりによってそれっ……それバラしちゃうんですかァッ!?」
「報復じゃ小娘ッ!!」
思いっきり笑顔だったはずの静姫の表情は、柴の告発により般若のような顔へと変貌を遂げる。そしてその般若は後ろにいた柴に恐ろしいほどの瞬発力で飛びかかった。
あのショッキングな事実を伝えられた時の静姫の狼狽ぶりは、薊もこの目に焼きついて離れない……しかし、それさえも演技に組み込むとは流石だと感心せざるを得なかった。
「ちゃんと洗面器待ったじゃないですか!」
「洗面器持ってきたん誰やったかなぁ!?」
「薊さんだった!」
「その薊さんに渡したんは柴さんやろが!」
いや、こればかりはどうやら素の怒りのようだ。顔を真っ赤にして目の縁に涙溜まっている。
易々と柴に首根っこを掴まれぎゃるるるるッ!と食ってかかる静姫は元気いっぱいだがそのエネルギーは屈辱から来ているようにも見える。
よりにもよって六平家の二人に吐いたことをバラされたことは彼女にとっては尊厳を傷つけられたことと同義であっただろう。
「シズ」
しかし、そんな暴れ猫をたった一声で落ち着かせるのは、流石というべきか……六平家の人間であるチヒロであった。
決して大きな声ではなかったはずなのに、自分の名前を呼ぶ彼の声にピクッと反応した静姫は急に騒ぐのをやめ、くるっとチヒロの方へと首を向けた。
「……」
「……チチチ」
「みゃあみゃあみゃあ」
「打ち合わせでもしたんか?」
チヒロが突然、右手の人差し指をくいくいと動かしながら舌を鳴らして静姫を呼ぶと、彼女は柴からぴょいんっと飛び降りる。
鳴きながらぽてぽてぽてとチヒロに駆け寄る彼女の姿は完全に懐ききった猫であった。
「シズ、戻しちゃったの?」
「う」
チヒロは静姫の手をそっと握りながらそう聞いた。
静姫にとってそれは彼には突かれたくないことではあったものの、聞かれたからには答えないわけにはいかない。彼女はキョロキョロと視線を右往左往させては、こくりと小さく頷く。
「気持ち悪かった?」
「……や、疲れちゃって」
「疲れるくらい沢山泣いちゃったの?」
「……まあ、そこそこ」
「そこそこ、か」
「ぬっ?」
次のチヒロの取った行動を……味噌汁を温めていた国重以外の大人二人はバッチリ目撃し、思わず両手で自身の口を覆ってしまった。
「……ほんとだ、よく見たら目元が赤い」
なんとチヒロは、急に静姫の顔と自分の顔をまつ毛が触れ合ってしまうのではないかと思うほどに近付けたのだ。
それこそ、見てる角度によっては口付けでもしているのではないかと見間違えてしまっても仕方ないくらいに。
しかし、それもたった三秒間の出来事。チヒロは彼女の顔からすっと離れる。
「今はどう?気持ち悪い?」
「今はへいき……」
先程のことなどまるで気にしていないように会話を続ける二人。
顔を近づけられた方の静姫も動じていないのが凄いが、チヒロもチヒロだ。
彼はあんなにパーソナルスペースの狭い子だっただろうか。いや、もしかすると同年代の子ではあれくらいが普通だったりするのだろうか……大人二人は置いてけぼりになり悶々としてしまった。
「朝ごはん戻しちゃったよね?お腹空いてる?」
「すごく空いてる」
「お昼ご飯食べられそうかな」
「すごく食べれる」
「よかった。じゃあ手を洗っておいでよ、昼食の準備しとくから」
「了!」
「よし」
まるで敬礼のように元気な返事をしたかと思えば「お昼ご飯だー!」と大喜びする静姫。その後は、六平家の洗面台へとまっしぐら。てててーっと駆けていく姿は純真無垢な幼児そのものである。
あれも猫被りの一部というのだから恐ろしいものだ……と、薊が感心していると。
「ヒョッ」
突然、薊の隣から何とも奇怪な音が鳴る。まさか今のは柴の声だろうか、珍獣の鳴き声みたいだったけれども。彼はある一点を見つめているようだったので、薊もその方向へと視線を向けると。
「ひゅっ」
「……なんですか」
そこには耳まで顔を真っ赤にしたチヒロがこちらを少々恨めしげに睨んでいたのだ。
先程まで平然としていたはずの彼は、悔しそうに赤くなった耳を冷まそうと両手でむぎゅむぎゅ握りしめている。
えっえっまさか、さっきの自分でも恥ずかしかったのだろうか。
というか、恥ずかしかったのにやったのか……何故?
「……どうせ、意識なんてされませんよ」
「オッ……!?」
「オウ……!?」
その言葉に柴も薊も、それぞれにまるでオットセイのような返事しかできなかった。
ふいっと視線を下に向けながらそんなことを吐き捨てたチヒロ……それはつまり「意識されたくて静姫に迫った」と言っていることと同義であって。
大人二人はそんな彼から何か途轍もない衝撃が放たれた感覚に襲われた……そう、何か、なんか分からんが飛んできた。
まるで光線を撃たれて消し炭になるような、はたまた心臓を弓矢で貫かれるような、そんな感覚。
それは、現代らしく俗っぽい言葉に言い換えると「推しカプ爆誕」の瞬間であった。
「チヒロくん!柴さんはっ!柴さんは応援してるで!なんならアシストしたる!なっ?なっ!?」
「ちょっ柴!声が大きいぞ!それに、ここは見守るべきであってだな……!」
「せやかて薊ィ!」
「柴ぁ、なーに騒いでんだ?薊まで……」
「そうですよ、手を洗ってきてください」
「ラジャー!」
「仰せのままに!」
どうやら、この家で猫被りをする子供は静姫だけでなく……もう一人いたらしい。
*
「シズ、おべんとついてるよ」
「とってとって」
「……」
「ほら」
「ん、あむ」
「…………」
めぇっちゃくちゃイチャついている……。
当然のように二人並んで座っているチヒロと静姫は、またもや当然のように距離が近すぎた。
なんだ、その……米粒取ってあげて、その指についた米粒パクって食べるやつ。何で平然と出来るんだそれを……あっ待てよチヒロくん、ほんの一ミリだけ唇噛んでるのが見える。耐えてるなアレは。
薊はそんな二人が並んでいる姿を見るのは初めてである。米を口に運びつつチラチラと柴の方を見ているが彼も彼で戸惑っているようだった。
柴に至っては昨晩も御相伴に預かっているし、静姫がチヒロに甘え気味であるところも目撃しているが、ここまでではなかった……と、いうよりも今ではチヒロの方が積極的に甘やかしているように見える。
いっや、確かにシズちゃんはチヒロくんの人生壊すやろなとは思いはしててんけど、ここまで急に……こうなるとは思わんやん。チヒロくんがシズちゃんを甘やかせる立場の強みをフル活用してベタベタし出すとは思わんやん。
ほんまシズちゃんファムをファタりすぎやろ……!
「今日なんか特に仲良しさんだなー!チヒロもシズも!」
「(切り込んだーッ!?)」
「(切り込んだやと!?)」
柴も薊も敢えて口にしなかった二人の距離感を、国重は朗らかにすぽーんっと言ってのけた。
彼的には「息子と仲良しの女の子がいるのは微笑ましいなぁ」くらいの気持ちかもしれないが、大人二人組の心情としては「オマエはさっきのチヒロくんを見てないからそんな暢気でいられるんだこの、このっ!」という気分である。
「もとからだよ父さん」
「もとから仲良しさん」
「そうか!もとからか!」
「せやったっけむぐぅっ」
「そーだチヒロくん!この間、お祝いできなかったけどケーキ買ってきてあるからデザートに食べようか!甘くないやつ!」
柴は「いや、そんなことないだろう」というようなことを口にしようとしたが、薊は彼が余計なことを言わないようにと押さえ込み、無理やり話題を変える……水面下で行われる熾烈な派閥争いがそこにはあった。
そうだ、たとえ同担と言えども味方とは限らない。同じカプだとしても十人十色の推し方がある。それによって勃発した哀しい争いは星の数ほどあるだろう。
積極的にアシスト派の柴と絶対的に見守り派の薊は決して分かり合えない……争うしか、選択肢はなかった。
ちなみにチヒロとしては『外野には引っ掻き回さないで欲しいが、それはそれとして静姫にも気づきを与えて欲しい』という気持ちなので、どっちの方が良いとかはなかった。
「お祝い?ケーキ?」
しかし、そんなある意味では愛憎渦巻く争いなど露ほども知らぬ静姫は、薊の口から出た『ケーキ』の言葉に関心を持ったようだ。
「ケーキってお祝いに食べるものなんですか?」
「お祝いに限らなくてもいいけど、まあ大体そんなイメージかもね」
「へぇ〜」
冷奴に醤油をかけながら静姫は「見たことないや、ケーキ」となんてことないように溢す。
食べたことないどころか見たことないと来たか……胸が痛すぎる。カブトムシの件を知っている柴と薊は同時に心臓をそっと抑えつつ、心の中で吐血した。
「じゃあシズは初ケーキだな!」
「えっ私も?お祝いはチヒロくんなのに?」
「お祝いの時はみんなでケーキ食べるんだ」
「ほぉ〜……」
国重とチヒロからお祝いケーキの嗜み方を聞くと静姫は心なしか頬が紅潮し、ふすふすと息を漏し始めた。
明らかに期待している。自分もケーキなるものを口に出来るのか、と。
そんな風にそわそわしだした彼女はハッキリ言って可愛いもので……チヒロは思わずそっと心臓を抑えてしまった。目の前の大人二人と同じような動作だがその心情は全く違う。是非ともカブトムシの件は知らないままでいて欲しいものだ。
「じゃっすぐにご飯食べてしまわないとだねっ」
「ケーキは逃げないからよく噛むんだよ、噛んでって」
みんなの話を聞いてから、静姫はまだ見たことのないケーキに一秒でも早くありつきたくなってしまったようだ。醤油をかけたばかりの冷奴をぱっくぱくと口に放り投げて皿を空にした。二口だった。
豆腐は柔らかいとは言え、あれでは食べるというよりも飲むという表現が正しいだろう。落ち着け。
「慌てて食べるから口周りに醤油が……こっち向いてお手拭きで拭う」
「んむ、むむ……あっところでさ」
「うん」
「お祝いって何?チヒロくん何かめでたいことあったの?」
「それは多分、ケーキよりも先に聞くべきことやったな」
どうやら静姫は結構な食いしん坊。あらゆる物事での関心の優先順位は食べ物が上位にあがりがちなようだった。
そもそも、何故ケーキを食べようということになったのか……その理由であるお祝いごととは。
「チヒロくん誕生日だったんだよ、二週間前にね」
「……エッ」
八月十一日。それは六平千鉱の生誕祭の日である。彼はみんみんじわじわと、蝉時雨の降り注ぐ夏に生まれたのだ。
「あ、えと……私こと、シズちゃん、実は春生まれです」
「そうなんだね」
「困惑の末に出てきよったな新情報が」
そして静姫は桜吹雪が舞い散る四月生まれであった。
ちなみに静姫が困惑している理由としては、チヒロの誕生日が自分の誕生日より遅いことに微妙な衝撃を受けているからだ。彼女はなんとなく「チヒロくんは冬生まれで私と同じ年齢かな。ちょっとだけ私より年上な感じ」と理由なく考えていたのだ。強いて言うなら自分よりしっかりしているから、だろうか。
しかし、チヒロの生まれ月は静姫の予想と完全に真逆であった……じわりじわりと、謎の焦りが彼女の背中に這い寄り始める。
あれ、待てよ……そういえば、冷静に考えて、そもそも私、勝手に年上だと思っていただけで。あれっ私ったら、チヒロくんの年齢をしっかり確認したことないぞ。
「……ところで、チヒロくん」
「何?シズ」
「チヒロくんって、いま、いくつ?」
「九つだけど」
「……ココナッツ?」
「ここのつ」
「こっ……」
今日の二週間ほど前という日が記念すべき六平千鉱、生誕九周年目……それは周知の事実である。しかし、静姫だけは初耳すぎたのだ。
そんな、まさか、チヒロくんがまだ一桁の年齢だなんてそんなまさか、と彼女は滝のような汗をかきながら目の前の大人達に視線を移していくが、それぞれの顔に「九つだよ」「九つやで」「ココナッツ美味いよな!」と書いてある。
あっ本当にチヒロくんって九歳なんだ。
そう実感してしまった静姫は自身の足元がガラガラと崩れ去るような感覚に陥り……気づけばこう叫んでしまっていた。
「私の方がお姉さんじゃんかぁああーーーーッ!?」