誰かのものになるのなら、


「あんなぁ、シズちゃん。今は気になるかもやけど、一つ違いくらい大人になれば些細な問題なんやで?俺かて六平の一個下やし」
「大人になったらってなんですか!四十万静姫、十歳には分かりません子供だもん!チヒロくんと私、一桁と二桁だもんん!」

 チヒロが己より年下だったという事実が、今になってようやく発覚した静姫はそれはそれは無様に慟哭し始めた。
 ちなみに周りの人間は彼女が逐一自分の名前の次に年齢まで付け加えるので耳タコのようなものである。

「なんでチヒロくんが九歳ってこと教えてくんなかったんですかっ!私っ……!チヒロくんに「ありがとうお兄ちゃん」って言っちゃった……お姉さんなのに!」
「教えて欲しかったんやったらそっちからタイミング作りぃや。暴れてばっかでチヒロくんの歳を教えるどころやなかったでこっちはぁ」
「それはそう。すみませんでした」
「おん」
「沈着と反省が速いね」

 顔を上げた一瞬にして表情が虚無と化した静姫。どうやら納得はしたものの、まだショックからは立ち直れていない様子。
 彼女はぱちりと手を合わせながら「ご馳走様でした」と覇気のない声で呟いたかと思えば……空になった皿をかちゃかちゃと退かし、ゆっくりとテーブルに突っ伏した。いや、落ち込みすぎだろ。

「何をそないに絶望することがあんねん」
「チヒロくんに甘え倒して生きていく算段を立てていたのに、そのチヒロくんが年下だったと発覚し……私は人として駄目なのではと思い始めている」
「安心せえ。それは年下発覚前から駄目人間や」
「……もう人間はやめて泥になるしかねえ、私って奴は」
「柴が追い討ちをかけたせいで泥が生まれちゃったじゃないか」
「あーすまん、想定をはるか飛び越えてヘコんどったわ」
 
 さめざめと涙を流しながら、まさにその言葉のようにドロドロとした空気を醸し出す静姫。まあ、勝手にチヒロが年上だと思い込み、勝手に落ち込んでいるだけの彼女を気にかけるような良い大人ではない柴はガサゴソとケーキボックスを開きながら「気にせんと好きなん取りやチヒロくん」と宣う。
 気にしろ、仮にも保護者だろ柴登吾よ。泥を人間に戻して差し上げろ。

「シズ」
「っ」

 しかし、やはりその泥を人間に戻せるのはこの少年、六平千鉱の役目でもあるのもまた事実……彼の己の名を呼ぶ声に彼女はピクリと反応し、その顔を横にスリと向ける。静姫は気まずそうに口を尖らせては、チヒロと机の表面を交互に視線を行ったり来たりさせている。

「今日は俺の誕生日のお祝いだよ」
「お祝い……」
「悲しまないで喜んでよ」
「喜ぶ……」
「そっちの方が俺は嬉しいよ」
「チヒロくん生まれてきてくれてありがとう。大好きですマジでおめでとうございます」
「……よし」
「切り替え早ぇえ〜」

 音速で気力を無理やり回復させた静姫は自身の両手でガシリっとチヒロの手を取り、力強い眼で彼の生誕にそれはそれはデカい祝いの言葉をぶつけた。急に迫り来た彼女の顔にチヒロはほんの少し頬を赤らめさせるがゴホン、という咳払いでそれを誤魔化す。

「チヒロくん。甘えてばかりの私だったけど、これからは……!チヒロくんのお姉ちゃんになれるように頑張るね!」
「ぜぇったいに嫌だ」
「チヒロくんの口から出たとは思えないほどの絶対なる拒否で、私ことシズちゃんは死にかけましたが」
「俺かて見たことないで。そないなチヒロくん」
「僕も」
「親である俺も」
「国重さんもなら相当じゃんもう終わりです」

 しかし、次に静姫が口にした『お姉さん宣言』に関して、チヒロは眉を極限まで顰めてはズバッと一刀両断した。こんなチヒロは間違いなく今世紀初だろう。握った手をペイっと放り出されなかったおかげで首の皮一枚繋がったが、もしそうなってたら即死であった。

「そんな駄目?なんで駄目?一周回って気になりすぎるよ、私のどこが駄目?」
「シズは駄目じゃないよ。ちょっと手がかかるけど、そこが可愛いし手先も器用で家事に関しての呑み込みも早い、凄く素敵な女の子だよ」
「ふふん」
「もうちょい可愛く照れられへんの?」
「柴は黙ってろ」

 拒否したかと思えば次の瞬間にはベタ褒め。普通ならこの模範的特大『落として上げる戦法』でハートを射止められぬ女はいないはずだが……静姫は普通ではないので、ただ自己肯定感が上がる程度に終わった。いや、良いことなんだけれども。
 薊は心の中で「がんばれチヒロくん」という声援を送ると共に柴をギロリと睨みつけた。とにかく柴は黙ってろチヒロくんが可愛いと言ったのならシズちゃんは可愛いんだよ。

「でも、シズは俺の家族じゃないでしょ」
「う」
「シズが言ったじゃん。俺も父さんもシズのお母さんの代わりじゃなくて、俺と父さんとして好きだって」
「……言ったけどぉ」
「じゃあ、俺達がシズの家族の代わりになり得る役割があっちゃいけないよ。だから俺はシズの弟みたいにならないし、シズも俺のお姉ちゃんの枠に収まっちゃ駄目なんだ。少なくとも、俺はシズをお姉ちゃんとして見るつもりはない」

 チヒロはそんなことを言いながら、ほんの少しだけ静姫に顔を近づける。そして、自分の片手を包んでいる彼女の両手……それにもう片方の手を添えてぎゅうと包み返した。
 あっこれやばい、この甘い空気は多分推しカプ砲撃が来る総員防御態勢に……!

「俺はシズのこと、四十万静姫という一人の女の子として見てるよ」
「チヒロくん……」
「だから、シズも俺を六平千鉱っていう一人の男として、見てよ」
「……うんっ!」
「ッグガ」
「ッギュ」
「どうしたァ柴に薊も」

 推しカプ砲撃を真正面からまともに浴びた柴と薊はギュンギュンに痛む心臓をこれでもかというほどに抑えた。
 この破壊力はやばい、し、死ぬ……こ、これが公式による圧倒的殴殺力……!
 そんな限界オタクのような状態になっている大人二人のことはフルシカトしつつ、チヒロは話を続けた。
 
「それにね、シズ。別に年下に甘えることは何も悪いことじゃないと俺は思うよ」
「チヒロくん、でも……」
「とりあえず、そこにいる父さんを見てごらん」
「家事全般、チヒロに甘え倒して生きておりマンモス!」
「ほら」
「なんか全然大丈夫な気がしてきた」
「だからこれからもいつも通りにするといいよ」
「そうする」

 一見、なんの変哲もない日常会話だ。いや、父親の世話を全面的に請け負っている息子という点に関していえばバリバリに変哲はあるが。
 しかし、ここでチヒロの目論見に柴と薊はハッと気づいた。間違いない……これはただのアピールでは終わらぬ、彼の計算だ、と。
 そうこれは……密接的な関係にあたる幼馴染の少年少女が辿りがちな「恋愛対象?違う違う!チヒロくんは家族みたいなものだよ」というよくあるルートを、この時点で確実に潰すための布石。
 それに加え、甘えたな静姫を甘やかし続けるというあまりにも優位すぎるポジションを確たるものとするその手腕……待ってくれ、本当に九歳か?
 つまるところ、この六平千鉱という少年はがっつり静姫の人生全てを貰い受ける覚悟をその身に宿していたのだ。ちょっと何なんですか、金に物を言わせ静姫を無理やり娶ろうとしたけどまんまと出し抜かれて完全に失敗した凍霞涼花が馬鹿みたいじゃないですか。

「……い、いや!でもでも、流石に私もチヒロくんにお誕生日プレゼントくらいは用意したいよ」
「それは別に、そもそも過ぎてるし」
「セーフだよギリセーフだよ二週間前だったのなら」
「基準が分からないよ」

 しっかり静姫に対しての刷り込みが終わったらしいチヒロは彼女からそっと手を放し、昼食分の食器を水につけようとその場から立ち上ろうとする。
 動揺するような様子もなく実に自然な声色だ。静姫のことも恐ろしいと思っていたが、このチヒロもなかなかに侮りがたし……そんなことを思いながら少年少女の動向が気になって気になって仕方のない大人二人はとりあえず緑茶をズズと啜り始めた。
 
「いいから!私が渡せるものなら、チヒロくんにあげるから!なんでも!」
「んぶッ!」
「ぐほッ!」
「うっわ汚ッ!?」

 そこから突然落とされた静姫の爆弾発言。『なんでも』というワードに一瞬にして邪な選択が浮かんだ二人は口に含んでいた緑茶を吹いてしまった……どうやら口元も心も汚れてしまっている様子である。
 静姫は「汚したとこ拭いてくださいっ!」と言いながら台拭きを投げつけ、柴はそれをパシッとキャッチしたが……誰のせいだと思っている。

「……なんでも?」

 これがいつもの軽口だったら「ん?今、なんでもって」と茶化す程度で終わっていたのだろうが、その言葉を口にしたのは静姫であり、その相手はその彼女を心の底から欲してやまないチヒロ。これは茶化せない、絶対に茶化せない。
 チヒロのことだから、そこまで突っ込んだ要求をしないのではないか?という希望的観測はありつつも、先ほどから伺える彼の作戦は明らかに『ガンガンいこうぜ』だ……となれば。

「じゃあ、俺はシズが欲しい」
「任せろぉっ!」
「待って」
「待つんだ」
「待たんかい」
「な、なんでそんなっみんな一斉に立ち上がるんですか……?」
「シズも立ち上がってる」
「そっか」
「そっかじゃない」
 
 まあ、そういう台詞になるわけでちょっと待て。チヒロに対しては拒絶を知らない良い子な静姫に、三人はガタリと椅子を鳴らし彼女に手のひらを突き出す。のほほんと笑いながら座ったままなのは国重だけだ。
 いやいや返答が早すぎる、元気が良すぎる。とんとん拍子ってレベルじゃねーぞ……言い出したチヒロまでストップをかけてしまうほどである。
 やめろなんだそのガッツポーズは。『いのちをだいじに』しろ。

「シズちゃんあんま考えなしにホイホイ了承すな!」
「考えなしじゃないもん。ちゃんと考えたもん!」
「嘘つけ羊羹丸の時より返事速かったくせに!」
「その一瞬で一生懸命たくさん考えたもん!」
「じゃあ一体何を考えてたか言うてみぃ!」
「私はずっとお世話になりっぱなしでありながら、己が欲を満たす環境を永続させる為にチヒロくんを人質に取る等という悪行を働いてきたからそれは贈り物をすると同時に償うべきと思って了承したんだもん!」
「思てたより考えてはった!」

 柴と言い合いをしている静姫を眺めながら『そういやそんなこともあったな……』と思い返しているチヒロと『そんなことしたのか。しそうだな……』としみじみ考える薊は、両者とも腕を組みなんとも渋い表情になる。例えるなら、閉じられた目と口が真一文字になっているような感じである。四十万静姫とはなんて困ったさんガールなのであろうか。

「……じゃあ、シズは俺のってことで」
「意義なーし!チヒロくんの手となり足となりまーす!」
「意義なーし!チヒロの手助けお願いしまぁす!」
「……本人同士がそれでいいのなら、もうそれでいいんじゃないかな」
「お父さんからのお許し出てしもた以上はもう何も言えんわ。貰う側やけども」

 元気よく右手を大きく天へと突き出す国重と静姫、そしてしっかり彼女を貰い受けてしまったチヒロに二人は諦めモードとなるしか出来なかった。
 チヒロのことだから、静姫に何かを無理やり強制するようなことはないのだろうが、これから彼女が何か……特に恋愛面でチヒロにとってなんらかの都合の悪いことがあれば『四十万静姫は六平千鉱の物である』というカードを切るつもりなのだろう。最近の少年少女って凄いなァ。

「じゃあ、シズは俺の手となり足となり食器を水に漬けるの手伝って。デザート用の食器も出すから、全部食べ切った後に一緒に洗い物ね」
「仰せのままにっ」
「おっ!俺も手伝うぞ!」
「父さんは座ってて。そんなにシンクに人立てないから」
「お団子状態になっちゃいますから」
「仰せのままにィっ!」

 本来ならば、お客さんだったとしても祝われる側のチヒロは上げ膳据え膳になるべきだったのだろうが国重は二人の言葉で、そして柴と薊はチヒロの視線で着席を余儀なくさせられる。
 その赤い瞳はよく語っていた。『静姫と一緒に家事をするのを邪魔するな』と。そうだ、チヒロはたった今、受け取った贈り物を存分に楽しんでいる最中……邪魔者は引き下がるべきである。こうして、少年少女にお世話をさせられるダメな大人三人という構図が出来上がってしまうのであった。

 *

 その後のケーキの事だが……
 
「んグゥォオアッ!!」
「シズちゃんがケーキ口に運んだ瞬間、回転しながら吹き飛んだんだがッ!?」
「どないしたァアァッ!?」
「本当にどうしたの」
「ベロ失くなった!」
「なんて?」
「ベロおっことしちゃったぁあ!うわぁあん!」
「やばいぞチヒロォ!シズのベロ探さねえと!」
「シズ……『らりるれろ』って言って」
「らりるれろ」
「それが言えるなら舌はついてるよ」

 初めて口にしたケーキがあまりに美味しすぎたことに衝撃を受けた静姫が椅子から転がり落ちた。
 せっかくならほっぺを落とすべきだったろうが、味覚を感じ取る舌が今までの食生活で口にしたことのない甘味の情報処理に追いつけなかったのだろう……それでも「ベロ失くした!」は分からんが。

「チヒロくんどうしよう……落ちた時に肩がゴキってなった」
「どんだけやねん」

 一口食べただけで既に疲労困憊状態の静姫はゼェゼェと息を切らしながら、腕を押さえつつ椅子に座り直す。どんだけやねん。

「じゃあ、俺が食べさせてあげる。食器洗いは任せて」
「食器洗いは出来そうだけど食べさせては欲しい」
「わかった」
「エッ!?」
「ナッ!?」

 落ちた影響で腕を負傷するというドジというレベルでは済まない事態により、またしても公式による供給から柴も薊もアワアワし出す。そ、そんな……『あーん』まで見せてもらえるんですか!?どこにもお金振り込んでいないのに!?

「改めて思ったんだけど……私、チヒロくんの物なのにこんなにお世話になっていいのかな」
「何言ってるの。俺のなら俺がお世話するに決まってるでしょ」
「ご主人様すぎて最高……」
「主人の言うこと聞いてね」
「はー、い……どうしたんですか、柴さんも薊さんも、なんで泣きながらご馳走様のポーズを……?まだ残ってますよ?」
「ある意味そう……」
「ある意味そうやねん……」
 
 チヒロが『ご主人様』を敢えて『主人』と略したことによりチヒロ×静姫クラスタの大人二人は泣きながら拝むしかできなくなっていた。
 本当に色々、ご馳走様です。